• 締切済み

侵略戦争とは

仮定の話ですが、わが国同胞を救うために北朝鮮に対して自衛隊が行動を起こし、 当然、北朝鮮人民軍と武力衝突となり自衛隊が勝利し北朝鮮に親日政権を誕生させたとします。 その事が、日本の行動は侵略戦争であると非難されるのでしょうか? 昨年、某テレビで満州事変をセキュリティの戦争だったと発言した代議士を司会者が満州事変は侵略戦争だったと一方的にその代議士を非難した番組がありました。 その番組が放送された当時はなんとも感じなかったが北朝鮮による主権侵害が明らかになるにつれ、満州事変当時の出来事がリアルに感じられるようになりました。 当時満州では今の北朝鮮による拉致事件以上のわが国同胞に対する迫害が行われています。 (1)果たして満州事変が侵略戦争であると簡単に説明できるのか? (2)北朝鮮に対しての武力行使が侵略でしょうか?

  • 政治
  • 回答数23
  • ありがとう数17

みんなの回答

回答No.13

(1)満州事変について 簡単に説明はつきます。 事変が関東軍の謀略で開始された事実を考えれば関東軍の行動に正当性は認められないはずです。 仮に謀略でなかったとしても帝国主義による侵略であったことは否定できません。 関東軍が事変を起こした理由は満蒙問題解決のためです。当時の中国では第一次大戦後に起こった民族自決の世界的な動きに触発されナショナリズムが高揚し始めていました。欧米列強はこの動きに対し天津などの租界地を返却するなどの譲歩をみせましたが、唯一日本は譲歩するどころか満州における権益の拡大を狙っていました。当然国民政府の激しい反発がおき排日政策(満蒙問題)が発生します。この問題を国民政府との話し合いで解決しようとする動き(幣原外交)などもありましたが、権益を守る(or拡大する)という帝国主義的考えによる軍の独走により満州事変が引き起こされたのです。 また、1931年当時の東三省と華北はバトルロワイヤル状態ではありません。 満州は奉天軍30万を率いる国民政府張学良、華北は国民政府宋哲元が統治しており主権者は国民政府蒋介石です。北伐が完了し張学良が国民政府に帰順した時点で華北と東三省は国民政府の統治下に入りました。さらにいえば、日本政府は張学良が国民政府に帰順した後に国民政府の承認を行っています。 また、ソ連の脅威があるからといって日ソ両国の間にある国を占領してよい、と言うことにはなりません。確かに満州国や華北分離工作は日本の国防上・赤化防止上必要な措置だったかもしれませんが、それは中国を無視した日本の自己中心的・独善的な考えです。

noname#4918
noname#4918
回答No.12

<満州事変で、拉致事件以上のものって何ですか.> これは回答者の記述ですよ。もう一度質問を読み直す必要がありますね。私も知りたいです。 <日本軍の占領地域> 占領ということを認めますか。武力を使った占領ですね。占領された人たちは、たとえ一時的に平和であっても独立を願うものですね。いわんや武力で占領されたとなると、いい気持ちはしません。占領者はいつの時代でもわがまま放題に振る舞い、嫌われます。海を隔てた少しばかり離れている国から、お前たちを助けてやると言って武力を携えてやって来てもどの中国人が喜んだのですか。思い上がりもほどほどにしなければなりませんね。 <満州事変は自衛の為のものであったと、> この発言も気になります、当時日本はどのような危険な状態にあってのことですか。何を何から何のために自衛しなければならなかったのですか。教えて下さい。

