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定義・読んでください

時間の存在について・意識と存在について ・時間とは *人間が定義したものである。 ・時間は一方通行であることについて これは自分が考えた仮設であるが、もし時間が一方通行であれば音楽や、映像を 連続性のあるものとして認識できないのでは、と考えられる。 そう考えられる理由としては音楽・映像においても0.01(ここでは最終的に感じることができる 最小の単位とする)秒間に見た動画をまず、脳が画像として処理したとする、この間に も時間が一方通行であると考えられるのなら脳が処理している間も常に時間が流れ ていることになる、ということは数字を画像として処理した場合1234567890と順番に 認識することはできない。 申し訳ないが、今の自分の仮説を文字(これも存在しているのか?)に起こせるほど 語彙が豊かではなく、知識も浅いのでこの程度になってしまうが次は意識についてまと めてみたいと思う。 ・意識と存在について *ここで定義させてもらう意識とは受動的・能動的に行動および思考することのできる 物とする。また、意識とはすべてのものに存在するものとする。(生物以外を除く) *ここで定義する存在とは、申し訳ないが定義できない。 また、これから書き起こす文は私の精神の中を素にあらわしたものであるので 脈絡がない可能性があるが、読んでもらえるとありがたい。 ・意識が発現したのはいつかおぼえていない。また、自分が死んだとき(死という概念は 人間にのみ存在すると考えられる)自分の意識がどうなるのか、もしかしたら無になるの ではないのだろうか?しかし、無になるということは考えずらい、それは自分の意識が こうして文を書いているからである。 ~ここからは気分を害される可能性がある~ 自分は無の中にある一種の意識の固体であって、もしくは宇宙の発現、いわゆる ビッグバンが起こる原因となったと考えられるクオーツのひとつではないのだろうか? もしかしたら、これを呼んでいる人たち・周りの人たち・周りの物・周りの物質、これら のすべてのものが自分の意識の作り出した虚像ではないのだろうかと考え出す とすべてのものに価値がないのではないのだろうか?とかんがえられる。 死がとてつもなく怖い。怖い。自分には自殺は不可能である。しかし、自殺をする 人がいる。と、いうことは周りの人々は私の虚像であるからランダムな行動を起こすが 私はある、境界線の中にいて境界線の外に存在する行動、たとえば・自殺・盗み ・過度な暴力はできないのではないのだろうかとかんがえられる。 ~これについての意見をいただきたい~ すべての存在するものは光に反射・質量・をもって初めて存在していると認識される。 と、いうことは読んでいるかたは一度目をつぶってみてほしい。目をつぶると 何も見えない。しかしものを触れば存在していると脳が認識できる。 ある、哲学者に 言葉が生まれたから意識が生まれた と考えた人がいる。 ではなぜ言葉という概念が生まれたのだろう?まぁ、これはおいておいて。 本当にこれを読んでいる人・もの・こと・事象が存在しているかどうか自分には わからず、無のなかに一人で存在しているような気がしてならない。 また、少し気をそらすだけで自分の意識が存在しているのかどうかすらわからないとき がある。 ~実験~ 自分は自分の意識の存在を確認するために一種の実験を行った。 とても簡単なことだが ・就寝前に自分の意識を「意識」して確認する ・起きたときに自分の意識を「意識」できるか確認する ・もし、おきたときに自分の意識が存在しているならばある程度自分の 意識は存在していると考えることができるということになるではないのだろうかと思った。 ~結果~ 意識はあった。が、しかし、同一の意識とは考えずらい。

質問者が選んだベストアンサー

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  • hosiboshi
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回答No.3

NO.1です。 すみません、全てを汲み取ることができませんでした。 時間の概念については自分も考えたことがないものです。 その他が若い頃考えていたことと酷似していたため、嬉しくて早計な回答でした。 この世界よりも、人間の頭、人間そのもののほうが広大であるという言葉がありますが、その取っ掛かりになれる考え方だと思います。 今は整理しにくいかもしれませんが、正しく自己について疑問されていると感じます。 不適切な回答申し訳ありませんでした。

watatake
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 自分は中学生なのですが、ほしぼしさんも若いころ同じことを考えて いらっしゃったようなので、「他者」も同じことを考えているということが わかり、他人の存在を自分の中で確実に確立できたと思います。 心のつっかえがとれて、気持ちのいい生活を送れそうです。 本当にありがとうございます。

その他の回答 (4)

