解決済みの質問
小学校2年の音読の宿題に谷川俊太郎の「いるか」という詩が課題としてでました。
親がこどもの音読を聞いて採点をするのですが、
その採点基準もわからないし、
どういうふうに音読させるべきか、というのもとても難しいと思います。
悲しい文章なら、その主人公の気持ちになって読めとか、
自然を表現している文章なら、その場所にいる感じで読めとか言えるのですが、
「いるかいないかいないかいるか」と言う時に、いるかを探している気持ちになれ
というのは違うような気がします…。
また、
この詩がいわゆる言葉遊びだということは理解していますが、小学校低学年という時期に、言葉を愛でるのではなく、遊戯にしている歌を教えるのはどうかと頭をかしげてしまいます。
国語はまず、花鳥風月や、人間の感情を扱った作品を専らにすべきであって、
言葉遊びのような、言語に対する不信が表面化した記号論が一世を風靡した時代の思潮を受けた作品をこどもたちに紹介するというのは、どういう意図なのでしょうか。
親としては、教師がその作品に惚れこんでいるのならば、そういう教育もありだとは思うのですが、担当教師も、谷川俊太郎は有名な詩人であり、すばらしい作品だと言われているということしか、説明できませんでした。
「ずいずいずっころばしごまみそずい」と
「いるかいないかいないかいるか」は
語呂的にはとても似ているが、思想的には決定的に違うと思うのです。
こうした国語教育をしている背景を知っている方、もしくは合理的説明ができるかたはお教えいただきたく…。
投稿日時 - 2003-01-17 09:31:29
こんにちは。
私にはspontaさんのように難しいことは分かりませんが、一言書かせていただきます。
我が家にも2年生の息子がおり、昨日も宿題で「いるか」の音読が出ました。
それも5回、覚えてくる・・・という内容でした。
主人と「詩」って強制的に覚えることに意味があるのかね?と笑っていました。
本当に良い詩なら、自然な形で覚えてしまうものじゃないでしょうか?
クラス30人の子供が強制的に取り立てて感動もしていない詩を覚えて学校で一人ずつ読み上げている姿を想像すると、「ちょっと違うんじゃないかな?」と疑問を抱きます。
ここで「いるか」の詩を知らない方のために書いておきたいと思います。
いるかいるか いるかいないか
いないかいるか いないかいるか
いないいないいるか いるいるいるか
いつならいるか いっぱいいるか
よるならいるか ねているいるか
またきてみるか ゆめみているか
とういうものです。
初めてこの詩を音読する時の息子はとても楽しそうでした。
「面白いで!聞いててな!」と上手く読めるか緊張している様子でした。
横から5年生の兄が入ってきて、「僕のときこんなんあったかなぁ~?」と興味深かそうに眺めていました。
一瞬子供の興味を引く事は間違いないのですが、確かに情緒的な感動ではありません。ですので聞く側にとって5回も繰り返されるうちに「いい加減にして欲しいな」とさえ思えてしまいます。
採点の方法、確かに悩んでいます。
「気持ちを込めて読んでいるか」とういう項目には「・・・?」ですよね。
ある意味2年生にとっては難しいのかもしれません。
言葉遊びを客観的に捉えることなど出来るはずもありません。
ただひたすら九九のように「詩」を唱え続ける我が子の姿を、同じ保護者の皆さんは一体どのように思われているのかが知りたいと感じていた矢先のこの質問でした。
投稿日時 - 2003-01-17 10:58:04
お礼
早速の書きこみ、ありがとうございます。
わたしは理屈っぽいところがあり、?となってしまったのですが、当の2年生の男の子が楽しんで読んでいるということは、まんざら悪いことでもなさそう。
という感じですね。
でも、暗記するというのはすこしやりすぎのような感じがします。
暗記したあとの達成感はあるのだとは思いますが…。
学校というところは、物事を正しく伝えることを第一に考えるべきではないのかと思うのです。
自分の気持ちや状況をお友達に伝えることができない。そういう言語能力の低下が引いてはひきこもり若者を増産している気がしてなりません。
その意味で、学校の国語では、世の中の諸相や自分の気持ちを切実に言葉につむいだような作品を暗記させるべきではないでしょうか。
☆
私のほうの親の記入欄には気持ちを込めて読んでいるかというチェック項目はありませんが、そういう項目がある回答者の場合は、誠実に親の責任をまっとうしようとすると、もっと切実な問題ですよね。
はたして、作者はいるかのいるところに行って歌ったのか、わたしには、そうではなく、いるかという語感であそんでいる感じ。
勿論、谷川氏の作品で、「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」などという詩に感銘することはありましたので、谷川氏を全否定するわけではありません。
しいていえば、教科書という文脈の中で、いるかの詩が登場することに違和感をおぼえたまでです。
☆
ところで、
九九のように詩を唱えることの是非については、わたしはありだと思っています。
私は43歳ですが、いまでも、小学校のときにおぼえた
「柿食えば、鐘が鳴るなり法隆寺」や
「古池やかわずとびこむ水の音」
などを思い出したり、口にだしているのですから、意味はあると思うのです。
教育とは、日本人が日本としての共通の文化と歴史を共有することだと思うので、とても重要と思えるのです。
投稿日時 - 2003-01-17 12:01:24
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ベストアンサー以外の回答(13件中 1~5件目)
早速の補足、ありがとうございます。
spontaさんは、No.10さんの回答を読まれましたよね?