  • SCNK
  • ベストアンサー率18% (514/2762)
回答No.11

歴史観を持てば持つほど、やむを得なかったどころか、当然の行動であったとしか取りようがありません。現に日本軍の占領地域では漢民族も含め人口が増加したともいわれています。つまり安全を保障できるのは日本軍しかなかったのです。それをどう反省せよというのでしょうか。 武力というものはいつの時代にあっても根源的なものです。力の担保があるからこそ法を強制することもできますし、主権を維持できるのです。たとえば国連の力も安保理決議による力の制裁があるからこそ機能するのです。 朝鮮動乱のときは南鮮が要請したと思います。何しろ李承晩政権は米の傀儡といって間違いないくらい、米軍の力を頼りにしていた政権です。もっとも後に米国はあっさりと見捨てますが、米軍の後ろ盾がなければ実権を握る事などできなかったでしょう。もっとも昭和23年に米軍の軍政は終了しほとんど撤退していましたから、当初の北の侵攻に対処したのは水原のスミス支隊のみでした。実態は要請もしたし米国もあわてて派遣したのではないでしょうか。 もっとも北朝鮮は南の攻撃に対して反撃したと主張しています。それで釜山をめぐる洛東河の河畔まで進軍してしまうのですから、ずいぶん用意周到な反撃ですがね。 満州事変で、拉致事件以上のものって何ですか。戦時国際法に抵触するようなことがありましたか。まあ錦州爆撃というのもありますが、あれなど心理戦の域をでないものです。なにしろ旅客機から手投げで爆弾を投下した程度のものです。

noname#4918
noname#4918
回答No.10

当時はもちろん主権在民なるものなありませんでした。理念としてはありましたがごく少数意見でした。しかし主権在民とは民主主義の根幹をなすものであることはまちがいありません。多くの国が認めているところです。いくら○○人民共和国という国名を掲げても、その通り実行しているかどうかは別問題です。当時はあれでやむをえなかったのだと言われますが、もう少し歴史観にたった見方ができないでしょうか。反省的思考のことです。日本の武力行使しかなかったのだとの意見のようにみてとれる意見がありますが、今でも武力肯定ですか。 朝鮮戦争のアメリカ介入は現地(この場合は南)からの要請があったのですか。何もなかったとしたら少しおかしいですね。 北朝鮮の拉致問題は私も腹が煮えかえるぐらい腹がたつ事件です。問題はまだ解決していません。平和裡に解決することを思います。しかし、この問題と満州事変時の拉致事件以上のわが同胞に対する迫害と同列に考えるのはいかがなものでしょうか。 それから自衛のための戦争、セキュリティというのは具体的にどのようなことですか。

  • inaho21c
  • ベストアンサー率100% (3/3)
回答No.9

 満州事変は自衛の為のものであったと、私は思います。そもそも、日本が大陸に進出した事について、それを「侵略である」と主張する日本人は、戦後、朝鮮半島の半分までもが赤化した事実をどう解釈しているのでしょうか?米国が朝鮮戦争に参戦しなければ半島の南半分も共産圏になっていた事は確実です。この事を考えた時、日本は自衛のために大陸に進出したのだと理解できました。ましてや、当時の、邦人に対するシナ人によるテロ活動を考えれば、何もしない方がどうかしていると思います。  北朝鮮に対する武力行使については、国連でそれが認められれば、侵略にはならないと思います。しかし、後の世の人がどう判断するかは、また別の問題です。恐らく、勝った方が官軍になるのでしょう。  日本が現在置かれている状況を考えると、日本がかつて置かれた状況が実感として理解できる、私達は今そういう情勢の中にいると思います。そして、現在のこのような状況を招いてしまった日本、という事についても考えずにはいられません。質問された方は、こうした事を示唆する為に、敢て問題提起してくださったのだと思います。その事に対して、質問者の方に感謝します。

  • SCNK
  • ベストアンサー率18% (514/2762)
回答No.8

間違ってもらってはこまるのは主権在民とは、国内法でそのように規定している国内にのみ通用するものだということです。主権国家が存在しないところで、そのような法をだれが制定するのでしょうね。 主権を主張するためには統治しなければなりません。当時の支那は各軍閥などが個々に統治しているのです。それもかなり流動的なものであり、互いに主権を争っていたのです。支配が完成して初めて主権というものはできるもので、だれしも実行力のある主権などなかったのです。軍閥ですら絶対的な主権を持ち得ないのに、なんで民衆に主権が持てるのでしょうか。もし主権を持っていたとするなら、それは欧米列強の租界ぐらいでしょう。たしかに彼らは主権を維持するだけの軍事力をもっていました。それに対抗できたのは結局、日本軍だけです。 主権の存在しない地域は結局は力の真空状態です。そのまま放置すればいずれどこかの勢力が侵入するでしょう。必ずやパワーバランスに影響を与えずには居ません。安定を保つためにも各国が介入せざるを得なかったのです。

