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進化論

人間の体は猿から進化したのならば、 心の進化はどのように説明できるのですか?

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  • ruehas
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回答No.3

こんにちは。 心とは脳の営みでありますから、その進化とは脳の発達と共にあります。そして、この脳における「心の機能の発達」に基づきますならば、人類の「心の進化」といいますのは「哺乳類誕生(二億五千万年前)」から「ホモ族の出現(二百七十万年前)」までに分類することが可能です。もちろん、これ以降、特に現人類に至ってはたいへん高度な文化的発展を遂げました。ですが、どちらかと言いますならばこれは「創発」というものに当たり、生物学的にはこれ以降を「心の機能的進化」と呼ぶことはできないです。 我々哺乳類(及び鳥類)の脳は爬虫類から進化をする過程で以下の三つに機能分化したと考えられています。 「反応脳:生命中枢(それまでの爬虫類の脳)」 「情動脳:大脳辺縁系(新皮質)」 「知性脳:大脳皮質(新皮質)」 これを「脳の三位一体説(三位一体モデル)」といい、「三つの脳の進化」と名付けられています。 動物の脳内に「心の動き」を生み出しているのは「情動反応を司る大脳辺縁系」です。このように、心といいますのは脳の営みでありますから、我々の祖先がこのような「新皮質」の発達によってそれをどんどん複雑化させていったというのは容易に予測できることだと思います。従いまして、我々人類の「心の起源」といいますのは、果たして二億五千万年前の哺乳類誕生にあります。 では、動物はどうして心を進化させる必要があったのでしょうか。このためには、まずその「生物学的意義」、即ち「心の役割」というものを明確にしなければなりません。 「心の役割」といいますならば、それは「我々動物が状況に応じた適切な行動選択を行うため」にあります。 例えば、「怖い」といいますのは情動反応に従う「心の動き」であります。そして、脳内にこの心の動きが発生することにより、我々は身の危険に対して回避行動を選択することが可能となります。ですが、逆に言いますならば、大脳辺縁系に情動反応が発生しなければ我々は自分に与えられた状況に対応した適切な行動を選択することはできないわけです。果たして、ここの心の働きがなければ我々は「本能行動(無条件反射)以外の行動」は一切選択することができません。これが「心の役割」であり、その生物学的意義とは「行動選択に学習結果を反映させる」ということです。 身体内外からの環境情報に対して「(生物学的)利益・不利益の判定」を下し、情動反応を発生させているのは「偏桃体」という神経核です。 この「偏桃体」は爬虫類以前にも存在し、その発生は魚類に遡ります。ですが、爬虫類以前の下等動物は主に環境からの入力に対して利益・不利益を判定しているだけでしたが、高等動物に進化する過程で、そこでは大脳辺縁系の情動機能としての働きが明確になり、高度な学習能力を持つ新皮質と連携を執るようになりました。この結果、我々の祖先は行動選択に様々な学習結果を用いることが可能となり、果たして「喜びや悲しみ」といった状況判定に基づいて多彩な行動を選択することができるようになりました。私は、これを「心の誕生」と呼んで差し支えないと思います。 「心の機能」といいますのはこのようにして獲得されました。 やがて哺乳類は恐竜の衰退によってその生態的地位を獲得します。哺乳類の新皮質といいますのはこの頃から拡大の傾向にありましたが、そこには「身体の大きさに見合った脳の重さ」という限界がありました。そして、この限界をぶち破ったのが唯一人類です。 霊長類の系統から分岐した最初の人類は「猿人(アウトラロピテクス・600万年前)」ですね。人類の脳の拡大化はここから始まり、次の「原人(ホモ・ハビリス)」から「先人(ホモ・エレクトス)」に掛けて人類(ホモ族)の脳の容量は300万年間で約三倍となりました。これは、生物の進化史上例のない急激な変化です。そして、この間人類は、その大脳皮質に「言語中枢」を獲得するという特異な進化を遂げました。 ではここで、「脳の進化」というものに就きましては少々特別な考えを適用しなければなりません。脳が進化すると、いったい何が起きるのでしょうか。 足が丈夫になれば速く走れますし、翼が発達すれば空を飛べるようになります。これが「進化の結果」ですね。 では、脳が発達しますと、何か特定の能力が獲得されるのではなく、ある日突然色々なことができるようになります。これを進化とは言わず「創発」といいます。 ですから、「大脳皮質が発達する」「言語中枢が獲得される」、このようなものは間違いなく形態進化なのですが、これによって心の働きが高度に複雑化しますのは、これは進化ではなく「創発」に当たります。ならば、脳と共にあった「人類の心の進化」といいますのは、概ね二百万年くらい前で一旦終了ということになるわけです。そして、ホモ・エレクトスから「現人類(ホモ・サピエンス)」に至るちょっと手前当たりで脳の拡大はぷっつりと停止してしまいました。果たして、我々人類の脳はかれこれ20万年間、全く進化していません。いったいどうなっちゃたんでしょう、不思議ですね。 にも拘わらず、人類は近年たった一万年足らずの間に目覚しい文明を築き上げました。脳の発達は20万年前に止まってしまっているわけですから、これは人類の進化ではなく「人類の進歩」です。そして同様に、先人から伝承される数々の哲学や文化・芸術などといったものは、それは心の進化ではなく「人類の心の進歩」ということになると思います。 ですけど、文明は日々間違いなく進歩していますが、ひとの心といいますのは本当にそれに見合っただけ進歩しているんでしょうか、ちょっと心配ですね。

