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自然界で、劣った生物(人間)は、自然淘汰される
自然界で、劣った生物は、「自然淘汰」される、、というではありませんか。 なぜ、いまだに 1、頭の悪い人間 2、ブスな女性 3、体の弱い人間 が生まれているのでしょうか?なぜ、淘汰されていないのですか? 独り言(さしずめ私なんぞは、1と2か。イヤになりますよ。)
- kamiya0987
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- 生物学
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ちょっとマジメに生物学的に考察します。 まず、頭が悪いのは確かに不適応な形質のひとつかもしれませんが、個体の適応度というのは1つの形質だけで決まるのではありません。 手先が器用、目が良い、足が速い、情が厚い、料理が上手い、等々あらゆる形質にそれぞれ適応度があり、個体の適応度(そんなもの定量する方法もありませんが)はそれらの総合で決まるわけです。 特に人類の社会は複雑怪奇ですから、一見不適応な形質を持っていても、それが不適応とはならずに他の適応的な形質を生かせる場所(生物学的な言葉を使うならニッチ:生態的地位)が、必ずどこかに存在するはずです。 「頭が悪い」という形質は、確かに学者には不適応な形質でしょう。 でも、肉体労働者にとっては不利ではない場合が多いでしょう。 一方、腕力が強い人は逆のことが言えます。 次に「ブス」ですが、人間の嗜好の幅はとてつもなく広いので、単に「多数の男の好みには入らない」というだけのことです。 それが適応的に不利か、といえば、多少不利かもという程度です。 人類はかなり普遍的に一夫一妻制の社会を築いています。一部一夫多妻制や乱婚制に近い制度を採用している社会もありますが。 それは人類が持つ生物学的な特徴(難産で未熟児を産む)から必然性がある、と考えられています。 とすると、男女ともに「異性の好み」は多様化せざるを得ません。同じだと競争率が激しくなって不利になりますから。 まあ、「多数の男の好みには入らない」人だと、自分を好む人は少数ですから、相手に巡り会える確率が低くなるだけ不利かもしれませんが、その程度のことでしょう。 身体が弱いのも同様です。確かにそれ自体は不利な形質でしょうけど、他に適応的な形質を持っていて異性にモテれば、総合的にはかなり適応的な人、と言えるでしょう。 ただ、このような「人為的な尺度」も環境の1つですから、それによる適応&不適応は必ずあります。「自然」はその条件が人為的か否かは判定しません。 で、「自然淘汰」とは、大きな集団で長い時間をかけて見た場合に、不適応な形質を持つ個体は適応的な個体より"平均すると繁殖に成功する確率が低い"というだけの話なのです。個体それぞれに着目すると、かなり不適応な個体でもちゃんと子孫を残す場合もありますし、逆に非常に適応的な個体が子孫を残さずに死ぬ、ということも普通にあるわけです。 人間に限らず生物は多くの形質の混合体です。 頭が悪くても腕力がある人、ブスでも気持ちが優しい人、身体が弱くても頭がいい人、というように誰でも不適応な形質と適応的な形質を両方持っているのです。 考えれば、産まれて今生きている、というだけで質問者さんも私自身も「進化の勝者」なわけです。人類の数百万年の歴史には、淘汰され消えてしまった遺伝子が山ほどあるわけですから、それらを勝ち残った遺伝子の集合体が私や質問者さんです。ほんのいくつか「これはいらんかったのに・・・」という遺伝子があったとしても、です。 最後に蛇足ですが、質問者さんが質問しているのは「頭の悪い人」「ブスな人」という"個体"の話であって、ヒトという種の問題ではありません。まあそもそも自然淘汰が「種」を単位として働く、という「種淘汰」の考えは、進化論では相当に古い考え方ですし。
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- sirokuma9
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え~、全てが当てはまりそうな劣等人間の私が考察しましょう。 まあ一言で言えば、人間も同じく生物の多様な進化の過程で今ま で生き永らえてきたのです。 仮に人間全てが画一的に美男・美女、全て身体壮健・頭脳明晰で あったとしても、遺伝学的にはそれで良いと言う訳には必ずしも いかないのです。 過去の人類史上において 未知なる病気の発生・流行、激しい気候の変動、それに伴う食糧難 etc・・・・こういう歴史は今まで何度も繰り返されてきたわけです。 仮に上に挙げた、皆同じような遺伝形質を持っているならこういった 時代の変化についていけず、絶滅してしまうでしょう。 例えば日本人が劣等遺伝だとよく思う、遺伝的に太りやすい体質 を持った人が非常に多い国では、過去に何度も食糧難・飢餓の状態 を経験した地域であるという事が推測されます。そういった飢餓を 生抜く為に獲得した能力なのです。 ロシアや北欧の男性達の体毛が日本人の基準から見て体毛が多いの も、そこに住んでいる人達が、今まで寒い環境に耐えて乗り越えて 来たからこそ、遺伝の名残りが剛毛の形で残ったのでしょう。 同じくアフリカの人達の肌が黒いのも、赤道付近の強烈な太陽光から 悪性メラノーマや皮膚ガン等、皮膚の病気にかかりづらいように進化 したものです。 つまり多種多様の遺伝子をそれぞれの人間が持っている事自体が、 劇的な時代の変化にも耐え、最悪絶滅という事態を回避する役割 を持っているのです。 そんな遺伝的な変化(進化)が、必ずしも良い方向に進む訳では ありません。上手く説明しづらいですが、遺伝学的な人類の進化 も1%の進化(良性)の成功の裏側に99%の失敗(劣勢)があ るのだと思います。 ただこれだけは言えます。 私達が劣等遺伝子と思っている事柄も、そんな生物の生き残りの為 の多様な進化の過程で生まれた産物の一つなのです。むしろ自分の アイデンティティと捉えて、ポジティブに考えましょう