noname#4918
noname#4918
回答No.7

日本が中国に攻め入り満州国を建設したのは明らかに侵略です。軍事や経済のレベルだけでなく民間人や家族まで大量の人間が押し寄せました。家族共々移住しました。挙句の果ては学校を建てたり(日本人だけの)、神社まで作りました。周りを日本色に塗り固めたのです。これが侵略でなくて何なのでししょう。いろいろ理屈を言います。あれは現地の人をも救済したとか、いろいろなもの建設したとか言いますが、突き詰めれば日本人のためです。国際的にも認められていたとか承認済みとか言われる人もいます。当時の欧米列強も同じ穴の狢(むじな)ですよ。認めるのは当たり前でしょう。すきこそあればいかにして入り込うかと狙っていた連中ですからね。 主権がない所だから入っても良いという意見がありますが、間違ってもらってはこまりますね。主権在民ですからね。誰も住んでいない無人島で主権者がいないというのでしたら納得できますがね。

  • rikey
  • ベストアンサー率27% (53/190)
回答No.6

満州事変は侵略です。 まず、鉄道が30センチ爆破されたからといって中国に攻めることはおかしくありませんか?攻め込んだとしても相応でないといけません。自分のダメージ以上のことをしてしまうと侵略です。国際法でそうなってるはずです。

  • SCNK
  • ベストアンサー率18% (514/2762)
回答No.5

1972年だったと思いましたが、侵略の定義に関する国連決議があります。単純に一言でいうと、他国の領域になんらかの軍事的関与をすることが侵略です。 私は満州事変や日華事変は侵略ではないと考えます。なぜなら他国の領域といえるような主権が存在していない地域だったからです。清朝が崩壊して以来、代表する政権はなかったわけですから一種の公海のような無主の地域です。日本軍も直隷派も奉天派も安微派も国民党も中華ソヴィエト政権も欧米列強の軍も対等の立場です。まさにこれらのバトルロワイヤルであり、侵略を言い出したら何通りの組み合わせができるか、まったく切りがありません。 北朝鮮に対しては、安全保障理事会がどのような決議をだすかによります。国連による武力制裁なら事前に決まり、自衛権の発動なら事後に追認するという違いはありますが、いずれにせよ善悪を決めるのは安保理です。安保理が認めれば侵略ではありませんし、否定すれば侵略です。また国連に対し北朝鮮が勝利すれば遡及して侵略でしょう。

  • Singleman
  • ベストアンサー率24% (143/576)
回答No.4

素人の屁理屈です、 (1)あの頃までは大国が植民地から搾取するのが一般的でした、 日本のアジア進出だけが侵略と決め付けられるのは第2次大戦の敗北 が影響していると思います。 (2)やはり歴史上まれなる敗戦国処理により平和を享受する権利を アメリカから与えられたために非常に幸せな国家になり 主権を主張する事が罪になるという特殊な意識をもつ 国民感情が誕生しました。 日本から夢をもって移住した多くの人達が誰一人家族の元に 里帰りさえ許されない独裁国家と知りつつまた行方不明者の原因が あの国にある疑いがあってもなんら抗議も出来ず、 不審船をのさばらせ国家のスパイ船の自由入港を許し 多額の使途不明金があの国家に流れても調査もせず、 のさばらせて来ました、もちろん武力行使が正当化されることは 国際社会では許されないでしょうが、なすべき事は多くあったと思います。 少なくとも私は今日現在武力行使をしても侵略とは考えません。

関連するQ&A

  • 支那事変は日本の侵略戦争だったのでしょうか?