mkinoshita
質問者

お礼

詳しいご説明ありがとうございます! 20万年前から脳が変化していなのですね? では、その時点で完成したのでしょうか。 脳の99%は使用されていないと主張する人が多いですが、ここにミステリーが隠されているような気がします。 100%脳を使用したとき、人間は全然ちがう存在になりそうですね? 私は進化論は信じません。人間と猿は別と思います。

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noname#160718
noname#160718
回答No.8

 Jagar39です。  まだニュアンスが微妙に伝わっていない気がします。 >イルかとクジラの脳と精神レベルは人間よりもはるかに進んでいると書かれていました  そもそも「精神レベル」とは何ぞや、というところから話をしないといけませんね。「精神」という言葉自体、科学用語として定義された言葉ではありませんから、これは少なくとも「科学的な」記述ではないでしょうが・・・  イルカも集団リンチや集団レイプは当たり前に観察される、実はかなり攻撃的な動物なのですが、どの観察事実をもって「精神レベルが高い」と書かれていたのでしょうね。  「脳や心の進化」というのは、「精神レベル」等という言葉で表現できるほど単純なものではないからこそ、動物行動学者はチンパンジーなどの「行動」を研究することによって、ヒトの心の進化を推察しようとしているのです。  それは何もチンパンジーがヒトより「下等な」動物だからではありません。チンパンジーもヒトとの共通祖先から分岐してから、ヒトと同じだけの年月をかけて進化して今の姿になっているわけです。  ただ、その生息環境などにより、彼らの進化はヒトと同じではなく、行動や心のあり方は、ヒトに比べるとまだ共通の先祖の姿を濃く残しているだろう、ということなのです。  「全ての動物は等しく進化の頂点にいる」というのは、ですから精神レベルがヒトと同じだから、高いから、というわけではまったくありません。それは「ヒトが進化の頂点」という認識に基づく誤解なのです。  ヒトが頂点と思うからこそ、ヒトと比べて同等だったり高度だったりする点を見つけて「彼らもヒトと同じか、より進化している」と誤解してしまうわけです。  ナメクジもクラゲも、現在地球で生息している生物は、みな35億年かけて進化してきた「現在の姿」です。それぞれ35億年姿を変えながら生き残り、現在の地球環境に適応している「進化の頂点」にいる生物たち、ということです。  それはともかく千島説ですか・・・どう書いていいやら少し悩んでしまったのですが、まあせっかくなので率直に書きます。  千島説は「法螺でももう少しマシな法螺があるだろうに・・」という程度の代物です。これを曲がりなりにも「学者」が唱えたこと信じられませんが、それをまた信じる人がいるというのも信じられません。  千島説は進化論を否定しているので、そもそも千島説のビリーバーの人と進化論の話をしても仕方ないような気もするのですが・・・  千島説は、「体細胞は赤血球から分化する」、「細菌やウイルスなどの病原体は自然発生する」、「造血器官は小腸絨毛である」、「獲得形質は遺伝する」、ということを唱えていますが、どれひとつとってもスーパースター級の「トンデモ」です。現代の生物学、医学を根こそぎひっくり返すような話になります。  さらに千島説は生体内元素転換などの「トンデモ」と結びついたりしているので、常温核融合にまで繋がる「トンデモはトンデモを呼ぶ」状態です。ま、こんな無茶苦茶な話の理屈を付けるためには生体内元素転換くらい持ち出さないと無理ですもの。  なお、「学会からは無視されている」と書かれていますが、別に無視されているわけではないでしょう。千島説そのものが「議論する土俵」に上がることができていないだけです。  「土俵」というのは、つまり論文のことです。それも査読付き論文というやつですね。千島説関連は、この査読付き論文が1本もないのです。何故かというと簡単な話で、査読に通らなかったからです。  査読に通らなかったのは、決して「従来の定説を否定しているから」なのではありません。従来の定説を否定する論文なんて、私が専門とする狭い分野ですら月に数本はどこかの雑誌に掲載されています。  実験方法、成績の処理、そして考察の論理構成が正しければ、導かれる結論が突飛なものであっても審査は通るでしょう。少なくとも学術雑誌は数え切れないほどあるわけですから、どこかの雑誌がアクセプトしてくれるはずです。  従来の定説を否定する突飛な結論が論文になり、その後そのまま新たな「定説」になったり、または後からそれを否定する論文が出て論争の結果やっぱり否定されたり、ということを繰り返して科学は進歩しているわけです。査読者全てがそうではないでしょうが、学問の基本姿勢は「論旨が筋道たっていれば論文にして議論する」です。  世の科学雑誌で最も権威あるネイチャーですら、後から否定された論文をいくつも掲載していますが、それを「ネイチャー誌の恥」と考える人は誰もいません。  ま、「こんないい加減なこと書いて、よくこれが査読を通ったな」と思うような論文もたくさんありますし。  要するに、千島説が論文になっていないのは、「突拍子もない新説だから」ではなく、「論旨が支離滅裂だから」だということです。  医学や生物学の専門家でなくても、どれだけ支離滅裂かくらいは判りそうなものですが・・・  まあ、ビリーバーの人を論理で納得させるのは難しいですし(信じることに論理は不要だから)、元々の質問の趣旨からも外れるので、千島説についてはこれ以上述べません。  なんにしても、少しは本を読んで勉強した方が良さそうですよ。

