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直観と直感
直観と直感の違いを教えて下さい。 <質問> 直観については理解しているつもりですが、英語ではどちらも同じ訳になりますよね? 辞書が悪いのでしょうか? 英語訳ではなんというのですか? それとも日本独自の考え方なのでしょうか? 以前、哲学科の友人と話をしていたところ、(哲学について教えを請うていた・・・感じです。)「哲学では“直感”はありえないよ。」と言われたことがあり、それ以来引っ掛かっています。 よろしくお願いします。
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ANo.8さんのお教えから。 “直感”と直ぐ出るでしょう。これ私たち昭和10前後の生まれは使っていませんでしたね。やはり判らなかったけれども、“直観”というのを使っていました。 やはり敗戦後の漢字使用のなんとか、でこんなことばというか書き方がでたのかと思い、やさしくなってよかったと使っていました。 自分なりという範囲・次元ですけれども、字とそれから使用する場面・局面を考えて使い分けるようになったのは最近です。 変なことばや書き方が出てくるのは良かれ悪しかれですね。
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No.7です。 直観にかんして ★ 私は、「完璧な思索の道をたどって得られる、あたりまえの結論・・・、そうでしかあり得ない結果。」だと思っていたのですが・・・。 ☆ もしそうだとした場合 それでも その《あたりまえの結論》は 自分の主観であることが 大前提です。 逆に言えば いわゆる人びとに共通の判断基準となるような常識であれば わざわざ《直観》によって得るということも 少ないでしょう。 いえ さらに逆に言って この常識にかんしてなら いちいち推論を施さなくても 条理としてのように 直観によって得られるのであり それが 普通であるということも言えるかも知れません。ただ わたしが これを除外したかたちで述べたのは この常識であれば――つまり あくまでも 知識の問題ではなく 判断基準という意味ですが この意味での常識であれば―― いちど直観によって得られたなら そのまま いつまでも持続するたぐいのものです。 つまりは 少しでも 時代や社会の情況の変化とともに この常識も変わるであろうと言うでのあれば それは ★ あたりまえの結論・・・、そうでしかあり得ない結果 ☆ ではなくなるわけです。そのような事情があったと理解してください。 (まとめとして 《直観》とは あたかも無媒介によって得られた――主観の範囲内での――《あたりまえの結論》のことを言うと考えます。つまり その中身について 無条件に誤まりのないものではなく そうではなく さらに吟味が必要なものを 一般に言うのだと考えます。もっと言えば 言葉によって表現する段階に到って その中身は 必ずしも 絶対的な妥当性を有するものだというふうになるとは限らないという意味です)。 なお ヰキペディア:《直観》=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B4%E8%A6%B3 では 次のように語の由来を記しています。 ▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ なお、日本語の直観(ちょっかん)は、仏教用語のप्रज्ञा(プラジュニャー、般若)の訳語の一つである直観智に由来する。 直観智は分析的な理解である分別智に対する直接的かつ本質的な理解を指し、無分別智とも呼ばれる。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ サンスクリットのデーワ゛ナーガリー文字が 符号に化けていますが そのままとします。アルファベットでは 補助記号を表わせませんが prajnaa です。 pra-jnaa は 語源からも そのまま 英文で fore-know[ledge] ですから knowledge of before-knowing つまりは 先験的な知恵を言うのでしょうか。推測ですが たしかに 《無分別智》のことのようです。
お礼
>knowledge of before-knowing とてもわかりやすいです。(直観智の説明はわかりにくいですが><) わざわざありがとうございました。
補足