    通州虐殺事件が、支那事変のそもそもの原因だと言う人がいます。 つまり、日中戦争は日本の侵略ではなく、自衛だったと・・・ しかし、多くの首相は、過去日中戦争を侵略戦争としてお詫びしています。 近衛首相の優柔不断さが支那事変を起こしたという人もいます。 これはどういう意味でしょうか? 実際は、侵略戦争なのでしょうか? それとも自衛戦争だったのでしょうか? そして、侵略戦争だったとすれば、その理由、 そして近衛首相の責任はありますか? 以上よろしく「本当の正解」をお願い致します。

  • ネットウヨは満州事変は日本の侵略だとなぜ認めん!?

    18日は満州事変が起こった80周年になるらしく、 中国から日本政府にサーバー攻撃が行われたらしい。 ところでこの満州事変だが、日本のアジアに対する侵略は ここから始まったといってもいいと思う。 それにより国際連盟を脱退したため、先の戦争の要因の 一つにあげてもいいかもしれない。 しかし、嫌韓、ネットウヨはそれをなかなか認めない。 彼らは言う。満州の権益と在留邦人の生命、財産を守る ためには満州を奪うしかなかった。と。 しかしだからといって、侵略して良いはずはない。 当時は白人が侵略により植民地を持っていたので、侵略は 普通で当然のことである。と主張する奴もいるが、それならば なぜ堂々と満州を侵略しないのか? わざわざ、鉄道を自ら爆破し、それを中国がしたように見せかける 必要などなかったはずだ。 白人がアメリカ大陸をインディアンから奪ったように、謀略など 考えずに単刀直入で軍事力で奪えばよかったのではないか? 要するに満州事変は侵略であり、よくない。ということを、石原莞爾を 初めとする軍人たちは当時認識していた。という事だと思う。 それを、後になってから満州事変の正当性を無理やり考え出し、 それを信じているのが嫌韓、ネットウヨではなかろうか? みなさん どーおもいます?

  • アメリカの太平洋戦争は侵略戦争ですか?それとも?

    理由の如何に関わらずとにかく先制的に武力による攻撃を受け それに応戦する形で始まった日米開戦ですが、これは アメリカにとっては正当な自衛戦争なのでしょうか? 「侵略の定義」からいけば、日本国の領土内において爆撃等を 加えているので侵略だと思うのです。 しかし、自衛の考え方からいけば、自国の領土内で先に 攻撃を受けたので、自衛だと思いますが・・・ 学者達の通説というかそういう見解があれば是非教えて下さい。 あと、原爆投下は明らかにハーグ陸戦法規違反だと思いますが、 それについても、専門家の見解等があればどなたか教えて下さいませ。 何卒、ヨロシクお願い致します。

  • 日本は、いつ侵略戦争をしたのでしょうか?

     小泉首相の靖国参拝にからんでのいくつかの質問の回答に、過去の歴史、 日本の侵略の歴史と言っている人たちがいますが、具体的にはどの歴史的 事柄を指しているのでしょうか?  日本・朝鮮戦争はなかったし、日本・フィリピン戦争も日本・インドネ シア戦争もなかったと思うのですが、満州族による朝鮮支配や、アメリカ オランダによるフィリピン・インドネシア支配は正当なのでしょうか?  靖国参拝を非難している中共北京政府が今現在行っている、チベット・ 新疆の支配は、侵略ではないのでしょうか?

  • いわゆる「大東亜戦争」は自衛戦争か?

    ある掲示板で議論になっています。支那事変(ママ)を遡らずに今から 「大東亜戦争」の一部とするところからして、中国については侵略戦争だと思うのですが、満蒙は日本の生命線だったとして、日中戦争を自衛戦争と断言 する人もいます。自衛の立場でも侵略だったとの立場でも結構ですので、なぜそう考えるにいたったか理由を教えてください。よろしくお願いします。

  • 日韓併合、満州国建国、日中戦争は侵略か?