noname#160718
noname#160718
回答No.7

 再びJagar39です。 >人間の心や感性は猿たちに比べようがないレベルだと思うのです・・・  まあそれは解釈次第でしょうね。  「ヒトは他の動物とは違う特別な存在」という考えはキリスト教的な思想(万物の霊長)なのですが、キツネやその他の動物達を「神様」と考えてきた日本人だけでなく、こちらの方がどちらかというと普遍的な思想です。まあ世界的にはキリスト教徒が多いので、「万物の霊長思想」の方がマジョリティーになってしまってますが。  で、昔から「ヒトは万物の霊長」を証明するため、「ヒトにだけできる特別なこと」がいろいろ論じられてきました。  曰く、道具を使うこと、道具を作ること、言葉を喋ること、複雑な感情を持つこと、同種間で殺し合うこと、等々・・・  でも、それらはほとんど全て、他の動物にも見られることが報告され、「人類だけの特別なこと」は棄却され続けてきています。言語だってクジラ類はある種の音声で情報伝達をしていますし、チンパンジーやボノボに初期の言語能力があることも証明されています。  感情にしても、喜怒哀楽はもちろん嫉妬や憐憫など、かなり複雑な感情もチンパンジーやボノボは持っていることが報告されています。  つまり、「人類だけが持っていること」って果たして存在するのだろうか?ということです。確かに言語や感情など全てにおいて人類の持っているそれらのレベル(複雑さ)は類人猿のそれを遙かに上回っていますが、それは単に「程度の問題」であって本質的な相違ではないのかもしれません。まあその差を「本質的な差」と考えたい人がいても、私は別にそれを止めませんが。 >猿と人間(男性のみ)は進化、退化した関係かも、と思うほどですね。人間の女性だけは神の子孫かな?  ま、男と女は別の生物ではなく、同じ生物の生殖のためのセットである、ということから目を逸らして「生物学的な違い」つまり"科学"の話を考察することはできないと思うのですがね。  「神の子孫」云々はともかくとして、この短い文章の中に生物学(進化論)的な"誤解"が2つ含まれています。  まず1つめは、「退化」も「進化」である、ということです。  退化という言葉は、例えばモグラの目が地中生活で不要になったため退化した、という使い方は正しいですが、「サルからヒトに退化した」とは言いません。  なぜなら、地中に住むモグラが不要になった目を"退化"させることも、地中生活に適応した「進化」だからです。つまり生物が環境に応じて変化することは全て「進化」です。生物がサルからヒトへ、あるいはヒトからサルへ「退化」することは概念としてあり得ません。  極端な話、遠い未来に人類が知性や言語を失って、今のチンパンジーとそっくりな"サル"になったとしても、それは「進化」なのです。  「進化」という言葉には、単純なものから複雑なものへ、あるいは欠点が改善される、というニュアンスを含んでいますが、生物学での進化という言葉には、そのような意味はありません。単に「変化」すればそれを進化と呼ぶのです。  ダーウィンが「種の起源」で進化論の概念を初めて発表した時、彼は「進化=進歩」という誤解を与えることを嫌って進化(evolution)という言葉を使わず"descent with modification"(変化を伴う由来)という言葉を使っています。  要するに、「退化」は「進化」の対義語ではない、ということです。退化は進化の一形態です。  もうひとつの誤解は、人間が万物の霊長、すなわち「進化の頂点」にいる生物ではない、ということです。  類人猿に限らず、他の全ての生物はそれぞれの環境に適応し、そこである特定のニッチ(生態的地位)を確保するために進化してきた生物です。そして現在生息しているということは、環境への適応とニッチの獲得に成功している生物、ということです。  つまり、チンパンジーやクマ、ヒラメやクラゲに至るまで、現存する生物は30億年の進化を経て存在しているという意味では、全て「進化の頂点にいる」生物です。 >生物学的に、男女の違いについてどう思われますか?  ひとつ確かなことは、「人類のメスも類人猿から進化した」ということですかね。  皮肉はさておき、みなさん「そんなの当たり前」と言うでしょうが意外に忘れているのが、「男も女も同じ人間という動物種である」ということです。  脳の違い、思考の違い、身体の造りの違い、男女の「違い」はあちらこちらで解説され、「男の女は違う生物」であるかのような受け取り方をされていますが、持っている遺伝子は染色体1本が違うだけで他は全て同じです。  例えば、よく言われる俗説に「論理的思考が強い男と直感的思考が強い女」というのがありますが、それが本当に「生物学的な差違」なのかどうかは判りません。もし仮に「論理的思考遺伝子」と「直感的思考遺伝子」なるものがあるとして、論理的思考の男と直感的思考の女が結婚すれば、その子供は男女問わず双方の遺伝子を均等に持つわけでしょう。  となれば、男女の思考の違いは単に「育てられ方」という環境要因によるもの、という可能性も大いにあるわけです。  進化論に「性淘汰」という概念があります。ざっくり言えばクジャクの羽のような、個体の生存上は役に立たない、あるいはネガティブにしかならない形質が進化したのは「メスがそれを好んだから」という論理です。  そのメカニズムに「派手な羽の遺伝子は、それを好む遺伝子とセットになる」というのがあります。数学的な推論に過ぎませんが。  つまり、派手な羽を好む遺伝子があったとすると、その遺伝子を持つメスは、派手な羽を持つオスと番になる確率が高いわけです。そうすると、その番の子供は単純に考えると派手な羽の遺伝子とそれを好む遺伝子の両方を1/4の確率で持つわけです。  それが何世代も経つと、その集団内では両方の遺伝子をセットで持つ個体の割合が多くなり、その割合が一定レベルを超えると、「羽が派手になる」進化に歯止めがかからなくなってしまう・・という理屈です。  この話で面白いのは、結局現在のクジャクは全ての個体が「派手な羽を作る遺伝子」と「派手な羽を好む遺伝子」を両方持っているわけですが、派手な羽を作る遺伝子はオスでしか発現せず、派手な羽を好む遺伝子はメスでしか発現しない、という点です。  これは仮定の遺伝子を想定した推論に過ぎないのですが、同じ遺伝子セットを持っていても性によって発現するしないがあるのは確かです。  例えば発生学的にも、男のペニスの亀頭と女のクリトリスは同じものです。材料は同じでレシピがちょっとだけ違う、という程度です。  ま、何が言いたいかというと、「男女の相違点」を認識するのも大事なのですが、実際のところ「違う点」より「同じ点」の方が比較にならないほど多い、ということです。それをきちんと認識することも大事なんじゃないでしょうかね。

mkinoshita
質問者

お礼

人間も他の生物も進化の先端にいるということはその通りと思います。 先日覗いたインターネットのサイトには、イルかとクジラの脳と精神レベルは人間よりもはるかに進んでいると書かれていました。そうかもしれないと思っています。 メスの孔雀がはでは羽を好むというのは非常におもしろいですね。 男女の共通点がたくさんあることは、その通りと思います。 でも、戦争をしたり動物を実験道具にしたり、男性は乱暴すぎて理解できないところが多すぎます。今10才のかわいい甥がいますが、すべての大人の男性もこんなにかわいい時代があったのかと思うと、確かに、教育の仕方によって、男性も女性も、どうにでも変わるのかもしれません。 ところで、Jaguar39さんは、ウィルスの専門家とのことですが、千島説について、どう思われますか?赤血球は骨髄ではなく腸の繊毛でつくられて、赤血球が細胞になる、という発表をして、学会からは無視されていますが、私は、この説が正しいと思っています。

