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教師は完璧でないといけないのでしょうか?

 他スレで盛り上がっていたのですが、本筋とそれるので別スレを立てます。  教師は、完璧でないといけないのでしょうか。他スレで、完璧であることが当たり前という意見を目にしました。教育のプロなんだから、当たり前と。ぐうの音も出ません・・・。またその方は、教師は医者と同じく完璧を求められるものとおっしゃっていました。  ここで疑問です。なぜ、教師と医者は同列に扱われるのでしょう?私はとっても不思議に思います。聖職だからでしょうか?私は教師と医者は比較対象にならないと考えています。 (1)医者のミス=医療ミス=患者の生死に関わる=許されない。では、教員のミスは?  医者のミスというとき、それは医療ミスを想定している場合が多いと思います。では、教師のミスはどんな種類のミスを指しているのでしょう。医療ミスが許されないのは、患者の命に関わるからですよね。では教師のミスが許されないのは、なぜなのですか? (2)医者には長い研修医期間があるけれど、教師にはない  医療ミスはあってはならないことだからこそ、医者には研修医期間が設けられています。けど、教師には研修期間などありません。せいぜい初任者研修くらいです。医者と同等にミスが許されない教師なら、研修医期間に相当する時間がほしいです。 (3)なぜ会社員とは比較されないのか?  給料をもらっているプロという点では、会社員も同じです。一般企業の新人は、失敗は日常茶飯事でしょう。失敗を繰り返し、上司に叱られ、一人前になっていくのでしょう。教員にそれは許されないのでしょうか。給料をもらっている人は、みな一様にプロとは言えないのですか?  私は小学校の教員です。4年目です。失敗の連続で、学級経営もうまくいってません。間違えて子どもを叱ることもあるし、授業だってへたくそです。教師たるものこんなことではいけないとわかっていますが、現在の自分は力不足で、情けないですが子どもと共に成長していくしかないと思っています。今の子供たちに申し訳なくて、学校に行くのが億劫です。でも担任である私が逃げるわけにはいきません。今の私のままで向き合うしかないと思っています。  保護者は温かく見守ってくださる方、平気で子どもに私の悪口を言う方、いろいろです。子どもは親御さんの言うことは絶対ですから、親御さんが悪口をいう担任への信頼は薄れます。それでますます学級経営がうまくいかないという悪循環です。憤りを感じますが、そもそも私の力不足が要因ですから仕方がないのかなとも思います。  教師も医者と同じくミスが許されないのなら、ミスが許されながらも修行ができる期間がほしいです。残念ながら今のシステムでは、教師にはその修行期間は保障されいません。  教師は完璧ではありません。失敗することだってあります。もちろん、失敗していいとは思いません。自分を磨く真摯な姿勢は忘れてはいけません。けど、ネットで「教師は完璧であるのが当たり前」という書き込みを見ると、暗い気持ちになります。教師は完璧ではありません。悩み、子どもを傷つけ傷つけ合い、そうして人間くさい教育ができるのではないかと思っています。  こんな思いは、私の甘えなんでしょうか?みなさんは、どうお考えでしょうか?興味を持たれた方の回答をお待ちしています。厳しい意見も覚悟しています。よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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  • baka_inu
  • ベストアンサー率58% (148/254)
回答No.14

はじめまして。 教員です。 教師のミスが許されない、というのは、教育者サイドにいる人間が、自戒の意味で使う表現かと思います。 http://www.meijitosho.co.jp/shoseki/shosai.html?bango=4%2D18%2D913119%2D9 http://www.meijitosho.co.jp/shoseki/shosai.html?bango=4%2D18%2D909115%2D8 (同様の記述がありました。こちらが最初なのかも…) 大勢の子供に囲まれると、さぞかし大変だろうなぁと思うのですが…自分が理想とする姿を求めて成長していくしかないので。 「変えられるのは自分と未来」だと割り切って、身銭を切って勉強に励むしかないのかな、と思ったりします。 私も忙しさに負けて自己修養をサボりがちですが、ここでの書き込みをきっかけに、勉強して行こうと思います。 ちなみに、上記の書籍は、集団をまとめるときに必要なことが書かれていて、とても勉強になった覚えがある本です。古本屋にも並ぶくらい古い本ですが、未読でしたら、ぜひ一度読まれてみてください。 では。

accchibu
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私もこの本、読みました。初任者の時に読んで、今また読み返しています。1年目の時にはこの本を読んでいろいろと考えたはずなのに、いつのまにかこの本の内容が頭から飛んでいたことに気がつきました。反省です。 教育は心であり、技術であり、ですね。 私も自己修養に励んでいきます。

その他の回答 (14)

noname#220293
noname#220293
回答No.15

No.10です。 投稿しようとこのスレを開いたところ、No.14さんが同じ方向で回答されていました。別の視点で回答します。 質問者のかたは、受け持ちのクラスの生徒全員を、跳び箱を跳ばせることができますか。もちろんその学年にとっての標準的な高さ( 段 )です。 跳べない生徒がいた場合、どのような対応をしますか。 がんばれ、もう少しだ、勢い良く踏み切れ、と声援を送るだけですか。これなら一般人にもできますね。 たかが跳び箱、跳べなくたって人生に影響などないよ、跳べなくたって良いんだよ、となぐさめの言葉をかけますか。これなら一般人にもできますね。 跳べない生徒は、ごく少数ですよね、多分。クラスのほとんどの生徒は跳べるのに、自分だけが跳べない生徒の気持ちはどんなでしょうか。 全員を跳ばせる技術があるのです。公開もされています。私にもできるでしょう、多分。 生徒全員を跳ばせることができる技術があって、その技術が公開されていて、しかも簡単に先生も私にも技術を身につけることができるのです。 それでも、たかが跳び箱、跳べなくても良いんだよ、でしょうか。 ある病気を治療する技術があるのに、患者が来たとき、治らなくても良いんだよ気持ちを楽にね、というような不勉強な医者にはかかりたくないです。 全員を跳ばせる技術があって、技術が公開されていて、簡単に身につけることができるのに習得しないのであれば、教師として許されないミスですよ。 「完璧であることが当たり前と」書いた回答者の方の本当のお考えはわかりませんが、私の考える完璧とは、上記のことです。先生として身につけるべき最低限のことを、100パーセント身につけていることです。 >教師は完璧ではありません。悩み、子どもを傷つけ傷つけ合い、そうして人間くさい教育ができるのではないかと思っています。 最低限の完璧さは身につけてください。 No.14の方が紹介している本の中にも、さまざまな、身につけていただきたいことが書かれています。 なお「続・授業の腕を上げる法則」もお薦めしておきます。 たとえば、先生( 質問者のかた )は、ご自身の方から生徒たちに挨拶をしておられますか。挨拶は自分からせよ、です。 今、学校では画鋲を使うのでしょうか。画鋲ひとつにも、とめ方があります。教室内の掃除のさせ方にも技術はあります。

