• ベストアンサー

高学歴でも使えない人は使えない。という論法について

arrysthmiaの回答

  • arrysthmia
  • ベストアンサー率38% (442/1154)
回答No.4

> ここでの「論法」とは「高学歴でも使えない人は使えない」というものだったのですが それも、「推論A」と同じく、主張の結論部分であって、何の「論法」も使っていないし、 何の「推論」も含んでいません。 ただの結論です。 > この論法はおかしな論法でしょうか? と言いながら、貴方は、論法 = 推論過程 の論理的是非ではなく、 主張への賛否を問うているのでしょうか? 個人的な立場を言えば、私は、貴方の結論には概ね賛成ですが、 貴方が挙げている論拠は全く非論理的だと考えています。 だから「オカシい」と思う。 > シグナリング理論と適用したやり方の「やり方」と言うのは具体的には何を指すのでしょうか? 何を指すかと言えば、 > シグナリング理論という「理論」も参考にしています。 の際に、貴方が、その理論をどのように参考にして、どのような考察を行ったか?をです。 その考察部分が、貴方の「論法」です。シグナリング理論が「論法」なのではありません。 シグナリング理論は他人の発表した理論であり、貴方にとってはデータでしかありません。 > これに関しては、質問文に > ※使える人の定義は1部上場企業のホワイトカラーの人事採用担当者10名が > 学歴を見ずにSPI・面接を通じて「使えそう」と判断した人。とします。 > と定義しておりますので、ソニーの例は 例えば、ご飯を炊いて丸めて中に梅干を入れたものを「ドーナツ」と定義すると、 ミスター・ドーナツで売っているものはドーナツではない という考察が得られますが、 これについては、どう思いますか? この考察は、論理的に有効でしょうか? > こちらから「企業人事担当者を対象に実施した『新卒採用で見たい能力』調査」から >「論理的コミュニケーション能力がある人」がSPI・面接を通じて「使えそう」と判断されるのではないか。 > と言う理由からのものでした。 これも、同じですね。貴方の「使える」は、就職活動に使える という意味なのでしょうか。

Opolskie
質問者

お礼

>>例えば、ご飯を炊いて丸めて中に梅干を入れたものを「ドーナツ」と定義すると、 >>ミスター・ドーナツで売っているものはドーナツではない という考察が得られますが、 >>これについては、どう思いますか? この考察は、論理的に有効でしょうか? これは論理的に有効だと思います。 ただ、定義が世間一般の認識と大きくかけ離れている。と思います。 私の「使える人」の定義と、世間一般の「使える人」の認識が ジャケットとブレザーくらい差があるということは私としても認識していますが おにぎりとドーナツくらいかけ離れたものでしょうか? >>貴方の「使える」は、就職活動に使える という意味なのでしょうか。 仕事の「使える」を定義することは非常に難しいと感じまして このような定義を使いました。 何か他に良い定義のアイデアありましたら教えていただけると幸いです。

Opolskie
質問者

補足

補足→お礼の順に読んでいただけると幸いです。 補足をありがとうございます。 >>貴方は、論法 = 推論過程 の論理的是非ではなく、 >>主張への賛否を問うているのでしょうか? これに関しては 「高学歴でも使えない人は使えない」というのは。 「2の倍数は2の倍数である。」というようなことを言っているのではないか? それはおかしなことというか、声高にいうようなことではないかな。と感じました。 という意図でした。その点で論法という言葉は不適切だったのかもしれません。 申し訳ありません。 >>個人的な立場を言えば、私は、貴方の結論には概ね賛成ですが、 >>貴方が挙げている論拠は全く非論理的だと考えています。 だから「オカシい」と思う。 なるほど。もう少し、根拠については考察が必要であるということですね。 参考になります。 シグナリング理論に関しては http://akira1986.blog85.fc2.com/blog-date-20081221.html こちらのページが私の意と近いものであるのではないかと感じております。 シグナリング理論とは大学が 「大学に入った人間を卒業時に優秀にする機関」であるというわけではなく 「大学に入ったことによって得られる優秀であるというシグナル」 を得る為に多くの人間が競争を行う。 よって「多数の人間をスクリーニングして優秀な人間が入る機関」である。 というものであると、解釈しました。 そこで、私は例えば東京大学の入学試験が「論理的思考力」と「試験の点数」が比例するのではないかと考えました。 参考:http://ja.wikibooks.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AF%BE%E7%AD%96 よって、論理的思考力が高い人ほど入学しやすい東京大学に合格した人は 平均的に見て「論理的思考力」が他大学のそれと比べて高いのではないか。 という導き方をしました。 この場合、どこが非論理的であると感じられますでしょうか?