お礼
kamiya0987です。ご回答ありがとうございました。参考になりました。 種というものをもっと巨視的にみるべきなのですね。
- heathenfox
- ベストアンサー率22% (53/240)
確かに自然界では弱いものが淘汰されますが、 いっぽうで自然は生物的多様性も必ず担保しています。 生育環境が急変したときに生存できる可能性を残すためです。 淘汰と多様性は表裏一体です。 いま低脳・不細工・身体虚弱者等が淘汰の対象に見えるかもしれませんが わたしには、すべてが愛すべき多様性の一部だと思います。 たとえば 言語障害の方がしばしばものすごい空間認知能力を持っていたり、 アスペルガー症候群の方が素晴らしいクラフトマンであったりします。 容貌や身体の造形だって脳容積や、顎の強さや、高温低温への適応や、 消化とか呼吸効率とかに関わっているかもしれませんし、 ほかにも鎌形赤血球貧血の患者さんがマラリアに対し無敵だったりします。 身体が虚弱であったり障害をもつ方々と彼らを支える人々によって 協働とは何か、ユニバーサルデザインとは何か、バリアフリーとは何か、 共同体とは何か、福祉とは何か、誇り高き生とは何か・・・等の 様々な概念が提示され、それと向き合い、人は工夫をすることができます。 これだけに及ばず、いまの私たちの認識では思いもよらない 可能性とかアドバンテージがたくさん隠れているように思うのです。 今、羨望もしくは嫉妬の目を向けられるような恵まれた方々も ほんのたまたま、環境や社会システムがそれを許しただけのことです。 傲慢にも恵まれた環境が普遍のものと思い込み、 不適応者は邪魔だという考えを持っている人こそ ある面では最も環境変化に弱い存在であり、遠からず 「自然」に「淘汰」されることでしょう。 しかしまあ、そんなことはどうでもよいのです。 誰しも今一度の自分を生きるしか無いのです。 自分の可能性を信じて、うまくいってもそうでなくても 笑いながら暮らせるような気の持ち方が理想的だと思いますね。
お礼
kamiya0987です。 ご回答ありがとうございました。 >不適応者は邪魔だという考えを持っている人こそ ある面では最も環境変化に弱い存在であり、遠からず 「自然」に「淘汰」されることでしょう。 わかりました。
1.2.3な男性です。 一応、日本国の少子化対策には貢献しましたので、 なんとか淘汰されずに済んでいるようです。 でも、まだわかんないな。。油断は大敵。 >生まれているのでしょうか? >なぜ、淘汰されていないのですか? それを生命の多様性といいます。 ライオンには弱い草食動物が必要なように。 弱い存在も必要なのです。
お礼
kamiya0987です。 ご回答ありがとうございました。なるほど、よくわかりました。
>劣った生物は、「自然淘汰」される… これは典型的な「進化の誤解」です。 淘汰されるのは、子孫を作れなかった種族、です。 どんなに見てくれや能力に欠陥があっても、子供をたくさん残すことの出来る「種族」は「繁栄」します。
お礼
kamiya0987です。 ご回答ありがとうございました。なるほど、誤解でしたか
- snowplus
- ベストアンサー率22% (354/1606)
そういう人達でも生きていける便利な道具があるからです それは「お金」というものです お金さえあれば簡単にいい生活が出来ます
お礼
kamiya0987です。 ご回答ありがとうございました。なるほど、よくわかりました。 私はそれもないです><
- DESTROY11
- ベストアンサー率23% (785/3377)
貴女一人程度では、人間という種が淘汰されるほどの影響はないからです。
お礼
kamiya0987です。 ご回答ありがとうございました。
- yama_x
- ベストアンサー率20% (188/940)
1だろうが、2だろうが、「自然界」からみれば淘汰されるほどの 差ではないわけです。 ついでに言えば「頭がいい」と言われる人たちが、より自分たちが 他人より優位な立場にたてるようにつくった「社会」システムの なかで我々は暮らしているわけで、そんな「不自然」な尺度で 測られた結果によって「自然」に淘汰されるわけはありません。 「美」の感覚も同じ。 3.に関しては人間がつくったその「社会」というシステムによって 支えられている部分もあるかもしれませんが・・・
お礼
kamiya0987です。 ご回答ありがとうございました。なるほど、よくわかりました。
- syuricyan
- ベストアンサー率18% (6/32)
答えは簡単、人間だからです。 弱い立場の人間が、試行錯誤して生きていける世界が人間社会。
お礼
kamiya0987です。 ご回答ありがとうございました。
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- ベストアンサー
- 生物学
お礼
kamiya0987です。ご回答ありがとうございました。参考になりました。 >「自然淘汰」とは、大きな集団で長い時間をかけて見た場合に、不適応な形質を持つ個体は適応的な個体より"平均すると繁殖に成功する確率が低い"というだけの話なのです。個体それぞれに着目すると、かなり不適応な個体でもちゃんと子孫を残す場合もありますし、逆に非常に適応的な個体が子孫を残さずに死ぬ、ということも普通にあるわけです。 この部分が自然淘汰論の核心ですね。