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田母神元幕僚長は軍人としてどうか。

軍人でありながら政府の従来からの公式見解を否定し、政府に逆らっても反省せず開き直るというのは、文民統制の意味と意義と重要性について全く理解できていないと思われます。 また、過去の戦争は何が原因でああいう結果になったかを全く認識できていない、過去の失敗から何も学べないような人間が、有事の際に部隊を正しく指揮できるのでしょうか。 勇ましい言葉だけが空回りし作戦が実状に伴わずに味方の大部隊を壊滅に追いやった旧陸軍の辻政信(ノモンハン、ガダルカナル)や服部卓四郎(ノモンハン、大陸打通作戦)、牟田口廉也(インパール作戦)を彷彿とさせますが、 こういった大戦中の反面教師から「指揮官たるや」を学んでほしかったと思います。 みなさんは、このように政府に平気で逆らう人間が空軍のトップにいたことをどう思いますか。

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noname#113190
noname#113190
回答No.1

別に彼の問題ではなく、任命した人間の問題と思います。 よく言われることですけど、小泉内閣は閣僚の身辺調査を綿密にやり、短期間で不祥事を起して辞任した人間は比較的少ないが、次の安倍内閣、福田内閣はあきれるばかりです。 事前に調べれば、どういう主義主張の人物か分るはずですから、そういった人物は抜擢しないのが賢明で、人事が硬直しているのか調査が甘いのか、なんなのでしょうね? それと組織に対する疑問や反論はあってもよいと思います。 全ての自衛官が政府の公式見解通りの考えを持っていたら、その組織は腐っていると思う、先の大戦でも思想の硬直も一因ですから、雑多な考えがあり、それをまとめるのが組織の長の責務であり、個人として自虐思想はけしからんと思っても、現在の地位を考えて口に出さない人物であれば問題ないと思います。 価値観は流動的な物であり、今日の常識が未来の非常識ということは良くあり、組織が成長していくためには多彩な思想信条を抱えて、流れに合わせていくフレキシブルな状況が必要と思う。

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  • nyar73
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回答No.4

私も基本的に1番さんと同じように考えます。 例えば、実際に部隊の運用上において、 反日政策を国の中心において我々を敵視している極東3カ国を懲罰しなけれ ばならない!とか訓練において、これら3カ国を挑発するような訓練を メインに据えろ、等の事を行っていれば、問題でしょうが。 日本ではあまり政権が変わって国の主義主張が大きく変革する、という事は ないですが、例えばアメリカみたいにガラリと変わるたびに全公務員の 思想大転換、ってなったらちょっと気持ち悪くありませんか?

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  • kaki21
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回答No.3

実際の戦闘時はわかりませんが、今回は彼の言論の自爆テロみたいなきがします。 そんなトップを持つ部下がかわいそうな気がします。 逆説的ですが、軍隊の制服組トップは政治的感覚がないと部下が苦労するにではとも感じました。

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  • cse_ri2
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回答No.2

憲法論議になりますけどね、「内心の自由」の保証は民主主義の国では最優先事項になります。 しかし、「内心の自由」を外部に表現したら、いろいろと問題になるのは今回の事件で明らかになったとおりです。 質問者さんが例に示した旧陸軍の参謀や将校たちにしても、彼らが政治行動をしなければ、別に問題ではありませんでした。 もちろん、戦闘を敗北に追いやった責任は取らなければいけませんでしたが、旧軍はその辺がもう麻痺していましたら、もうどうしようもなかったですね。 以上のように、私は田母神元幕僚長が、政府見解と異なる自分の思想を、論文として発表したことが問題だと思っています。 それさえしなければ、別に今は戦時ではないのですから、普通に職務をこなせる能力があれば問題はなかったでしょう。 仮に戦時になったとして、その際に能力がどのように発揮されるかは、その時になってみないとわかりません。 司馬遼太郎の小説にあるように、戦争の天才ほど育成が困難な人材はないのですから。

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