noname#160718
noname#160718
回答No.6

 No.5のJagar39です。  ほんとは前に挙げた本の内容をこれだけの文章で伝えることは不可能なのですが、ちょっとさわりだけ。  以下に述べるのは大筋では多くの学者が支持しているストーリーですし、私自身も非常に説得力がある、とは思うのですが、「定説」にはなっていませんし細かいところでは異論も多々ある説、という前置きをした上で書いてみます。  類人猿はアフリカの熱帯雨林で進化してきました。  熱帯雨林は地球の気候変動によって拡大または縮小を繰り返してきたわけですが、ちょうど人類の祖先である類人猿がいた頃、地球が寒冷化して熱帯雨林が縮小し、かなりの熱帯雨林が疎林化したりサバンナ化しました。  その時熱帯雨林に残った類人猿は、人類とは分岐した進化の道を辿り、やがてチンパンジーやボノボに進化したわけです。ゴリラやオランウータンが分岐したのはもっとずっと前、ということになっています。  さて、疎林やがてサバンナに取り残された人類の祖先は、樹上生活からサバンナの生活という環境の激変という淘汰圧を受けてチンパンジーとは独自の進化を辿ります。  その最大の変化が「直立二足歩行」だったわけです。直立二足歩行の意義は、サバンナで遠くを見渡すのに有利だとか、武器になる木の枝等の道具を持ち運ぶのに有利、という説があります。森林地帯なら木の枝はどこにでも転がっているので持ち運ぶ必要はないのですが、サバンナでは容易に入手できないので「持ち運ぶ個体」が生存上有利だったわけです。当時の人類の祖先は「被補食動物」ですから、遠くを見渡すことや武器を持ち運ぶことは極めて生き残りに極めて重要だったでしょう(人類が石器を発明する前の時代)。  それともうひとつの進化上の特徴が「脳容積の拡大」だったわけです。四足歩行より二足歩行の方が「大きな脳」を支えるには有利だったでしょうから、この2つの形質の進化はある程度リンクしています。  ですが、直立二足歩行と脳容積の拡大は有利なことだけではありませんでした。  なんといっても最大の欠点は「難産が増えた」ことだったでしょう。  脳容積の拡大により、胎児の頭蓋骨サイズは大きくなり、直立二足歩行により体重を一手に引き受ける羽目になった骨盤が閉じて産道が狭くなったので、分娩の負担は倍増していったわけです。  話は前後しますが、この10万年間で人類の脳容積が縮小しているのは、結局分娩の負担と脳の"機能"のバランスが最適化した現象なのかもしれません。同種の中では脳容積の大小と知能等の脳機能には有意な差がないことが解明されています。  さて、話は戻って分娩時の負担を軽減するために(というより難産過多ではそもそも種の絶滅の直接的な危機です)、人類の祖先は子供を「超未熟児」で出産するようになりました。たいていの被補食動物は非常に自立した子供を出産するのですが、ヒトは例外的に未熟児を産みます。出生後1年も立つことすらできない、というのは動物全体を見てもかなり例外的です。  「未熟児出産」により、分娩のリスクはかなり軽減できましたが、それでもなお出産は人類の祖先のメスにとって非常に負担が大きい行為でした。出産間近になると自分でエサを確保することすら困難だったでしょうし(臨月時の身体の負担増大も直立二足歩行の欠点だったでしょう)、出産後は自分で立つことすらできない新生児を1年以上も抱えなければならないわけで、これはメスにとってはほとんど生存が不可能な状態です。  この危機を回避するためには、出産~育児には「オスの協力」が不可欠になったわけです。一方、オスはオスで「ヤリ逃げ型」のオスは相手のメスが子供を育てることができない可能性が高いので結果的に繁殖成功率は低くなってしまい、進化的には安定ではなく、相手のメスとその子供の面倒をきちんと見るオスが進化的に安定し、ここに「一夫一妻制」が成立する要因が揃ってきたわけです。  さて、ですが相手のメスが産んだ子供が「自分の子供である」という確証はオスにはないわけですよね。現代でも同様ですが。  そこでオスは、相手のメスの性行動を「管理」する必要が出てくるわけです。自分以外のオスと交尾しないよう、メスの行動を束縛するオスの方がこの場合、進化的に安定だったわけです。