accchibu
質問者

お礼

はい。全くおっしゃる通りです。反省です。 とび箱を全員飛ばせる技術があることは知っています。さか上がりだって全員飛ばせることができる技術があります。このことを知っているのに身につけないなんて、言い訳のしようもありません。おっしゃる通りです。 むやみ完璧じゃないといけないか?なんて考えるより、明確に具体的にこう指摘していただけると、自分が何をすべきかはっきりと見えて、なんてくだらないことで悩んでいるんだろう、私がすべきことははっきりしているじゃないかと気付かされます。 ありがとうございました。

  • ryuken_dec
  • ベストアンサー率27% (853/3139)
回答No.13

一部賛同、一部反対でしょうか。 教師が完璧である必要はありません。世界で60億人ほど人間がいますが、完璧な教師の資質を持った人は1人もいないでしょう。 ただ、医師も完璧である必要は全くありません。 (1) 医師のミスも許されないわけではありません。 人間ですからミスはします。そのミスが想定された範囲内なのか、またその後の対応がポイントです。それを逸脱している場合に大きな問題になっています。 これは教師も同じでしょう。些細なミスや、予測される頻度で発生するミスは許容範囲です。(頻度で言えば、配布資料の誤字が10年間で1度あっても問題ではありませんが、1日100回では大問題) 医師も教師も変わりません。 (2) 前提条件が違うかな・・・と。 研修の問題ではありません。研修や知識・技能試験はその作業を行う基準に達するのに最低限として設けているものです。業務が単純であれば、研修が短かったり無くてもいいでしょう。 倉庫での荷物運びのアルバイトには研修がありませんが、それならばミスしてもいいのですか?accchibuさんの理屈だと単純作業ほどミスしていいとなります。 (3) 会社員も同じです。 会社員だってミスをすると営業所全員の前で、「お前は何をやっているんだ!!この給料泥棒が!!」なんて怒鳴られる営業もたくさんいます。 (4)おまけ >私は教師と医者は比較対象にならないと考えています。 accchibuさんは、自分が完璧を求められてつらいと言いながら、どうして医師に完璧を求めるのでしょうか? 昨今は産婦人科・小児科医不足の特集などが組まれています。彼らはまさに世間が医師に完璧であることを要求することに嫌気が差して辞めています。36時間以上連続勤務で家にも帰れない状況で働いているのに「受け入れできないとは何事だ!!」などと言われます。 accchibuさん自身が医師に対して思っている理不尽な要求が、他の人にとっては教師に向かっているとは思いませんか?

accchibu
質問者

お礼

わたしはその体験を通して思いました。医者は命を救うことが仕事です。患者やその家族の思いも救いとってくださるならこんなに嬉しいことはないですが、内科医は心のお医者さんではありません。治療を確実に行い、治療に最善を尽くしてくださればいいのです。確かに、今回の主治医の対応で少なからずとも傷つきました。泣きました。けど、叔父は最期まで精一杯がんばった。私達は叔父の看病をさせてもらうことができた。最期も叔父のそばで看取ってあげることができた。医者は治療を行い、痛みを緩和してくれた。 それでいいのです。主治医の先生は責務を全うしてくださいました。 けど、教師は心のケアが大切な仕事の一つです。もし、わたしが叔父の主治医のような心ない言葉を子供に言ってしまったとしたら、配慮が足りない担任として責められるべきでしょう。 医者は医療技術が要である。 教師は教育技術と共に、心も伴うべきである。 その意味で、医者と教師は違うと思いました。

accchibu
質問者

補足

>accchibuさん自身が医師に対して思っている理不尽な要求が、他の人にとっては教師に向かっているとは思いませんか? 正直、よくわからなくなってきました。ごめんなさい。ただ、私が医師と教師が違うと考えた理由をお話させてください。 私は、数ヶ月前に叔父を看取りました。叔父は生涯独身で、数年前に癌が見つかってからは一人で闘病していました。変わり者の叔父の家に電話はなく、かといって気軽に行けるような距離ではなく、なかなか連絡がつかず母はいつも心配していました。数ヶ月前、母に叔父の近所の方から連絡が入りました。家を訪ねたら這って出てきたそうです。慌てて駆けつけたところ、弱りきった叔父は一人布団に横になっていました。すでに固形物はのどを通らず、水だけを飲んで耐えていたそうです。病院に連れて行ったところ、あと一週間の命だと告げられました。 私達家族は主治医の先生の対応の仕方に大きな疑問を感じずにはいられませんでした。 医者であれば叔父がそのうち寝たきりになるような体であったことは承知のはずです。ならば、なぜそんな叔父を自宅に戻したのでしょう。戻すなら、なぜ家族であるわたしの母に知らせてくれなかったのか。もし近所の方から連絡がなかったら?叔父は一人、干からびた姿で発見されていたでしょう。 また、主治医の先生は母が病院に着くなり呼び出し、席に座ると同時に「あと一週間です」と告げられたそうです。同じことを話すにしても、もうちょっと順序立てて話はできないものでしょうか? 他にも「お医者さんって冷たいんだな」と失望するような言動がありました。私達はいつもより神経過敏になっていましたから、余計気になったのだと思います。