関連するQ&A

  • こういう論法に名前がありましたら教えてください

    以下例です。 「目前で人が殺されているときに 加害者と被害者の生い立ちをじっくり調べてから「殺すな!」って言うのかよ。(A) まずは「殺すな!」って叫ぶのが人間じゃないのか?(B)」 被害者だけではなく、加害者がなぜ殺人に及んだということを考えることも防犯や人間理解のひとつが(B)ですが、これを否定したい、この例の発言者が(A)の理屈を用いています。 この一見矛盾した理屈を用いる論法についての概念(〇〇論法など)がありましたら教えてください。 また何か違和感を感じましたら、理論的に教えてください。

  • 演繹的とは

    いつもお世話になっています。 レポート課題の注意として、「具体的事例からの演繹的推論」を行うこと、と書いてありました。 演繹的推論とはどういうことでしょうか? 出来れば例も挙げてお願いします。 例えば… 人間Aは死んだ、Bも死んだ、・・・、ゆえに人間は死ぬってことでしょうか?

  • 「ごはん論法」を封じるには?

    ネットでは既に話題になってるんですね、知りませんでした。 「ごはん論法」を知らない方は以下のサイトで分かりますよ。 https://www.youtube.com/watch?v=dEAXd-UibhQ https://www.youtube.com/watch?v=nEGsKAngAas 小泉首相の国会答弁は「寅さん論法」だと言われました。「オレが芋を食ったら、お前が屁をひるか?」の類の答弁で、無学な寅さんが大学出のヒロシをいつもやり込めていた論法です。そして今回の「ごはん論法」は正に、高学歴のエリートが無学な庶民(国民)を煙に巻くような感じの論法です。無学な寅さんは決してこんな回りくどい、ネチネチした言い回しはしませんよね? 大部分の国民は、この論法のどこかがおかしいと感じているにも拘らず、野党も言い返せません。結果逃げ切りを許しています。後の方のリンク先で誰かが喋っていましたが、もしこういう言い方を日本の裁判所でしたら、裁判官にオコラレルし、アメリカでやったら法廷侮辱罪になると。なのに日本の国会では何故許されるのか。議論を仕切る委員長が見識をもってキチンと裁く能力がないからだと言ってました。 私はこれを防ぐ方法を以前から考えていました。このような議論に国税を使う無駄に耐えられないからです。つまり、国会内に中立の国語学者を3人立ち会わせ、関係者が答弁した時、その答弁が質問者の答えになってるかどうかを即座に判定させるのです。2人以上がイエローカードを出したら、答弁者を減給処分。同一答弁者が計3回イエローカードを出されるか、一度でもレッドカードを2人以上のジャッジに出されたら、職の剥奪。主権在民なら、公僕はこれくらいのことは甘受すべきでしょう。 私の案をどう思われますか?実現可能でしょうか? それとも、他に良い案があれば教えて下さい。 尚、「ごはん論法」を是認される方、質問者と価値観を共有されない方の回答は厳しくお断り致します。そういう方の回答は「寅さん論法」か「ごはん論法」のどちらかであり、私の質問の回答にはなり得ないのです。重ねてお願い申し上げます。

  • 貴方はゴハン論法に勝てますか?

    原口氏は「東大用語」やめて下さいと怒っています。 https://www.youtube.com/watch?v=lkEvHFOigEo&t=2918s 上記を見ると、実に殆どの時間が官僚の東大用語を切り崩すことに使われています。 本当に税金の無駄遣いですねえ。 「東大用語」がどう定義されているのかは知らないのですが、下記では法政大学教授 上西充子氏が「ゴハン論法」について解説しています。 https://www.youtube.com/watch?v=5Mbh5Rv24VM 我々は議員ではないので、実生活で東大用語と対局することはないのですが、実は私の長い人生で一度だけありました。「この人は何を言ってるんだろう?」と主意が掴めませんでしたが、私の主張を否定していることだけは分かりました。 普通の議論では、相手が論点をすり替えたり、揚げ足を取って来たら直ぐわかります。論点を直ぐさま戻して論を詰めるとほぼ100%私が勝ちます。しかしその時は、相手が何を言ってるのか理解出来ませんから、反論も出来ません。でも何となく、相手の主張が正しいように聞こえました。結局、相手が勝ったような結末になってしまいました。相手は東大卒でした。今から思えば、アレはゴハン論法だったんだろうなと思います。ネットのない時代でした。 「募ってはいたが、募集はしていない」と安倍首相が言いましたが、こういうのは誰にでも間違いが分かるのでゴハン論法ではないと上西氏。ゴハン論法は、相手は言いたくないことを上手く隠しているので間違いが見抜けないのだと。より悪質だと。 ゴハン論法の創始者として彼女は加藤厚労大臣を上げていました。例によって東大出で長い官僚時代の中で、ゴハン論法を鍛えて来たのでしょうか。 巷には、貴方の組織の中でも、加藤氏ほどの大家はいなくとも、ゴハン論法を操る人はいると思います。そういう人に遭遇した時、貴方はそれを見破り論破できましたか?