そんなこと気にしない、というおおらかなオスは、結果的に実は自分以外のオスの子供の面倒を知らずに見てしまう羽目に陥る可能性が高くなり、その場合は繁殖成功率は低くなりますから、進化的に安定ではない、ということになります。  ということで、オスは相手のメスを縛る生物学的な理由ができたわけです。  一方、メスも自分が妊娠~出産中に相手のオスが他の雌と交尾してそちらの子供の面倒をみるようになってしまうと自分とその子供の生存の危機に陥りますから、「相手のオスの性行動を縛る」必要が出てきます。種をバラまくだけで帰ってくるのなら良いのですがね。  というわけで、一夫一妻制が社会構造として成立するには、相手を束縛するための「嫉妬」や「独占欲」といった"感情"が進化することが必要条件になるわけです。  また、メスがオスを繋ぎ止めるためには「発情期以外でも性行為が可能」な身体に進化したことは大きかったでしょう。普通の動物は発情期すなわち排卵期以外はまったく性衝動が起きなかったり、膣粘液が分泌されないのでそもそも性交が不可能だったりします。排卵期以外もなんら変わりなく性交が可能なのはヒトとせいぜいボノボくらいなものです。また、発情期の外部徴候がまったくない(身体の変化で排卵期を特定できない)のもヒトくらいです。  性行為を特定の相手と頻繁に行うことによって、「嫉妬」や「独占欲」といった感情はさらに複雑に進化していったわけです。  また、一夫一妻制は多くの個体が繁殖相手を確保できることを意味します。特にオスにとってそのメリットは大きかったでしょう。ハーレム型では一握りのオスしか繁殖できず、チンパンジーのような乱婚型でもアルファオス(いわゆるボス)と次点以下のオスでは繁殖成功率に大きな差がありますから(だかこそチンパンジーはえげつない政治抗争と暴力を駆使してアルファオスの地位を狙う)。  一夫一妻制では多くのオスが繁殖の相手を得ます。つまり保護すべきメスと子供を持つわけで、これはコミュニティ全体の「力」の向上に繋がった、という人もいます。人類のコミュニティで「地位の差」というものが出現したのはつい最近の定住化を果たした以後のことだと言われています。それまではコミュニティは平等な立場で狩りをし、他のコミュニティと闘争していたわけです。  そのような「協力してひとつの仕事をする」という社会では、それ以前にかなり拡大した脳もあるわけですから、言語という意思伝達手段が進化する必然性も揃ったのでしょう。  ちなみに一夫一妻制のような社会制度は、かなりフレキシブルなようです。現代の人類でも一夫多妻制や乱婚制に近い制度を持っている社会はありますし、乱婚型のチンパンジーでも特定の相手に対する執着心はあるようですから、適当な環境に生息させれば、かなり速やかに一夫一妻制の出現を見せるかもしれません。いや、判りませんが。  面白いのは、チンパンジーのメスが圧倒的にアルファオスを好むかと言えば、どうもそうでもなさそうで、メスはメスでちゃんと好みがあるらしい、ということです。要はアルファオスは「権力」でメスを我がものにしているわけですね。  でも、あるメスが下位のオスに執着して「駆け落ち」することも、野外でも飼育下でもわりとよく見られるそうです。  余談ですが、チンパンジーではオスの子殺しが普通に見られます。この際、自分が最近性交したメスの子は殺される確率が低いそうです。つまり「自分以外の子を殺す」わけです。  これはオスにとっては自分以外の子を殺すことによってメスの発情回忌を早めて自らの繁殖成功率を高める行動であるわけですが、ではメス側の防衛手段は何か。  それは「どのオスにもヤラせる」ことなんですね。すると生まれてきた子はどのオスにとっても「身に覚えがある」子ですから、殺される危険性は少なくなる、というわけです。  要するにチンパンジーのオスにとって(アルファオスですらも)は、コミュニティの子供達はみんな等しく「もしかしたら自分の子かも」という状態なわけです。そんな中でアルファオスは自分の群れのメスが下位のオスと密会するのを見張り威嚇し、下位のオスに暗殺される恐怖に怯え、よそのコミュニティから襲撃を防御するためにオス達を指揮しているわけです。ほとんどどこの人の話か、と思うくらい人間臭いですよね。  というわけで、「心の進化」も身体の進化と完全に切り離すことはできない「生物学の話」である、というお話でした。  読書が辛いのでしたら、せめて「あなたのなかのサル」をお奨めします。

