解決済みの質問
12/22 に発表された2013年度から実施の英語指導要領では,英語で英語を教えるのだそうです.
このこと自体は正しいと思います.日本語で英語を教えることによる弊害として,英語を話せない教師が文法偏重に逃げ込み,堅固な日本式英文法の世界が構築されてしまったということがあります.日本の英語教育が進歩しなかった根本原因だと考えています.
ところで,英語で英語を教えるとなると,いろいろな問題があると思います.
たとえば,英語で英文法を教えられる日本人教師がいるでしょうか?英語を話せるからと言って,外国人教師に英文法教育を期待するのはさらに困難でしょう.なぜなら,一般のネイティブ英語教師は英文法に疎いですから.
その他,いろいろな問題が出てきそうですが,思いつく方は教えてください.
投稿日時 - 2008-12-23 09:43:53
>たとえば,英語で英文法を教えられる日本人教師がいるでしょうか?
なかなか難しいでしょうね。文科省も「難しい文法については日本語でも構わない。」と認めています。
この掲示板の回答者の中には「自分は英語が堪能だ」という自覚を持っておられる方もいるようです。試しに、そのような方にここでの回答をすべて英語でしていただくと(冗談ではなく)大変面白い実験になるのではないかと思います。
ここでは単なる文法だけでなく内容の解釈や単語の微妙な違いなど様々な質問が見られます。質問者(や回答者)のレベルも様々で、初心者の方や高校レベルの方もいらっしゃれば(自称?)達人レベルの方もおられます。実験にはもってこいでしょう。
実際の教室とこの掲示板とでは少し状況が異なりますが、英語に関心のある人が集まるこの掲示板において「英語による回答」がどれだけの効果的であるかということを示すことは今度の指導要領の効果を測る試金石となるかもしれませんね。(英語表現を標榜する人の中から、それくらいの矜持を見せる人が出てきても良いのではないかとは思いますが・・・。・)
>日本語で英語を教えることによる弊害として,英語を話せない教師が文法偏重に逃げ込み,堅固な日本式英文法の世界が構築されてしまったということがあります.日本の英語教育が進歩しなかった根本原因だと考えています
上記のご質問について考えてみました。「学校英語は文法中心だ」という昔からの批判精神をお持ちの方も多いかもしれません。そのような批判は30年前であれば違和感はないのですが、時代は進んでいます。ここ10年ほどの教科書では、驚くほど「表現」に関する内容が増えています。
今の中学・高校で「文法中心の授業」をしている学校は珍しいと思います。特に中学校では、私が前回示した(1)と(2)の指導くらいは普通に行なっているでしょう。高校でも「文法」の検定教科書はもう存在しません。文法は「Reading(読解)」の中で補足的に触れられるようになっているからです。
過去のイメージに基づいた批判では進歩はありません。亡霊を追いかけるようなものです。もちろん大学受験を目指すレベルになると「訳読中心」や「英作文」中心の授業にはなるでしょうが、いまどき「文法」にこだわる指導者は少数派でしょう。それは最近のセンター試験や難関大学の二次試験の問題をみればすぐに分かることです。現在、生徒に問われているものは「文法」ではなく「読解力+表現力」です。
では、教科書で「表現」の分野が増えているのに相変わらず英語を使える人がなぜ増えないのかという疑問が出てきます。その答えは簡単です。1つは、「英語を使う必要がないこと」です。二つ目としては「時間数の不足」と「クラスの人数の多さ」です。
今の日本に住んでいて英語を使う必要がある人がどれだけいるでしょう。単に「カッコイイから」という理由ではモチベーションとしては不十分です。確かに英語は世界の共通語と言われています。英語が使えなければ困る社会も確実にあります。しかし、おそらく日本の90%以上の人が英語が使えなくても困らない社会に住んでいると言えるでしょう。高いモチベーションを持ち続けることが出来るのは一部の人だけでしょう。