  • ε-N、ε-δ論法について

    今年から大学生になり、マセマ新書の「微分積分I」を参考にして少しだけ先に予習をしているんですが、参考書には 「一般に、関数の極限の計算は、高校で習った方法で十分なんだけれども、もし、問題文で、“厳密に”とか“ε-δ論法で”とかの指定があれば、上記のε-δ論法に従って、答案を作らなければならない。」 と書いてありました。 そこで質問なんですが、なぜ高校でならった極限の求め方よりも、ε-δ論法の方が“厳密”なんでしょうか。 また、ε-N、ε-δ論法はどういう経緯や発想の元でできたんでしょうか。 ε-N、ε-δ論法じゃないと解けない「数列や関数の極限の計算」があるんでしょうか。 回答よろしくお願いしますm(_ _)m

  • カテゴリー(高学歴)にあってると思ったのに削除

    カテゴリー(高学歴)にあってると思ったのに削除 されました。 「高学歴いる?」の質問を今いる「このQ&A」でしました。 それで条件が厳しかったからか回答がゼロで誰も高学歴いないみたいだったんですが、 自分で削除した覚えがないのに、削除されました。 どこのカテゴリーで聞くのが正しいですか? 書いた内容はわからないでしょうけど、推測で教えてください!

  • ε-N論法について

    先ほど数学の極限の問題を解いていて 分からないところがありましたので質問しにきました。 ε-N論法を用いる大学1年生の数学の教科書にあった問題です。 「an=1/nの数列がn→∞のときに0に収束することを証明し、 さらに、ε=10^-3のとき対応するNの値を求めよ」という問題で、 証明の方はできたのですが、Nの値を求める方の答えがしっくりきません。 自分の出した値はN=1001なのですが、教科書にはN=1000とあります。 N>1/εとなったのでN>1000よってN=1001ではないのでしょうか? Nが1000だとn≧Nなのでn=1000のとき|1/n-0|<εより0.001<0.001と なってしまうので間違っていると思うのですが… それともε-N論法はn≧Nではなくn>Nなのでしょうか? これだと、すっきりいくのですが… 参考書にはn≧Nで、教科書にはn>Nで書いてあります。 正直こんがらがって頭が痛いです(泣) この様な質問をネット上でするのは今回が初めてですので、 見にくい所が多々あると思いますが、どうかよろしくお願いいたします。

  • 低学歴で仕事が出来ない人

    理解力がなく、ミスが多く、連絡もマメにしない。 こういう仕事に必要な能力が欠如している人が低学歴だった場合 どういう感想を持ちますか? 「やっぱりね。低学歴で頭が悪いんだもん。」「偏差値低い人だから、なんの期待もしていないよ。」 って感じでしょうか? こういう質問掲示板ではよく 「高学歴は仕事ができない!」って騒いでいる人が多くいますが、あまり低学歴は仕事ができないって質問はありませんね。 低学歴で仕事が出来ないって人もたくさんいるでしょうから、そういう人を見たらどう思うのかお聞かせください。 私は学歴にしか興味がないので、回答も低学歴に言及した回答のみに限ります

  • 高学歴の人について

    高学歴の方は、学校教育での学習を習得し、高い思考力を持っていると思いますが、 しかし、判断にロボット的なところがあるように思います。 数学を解くようにロジックを作れず、全体との関係性を考慮できない傾向にある人が多いように思いま す。経験に基づく思考ができない人が多いようです。 他の分野に興味がない人が多いです。 なぜでしょうか。

  • 相手を納得させる論理展開はどれですか?

    AはBである。ということを相手に納得させたい場合 次のどの方法が適切でしょうか? 論法A: 「AとBの関係を裏付けるデータが  http:……  などに示されています。  これを見る限りAはBであるといえるでしょう。」 論法B: 「AとBの関係を裏付けるデータはないが。  AはCと相関関係があり、CとBにも相関関係が見られます。  なので、AとBに関係があるという推論が成り立ちます。  よってAとBに関係がある可能性があるといえるのではないでしょうか。」 論法C: 「AとBに関係があると皆が言っています。  AとBに関係がない等と屁理屈を言わずに  人の話は素直に聞くことです。」 どれが適切で、どれが適切でないか。をお答えいただけると幸いです。 ※全ての回答を貴重な意見として扱わせていただきますが  この数学カテでの回答数が多い方の意見を  特に参考にさせていただきたいと思います。  それをご理解いただいた上で回答していただけると幸いです。