mkinoshita
質問者

お礼

動物がこんな行動をするなんて、すごくおもしろいですね!!おもしろすぎます・・・ チンパンジーの行動はほとんど人間みたいですね!! 人間(特に男性)を見ていると、猿みたいだなーと思う事がよくありますが(すてきな男性もいますけど猿みたいな男性が多いように思います)・・・やぱり、猿と人間(男性のみ)は進化、退化した関係かも、と思うほどですね。人間の女性だけは神の子孫かな?男性と女性は、どうしてこんなに、考え方や感性がちがうのでしょうね?生物学的に、男女の違いについてどう思われますか? 「あなたのなかのサル」なるべく読みます(実は、読書きらいです)

noname#160718
noname#160718
回答No.5

 最初に「脳」について述べますが、ヒトの脳が20万年変化していないということはありません。脳容積自体はむしろ小さくなっています。ネアンデルタール人の方が脳容積は大きいですし、ホモ・サピエンスに限定してもこの10万年で脳容積は減少しているようです。  脳の三位一体説も、マクリーンがこの説を提唱したのはちょうど30年も前のことですし、最近では否定的な見解が主流です。 http://www.biological-journal.net/bbs/bbs.php?i=200&c=400&m=173689  また、「ヒトは脳の機能の10%しか使用していない(1%はいくらなんでも大げさ過ぎ)」というのも、グリア細胞等の機能がよく判っていなかった20年前の俗説です。  さて、科学的に証明されていない、あるいは否定的な見方をされている俗説から離れて「心の進化」を考えるならば、脳も身体の一部である以上、「体の進化」と切り離して考えることはできないでしょう。  ちなみに質問者さんは進化論を信じておられないとのことですが、それは「生物は進化する」ことそのものを信じておられないのでしょうか。それとも「ヒトは類人猿から進化した」ことを信じておられないのでしょうか。  「生物は進化する」ことそのものが信じられないのでしたら、「生物の進化」の証拠や実例はいくらでもあります。  「ヒトは類人猿から進化した」ことが信じられないのでしたら、これも証拠は山ほどあります。ヒトとチンパンジーの遺伝子の塩基配列が99%同じであること、解剖学的あるいは生理学的な類似性、行動学的な類似性、その他・・・まあ私は塩基配列の相同性だけで十分決定的だと思っていますが。  ここでは詳しい実例等は挙げませんが、必要でしたらまた質問を立ててくだされば良いと思います。  さて、「ヒトの心の進化」というテーマでしたら、まさにその問題と真正面から向き合っているのは動物行動学でしょう。この分野には一般向けにもデズモンド・モリスの「裸のサル」とかフランス・ドゥ・バールの「あなたのなかのサル」(早川書房)など、良書がたくさんあります。  「裸のサル」はこの分野に興味を持った人は誰でも読んでいるくらいポピュラーな本ですが、今読むのなら「あなたのなかのサル」の方が断然面白くお奨めです。これを読むと、ヒトが持っている感情や社会的な行動動機がほとんど全て、チンパンジーやボノボが持っていることが判ります。  「同じ種同士で殺し合うのは人類だけである」という"俗説"も、未だに信じている人がいますが、チンパンジーの同種殺しが観察されて世界中に大論争を引き起こしたのが、やはり30年前でした。  以後、他の様々な動物にも(主に類人猿ですが)同種殺しが観察され、特にチンパンジーはコロニー同士の"組織的な"殺し合い、つまりもはや「戦争」と言って良い行動すら普遍的に観察されています。  最近では動物行動学をかじった人達の中では、チンパンジーといえば「闘争的で"えげつない"動物」でそういう意味でもヒトにそっくり、と言われていたりします。ボスの座の争いなんて、かなり複雑な政治的駆け引きも見られたりしてほんとに「人間臭い」です。  ですが、チンパンジーより後の時代にヒトと分岐したと言われている、つまりチンパンジーよりヒトと近縁であると考えられているボノボは、チンパンジーとは対照的な非闘争的な社会を維持していたりします。