哲学用語=西洋哲学で用いる用語(誰かがそう訳した) だと思いがちでしたが、東洋思想も哲学の部類ですものね。 これからはきちんと明記して混乱を避けたいと思います。 哲学で直感があり得ないのではなく、カントで直感があり得ないだけだと思ったものですから・・・。(質問趣旨) (補足ではなくお礼の続きです。)
5です。intuitionにはlookの語源が含まれていますから、観るという語が含まれるべきで、感ずるという語は適切ではないと思います。 明察と同義語のほうがふさわしいです。あるいは直覚でも。 そういうわけで直感ではなく直観ですね。 前にも同様の質問がありましたが同じ方でしょうか。 中国語で、直观、直觉 (中国語が文字化けするかもしれません。直観と直覚です) は日本からの外来語のようです。 井上哲次郎あたりが造ったのではないですか。 図書館がお近い環境になったら、近代、明治から大正あたりの国語辞典を年代別にご覧になれば いつから使われるようになったか謎は解けることでしょう。
お礼
そうですか。手持ちのちゃちい電子辞書では直感でintuitionと出るの で・・・。 学問・哲学用語ではどの言葉が直観と訳されたのかを調べるのがよさそうですね。頑張ってドイツ語に当たってみたいと思います。 図書館て古い時代の辞書まであるんですね~^^ それを知れただけでもかなりの収穫です♪ 日本に帰ったら図書館を楽しんで来たいと思います! ありがとうございました。
《直観》は どことも分からないところから 或る程度の思索の道にあって 得られる感覚ないし予感のことです。 霊感と言うと 抵抗がありますので 観想から来る霊観(インスピレーション)と言えば 分かりやすいでしょうか。 けっきょくは すでに思索としての問題意識を持って きちんと 推論を重ねて来ていて それが 行き止まりになっていたりしたとき ふと 得られる一つの解であるように思います。 しかも 解と言っても 抽象的なものの場合が多く さらにこれを解釈し直さないと 現実とつながらないような内容のものではないでしょうか。 《直感》は 文脈に関係しないところから 文脈に関係するような暗示を受けることを言います。一般に思索の問題ではないと思われます。 つまり そのときその場で話題になっていることや 前々から何らかの課題として気になっていることや そのような脈絡があって 起こるのでしょうが その文脈を超えて しかも何らかのかたちで直接に解につながるような暗示を得たというような場合に 言うのだと思います。虫の知らせなどが いい例です。
お礼
ありがとうございました。
補足
>《直観》は どことも分からないところから 或る程度の思索の道にあって 得られる感覚ないし予感のことです。 私は、「完璧な思索の道をたどって得られる、あたりまえの結論・・・、そうでしかあり得ない結果。」だと思っていたのですが・・・。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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直観 メディアや前提、理論を介在させないで、観す(観 み)る。 思う、観念する、観る、それ自身となる、それと悟る 直感 そうだと直接に感じる(wakeful意識に挙がってこない家の五感作用での知覚経験) 直感2 五感ではなく、wakeful意識に挙がってこない、前提や思い、記憶、知識も作用していての、理解。 直感3 いわゆる虫のしらせ。なんとなく。しっかりと。経験界の知覚。 直感4 思い込み
お礼
ありがとうございました。
私なら英語にする場合 直観は intuition, insight, immediacy 直感は sixth sens, hunch などとします。 in-(im-)の接頭語が偏って並びましたね。 英語の辞書がお好きなら、ぜひ語源などを参照しつつ、違いを確かめてみてください。楽しみはとっておきます。
お礼
ありがとうございました。
補足
直感もintuitionでOKですよね? ドイツ哲学を日本語に訳す時に、訳者が作った造語だと思ったのですが、もともと「直観」という言葉はあったのでしょうか? 現在、僻地で生活しておりまして日本の辞書など手に入らず・・・ ネットでしか情報を得られません。やはりある程度の種類の辞書は必要だと身にしみて感じております(T0T)
- mmky