また、現在の週4単位という時間や1クラス35~40名の生徒数では、いくら英語での表現活動の活性化を目標にしてもそこには自ずから限度があります。
教員の質を原因に挙げる人もいるかもしれません。しかし、教員の意識やレベルも依然とはかなり変わっています。上記の(1)や(2)くらいのことなら今でもありふれた風景となっています。高校でも実施しているところは一部(レベルの高い学校)ですが存在します。
ただし、高校レベルでは、英語の歌や英語のビデオ(DVD)などのような単純なことでは物足りません。といっても前回示した(3)(4)(5)のようなことをやるにはかなりの指導力・計画力が必要です。日常の英会話ができるくらいのレベルでできることではありません。
そこで求められるものが指導者としての「専門性」です。生徒の理解力、表現力を見極めながら英語による適切な問いを発することによって生徒の力を引き出していく指導力こそが文科省の新しい指導要領を生かすためには必要なものです。
すべての教員がその「専門性」を身につけることが必要です。その意味において指導者は「専門家」にならなければなりません。しかし、それを最大限に生かすためには環境を整えることが必要です。
今回の文科省の指導要領改訂の志は評価したいと思います。しかし、それを効果あるものにする環境はまだまだ不十分です。現在の状況では英語難民を増やすだけではないかと思います。
時間や人数の問題はこれから時間が経てば解決されるかもしれませんが、「必要性」の問題はたぶん早急に解決されることはないでしょう。したがって、「話せる英語」を取り入れて、しかもそれが効果あるものにしたいのであれば、まずは対象人数を絞ることが最も必要なことでしょう。
意欲と能力のある対象に絞って「英語を用いた授業」を実践すること。これだけは、すぐにでも変更してもらいたいものです。ご参考になれば・・・。
投稿日時 - 2008-12-24 16:08:43
お礼
たいへん参考になるご意見ありがとうございます.
ご指摘のように,様々な批判や反省があり,たしかに日本の英語教育も改善はされてきました.しかし,根本的には変わらないのでしょう.
やはり必要性の議論になりますかね.
逆に,歴史的には英語が必要でない世界,つまり,英語の情報を何でも翻訳したりして日本語の世界に取り込んでしまって現在があると思われます.
一見便利な英語不要の世界に見えます.しかし,通訳や翻訳者が介在していることを忘れがちです.また,ある種のカーテンで隔離され閉ざされた世界になっているかも知れません.社会的なコストにもなっていますがやむを得ないとされています.
直接のコミュニケーションが必要な人だけに英語を教育すればよいとする考えもあります.しかし,今でも,必要な人なのにコミュニケーションできない現実もあります.
程度の差こそあれ,国際社会では外国をその言語で理解した方がよいはずですね.文化の相互理解は必要と思います.
近い将来,実際にはすでにそうなっていますが,否応なしに人口減による外国人の流入が増えます.やはり英語は日本人の誰にとっても必要になるのではないでしょうか?
投稿日時 - 2008-12-24 19:10:00
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ベストアンサー以外の回答(26件中 1~5件目)
> ちなみに,英語を公用語にしている国が多いし,公用語として使っている人々も世界で最も多いし,なお増大しているのです.
ですから、英語の優位性に関しては否定するつもりは毛頭ありません。日本人ももっと英語に力を入れて、いきなり全部は無理ですが、
特に名門校から手始めに大いにネーティブ英語教師を導入して英語で英語を教えるのは大いに結構だと思います。ただ、極論を言えば、漢文を勉強するんだったら少しでも中国語でも勉強した方がよっぽど役に立つのではないかと。そもそも日本人が漢文をレ点とか返り点で読み下していた悪習が英語にも引きずっているのではないかと思います。
>また,世界に影響を及ぼす状況になっています.