でも、彼らの行動もやはり「非常に人間臭い」のです。  文化や社会というものは、生物学的な背景と切り離して考えることはできません。動物行動学でいう「文化的行動」とは、一応「遺伝的背景を持たない行動」と定義されてはいますが、それも絶対的なものではありません。例えば「イモを洗うサル」がイモを洗わないサルとの間に明らかな遺伝子の相違が認められれば、「イモを洗う行動」はサルの文化とは認められないでしょう。  ただし、「イモを洗う」という行為に遺伝的背景が皆無か、と言えば、そうとも言えないのが複雑なところです。例えばドーキンスの「利己的な遺伝子」は、そのような行動それぞれにも遺伝的な背景がある、という前提で行動学的な進化を論じています。その意味ではこの本もまさに「心の進化」を論じている本です。  蛇足ですが、この「利己的な遺伝子」に対して「遺伝子はそのような些末な行動を定義しない」という反論があったりしますが、それは「利己的な遺伝子」をちゃんと読んでない論点です。行動に関する遺伝的背景の考え方は、ちゃんと説明されていますから。  進化論そのものに疑問を感じておられるのなら、同じくドーキンスの「盲目の時計職人」(早川書房)も良書だと思います。進化論に対する疑問が宗教的な動機からではなく、論理的な疑問であるならば、ですが。  スティーブン・ジェイ・グールドのエッセイも面白いです。早川文庫で「キリンの首」など数冊が出ています。  人類の進化に関する本でしたら、「人類の足跡10万年全史」(スティーブン・オッペンハイマー、草思社)や「5万年前」(ニコラス・ウエイド、イーストプレス)なども面白いです。「心の進化」にも触れていますよ。というか、人類の進化について論じるのなら、心の進化(社会や行動の進化)にも触れずには済ませられないでしょう。  進化論そのものについては、残念ながら買いやすい価格帯の本ではあまり良書がありません。グールドの本は確かに面白いのですが、10人の学者がいれば10人とも少しずつ細かいところの考え方が違うこの分野で、1人の著者だけに偏るのはあまり良くなさそうです。現にここで挙げた全ての著者は、互いの説に対して異を唱えています。  新書であまり良い本が出ていないのが進化論関係の弱点でしょうかね。進化論について、総括的に解説された良書は新書では思い当たりません。ウイルス進化論者の頭を抱えるような本で進化論に触れてしまった人は不幸だなぁ・・・とか思ったりします。  まあ、繰り返しになりますが、進化論に対する疑問が宗教的な理由でないのならば、これらの本を少しずつでも読まれることをお奨めします。進化論が何を言っているのか、を知らないのに否定することなんてできないでしょう。  例えば、 >人間と猿は別と思います  これは私もまったくもってそのとおりだと思います。120%同意しますよ。  ヒトは現在のチンパンジーやボノボとの共通祖先から進化した、と進化論では言われているわけで、その共通祖先はヒトとはもちろん、現在のチンパンジーやボノボとも「別物」です。ですから、「ヒトとサルは別」というのは、進化論を否定する"意思表示"にはならないわけです。ガチガチの進化論者も「うん、そのとおりだね」って言うだけですから。  私は獣医師でウイルスを専門にしているのですが、ウイルス学に限らず理系の学問というのは、素人に判りやすくしかも面白く説明するのはなかなか困難です。物理学の相対性理論や素粒子論などがその最たるものだと思いますが、そんな中で進化論は論旨の帰結が素人に理解しやすいところに落ちるからか、それともこの分野の学者達にその手の才能が亜ある人が多いからか、私のような素人が読んでも非常に大きな知的興奮を味わえる良書が多いです。ドーキンスの「利己的な遺伝子」なんて、原著論文は高等数学を駆使した難解そのものなのですが、これが一般向けの本になるとSF小説のように面白いですから。  せっかくですから、いろいろ読んでみると良いと思いますよ。