noname#165520
noname#165520
回答No.12

40代、会社員、管理職をしています。 そして母親です。 完璧な人間なんていません。 しかし、私はどんな職業でもプロ意識を持つべきだと考えています。 給料をもらうってそういうことだと思います。 私たちのような企業に勤める者は、給料を貰う為に、利益をあげなければなりません。利益をあげるために、どうするか。 その為に必要な勉強をして試験を受けたり、資格をとったりして個々の能力をあげる努力をし、自分の手と足と頭をフル回転させて、目標を達成しなければなりません。利益があがらなければ、当然のことながら、賞与は減給です。日々必死ですし、厳しいですよ。 そもそも完璧な教師ってどんな教師ですか? 完璧イコール失敗がないということなのでしょうか? 失敗なんて誰にもあることです。 むしろ失敗から学ぶことはとても多いです。 大切なのは、失敗をしないように普段から努力していたのか、 起きてしまった失敗から逃げずに早期に対処したのか、 そして解決できたのか、同じ失敗を繰り返していないかということだと思います。 私は先生には子供に勉強を教えてほしいです。躾は親の仕事だと思っています。けれど授業参観などにいくと、躾のできていないお子さんが、授業を妨害して、先生が困っています。 それで、授業参観にもかかわらず、先生が子供を叱るだけで、授業が終わってしまいます。真面目な生徒はこれでは勉強になりません。だから塾へ行かせます。親御さんの中には、学校の先生には何も期待してない、といいきる方もいます。勉強は塾でというのです。 授業を受ける姿勢から正していかないといけない今の先生は本当に大変だと思います。躾のできない親にも問題があると思います。しかし、先生という職業が、教育のプロであるというなら、どんな状況であれ、生徒の学力をあげる先生は優秀な先生だと思います。だから、授業がへたくそだなんて、謙遜だとしても言わないで下さい。プロ意識に欠ける発言だと思います。教師だからというのではなく、職業人として、?、と思います。 あと、修行期間がほしいというのも、 どんな職業でも日々修行じゃないのかな? 私なんて未だに修行中だと感じますよ。 いくら修行期間なんて設けても、満足なんてしませんよ。 仕事ってそんな浅いものではないはずです。 と、いうわけで、教師が完璧であるのが当たり前というより、 仕事は完璧をめざすのが当たり前、ということでしょうか。 厳しいことをかいてしまったかもしれませんが、 質問者様は、ご自分を冷静にみつめ反省することができる方なので、 これからいい先生になっていくのではないでしょうか。 同じ働く女性として、がんばりましょうね。

accchibu
質問者

お礼

はい。ありがとうございます。 お言葉、真摯に受け止めさせていただきます。 最近、自分の未熟さが身に染みて感じます。 >仕事は完璧をめざすのが当たり前 自分はまだまだ甘ちゃんですね。当たり前のことができるように、一日でも早くできるように、がんばっていきます。 ありがとうございました。

  • g-space
  • ベストアンサー率44% (49/109)
回答No.11

 「完璧である」とはどういう状態を指して言うのでしょうか? その具体的なイメージが質問者様にはありますか? 他から出た話とはいえ、なぜ医者や会社員と教員とを比較しようとするのでしょうか? 教員にとって許されるミスと許されないミスとの違いは何でしょうか? 「研修期間」でしたいことは何ですか? 「研修期間」に望む条件は、誰かが最終責任を取ってくれることですか?それとも責任は自分が持つが欲しいときに助言助力を得られることですか? 「自分を磨く」と言うとき、「磨かれた自分」の具体的なイメージはありますか? 「人間くさい教育」とはどのようなものですか?  そもそも、なぜ教員になろうとしたのですか? なぜプロとして認められる最低限の条件である教員免状を取り、教員採用試験を受けたのですか?  ひとつひとつの言葉はきれいです。私はその中身を知りたいと思います。でなければ、回答のしようがありません。  蛇足ですが、フランスでは、教育実習に相当する「現場での研修」をみっちり積み上げ、なおかつ自身が決めたテーマについて教育学的研究を行って修士号を取った者のみに、「国家資格」を持つ教師として仕事に就くことを認めています。国家資格を持たない者は教職に就けません。  質問者様は、このような研修をお望みですか?

accchibu
質問者

お礼

人間くさい教育=失敗を繰り返しながら、成長すること。どんなに嫌な思いをしても、背を向けないこと、向き合うこと。教師対子どもも、子ども同士も。 なぜ教員になろうとしたのか=小学校の時、友達に勉強を教えることが好きだったから。相手にわかるように言葉を選び、知識をかみくだいて教えることが何よりも楽しかった。 教員免許を取った理由=教師以外の職業の道も考えたが、高校時代の恩師のようになりたくて、教育大学に進学したから。教育学がおもしろかったから。恩師のような教師になろうと理想に燃えていたから。 教員採用試験を受けた理由=大学卒業後、自分の人間性に疑問を持ち、教師になる自信がなくて、一時期違う職種についていた。けど、他の仕事をしてみて、やっぱり教師になりたいと思って挑戦した。 まだ、言葉がきれいですね。質問に答えていない項目もありますね、きっと。どこか格好つけている自分がいるように思います。 最後に、日本で教師たたきが進み、学校評価制度とか教員免許更新とか政府が行うならば、フランスのように大学教育を厳しくすることが必要だと思います。学ぶべき時期に思いきり学ばせてほしい。望みます。