これについては少し面白い現象があります。日本が世界に誇れるアニメや漫画は英語よりも、中国語、韓国語、フランス語、イタリア語などに訳されることが多く、日本の漫画も英語圏の国にはやや浸透しにくいようです。
>今や,無駄があるから楽しいというレベルでは教育を論じられないと考えています
教育を語るには英語だけでなく、もっとマクロな視点で考える必要があります。花と団子のどちらを選ぶか、色んな価値観が絡んできます。
skytrain2005と私では価値観が違うし、他の人はまた別の価値観を持っています。従ってどれが一番正しいとかは一人の価値観では決められないと思います。
>携帯電話も日本が世界で最も進んでいるという誤解が一般にありますが,実は携帯電話について日本は鎖国状態なのですね.
技術に関しては日本は非常に優れていると思います。しかし、携帯電話は外国では使えないという不便さがあります。これは技術だけでなく国際的な規格化とか別の要素が絡んでくると思います。いずれにせよ、アメリカが携帯電話の分野では日本よりも遅れているのは認めてらっしゃいますね。
>むしろ,英語を知らないことによる損失が増大している状況です.
これは私が前回回答したことと関係していますね。つまり、英語圏の国は元々プライオリティーを享受しているので、非英語圏の国はその点では不利なわけです。しかし、フィリピンやインドは日本より英語力がはるかに高いのに、日本より国民の生活は貧しいです。その点に関してはどう説明しますか?また、「英語を知らないことによる損失」は私は少なからず認めますが、現状ではそれほど大きいとも感じていません。skytrain2005さんにとっては「大きい」と捉えてらっしゃるようですが、具体的にはどんな事でしょうか?
>文科省の危機感もそこから発しています.
これは短絡的過ぎるような気がします。
>譲っても,英語しか話せない人々よりも,英語も話せる立場に立つ方が絶対に有利だと思います.
こういう視点に立てば、アメリカは不利になりますね。いや、でもアメリカはスペイン語の学習も盛んなので「英語も話せる立場」にある人も多いことになるでしょうか?
>文化の多様性が奪われるという説には同調しかねます.
これもフィリピンを見ると、独自の文化ってあまりないですよね。東南アジアでもタイやインドネシアとは大きく違います。
投稿日時 - 2009-01-02 13:20:56
お礼
皆さんありがとうございました.
そろそろ締めようと思います.
示唆を受けたことで印象的だったのは,すべての日本人が英語を必要としているわけではないことから,選択的教育をすべきというご提案です.
必要とする人,やる気のある人,などには上級の教育機会を与えるということです.不要と思う人(親が子について判断する?)は英語を一切学ばなくてよいという選択肢を残すことです.
これは日本人の一億総中流の意識や,横並び願望,不平等への強い嫌悪,などの歴史的な束縛から解放される契機になる可能性があります.このことは,小学校での運動会でゴールは手をつないで同時に着くという発想を根本的に否定する流れを作るのかも知れません.
また,同時に,従来タブーだった日本人英語教師のランク付けにも影響が及ぶことになるでしょう.
投稿日時 - 2009-01-07 21:16:22
>「在日外国人で英語をロクに話せない人」達も,なんとか英語位は話したいと思うのではないでしょうか.
そう簡単には行きませんよ。外国人の中でも英語を公用語としていない国の人が日本で暮らすとしたら、必要なのは英語よりも日本語でしょ。しかし、日本語だって一朝一夕で身に付くものではありませんしね。
>英語が世界共通言語になってきているのは否定しにくいですね
航空管制用語に関しては英語が共通語になっています。しかし、国連の公用語は色々政治的な問題も含んでいて英語に統一出来ないのが現状で、英語他に5カ国語が公用語として認められています。
>英語だけの方が,無駄が減る面があります.
これも確かにそうですが、現実はそう思うように行かないのではないでしょうか? でも、人生って何でも無駄があるから楽しいんですよ。
例えば、結婚だって役場に婚姻届を出せば正式な手続きは完了しているので、結婚式とか新婚旅行って「無駄」以外の何物でもないのでは?
