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アイデンティティについて

ywkcの回答

  • ywkc
  • ベストアンサー率44% (4/9)
回答No.7

解答を示すのは無理ですが、思うところがあって再び参考意見として書きます。 アイデンティティはすでに書き込まれた方が挙げた例のように、個性、人格、その人らしさ、などによって置き換えられる意味を含んでいるので、そういった置き換えが可能な場合は多くあると思います。 ただしアイデンティティという言葉の意味をとらえるには、そういった個性や人格やその人らしさなどを自分自身で見いだし、確かめ、それらによって「自分自身を同一視する行為」が核心だろうと私は思います。 #6さんが簡潔に書かれているとおり自己同一視することです。 自己同一視する行為、つまり自分が自分であることをあらためて確信する行為があり、その行為によって見出されたものをアイデンティティという、そんなイメージです。 その当然の結果として、アイデンティティには個性や人格やその人らしさが含まれるといった感じです。 もし「その人らしさ」の中に「その人のその人自身の認識」まで含まれていれば、その人らしさとアイデンティティが指すものは一致するでしょう。 しかし「その人らしさ」には「その人のその人自身の認識」がなくてもいいのですが、アイデンティティはその人自身の認識そのものを指しているので、両者は違った概念だと思います。 さて「自分が自分であることをあらためて確信する」ということを上手く説明できるか自信がないのですが…これは「気づく」という言葉で前に書きました。どうやって気づくのか、何に気づくのか、私自身の言葉足らずを(自分のために)あらためて考えてみました。 自分は何者か?という問いに答えることを考えてみます。どのような答えが答えになるのか、の答えはさておき、自分自身に関するありとあらゆるものが答えになり得るとします。(関するの意味もさておきます。) そしてその答えを「当てはめて」みます。すると確信や違和感に気づきませんか。 重要なのはそれを自分で確認する行為です。 アイデンティティがわかるいうことは、自分が自分であることを確かめられるということです。 また他人がその人自身を確かめていることがわかるということです。 もう少し例を。アイデンティティidentityの動詞はアイデンティファイidentifyです。 identifyはそれと確認すること、です。 例えば自転車を盗まれた場合を想定します。 自転車に名前と住所が書かれていれば、それが見つかったとき自分の自転車だと確かめられます。たとえどこにでもある量産品のひとつだとしても、ぺしゃんこに潰れて原形をとどめずに発見されたとしてもです。 「その自転車に名前と住所が書かれていること」によって、自分の自転車だとidentifyされます(=確認されます)。 自分自身をidentifyする場合もそうです。名前と住所は、自分が自分であることを確認する情報です。それに気づけばアイデンティティに含まれることがわかります。ですからIDカードはアイデンティティを示す具体的な例になります。 ただしそれに気づくことが重要です。IDカードは自分を他人にidentifyしてもらうためのものですから、IDカードを持っていてもアイデンティティに結びつかないことはありえます。迷子になった子供が自分の立場を理解できず、IDカード(名札)や服や鞄に書かれた名前などのおかげで他人の助けを得て親と再会できる場合、その子にはまだアイデンティティがないわけです。また上の例の自転車にもアイデンティティはありません。自転車には自転車自身を確認することはできないからです。確認するのは人間です。 繰り返します。 自分が自分自身であることをidentifyする(=確認する)ことができる情報がアイデンティティだと思います。その情報は気づかなければ手に入らないということです。 個性も自分が自分であることを確認する情報です。個性が他人と際立って異なっていればいるほど、自分が自分であることを確認できるので、アイデンティティに含めることができます。ただしそれに自分で気づかなければアイデンティティに結びつきません。 視点を変えて言うと、何かに気づくことによってアイデンティティについて再び考えるはめになるのは不思議なことではなく自然なことです。 そういった例を挙げればきりがないでしょう。 国籍、話せる言葉、生まれた場所、育った土地、誕生日、名前(戸籍上の名前、あだ名、ペンネーム)、筆跡、誰かの[親、子、兄弟、配偶者、親戚、友人、教師、弟子、相談役、上司、部下]であること、身長、体格、顔立ち、髪の毛、手足の大きさ、つめの形、指紋、走る速さ、血液型(性格判断ではなく輸血できる血液)、臓器(拒絶反応の有無)、[食べ物、飲み物、色、絵、香り、音楽、居住空間]の好き嫌い、喜怒哀楽とその表現の仕方、住んでいる家、持っている[土地、車、服、鞄、etc.]、財産、職業、遊び、会話、読書、スポーツ、旅行、観光、鑑賞、冗談、権力、闘争、正義感、地位、義務、権利、自由の確保、過去の思い出、将来の夢、希望、勇気、涙、文才、商才、芸術、知性、感情、理性、感覚、認識、憧れ、軽蔑、共感、美意識、何かを否定すること、肯定すること、考えること、… 以上は私自身に限らずアイデンティティを見出す判断基準のたとえとしてざっとよぎったものですが(重複もありますが)、そういった「自分が自分であることを確かめる判断基準そのもの」に気づくことも当てはまると思います。 「アイデンティティが形成される」というとおそらく、環境が決まり、個性や人格が形成され、そして後にそれに気づく、というイメージでしょうか。 「アイデンティティの喪失」ということも起こるでしょう。それまで自分自身を確かめさせてくれていた非常に大きな何かを失ったときです。例えば母国や母国語が消滅したとき、親しい人が亡くなったとき、本当の誕生日を知ったときなどが考えられます。 「アイデンティティの衝突」もあるはずです。ささいな喧嘩から中東戦争まで含んでいるような気がします。 「アイデンティティの回復」という言い方があってもいいでしょう。自分自身の認識を再構築する感じがします。 「アイデンティティの成熟」…智恵深い老人か、妄想する頑固者を想像します。 あっさりと個性や人格について話すときはアイデンティティなど面倒で仰々しい言葉は使わなくても済むことですし、普段使われない言葉なのはもっともなことだと思います。 長文失礼しました。

raikodon
質問者

お礼

回答をありがとうございました。 わたしにもわかるように書いていただいたと思うのですが 一番大切な部分の「自分自身を同一視する行為」 「つまり自分が自分であることをあらためて確信する行為」 ここがわかりません。そんな場面ってあるだろうか?などと思って たとえば誰かが「ロックだぜぃ」と叫ぶ時 ある一定のイメージはあるのに 日本語に翻訳したひとつの言葉はないですね。 それは叫ぶ人の気持ちしだいで 答えは何でもあり なのですが それと「アイデンティティ」とが、同じでいいのなら楽なのにと思いました。 回答を読ませていただいてわかるのですが それはぜったいに違いますよね。

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