accchibu
質問者

補足

痛いです・・・。はっきりと答えられないことばかりです。 自分は、具体的なビジョンを持てていないと感じる出来事がここ数日でありました。 他人の真似から考えることも大事だけれど、やはり私自身が具体的にイメージを持っていないと子どもを惑わすだけだし、いざとなったときに子どもを守ることさえできません。 「他の誰が何と言おうと『これが俺の学級だ。悪いか』くらい言えるような学級作りをしないと」と言われたことがあります。 完璧である=授業がうまい。冗談がうまい。保護者の対応がうまい。子どもの気持ちを見取る力がある。子どもの気持ちを見取ることができる。褒め上手。 医者と会社員と教員とを比較する理由=教員と医者だけに無責任に完璧さを求める意見に疑問を感じたため。私の同僚は特別な人間ではないし、私が出会ってきた医者も特別ではない。なのに、完璧であるのが当たり前という意見を目にして納得できなかった。仕事に完璧であることを求められるのは、どの仕事も同じではないかと思ったから。でも、その一方で医者と教員に共通する特殊性は感じていた。だから、医者と教員の比較、その他の会社員との比較という形で質問した。 教員にとって許されるミス=失敗 教員にとって許されないミス=失敗しても振り返らない、認めない、謝らない 「研修期間」でしたいこと=授業スキルの向上 研究期間に望む条件=責任を持つボスがいる元で学ぶこと、助言を得られること 磨かれた自分の具体的なイメージ=現段階では、子どもの気持ちにフォーカスできる自分

noname#220293
noname#220293
回答No.10

該当するスレッドで回答した者です。 ただし「完璧であることが当たり前と」書いた者ではありません。 医者のミスは、場合によっては、取り返しがつきません。 教員のミスも、場合によっては、取り返しがつきません。 そのことが「完璧であることが当たり前と」書いた回答者の方の真意ではなかったのかと思います。 生徒の心に深い傷を付けてしまう、その傷は外からは見えない、一生治らない傷かもしれない、そういう危険と隣り合わせの職業だということでしょう。 質問者のかたが小学校の教員と名乗っておられるので、私も申し遅れましたが、個人塾の者です。 おそらくどのような職業にせよ、完璧さは求められると思います。不完全な部分を許してくださるのは相手の方です。私の場合でいえば、生徒たちであり保護者の方々です。 でも学校の先生と大きく違う点があります。生徒も保護者も、塾を選べます。学校の先生は選ぶことができません。嫌になったら塾を辞めることができます。別の塾に行くこともできます。 学校が嫌になったら転校でしょうか?不登校でしょうか?原則として、代わりとなるものがありません。 学校そのものが嫌になることはあまりなくて、先生が嫌になることが多いのではと推測します。 たとえば、いじめを受けても先生が適切に対応してくれなかったとか。 問題のカテのように、ある生徒が物を盗まれたので保護者が先生に手紙で訴えたら、先生が「お前の不注意のせいでお母さんに責められることになった」とみんなの前で言ったとのことです。これ、仮に冗談でも言ってはいけないことでしょう。笑いをとるつもりだったのでしょうか。それにしては、他の生徒の反応が悪いですよね。 自分から、人間は不完全だから許して、というのは甘いのではと思います。許す許さないは、繰り返しますが、生徒であり保護者です。

accchibu
質問者

お礼

回答ありがとうございます。該当スレッドからどなたか回答にいらしてくれるのではないかと思っていたので、嬉しいです。 回答者の方の言葉、納得です。 場合によっては取り返しのつかないミスにつながる、その通りだと思います。私は「教師と医師に完璧が求められるのは当たり前=どんなミスも許されない」と受けとめられて、非常にショックだったのです。 仕事をする以上、「不完全だから許して」は甘え以外なにものでもないでしょう。けど、その一方で、保護者の方の話だけで「ああ、それはダメ教師だね」と判断される方の声を目にすると、非常に悲しいものがあります。このような方が保護者になるのかと思うと、重い気持ちになります。 この質問をして、たくさんの方の意見を聞き、そのような方ばかりではないと知って正直ほっとしました。 学校は逃げ場がありません。逃げ場がないからこそ、教師は子どもたちを笑顔で帰す最大限の努力をしなければなりません。最近はその難しさに触れ、学校に向かう足が重くなるときがありますが、やっぱり教室で子どもたちの笑顔を見るとふきとんでしまいます。子どもたちは弱いし、強い。すごいけど、危なっかしい。そのギャップが教育に携わる仕事の魅力なのだと最近はつくづく感じています。

回答No.9

あの先生、甘いんじゃありませんか? 理想ばっかりで現実に指導がままならなく、自分を卑下する事で、こんな所で擁護回答にばかり求めている自分を、オカシイと気付きませんか? (教師を医師や会社員と比べている事が、このご質問をただの「愚痴」としか思えません) あのね、「逆く」ですよ。 先生を好きか嫌いか、これは児童が決めることです。 子供が先生を「嫌い」と言ってしまえば、親は先生の指導を注意深く観察するほかありません。 「何故家の子は嫌いになったのか」これが知りたい分けです。 その裏には、親として、担任は(若かろうが)全ての児童に公平であると親は信じているからです。 「失敗したら」児童に謝って下さい。 「指導が間違っていない」と思えたならば、児童を叱ってもらって結構です。 集団で共通意識を学べるのは、今は学校しか無いんです。 先生と言うのは、これは子どもにとって、親より絶対な立場なのです。 先生は児童傷つけては絶対なりません。「真摯」等と言葉遊びされていますが、人間臭いを勘違いされてます。 いいですか、児童を傷つけ傷つけあうと言うのを、例え「いじめ」を例えているにしても、これだけは双方認められませんよ。 児童の良い所を褒めて下さい。 親が褒めるのは当たり前ですが、先生に褒められるとそれ以上の努力が出来るのです。 親の知らない良いところを発掘して下さい。

accchibu
質問者

お礼

耳が痛いです。 >児童の良い所を褒めて下さい。 >親が褒めるのは当たり前ですが、先生に褒められるとそれ以上の努力が出来るのです。 >親の知らない良いところを発掘して下さい。 わかりました。