>あるきっかけと環境条件が後押しして市場で最大シェアをとったものには,他にマイクロソフト社のウィンドウがありますね.
これなんですが、多くの日本人にとってパソコンより身近な機器である携帯電話に関しては、アメリカが開発に大きく出遅れているんですよ。
>英語はザメンホフのエスペラントを現実化したようでもあるし,すでに歴史的に最大のマジョリティ言語になったようです.
これも少し違います。このように英語が最大にマジョリティー言語に立ってしまうと、色んな面で英語圏の国がプライオリティーを享受していまい、地球レベルでの格差を増大させやすくしてしまいます。つまり、色んな国が互いの国の文化を尊重するのではなく、アメリカを中心に英語圏の国が非英語圏の国を従えて、その結果、世界の文化の多様性を奪っていく可能性もあります。
投稿日時 - 2009-01-02 02:42:10
お礼
コメントありがとうございます.
たしかに,住んで仕事をする国の言語を学ぶというのは第一ですね.
それは外国人が日本に来ている場合の彼らはその例になりますね.日本人も海外に飛躍したり,来日外国人とコミュニケーションをとる場合も同様です.
しかし,現在の世界は,日本に住んでいる日本人にとっても,居ながらに世界中の影響を受け,また,世界に影響を及ぼす状況になっています.
ちなみに,英語を公用語にしている国が多いし,公用語として使っている人々も世界で最も多いし,なお増大しているのです.国によっては国ごとの方言のような英語を使っていますが,英語としては共通ですね.
http://japan.wipgroup.com/useful-information/reference-material-data/gengosiyoujinkou.html
今や,無駄があるから楽しいというレベルでは教育を論じられないと考えています.携帯電話も日本が世界で最も進んでいるという誤解が一般にありますが,実は携帯電話について日本は鎖国状態なのですね.北欧(スウェーデン,フィンランド)その他,が最先端です.アメリカは遅れています.
英語は,今や,イギリスなど原産国の影響から離れてしまっていて,アジア地域を含めて,欧米の英語人口より非英語圏の使用者の人口が多くなっているそうですよ.むしろ,英語を知らないことによる損失が増大している状況です.文科省の危機感もそこから発しています.
譲っても,英語しか話せない人々よりも,英語も話せる立場に立つ方が絶対に有利だと思います.文化の多様性が奪われるという説には同調しかねます.
投稿日時 - 2009-01-02 10:58:19
>外国語として英語と決めるのは自然です.
私も第1外国語として英語を勉強することに意義はありません。しかし、英語オンリーなんですよね。現在でも在日外国人で英語をロクに話せない人は半分を超えているし、これから日本も非英語圏の国との経済交流がますます活発になることを考えれば、英語だけでは間に合わないと思います。
投稿日時 - 2009-01-01 02:48:19
お礼
多言語による社会的コストという観点もありそうですね.
「在日外国人で英語をロクに話せない人」達も,なんとか英語位は話したいと思うのではないでしょうか.英語が世界共通言語になってきているのは否定しにくいですね.英語だけの方が,無駄が減る面があります.
英語はザメンホフのエスペラントを現実化したようでもあるし,すでに歴史的に最大のマジョリティ言語になったようです.
あるきっかけと環境条件が後押しして市場で最大シェアをとったものには,他にマイクロソフト社のウィンドウがありますね.一つの流れが勢いで主流になるという例でしょうか.