それでも、答えられませんか?
お手数ですが…。
No.10さん回答を読んで、もう一度、
補足にトライしていただけますでしょうか…。
でも、面倒でしたら、無視で結構です。
なお、私がまずひっかかっていることは、質問中の以下の記述です。
そしてこれは、この質問における、最もポイントになる部分かと思います。
>国語はまず、花鳥風月や、人間の感情を扱った作品を専らにすべきであって、言葉遊びのような、言語に対する不信が表面化した記号論が一世を風靡した時代の思潮を受けた作品をこどもたちに紹介するというのは、どういう意図なのでしょうか。
合理的説明など私には出来ませんが、もし補足いただけましたら、
答えられる範囲で、いくつかの疑問に答えるつもりでいます。
投稿日時 - 2003-01-18 20:17:48
お礼
たびたびの書きこみありがとうございました。
みなさんの意見をお伺いでき、心の中のわだかまりを抑えることができましたし、みなさんそれぞれに国語のことを真剣に考えているという姿勢をかんじました。
わたしなりに回答は出尽くしたと感じますので、この質問は綴じさせていただきます。
ありがとうございました。
投稿日時 - 2003-01-19 14:48:46
音読の採点についてですが、
なんの基準もなく採点を行うことは、無理のような気がします。ですので、
課題を出された先生に、基準を確認されるのが良いと思いました。
それにより、課題を出された先生の「ねらい」が分かるかもしれませんね。
一連のやり取りを読んでいて、
個人的に、少しひっかかることがあったので、
補足要求させていただきます。
強制ではありませんので、無視でも構いません(^^)
この詩を読むと、以下のお答えが出る前に、
>いるかが何頭いるかとのご指摘。
>これこそ、記号論的な手法だと思います。
>(作品の中につかわれている単語の数で、作者の作風を論じるやり方)
>また、「いるか」と「いるか?」とかけているので、数えることも虚しい作業ではないかと。
「いるか いるか?」の答えが、あると思うのです…。
そこで補足要求です。以下2つお願いします。
1.いるかは何頭いますか?
2.spontaさんは「夜の海」を、見たことありますか? ありませんか?
投稿日時 - 2003-01-18 18:24:20
補足
作者にとって、究極をいえば、
イルカがいるのかいないのか、が問題ではないということ。
逆に目の前のイルカをイメージしないほうが、
イメージは、宇宙空間までにもひろがっていくのではないか。
もし作者が、イルカを写生しているとしたら、
目の前のイルカを前にして、言葉で遊ぶのだろうか。
目の前にイルカが沢山いるのをみたとき、
言葉で遊びながら、その状況を他人に伝えようとするだろうか。
この詩は、海岸でつくられたのではなく、きっと机の上でつくられたのだろう。
そして、机の上だからこそ、無限のイメージが広がっていく。と。
したがって、
補足要求1については、
イルカ、居るか?
居るか?、イルカ
イルカ、イルカ
居るか?、居るか?
「いるかいるか」の1行についてだけでも、
答えは4種類あり、そのどれも正解なのでは。
そういう設問が、作品のイメージを限定する。
したがって、いるかが何頭いるかという設問自体が無意味では…?
