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日本の文化について質問です

1・歌舞伎、2・能・狂言、3、茶の湯、4、生け花 室町時代に関係の無いものはどれですか? 答えと理由をお願いします。

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回答No.2

こんにちは。 答えは、NO1.の方の言われるように、 「歌舞伎」が室町時代には関係ありません。 (1)歌舞伎の始まりは、慶長8年(1603)春、が「定説」となっています。 (2)元亀3年(1572)(推定)頃に出雲に生まれた、阿国(おくに=出雲の阿国)が、出雲大社の「巫女(みこ)」となり、出雲大社の勧進(修繕費などの資金集め)に、諸国を回るようになり、記録としては、 (3)奈良興福寺・多聞院の院主、多聞院英俊(たもんいんひでとし)の日記「多聞院日記」の天正10年(1582)の項に、 「加賀国八歳十一歳の童が『ややこ踊り』を披露した」 と、書かれていますが、この解釈として、 (4)加賀という八歳の娘とクニ(阿国)という十一歳の子どもが踊った、という解釈と、 (5)ただ単に、加賀国の八歳と十一歳の子どもが踊った、という二つの解釈がなされています。 (6)その後、慶長5年(1600)に、京都近衛殿の屋敷や御所で、雲州(うんしゅう=出雲)の「クニ」と「菊」という2人の女性が、やはり、「ややこ踊り」を披露した、と言うものが近衛時慶(このえときよし)の日記「時慶卿記」に出て来ています。 (7)しかし、これらの史料では、いずれも「ややこ踊り」をした。と、記載されており、「ややこ踊り」とは、幼い子どもが、ただ単に笛と太鼓に合わせて「舞」を披露するだけのものだったようです。 (8)その3年後の慶長8年(1603)5月初旬に、京都の四条河原に小屋掛け(数本の杭(くい)を地面に打ちつけて、筵(むしろ)を被せただけの粗末な小屋)をして、茶屋へ通う伊達男を阿国が男装をし、夫の(夫ではない、という「説」もある)名古屋山三郎(なごや さんざぶろう)が茶屋の女将に女装をして、踊りを交えた寸劇を演じ、この男女の入れ替わっての「性倒錯」が評判となり、連日「大入り満員」だったといわれ、これを当時の京の人たちは「傾く(かぶく=常識外れ、突拍子もない)」と呼び、これが「かぶく」「かぶき」と訛り、後に「歌舞伎」という漢字が当てられ、歌舞伎の「起源」と言われています。 (9)阿国は、慶長12年(1607)に千代田城で勧進歌舞伎を披露した後、消息が途絶えて、慶長17年(1612)に京都の御所でも歌舞伎を踊ったとも言われていますが、没年は全くの不明です。 なお、「江戸城」のことは、江戸時代「江戸城」とは呼ばず、正式には「千代田城」またの名を「舞鶴城(ぶかくじょう)」と呼び、庶民は、ただ単に「お城」と呼んでいました。 (10)阿国がこの時結った「髪型」を「若衆髷(わかしゅまげ)」と呼び、京都や大阪、そして、江戸にまで伝わり、女性の間で大流行しました。 (11)「能・狂言」は、すでに「室町時代」で、ほぼ「完成」されています。 (12)「茶の湯」の「完成」は、戦国時代の豊臣秀吉に気に入られた「千利休」頃ですが、室町時代にも朝廷や公家の「たしなみ」とされていました。 (13)「生け花」も古くからありましたが、「剣山(けんざん)」などは使わず、竹をななめに切ったものや花瓶に、ただ挿すだけでしたが、室町時代後期には「剣山」もみられるようになり、多彩な生け方で楽しみました。

maquestion
質問者

お礼

詳しい説明ありがとうございました! 大変勉強になりました!

その他の回答 (1)

  • inocensia
  • ベストアンサー率31% (18/58)
回答No.1

答:1歌舞伎 理由:室町時代には成立していなかったから。

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