投稿日時 - 2009-01-01 22:22:46
wy1ですか、前の書き込みと矛盾する所がありましたら、ご容赦願います。
現在の英語教員云々の問題の元は、旧文部省にあるので、それを新指導要領に副える教員養成制度を作らねばなりませんね。現在の教員はどうするかも、文部科学省の責任でしょう。その辺りがはっきりしないと、教員側も、教員養成機関も対応の仕方が判らないのでは。ただ外国人教員を増やせば、、、と言う訳にはいきません。現行の教員免許制度との関連から見て、彼らには資格が無いことになりますね。その点は如何のように考えたら良いのでしょうか。正式に採用試験に合格した教員でなくても、現行では教員免許を持った人でなければ正規の授業(単位認定の)は出来ないと思っていますが、如何なんでしょうか? もし外国人
を正式の英語教員として採用するならば、それこそ英語と教育に関するきちんとした試験を課すべきだと思います。ただ英語を喋る、間違いが無い英語を使えるだけでは、学校で教えるのには充分ではないと思います。それは、我々一般の日本人が、そのままでは日本語教育を行う力が無いことと同じことだと思います。
投稿日時 - 2008-12-30 18:06:55
お礼
新しい視点,ありがとうございます.
従来の教員養成制度は,大学の英語担当の教職教員も含めて元凶でしょうかね.
ただ,英語に関して言えば,教員免許制度を強化するのは,逆効果になるような気もします.免許の基準を誰が作るのかという問題ですから.
一般に試験・免許制度は,最近話題になるように天下り先の新設になるだけで,せっかくの新しい試みも硬直化しそうに思えます.
教員免許制度にかかわる大学の英語教員は教員免許が要りませんしね.
投稿日時 - 2008-12-30 21:39:19
こんにちは。
新英語指導要領(仮)についての問題点という事ですが、思いつく点がいくつかあるので、回答させて頂きたいと思います。
まず常に議題に挙がる「人材」の問題、これは必ず解決しなければいけない問題です。
具体的には「現在の高校英語教師には、英語を英語で教えるといった実践的な授業ができる人間が少ない」という問題ですが、今もう既に英語教員で、対応出来ない人には研修や再教育等を受けて頂くしかありませんよね。ただここで問題になるのは教員側の反発でしょう。
いくら必要だと上から求められても、喜々として受け入れる方が多いとは思えません。明確に反対の意思を示さなくても、嫌々研修を受けている人間が多くては教員の質が何時までたっても改善されないでしょう。
又、「これから教員になる人」についてですが、そこを改善するには、英語教員志望の方たちが学ぶ「大学」という場を変えなければならないので、これも五年そこらで出来るとは思いません。
そこで次は優秀な外国人教員を増やすという案についてです。
その案には賛成です。しかし、、、短期間で外国人教師を大勢集めるのも、また困難だと思います。日本という全く違う文化の国住んで、英語を教える、これは当然大きな決断を有する行動です、そこまで日本に情熱を持っている方がアメリカ、イギリス、オーストラリア、カナダなどに多いとは思えません。「とにかく日本人の彼女が欲しい!!」みたいなアルバイトを増やしても全く意味がないので、集まりが悪ければしっかりと英語教授法の訓練をした人間を高給で引っ張るという手も考えられますが、、そんな予算はどこにある!?という問題に行き着きます。
第一、別にこの用途以外にも、本気で英語教育を改革しようとすれば多大な予算と手間がかかるのは明白です。不況にあえぎ、増税が避けられないといわれている今、そこに予算を割いている経済的余裕が、さらには国民の精神的余裕があるのでしょうか? こんな事を書くのは非常に嫌なのですが、経済が少しは安定してからで無いと、英語教育の改革をやっている余裕が無いのではと思うのですが、中途半端な予算と熱意でやっても結局中途半端な結果しか生まないでしょう。しっかり経済がまとまり、国民にも少し余裕が生まれ、十分な予算が出来てから全力で取り組んでも遅くは無いのでは? 「いや遅い!」といわれる方もいらっしゃるかもしれませんが、私は、日本人はそのくらいの巻き返しが出来ると思っています。
それから大きな問題の一つは「生徒のモチベーション」ですよね。
英語がそれまで嫌いで嫌いで仕方が無かった人が、仕事でどうしても必要になり目覚しい進歩を遂げた、良くある話ですが、このモチベーションを学校でつくるのはやはり難しいですよね。せめて短期の交換留学制度等を小学校くらいからガンガン作るという手はあると思うのですが、外国に行く人間も、外国人を迎える人間もいい刺激を受けられるでしょう。それに一週間くらいからの短期交換留学は既にある程度の頻度でやっている事ですから、比較的簡単に実現可能では?