  • ginga2
  • ベストアンサー率12% (576/4564)
回答No.8

教師は生徒に対しては完璧で有るべきでしょう。 私は技術系の会社員ですが、お客様に対しては完璧だと思っています。 (思っているだけかも知れません) 医者は患者に対して等、全てに対して完璧には出来ないと思われます。 だって人間ですもの最低なになにに対しては完璧と言えれば(思えれば)良いのではないでしょうか 気負わずに頑張って下さい。

accchibu
質問者

お礼

ありがとうございます。 気負いすぎですね。 数年後、何て青いことを言っているんだろうと恥ずかしくなるのかもしれませんね。 学校の先輩先生にも言われます。「考えすぎない」と。 頑張ります。

noname#118935
noname#118935
回答No.7

「医師同様、教師も完璧でなければ」 という一見もっともらしく、その実、 粗雑な意見に振り回されるところが、 いかにも新米教師のようで、 そこがはたから見ていて危なっかしい。 べつに難しく考えなくてもいいのでは。 医師がそろってみんな完璧なら、 日本列島「名医師」で溢れかえってるし、 片や教職歴30年、片や教職についたばかりを おなじ土俵に上げてあれこれいうのも、 酷であり雑である。 新米教師に「教師だろう。完璧にやれよ」と 難癖つけられたってねえ。。

accchibu
質問者

お礼

ねちっこい性格なんですかね(汗)。小さなことにくよくよと悩んでしまうこともよくあります。 最近、いろいろと考えるところがあって、すごく気になったのです。 いろいろと考えさせてくれる仕事があって、辛いけど幸せだなぁと思います。 回答、ありがとうございました。

  • Ama430
  • ベストアンサー率38% (586/1527)
回答No.6

(1)教師のミスが許されないのは、なぜなのですか?  「許されない」という立場の方にとっては、教師は心の医者という側面があるからでしょう。 (2)医者には長い研修医期間があるけれど、教師にはない  医療行為は、大変複雑であるけれど、教育行為に比べてマニュアル化がある程度できるという面があるでしょう。  仕事そのものの中で教育力量を上げていくというスタイル自体は理由があるものと思います。  問題は、仕事の中で研修するというスタイルに見合う「ゆとり」がほとんどないという職場環境です。  日本では、先進国で類を見ない多数の児童を相手にしています。政治的思惑が優先した学習指導要領を押しつけられています。その上に、「トラブルは全部教師の個人的責任」という教育行政のスタンスがあったのでは、新人教師でなくても、失敗も織り込み済みで指導力を向上させるということにはならないのが当然です。  むしろ、現代日本の学校現場は、教師の手弁当による自主研修に支えられて、かろうじて破綻を免れているという状態なのではないかと思います。 (3)なぜ会社員とは比較されないのか?  「モノ」相手でなく「人間」相手だから、修理したり買い直したりできないと考えられるからでしょう。 人間にはミスはつきものです。 それが重大な事態につながらないようにするために、組織があり、システムがあるのです。 医療現場でも、少ないスタッフで無理をさせられる病院では医療ミスが起きています。 逆に、教育現場でも、自治体独自で職員を補い、学年部や生徒指導委員会などのシステムが有効に機能している学校では、大きなトラブルは少なく、小さなトラブルそのものを教育の場面にすることができています。 教育行政のねらっている学校の姿は、「校長の強力なリーダーシップのもと、スーパーマン教員が働いて、政府の意図した人材だけを育てる」だと思いますが、それはあまりにも無理のある方針なのです。 そうした口車に一部マスコミが追随して、「ダメ教師がいっぱい」というキャンペーンを続けています。 それを闇雲に信じてしまう保護者が多ければ、学校との協力関係は崩れ、結局子どもにとっては不幸なことです。 不信感をもたれても仕方がないような教員は確かにいます。 それは率直に認める必要がありますが、それも「真の協力関係」をつくるためであることを、教師も保護者も忘れてはならないと思うのです。

accchibu
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 教育行政には、憤りを感じることがあります。あのころころ方針が変わる指導要領は何とかならないものでしょうか。現場がやっと方向性を見出せたと思ったころにまた改訂です。10年ごとにあんなに内容が変わっては、何が良くて何が悪かったか検証することさえできないのではないでしょうか。教育の歴史を学ぶとこんなに指導方針が変わるようになったのは、ゆとり教育が打ち出された20年前からのように思います。 私は保護者の対応が苦手です。あちらが年齢が上の分、意見を言っても負けてしまうからです。私がもっと堂々と保護者と渡り合えるようにならないと「真の協力関係」をつくるのは難しいだろうと思うので、なんとかしたいのですが・・・うまくいかないものです。 冷静な回答、目が覚める思いでした。ありがとうございました。

noname#138477
noname#138477
回答No.5

 先生は、本当に大変だと思います。子供とは言え、自分とは違う人間を多数相手にして、的確に判断しないといけないのは、神業に近いと思いますし、辛いだろうと思います。  なお、私は、専門家でも親でもありません。 1.多くの場合、子供の生命や精神を健全に維持できなかった場合だと思います。ミスが許されないのは、子供の将来に影響するからでしょう。医師は、患者の体(精神科なら精神もありますが)が無事ならそれで良い。教師は、精神的な指導も委ねられているのが現状では。  もっとも、中学受験希望者が増えた現在、学力面の圧力もあるのかもしれませんね。 2.教育学部在学期間4年は、一種の研修期間だと考えます(医学部等医療職を除けば、数少ない単一の専門職養成学部です)。教育実習などは、その最たるものでしょう。  教員採用試験の競争率等や、教員を希望しても教員になれない人の存在を考えますと、これ以上研修期間を増やすのは、希望者に過酷だと考えます。  質問者様のイメージと合うかどうかは不明ですが、研修の試みをしている教育委員会も存在します(参考URL参照)。試みは理解できますが、個人的には、教員希望者にとり、あまりにも過酷だと思います。 3.医師もそうですが、免許を持つ職業はプロとみなされます。失礼ながら、比較対象が間違っていると考えます。自動車の運転免許でも、罰則に反すると明確な罰があります。  素人の私が書いても助けにはならないでしょうが、自らの力を率直に評価し、改善の試みをしている質問者様を応援しています。保護者の中にも、私と同じ考えの方もいるはずです。月並で申し訳ありませんが、頑張ってください。

参考URL:
http://www.kyouiku.city.suginami.tokyo.jp/teacher/shihankan.html
accchibu
質問者