    当時の社会情勢から鑑みて日韓併合、満州国建国、日中戦争は「侵略」と呼べるのかどうかおしえてください。 日韓併合は国際社会から承認されていますよね? ずっと事大主義に甘んじてきて主権を放棄していた朝鮮半島は当時世界的にももっとも貧しく衛生状態の悪い国だったし、識字率も低く身分制度もひどくて名前すら与えられない女性もいました。 日韓併合により人口が増え、識字率もたかまり、戸籍制度整備のための創始改名など、これらをふまえれば「侵略」とはとても呼べないのではないかと思います。 満州国建国についてはリットン報告書がもっとも重要な資料ではないかとおもいますが、そもそも満州は万里の長城の外にあり、ロシア・ソ連が占領していたときもありました。 傀儡国家とよばれますが、日本民族だけでなく5つの民族からなる国家としての理想をもっていました。リットン調査団も一定の理解を示しています。 満州国建国を侵略という根拠は何でしょうか?あれが侵略ならばロシア・ソ連はもちろん、中国共産党も満州を侵略したのではないでしょうか? 日中戦争では日本は国民党軍と戦ったのであって、そう仕向けたのは中国共産党でありソ連だったのではないでしょうか?なぜ日本は米英の支援する国民党軍と戦ったのでしょうか? 結局、漁夫の利をえたのは中国共産党です。そのことについて後日、毛沢東は日本の国会議員に語っています。 そもそも侵略と呼ぶならば、相手方との平和的交渉もなく一方的に軍事侵攻して他国の財産を収奪したりすることではないでしょうか? かのマッカーサーも日本の戦争は自衛戦争だったと後日認めていますし、東京裁判のウェッブ裁判長も日本の立場を擁護する発言をしています。 参考動画 「凜として愛」 http://www.youtube.com/view_play_list?p=67DE25FC … 賛否両論あるかと思いますが、論理的に根拠を示してご意見をくだされば幸いです。 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

  • 経済歴史的

    中国東北侵略 満州事変から日中全面戦争、しな事変そしてアジア太平洋戦争、大東亜戦争 経済的からその事態の原因では何か?

  • 中学の歴史 日中戦争ぐらいがよくわかりません

    今、満州事変から日中戦争あたりの勉強をしています。 教科書には説明がないので、疑問点がでてきました。 日本は実質あんなに大きな満州国を手に入れ、 しかも、当時日本の景気は回復しているという状況で、 なぜ二二六事件がおこったり、日中戦争へと進んだのですか? また、犬養毅で、政党政治は終わったのに、二二六事件当時の総理も 命を狙われたというのはどうしてですか? 中学生にわかりやすく教えて頂けると助かります。

  • 日本のイラク侵略戦争の加担を教科書に載せろという声がでるまでのタイムリミットはどれぐらいでしょうか

    日本はアメリカのイラク侵略戦争に加担しました。 このことは社民党も(http://www5.sdp.or.jp/central/activity/ketsugi040410.html より引用「政府はアメリカの侵略戦争に加担する自衛隊をただちに撤退させよ」)共産党も(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-03-21/01_01.htmlより引用「国連憲章をふみにじった侵略戦争と軍事占領は破たんしつつある」)認めております。この日本にとって恥ずべき行為を歴史教科書に載せるべきだと言う声はいつ上がるのでしょうか?特に中国・韓国・北朝鮮はかつて日本の歴史教科書に対し外交ルートで抗議をしてきましたので、今回も三か国からの抗議が激しくなるかと思います。今回のイラク侵略の加担でどれだけ多くのアジアの方々が日本が過去の侵略を反省していないことを嘆いたかと思うと、日本人として恥ずかしいです。アジアからの抗議があれば、他の国がしたからといって日本の行為が免責されるわけではないのに「第二次大戦までにしても、イラク戦争にしてもほかの国も侵略しているのになぜ日本だけが謝罪しなければいけないのか」ということを右翼が言うと思います。なんとも情けないことだと思いますが、日本は一部の政党以外はなかなかイラク侵略を反省せず、そのことにアジア諸国が怒った後に重い腰をあげることになるだろうと考えております。出来れば日本にはアジア諸国から抗議が起こる前に歴史教科書に侵略に加担したことを明記し、政府の声明として侵略を反省してもらいたいものです。日本のイラク侵略戦争の加担を教科書に載せろという声がでるまでのタイムリミットはどれぐらいでしょうか

  • 満州事変は侵略ではありませんよね?