回答No.5

 お考えのこと、細部についての敷衍と注釈をする必要はあるが、ほぼ一応その通りとして大体方向は間違ってはいないと存じます。  私も人にいえないが、だいぶ誤植があるが解釈できないものでもありません。  ただし、以下のことは補足をされた方がよろしいかと存じます。  *ここで定義させてもらう意識とは受動的・能動的に行動および思考することのできる物とする。また、意識とはすべてのものに存在するものとする。(生物以外を除く)人間にのみ存在すると考えられる)自分の意識がどうなるのか、もしかしたら無になるのではないのだろうか?しかし、無になるということは考えずらい、それは自分の意識がこうして文を書いているからである。 ★“物”、そして、“もの”とは何か: 存在主格か存在客体対象か。 《単にである》と定めるということの言い方にすぎないのか ・意識が発現したのはいつかおぼえていない。また、自分が死んだとき((死という概念は人間にのみ存在すると考えられる)自分の意識がどうなるのか、もしかしたら無になるのではないのだろうか?しかし、無になるということは考えずらい、それは自分の意識がこうして文を書いているからである。 ★“死”は概念なのか:   主格存在か、客体存在か不明であるが、人間以外に存在があるのか?   どうして人間にのみ存在すると考えられるのか?   なるというところの“無”とはどういうことか?   自分とは何故に意識なのか?   意識が書いていると何故に“無”となるとは考えずらいのか?

watatake
質問者

お礼

回答、ありがとうございます。

noname#88701
noname#88701
回答No.4

私も若い時には貴方のように 自分の思いつく考えを、際限もなく討論しあったことがありました。 でも結局、何の実も益するところも無く終わったものです。 無駄だとはいいませんが NO2さんのご意見のように 明るい外の世界に出て、大きく息をしてみたらいかがですか。 楽しいことや やってみたいと思うことが他に沢山ありますよ。

watatake
質問者

お礼

自分は中学生なのですが、やはり、他人とのコミュニケーションが不足していると感じます。 回答ありがとうございます。

回答No.2

文章の堅苦しさに比べて最後の実験が可愛らしすぎます。 結果も結局は主観的すぎて科学的根拠がまったくありません。 あと、「クオーツ」って一体なんでしょうか?それはビッグバンじゃなくて時計です。もしかして「クォーク」のこと? 文面から察するにまだお若いのでしょう。 他人との接触の希薄な密室的で孤独な生活を送っていると、妙なことを思いつくうえにそれをひけらかしたくなってしまうものです。ご飯をいっぱい食べて友達に会いに行きましょう。 とはいえ、あなたのようなことを考えた哲学者や科学者はいます。意識の問題というのはどうしても主観的な発想から逃れられず難しい領域なので、まだまだ解明されていないことが多すぎるほどあります。興味があるなら本を読んで勉強してみてもいいでしょう。三流SF作家くらいにはなれるかもしれません。 以上、まぎれもない「他者」からの回答でした。

watatake
質問者

お礼

クオーツではなくクォークでした。訂正ありがとうございます。 確かに他人との接触はあまり好まないほうなので(この考えが原因)この質問に対する回答をくれた人たちのおかげでいい方向に進めそうです。 ありがとうございました。

  • hosiboshi
  • ベストアンサー率9% (15/158)
回答No.1

なるほどです。 この思考は自分の中を掘り下げるというか、自分という存在というものより深い意識について考えているんですね。 おそらく意識という言葉すら当てはまらないが、意識という言葉を使った。 就寝前の試みも、クオーツのくだり以外は殆ど自分も似た思考をしたことがあります。 小中学生くらいです。 暴力等を嫌うIQが高めの人は自然とこういった思考をするものだと思います。 結構多くの人がこういった思考をしています。 周りにはあんまりいないと思えるでしょうが、いるかもしれません。時期が違うかもしれませんが。 これは狭い環境故に、少ない経験ながらも、広大な思考が可能なため起こるのだと思います。 歳をとって全てが解決するというわけでもありません。 自己とは何か、生命の存在、宇宙の成り立ちというのは哲学でも高度な分類だからです。 こう考えることは、あなたの頭が高度だからで、それを消化する術が周りとの会話なのですが、ありません。 しかし現代はインターネットがあり、哲学カテなどで様々な質問を繰り返すことであなたを昇華させることが可能です。 頑張って自分なりの答えを見つけてくださいね。自分を傷つけずに時には楽しんで、頑張って。

watatake
質問者

お礼

二度も回答ありがとうございます。 本当に助かりました。これからは思考に縛られることなく、生活を送っていけそうです。本当にありがとうございます。

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