お礼

ご意見ありがとうございます。大変参考になりました。 子どもたちを前にすると、いかに世の中にはいろいろな考え方をする人間がいるのだろうと驚きます。また自分がいかに狭い見識しか持っていなかったのだろうとも反省します。 残念ながら、私が卒業した教育大学で学んだ内容のうち、現在役に立っているものはほとんどありません。今となっては何を学んでいたのか思い出せないことがほとんどです。きっと他の教育大学でも同じでしょう(こんなことここで書くとまた批判がたくさんありそうですが、それが現状です)。私は教育実習に行って、自信を失いました。たったの5週間子供たちに向き合った程度では、何も学べず、また自分の未熟さを認識しただけでした。大学卒業後、自分なりに自分を成長させようといろいろ模索しましたが、教職についた今、その期間も役に立っているのかどうかもよくわかりません。もっと早くに現場に入って勉強すべきだったのかもと自己嫌悪に陥ることもあります。 あと10年、がむしゃらにがんばってみようと思います。回答者さんがおっしゃる通り、私は教員免許をとったプロでした。給料ではないですね。まったくその通りでした。見失っていました。教えてくださって、ありがとうございます。 教育のプロとして恥ずかしくないよう、研究と修養を重ねていきたいと思います。ありがとうございました。

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    私の母は約30年ほど小学校の教師をやってきました。 もうすぐ退職予定なのですが、退職後は病気のこども達に勉強を教える「院内学級の教師」のような仕事をしてみたいと言っています。 しかし、そのためには病院内のドクターやナースなどの医療従事者並みの知識や経験といったものが必要と伺っていますが、それはほとんどありません。 母の年齢は50代なのですが、これから「院内学級の教師」になる方法、あるいは、そういった子ども達に学習指導する方法 (例えば、ボランティア団体に所属する等)をご存知であれば、どなたかお教えいただけないでしょうか。

  • 教師を続けたいが…適応障害に

    今、34歳の教師2年目で、妻と先月に男の子を授かりました。まずは、自分の事を知って頂けたらと思います。 教師を目指す前、自分は約10年准看護師をしていました。とはいえ、「自分が何に向いているのか」自問自答しながら20代を過ごし、自衛隊・高校の臨時講師・コンビニ店員・某テーマパークスタッフなど経験しました。20代後半の時に、妻と知り合いました。妻は、その時小学校の教師でした。話を聞いている内に、「大変だけど、人を成長させる」「これまでの自分の経験を活かしたい」と、小学校の教師に魅力を感じました。派遣看護師をしながら、通信大学で教員免許を取得。結婚も、ケジメをつけるために大学卒業と教員採用試験合格まで待ってもらい、晴れて念願の教員・結婚に至りました。 初任1年目、看護師の経験もあり、特別支援学級の担任になりました。何もかもが大変で、正直「やっていけるのか?」と不安な気持ちでしたが、同じ特別支援の先生方のサポートや、初任研修がしっかりされてあり、大変ながらも「やりがい」を感じることができました。 2年目の今年、特別支援の先生方からは、「先生が受け持った子を卒業させる3年間は持って欲しい」と有り難い言葉がありましたが、通常学級も持ってみたい気持ちもあり、勉強の為に5年生担任へと配置になりました。一緒に組む学年の先生方も最初は、仲良くやろう!と本当に仲が良かったです。 一学期、最初は順調に進んでいました。学級開きも、一生懸命下手なりにも頑張って、子どもの心をつかもうとしました。しかし、後半から学級がザワツキ始めました。2年目ではあるのですが、初任とは違い、細かいことの返答や対応に困る毎日。新たなことが次々と起こりました。自分では、明日の授業のことや、子どもたちのもめ事、学校内の役割、子どもたちの良い所を褒めようと、工夫していたつもりでした。子どもたちの要望にも応えようと、1つ1つ受けては返そうとしました。しかし、全てを解決しようと、丁寧にすれば時間が足らずに、次第に後手にまわり、やればやるほど悪い方向に進んでしまったのです。 二学期からは、更に悪化します。子どもたちが、「先生は変態や」「先生は他の先生とやり方が違う」「うちのクラス先生おかしいから学級崩壊してる」「きもい」「授業わからん」「暗殺教室っていうマンガで、先生と生徒をこ○すなら、先生にする」思春期特有の発言だったり、授業が下手なのは申し訳ないと思いながらも、「ごめん。でも、頑張るから!」と自分に鞭を打って、毎日教室に入りました。体調不良も続き、心療内科に通い始めたのもその頃からです。平日しか行けなくて、予約制なのですが、仕事が多忙で通院出来ずに薬も飲んだ飲まなかったり。自分は、頑張ってたつもりなのです。しかし、日を増す毎に子どもとの意見の食い違いや、立場の逆転、学級内は子どもたちが攻撃的になり、教師として歯止めが利かなくなりました。子どもたちからの、言葉にプレッシャーを感じ、毎日不安な気持ち、緊張、寝れない日が続きました。その影響は学級経営や授業にも影響して、注意不足・指導の不手際、子どもへの対応が悪く保護者からの苦言に至りました。そして、ついには、同僚や上司にも相談し、授業や保護者対応にも入ってもらう形になりました。 客観的に観ると、同僚にも上司にも「授業がわからない」「子どものことがわかってない」「発言を無視している」など、多々助言を頂いて、「もっと工夫しなきゃな」「無視しているつもりはないけどな」など、反省点が見えてきました。子どもとのすれ違いについても、間にベテランの先生に入ってもらって、話を聞いてもらって調整役をしてもらいました。授業改善しようと、ビデオやボイスレコーダーで自分の悪いところはないか、チェックもしました。授業が未熟なのも、無視というのは、学級がざわついて聞けてなかったり、自分が不慣れでパニックになっている時が多かったように思えます。冷静に考えたら、「困ってたら助けるのは当たり前」「無視するなんてとんでもない」「いい授業したい」それは、自分にも解ります。でも、学校が始まると、平穏には終わらず、自分が一杯になってしまいます。「クラス全ての子どもが見れてない。反省して頑張ろうとしても、改善しない。自分がクラスの子どもを駄目にしてる」そう感じるようになりました。苦言を呈してくれてる上司やベテラン先生も、「自分のことを思って、子どもたちのことを思って言ってくれてるから、踏ん張って立ち向かわなきゃ」と、気持ちを毎回切り替えてました。何回も保護者対応や子ども対応で気まずい時でも、他の先生に力を借りて迷惑かけながらも食いしばって頑張ろうとしてました。ぎっくり腰で歩けなくても、「ここで、先生が逃げたらあかん。先生が出来ないのに頑張らないでどうするの?休んだら、信用なくすよ!這ってでも出ておいで。そうしないと怒るよ!」と言われ続けてました。 そして、ついに先日、子どもたちから先生に言いたいことがある。と学級会の提案があり、延々と二時間集中して言われました。上司やベテランの先生にも入ってもらって聞いてもらいました。反省点の部分もありましたが、歪曲して発言してたりと「え!?」っと突っ込みたくなることもありました。しかし、「言い訳したらだめだ」「受けとめなきゃ」もう、自分が言い訳した所で嘘と思われたり、結局子どものせいにしているようにしか取られなくなってしまう状況になっていました。「100%子どもの意見が正しい」そんな状況でした。その日、調整役に今まで入ってた同僚のベテランの先生から、呼び出しがありました。 「今までの先生の行動見てたけど…あの子たちは、何も悪くない。先生は、いつも反省はするけど、具体にない。授業のことも聞いてこない。何も出来てない。そして、子どもたちのせいにする。教師以前に、人間としてなってない。」 その時に、「あ。終わった。」っと、何か糸が切れてしまいました。自分の思いも言わさせてくれない、さらにベテランの先生が「こう対応してね」と言ったことをしたのに、「そう対応しろって言った?むしろ、先生がそれは対応しておかなきゃいけなかったんじゃないの?」と言われました。確実に、聞いていたことをしたのに、その瞬間、もう、子どもも、同僚も、怖くなりました。翌日、唯一自分が学校に足を向かわせたのは、妻と子どもの存在だけでした。しかし、登校する子どもの声が聞こえてくると、不安と怖さに震えが止まらなくなり、とうとう校長室から出れなくなりました。 前置きが、かなり長くなりましたが、 ○初の高学年担任、どうしていいかわからないまま、自分で無理をしていた。 ○味方だった同僚が、いつの間にか大多数の子どもたちと同様のプレッシャーになった。 ○子どもたちや保護者から指摘を受けるような立場になってからは、上手く学級がまとめられずに攻撃的になり、不安で焦って、周りが見えなくなる。無視するつもりがなくても無視する形になる。何も言えなくなる。 ○妻と産まれた子どものことを考えると、退職はできない。 ○お医者さんからは、仕事の停滞を伴う適応障害と言われ、仕事のミスも、心に余裕ない→経験不足→普段の不安や緊張→上手くいかない→関係悪化→ミスの積み重ね→自責→発症の悪循環と言われました。 ○通常学級ではなく、特別支援学級を専門に進む道を考えてみた方が、個別・少人数の方が、パニックを起こさずに、冷静に考えて動けるし、性格的に合っているのでは?と友人や指導担当の先生に言われてます。 全文見れば、「辞めた方が」と言われそうですが、現実3年未満の先生方の大半が、頑張ってるつもりでも、上手くいかなくて心を病んでる人が沢山います。自分も、最初1年目は下手なりに上手くいってました。特別支援学級で、個別に対応した子が「やった!できたね!!」と言ってくれたときは、とても嬉しかったです。教師やって良かったと感じました。辛い通常学級担任でも、「先生、優しすぎる!」「色々子どもから聞いてるけど、応援してるよ。」「先生に個別に勉強教えてもらって、成績表上がりました。」「先生に教えてもらって解った!」と保護者や子どもの中でも理解してくれる人がいます。 教師辞めるべきでしょうか?今は、自宅で休職して復職に向けプログラムを受けること、自分は特別支援の方が、少人数の子どもとじっくり関わった方が向いているのか。ただ、それは逃げているのか…。選択に迷ってます。自分は、教師以前に人間として駄目なのでしょうか。自分が上手く教師が出来ないのは病気だからでしょうか? 長文本当にすみません。思いの丈を全部出しきりたいと思い、投稿しました。同じ思いの人、経験者の方、何か感じられた方、いらっしゃいましたらお言葉頂けたら、それだけで自分の存在が実感できます。宜しくお願いします。