    満州事変は侵略ではありませんよね? 1911辛亥革命 これ以降、一国多政府の時代に突入、天下大乱の時代が始まる。 1915年 二一箇条要求 日本が清と結んだ条約を、清が消滅したので中華民国と正式に締結し直す必要があった。 中華民国は旧清朝の領域の継承を主張したが、各地に軍閥が跋扈し治安維持能力がなかった。 1919年3月 コミンテルン結成、直後に北京で五・四運動 それまでの中国の伝統や歴史を一切否定する西洋化運動、そして排日運動 四年たってから二一箇条要求がやり玉に挙げられる。 1922年 九カ国条約締結 日本だけが違反したのではない。 蒋介石は1927年米英と紛争を起こしているし、張学良は1929年ソ連と紛争を起こした。 要するにそもそも中国側が違反していた。 1928年 六三カ国で不戦条約締結 米英が重要な点において留保を行うなど実質的に空文となった。日本は自衛戦争については留保していた。 1931年9月18日 柳条湖事件(満洲事変の発端) 中華民国が満州事変を日本の連盟規約違反として国際連盟に訴えたが、国際連盟は日本を侵略国と認定していない。 張作霖が排日運動の高まりや欧米からの支援をとりつけようと日本との距離を置き、 海外資本の提供をうけて、満鉄の平行線を建設し始めると、両者の関係は悪化しました。 当時中国は日本との条約を次々と破り、無知な住民を煽って暴力的なボイコット運動を起こさせ、 商鉱農工業妨害、日本国民の命に関わる圧迫行為、反日教科書などの侮日行為、 居留民襲撃や鉄道運行妨害など数百件のテロ行為を重ねていました。 満州には清や列強から承認された日本の特殊権益が存在しました。 日露戦争で日本がロシアに勝たなければ満蒙はロシア領になっていたはずです。 中華民国や張作霖は日本の勝利に何も貢献しなかったのに 日本が10万の戦没者、20億の戦費を費やして得た権益を 「満州は中国だから出て行け」というのはとうてい受け入れられません。 それに満州は万里の長城の外であって満州族の土地です。 もともと、満州に合法的に駐留していた関東軍はそれを守ろうとしただけです。 中央政府の中華民国も現地軍閥の張学良も犯罪に対する治安維持能力と条約遵守能力がなかったのです。 こういった事情から関東軍は権益を自衛するためには満州全土から匪賊同然の奉天軍を追い出す必要があると判断しました。 これは侵略に当たりません。 外国人への犯罪が放置され責任を持って対処する政府が存在しない。 これは国際法的には「無主の地」です。 責任を果たさないのに権利・主権など主張できない、という慣習国際法である。 こうしたなかで不法行為を黙って許容しているとそれを認めたことになります。 ラストエンペラー溥儀の英国人家庭教師であったジョンストンはリットン報告書の ”満州独立運動が日本による教唆によって発生した架空の民族運動であった” という点を全くの事実誤認であるとして批判しています。 溥儀の忠臣たちは満州族による帝政復古運動を展開していた。 満州事変は日本がこれらにさんざん隠忍自重した末に起きた事件です。 満洲事変は侵略ではなく自営のための軍事行動であったのです。 戦乱と飢饉の拡大、繰り返しによって絶望の淵に追いやられていた中国の流民にとって満州国こそ最後の駆け込み寺でした。 年間百万あまりの流民が長城を乗り越え、満州に流入したことがその何よりの証拠です。 毛沢東はかつて「かりにすべての根拠地を失っても東北さえあれば社会主義革命を成功させることができる」と語った。 実際戦後の満州は中国の重工業生産の九割を占、中華人民共和国を支えたのは満州国の遺産であった。 豊満ダム完成後見学に来たフィリピン外相は 「フィリピンはスペイン植民地として350年、アメリカ支配下で40年が経過、住民の生活向上に役立つものは一つも造っていない。 満州は建国わずか10年にしてこのような建設をしたのか」と語りました。 参考)黄文雄、岡田英弘、宮脇淳子、倉山満 歴史にお詳しい方、私が調べた上記の記述でどこかおかしいところはありますか? よろしくお願いします。