mkinoshita
質問者

お礼

詳しく教えていただいてありがとうございます! 進化論が人と猿を同じだと主張していないことがわかって安心しました。先日、米国の研究で、酒を飲む人の脳が飲まない人の脳に比べてかなり縮小しているという結果を発表していましたが・・・わりと簡単に短期間で脳が縮小するみたいですね・・すると拡大もするのかも・・と、思っています。 私の疑問は、猿と人間の心のちがいです。人間の心や感性は猿たちに比べようがないレベルだと思うのです・・・ 教えていただいた本は読んでみたいですが、視力が弱いのでなかなか本が読めません・・

  • tabi2007
  • ベストアンサー率10% (80/740)
回答No.4

>私は進化論は信じません。人間と猿は別と思います。 人間とサルは別物です。当然です。進化論も人間とサルは同じなんて一言も言っていません。 そのことは進化論を何ら否定しないどころか肯定すらします。

  • TTOS
  • ベストアンサー率40% (209/510)
回答No.2

体と無関係に「心」があるのですか? 大脳生理学や動物行動学などで認識や行動原理について探求されていると思います。それは進化論で説明されます。しかし体と切り離して心だけを考察することに生物学的な意味はないと思います。 ただしヒトの思考や行動の場合、身体的な進化だけでなく文化・社会の進化(変化)もあわせて考察すべきでしょう。芋を洗うニホンザルと洗わないニホンザルに生物学的な差がないように。

noname#75569
noname#75569
回答No.1

まず、心とは何か。 動物では、内臓を意味していた。が、 いつのまにか、人間の体の目に見えないものを意味するようになった。 上記を、みれば大体わかるかと。 特に、心の定義が、 まだ、定まってないのに、 進化云々言われても。 アリストテレスとかデカルトに、相談してみるといい。

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