  • 教師を続けるか、辞めるか

    大学卒業後より、私立高校で専任講師をしております。受験指導や海外研修など4月より様々な公務に携わりました。英検やAO入試など昨年度よりもずっと結果を残しました。ゆくゆくはこの学校の中枢になると言われていたので、12時間勤務なんて短いと思い連日頑張ってきました。 しかし先週、校長から来年度の更新はないと伝えられました。理由は生徒との距離が近いことと言われました。 確かに童顔でかつ身長が低いこともあり、生徒にはちゃん付けで呼ばれるしばしばあります。しかし指導をしていくうちに、しっかりと先生と呼ぶようになっていたので気にもしていませんでした。その場でピシャリと注意することだけが教育ではないと考えていますし、必ずしも上下関係をこちらから示す必要はないと考えています。 また教員は常に完璧でいるべきだ、というのにも賛同しかねます。人間らしい部分や欠点を晒すことは教員として間違えていますか? こんなにも4月から働いてきたのに、半年で見切られるような人材だったことにショックを隠せません。来年度以降教員を続けようか、早めに民間に切り替えるか悩んでいます。民間ならなんでもいいのかと感じるかもしれません。実際、その通りです。 私の考え方は教師としてズレているのでしょうか?やはり完璧な人間として生徒の前に構えているべきですか?

  • 新卒の新任で学級担任

    春から中学の教員になるものです。唐突な質問ですが、新卒の新任で学級担任を任されることはありますか。地域とかにもよるとは思うのですが、一年目は研修などもあって忙しいから副担くらいなんじゃないかと、知り合いは言います。本当でしょうか。また誰が担任をもつかは校長が決めることなのでしょうか。ご存じの方がいらっしゃいましたら、教えてください。

  • あなたが教師に! どの科目を担当しますか?