英語教育の改新に関しては、どんなに手を尽くしても最終的に生徒が興味を失えばまったく意味が無いと思いますよ。日本人の特に学生にとっては英語を日常で使う機会なんてほぼありませんよね、、無ければ上記のような手で作ればいいんです!ここはどう生徒達に英語を勉強したい!と思ってもらえるかが勝負だと思います。子供達は優秀です。英語を勉強したいと本当に思えば、たとえ今の英語教育のままでも英語能力は伸びます。そしてその気持ちを作り、応援するために英語教育はあるのでは?
すみません、このような質問は珍しいもので、言いたいことが沢山ありすぎてかなりの長文になってきてます。お許しください。
あと英語力の発展に伴って、子供達の活字離れはやはり問題でしょう。私は英語圏での英語の勉強の経験で、いかに英語の上達に読み書きすることが大切か学びました。本を沢山読み、沢山文章を書く。これってやっぱり英会話能力上達の為にも必要なんだと思うんですよね。しかし日本語ですら本を読まない方に、英語で本を読めというのは酷な話です。基本的な言語能力が不足してきているのは問題です。
同じ事がコミュニケーションにも言えるのでは?人と話すのが嫌いな人がいくら英語を憶えても、「英会話」上手くなりませんよね?昨今問題として頻繁に提訴される「コミュニケーション力の不足」これはそのまま英語学習にも響くでしょう。そこの教育も当然必要になるでしょうね。
最後に、個人的に気になるのは、英会話産業業界の反発と妨害です。本当に日本人の英語教育の質が向上したら、最終的に業界が無くなりますから、こちらはかなり積極的に妨害するかもしれませんね。大手は政治家との癒着もありそうですし、こちらの問題も調整が必要そうですね。
とこんな感じです。ちょっと他の回答者様方とは違う切り口で回答してみました。
投稿日時 - 2008-12-29 19:07:39
お礼
たいへん興味深く拝読させていただきました.ありがとうございます.
いくつかポイント毎にコメントしたくなりました.質問者の特権のようですからご容赦ください.
>現在の高校英語教師には、英語を英語で教えるといった実践的な授業ができる人間が少ない
その通りですね.教える人材をどう育てるのか.大きな問題です.
外国人教師を大量に呼ぶ.これはある程度可能ではないかと思います.全員がたとえばESL教育の有資格者でなくともよくて,レベル毎の教育があってもよいと思います.イギリスでは英語教育は大きな輸出産業ですから喜んで出してくれるでしょう.
>短期の交換留学制度等を小学校くらいからガンガン作る
選択制にして,意欲のある小中高生を国費や私費で外国に送り込むということも考えるべきでしょう.
>気持ちを作り、応援するために英語教育はあるのでは?
その通りと思います.教育の本来の目標はモチベーションをいかに育てるかですね.英語以外の科目でも逆にディスカレッジするような詰め込み教育になっていないのか,これはゆとり教育の時でもあった問題でしょう.ゆとりがあっても「やる気」が育つかは別ですから.
面白いと感じる英語教育を提供することこそ重要なのですね.
>人と話すのが嫌いな人がいくら英語を憶えても、「英会話」上手くなりませんよね?
これも重要なご指摘と思います.外に表現することの意義が教育の中であまり認識されていないと思います.言い換えると,個性的な意見を持つことの重要性ですね.冷たい視線のなかであえて自己主張するにはかなりの抵抗を感じる状況があります.KYと称して,他に同調することこそが良いとする傾向は感心できません.創造やブレークスルーを抑えるからですね.
投稿日時 - 2008-12-29 23:32:35