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直観と直感の違いを教えて下さい。 面白い質問ですね。 直観と直感は明らかに異なるものです。これ同じものと考えるのは明らかな間違いですね。直観は字の通り「素直に見る」という意味ですね。これは釈迦の八正道では「正見」にあたりますね。釈迦の教えを信じる、その知識に基づいて物事をみるのが「正見」です。「正見」に対して「邪見」がありますね。間違った知識に基づいて物事を見ることですね。同じものを目を通して見てもまったく違って見えるのですね。例えば、極端な例ではかってオーム教を信じた方々が行ったことが例に挙げられますね。邪見に基づく御用学者もいたでしょう。つまり正しい知識にもとづく見解でもありますね。基になる知識が間違っていれば全て邪見になるところが怖いとこですね。 一方、直感ですが、これは、巫女さんが啓示を受けるというような、外部から受ける情報のことですね。脳で考えるものではありませんね。 人間は全員多少の霊的能力がありますから誰でもアンテナが電波を受けるように情報を日々受けてるはずですが、この世以外の世界などない、そんな能力は人間にはない、脳しかない等という間違った知識に染まっていると邪見ですから、直感も直観になってしまうのですね。 と言うことで「“直感”はありえないよ。」というのが邪見であることがなんとなくわかればね! こんな風に世の中、邪見が蔓延してるから疑問はなんでも質問するといいね。
お礼
ありがとうございました。
補足
直観という語はもともと(ドイツ哲学が輸入されてくる前から)日本にあった語なのでしょうか?(自分でもしらべておりますが、ご存じでしたら教えて下さい!)
フッサールの現象学において直観(本質直観という用語ですが)の語が使用されています。 フッサールは実存主義の哲学者ハイデッガーの師匠にあたる人物でその著作イデーンにおいて本質直観という概念を提示していたかと記憶しています。 フッサール現象学の特徴は世の中にある定説や定義や常識や観点といった世界認識をいったん捨ててしまい(エポケー:判断停止)してしまい、それでもなおかつ意識出来ることがらによってのみ世界を読み直すという方法論を提示したことだと思います。 哲学の世界では歴史的に存在論や現象学や超越論といった問題が取り扱われますが、この際に使用される用語としては直観という用語だったと思います(詳しく調べたわけではありませんが。)。 一方、直感というのは日常用語です。 ちなみにwikiで解説されているのは直観の方です。 直観という言葉は学問的な用語として使用されている様子がwikiの記述からうかがい知ること出来ると思います。
補足
直感は日常用語、直観は学問用語ですね。 独語や英語でも明確にわかれているのでしょうか?
直観は視覚的、直感は聴覚的ではないでしょうか。
お礼
ありがとうございました。
- shinsun
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直観という言葉があるのは始めて知りました。 観念と感覚の違いでしょうか。 私は直感はあると信じています。 信じていると表現したのは見えないものを感じる能力が直感なのだろうと思っているからそう表現しました。 哲学というのはありえない事柄でも模索し、思索し、追及するのが『哲学』という学問だと思っていましたが。 見えない世界観を堂々と書物にした哲学者なんて西欧諸国では日本より多い気がします。 神について真剣に論じている哲学者なんていっぱいいますよね。 それなのに直感はないと言い切ってしまう質問者様の友人の意見は私も少し引っかかります。 「神」という考え方は直感から来た発想そのものっていう感じもしないではないですが。 哲学科出身者ではないですが、そう感じました。
お礼
ありがとうございました。
補足
>それなのに直感はないと言い切ってしまう質問者様の友人の意見は私も少し引っかかります。 「直観なら分かるけど、“直感”は使わないよ。」 とのことでした。説明不足で申し訳ありません。
お礼
えっと・・・。日常的なお話ですか?哲学用語のお話ではないですよね? だとしたら・・・!びっくりです。 「直感」の方が新しく馴染みが薄い!ということですよね!!! 昔は(すみません><私の生まれる前は。。。)日常的に「直観」をつかっていたのですね~。一つの言葉を文脈から理解していたのですね。 そして、直感という語が生まれたことによって、私の世代は「直観」を学問か宗教かでしか見かけなくなった。と。 大変ためになりました!ありがとうございます。