    こんばんは ^^ 皆さんは2年間の研修、準備期間を経て 中学校(あるいは高校)の教師にならなければなりません。 これから一生その職務を果たさなければならないとします。 中学校・高校どちらにしますか? また、どの科目を受け持ちますか? 理由もあればお願いします。 *転任は無しとします。科目も変更不可です。  教員免許等は必要無しとしてお考えください。

  • みなさん 助けて!!! セクハラ教師から どうやって逃げたらいいの??!!!

    私の知人の子供は小学6年です。本題は、セクハラ。 その学級の3人の女生徒が、以前から何回も担任教師から触られたり、抱きつかれたりしていたようだ。生徒の訴えにより、校長と担任とが、数人を一組とし、学級全員から事情聴取をし、上記3人の内の1人は、クラス変更を願い出た。 最終的には、3人の生徒とその親とが学校に呼ばれ、校長・担任と合同で話し合いをした。その席上、クラス変更を希望した生徒が、「実は、3人とも護身用にカッターナイフを所持して通学していた」と告白した。3人は、担任教師から「抱きつかれた」と述べたが、担任は、「覚えていない」と否定した。 校長は、3人に「ちょっと触られただけですね」と言い、3人は窮して「ハイ」と言うと、校長は、「それでは、セクハラがあったわけではないね」と念を押し、親もそこでは異議を述べなかったので、「担任教師には、セクハラ的行為はなかった」ということで一件落着してしまった。 付言すると、その教師は、前校で問題を起こして最近、当校へ転任してきた。 小学校の女生徒が3人も護身用にカッターナイフを所持して登校し続けていたことは、尋常なことではない。いやらしいことをされたと訴えたのに、最後には、校長から、「何もなかった」として揉み消されてしまう。こんなことがあってもいいのでしょうか。校長の保身のため、問題の事実を隠蔽してしまう。その結果、女生徒達は心の中に大きな傷を負い続け、悩み苦しみ、人間不信に陥っていく。これが現在の小学校の校長や教師がやっている学校教育の恐ろしい現実です。3人の生徒やその親は、それ以上、事を大きくすると、更なる報復を恐れて沈黙しています。 このような場合、父母の皆様、学校の先生、教育委員会の方々、文部省のお役人の方々など、どのようにしたらよいとお考えでしょうか、教えてください。

  • 院内学級の教師の資格について

    私は、看護大学の2年生です。卒業後は看護師、保健師、養護教諭1種免許を取得する予定です。 以前から養護教諭として学校で働きたいと思っていましたが、最近になって院内学級の教師に興味を持ち始めました。 看護師の資格と養護教諭の資格があれば、医療についての知識もあり、心理的な問題にもより専門的に関われると思ったことと、大学入学時より個別指導塾の講師をしているため、子どもに関わり、勉強を教えることの楽しさを知ったからです。 養護教諭も教員免許ではあると思うのですが、院内学級での指導は出来ないのでしょうか? 特別支援学校の教員免許がいるのでしょうか? 調べてみたのですが、あまりよく分かりませんでした。 教育系の学部がない大学なので、相談できる先生もいません。 もし特別支援の資格がいるのなら、わたしの場合は卒業後どうすればいいのでしょうか? 基礎免許から取らなければならないのではないかと心配です。 詳しい方がいらっしゃいましたら、ぜひ教えて下さい。 よろしくお願いします。

  • 教師に向いていない

    私は昔から暗い、大人しい、クールというイメージを持たれてきました。 暗いと言われるのが嫌で、常に笑顔でいるように、話し下手でもこちらから話題を振るように心がけてきました。 小さい子供が好きで、大学卒業後は小学校教諭になりました。2年間働きましたが、コミュニケーション能力のない私は職場にも居場所がなく、授業など人前で話すことも苦手なまま、結局寿退職をしました。当時は軽度のうつ病とも診断され、薬を飲みながら必死に仕事に行っていました。 どれだけ明るく振る舞おうとしても、授業を見に来られた先生方には「元気がない」「もう少し笑顔を心がけたら」と指導を受け、そのたびに自分はやはり暗いんだと、落ち込んでいました。暗いこと、元気がないことを指摘されるのが怖くなりました。 このように自分には全く向いていない職業ですが、退職してからも教師への憧れは変わらずありました。そこで退職から2年経った今、常勤講師として働くことに決め、この一週間は新しい学校に勤務しました。 しかし、たった数日で退職前にうまくいかなかったときと同じ状態に陥り、すでに辞めたい辞めたいと思うばかりです。1つ何かを質問することにも構えてしまって、でも分からないことだらけで、全く仕事がはかどりません。学級開きもうまくいきそうにないです。 新しい学校では明るくいようと、頑張っているつもりでしたが、他の先生に早速「先生、なんかやつれてるね」と言われました。それだけで心が折れてしまって、本当にメンタルが弱いのも自覚しています。 教員を一度退職して以来、パートの仕事をしてきましたが、長続きせずすぐ辞めることが増え、短期の仕事を選んで乗り切ってきました。学生時代はどんなことでも最後までやり切ることができたのに、いつのまにか逃げてしまうクセがついてしまいました。 せっかく卒業できた心療内科にも再び通院することになりそうで、まだ子供たちに会っていないのに仕事を辞めてしまいそうです。 こんな私はやはり教員には向いていませんよね?中途半端に担任を務めて退職するなら、いまのうちに講師を辞めてしまった方が良いでしょうか。

  • 取るべき資格について

    はじめまして。 私は現在、30歳の小学校の教員です。 大学卒業後8年ほど働きましたが、担任として学級経営をするより、発達障害のサポートなど、より一人の子供と向き合い、個別の支援がしたいと思うようになりました。 そこで、学校の教師以外で、子供たちを支援できる仕事はあるでしょうか? また、必要な資格や学んでおくとよい良い学問があれば教えて下さい。 (特別支援の教員免許は取ろうかと思っていますが、できれば学校の先生ではなく、児童ともう少し気軽な関係で働ければと思っています。) ずっと学校で働いていて、わからないことばかりで申し訳ないのですが、教えていただけると助かります。よろしくお願いします。