補足2については、
夜の海のイルカを写生した作品とは感じないから、そういう質問には答える術を持たない。
ということです。
いろいろな方のご意見を聞くことができてありがたく思っています。
とはいえ、補足要求には、説明したとおり、こたえることができませんでした。
ありがとうございました。
投稿日時 - 2003-01-18 18:36:14
こんにちは!!
皆様のご意見拝見させていただきました。
いろいろな考えがお有りでしょうが、また、違った視点で。
私は、四月に小学校にあがる子供の母親です。
教科書の内容が変わる事がなければ、うちの子も【いるか】触れる事になると思います。
その時のことを考えると、私は楽しみ。
どんな風に子供が読み、どんな内容に受け取るのか。
そして、自分も大げさに演じて読んであげたい。
そう思わせてくれる内容でした。
もちろん、きちんと内容を理解して読む事は難しいでしょう。教室で読んだくらいでは難しいでしょう。
そこで、宿題に出して、家族で
「こんな風にも読めるよ」
「こうやって読んだら面白いよ」
先ほどの方のように、
「この中にいるか何匹いると思う?」
もちろん、家族で読むということをしない方もいらっしゃるでしょう。でも、こんな愉快な音読が聞こえてきたら、耳を傾けるのではないでしょうか。
そんな風に思っています。
音読の宿題を楽しくやらせてあげたいです。
投稿日時 - 2003-01-18 10:07:22
お礼
母親の立場で作品を楽しみ、こどもの反応に一喜一憂する。
素晴らしいことです。
大げさに読む母親の姿に、こどもも、驚いたり、笑ったり、容易に想像できます。
そこには、きっと言葉に対する不信はない。
音韻やリズムに対する親しみがある。
親と子の作品を介在にしたコミュニケーションもある。
どんな教材でもすばらしい授業はできる。
そういうことだと思います。
ありがとうございました。
投稿日時 - 2003-01-18 11:22:29
スミマセン、またまた・・・。
今一度教科書(光村)を見返したのですが、教科書としては、なかなか面白い仕上りじゃないかと思いますよ。
言葉に興味を持たせ、後の単元で文章の書き上げに至らせる意図を感じます。
さて、難しいことは今はちょっとだけそっちに置いておいて(笑)・・・皆さんはこの詩の中に一体何頭の「いるか」を見つける事が出来ましたか?
私はハッキリ言って自信がありません。
もう一度書きますよ。
いるかいるか
いないかいるか
いないいないいるか
いつならいるか
よるならいるか
またきてみるか
いるかいないか
いないかいるか
いるいるいるか
いっぱいいるか
ねているいるか
ゆめみているか
難しいことを論ずる前に、皆さんはこの中に本当の「いるか」が何頭いるか、
「本当に」お分かりなんですか?
日本語の面白さが凝縮されていると思いませんか?
私なんぞは1行目からして怪しいです(笑)。
投稿日時 - 2003-01-17 22:19:10
お礼
たびたびの回答ありがとうございます。
いるかが何頭いるかとのご指摘。
これこそ、記号論的な手法だと思います。
(作品の中につかわれている単語の数で、作者の作風を論じるやり方)
また、「いるか」と「いるか?」とかけているので、数えることも虚しい作業ではないかと。
人が人と話をするということは、もっと切実なことだとおもうのです。
本当に伝えたいことがあるのに、ダジャレでごまかしているような人。
世の中にはよくいます。
同時通訳で作家の米原万理さんは、翻訳不能なダジャレを言って、一人ごちているお偉いさんが多いのに、嘆かれている。とか。
ほんとうに伝えたいことを伝える。
言葉に親しみを感じるだけでなく、言葉のありがたさを感じる。
そういう国語の授業であって欲しいものです。
わたしは40歳代ですが、わたしが習った国語の最初の文章は、
かわいいな かわいいね
みんな にこにこ
…でした。
みつめあう子供同士の顔と顔。
そこから、言葉がはじまる。
とても示唆的な文でした。
コミュニケーションツールとしての国語を大事にしたいものです。
いろいろな意見を伺い、ほんとうにありがとうございました。
投稿日時 - 2003-01-18 11:48:12