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助詞の「へ」と「に」

助詞の「へ」と「に」は動作の帰着点としてどちらも使えることが多く、たとえば「箱根へ行く」と「箱根に行く」の両方が言えますが、「箱根への遠足」とは言えるのに「箱根にの遠足」と言えないように、「への」と言えて「にの」と言えないのはなぜでしょうか? 他の助詞で「へ」と「に」の一方にのみ接続できるものはないように思えますが…。

質問者が選んだベストアンサー

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  • frithjof
  • ベストアンサー率20% (4/20)
回答No.5

先ほど回答した者です。また広辞苑からですが・・・ 助詞『ヘ』は名詞『辺』から助詞化した語だそうです。 つまり、ほとり、あたり、はて、などの意味があったわけです。 『に』は昔から助詞として使用されていたらしいです。 ということは、同じ方向や目標地点を指す助詞でも、成り立ちが違います。 そこでこれは私の意見ですが、箱根への、とか、東京への、というときの『ヘ』には、昔の『辺』の意味が含まれているのではないでしょうか。 助詞『の』の使用のされ方が、『への』に変化していった過程で、 箱根辺の遊山、等ということから、箱根への遠足 という形に変化していったということは、考えられないでしょうか? 『に』と『ヘ』は、確かに同じように使用されることがありますが、その成り立ちが違うので、違った使用のされ方になったと考えてはいけないでしょうか? 日本語の文法は、英語やフランス語などと違って、決定的な決まりがなく、クラゲみたいにふにゃふにゃしているところがあって、いつも面白いなあと感じています。もちろん私は日本人です。

mide
質問者

お礼

なるほど、「へ」が「辺」から助詞化したものとすると、「に」と違って元々名詞だったので「の」が後続できたと納得できます。ありがとうございました。

その他の回答 (4)

  • frithjof
  • ベストアンサー率20% (4/20)
回答No.4

広辞苑をめくってみました。 助詞『の』の項に、 1.格助詞。1.連体格を示す。前の語句の内容を後の体言に付け加え、その体言の内容を限定する。現代語では『の』の前後の内容に場面の差がないときに使われ、その差があるときは『・・からの』『・・までの』のように、その差を示す語を補って使うが、古代後では場面から理解できれば『・・の』だけで使えた。 その中のエの項に、 ・・・『への』。 ・・『までの』。向かっていく時、所を示す。 源氏物語 若紫『朱雀院の行幸あるべし』 と記されていました。 ということで、昔は箱根の遠足と言っていたものを、現代語では箱根への遠足というようになったのでしょう。 つまり、助詞『に』でも『へ』でもなく、格助詞『の』の連帯格の、現代語での使用のされ方ということになり、 箱根にの遠足は、言えないことになるようです。 私も知らなかったので、おかげさまで少し賢く?なれました。 どうもありがとうございました。

mide
質問者

お礼

昔は「~への」でなく「~の」だったという興味深いお話、ありがとうございます。 昔は言わなかった「~への」「~からの」「~までの」が現代語で言うように変わってきたということですが、その際「~にの」が使えるようにならなかったのはなぜかとまだ疑問です。 他にも「の」の前に来ない助詞がありますが、それと文法的に関係があるのかどうか気になります。

  • Parismadam
  • ベストアンサー率65% (2756/4211)
回答No.3

はじめまして。 ご質問: <「への」と言えて「にの」と言えないのはなぜでしょうか?> 前者が「方向」を表すのに対し、後者が「帰着点」を表す格助詞だからです。 1.ご質問文で使われれている格助詞「の」は、「属性に関係する事柄」を表す用法です。つまり、「AのB」という場合、AはBの属性にあたります。 2.ここでは、Aは「目指す場所」という名詞として、「遠足」という名詞の属性になっています。つまり、「箱根」は「遠足」に属するもので、主役は「遠足」ということです。 3.「遠足」とは「遠い道のりを歩くこと」という動作を表します。この動作は、継続的な動作であって一時的な動作ではありません。 4.ここでは「箱根へ」という「方向」を表す助詞を使うことで、その方向に向かう道のりという幅広い距離感(=空間的移動)を感じさせ、その動作が継続的に続くことを暗示します。 それが、主役である名詞「遠足」(=遠い道のりを歩く)という、移動を示唆する継続的な動作と、波長が合うのです。 5.一方、「箱根に」は、帰着点を表す「に」を使うことによって、「箱根」が到着点になっています。ポイントが終着点にありますから、この助詞からは「継続的な動作」「そこに至るまでの距離感=空間的移動」を感じさせることができません。 それが、主役である「遠足=遠い道のりを歩く」という継続的な動作と、波長が合わないのです。 6.これが、同じ帰着点を含む「まで」という副助詞であれば、「空間的移動」「継続的動作」によって至り及ぶ限界点を示すことになりますから、継続のニュアンスがあるので違和感なく使うことができます。 例: 「箱根までの遠足」 「箱根までの距離」 7.それは別の観点から言えば、帰着点を表す名詞「到着」などには、方向を表す「へ」の使用は違和感があるということにもなります。 例: 「東京への出発」(O) 「東京への到着」(X)→「東京の到着」「東京到着」(O) 以上ご参考までに。

mide
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 1,2はその通りだと思います。 3,4については「遠足」でなくて「到着」とした場合、継続的な動作でなく一時的な動作となりますが、「~へ到着する」「~に到着する」は「へ」の方が少ないとはいえどちらも一般的に使われているようです。 また、「到着」は帰着点を表すので「に」と合うとしても、「の」を付けた「箱根にの到着」は、「箱根にの遠足」と同様に言えないと思います。「箱根にの到着」が言えないのは「箱根にの遠足」が言えないのと別な理由なのでしょうか。被修飾語の性質に関わらず「~にの」が言えないような気がするのですが。 「『~への到着』は違和感がありX」とのことですが、実際には多く使われているようです。 5ですが、「遠足」が継続的な動作なので「に」と波長が合わないとすると、「箱根にだけの遠足」「箱根にばかりの遠足」のように「だけ」や「ばかり」を挿入しても言えなくなりそうですが、実際は「~にだけの」「~にばかりの」はよく使われているようなので、どうも疑問が晴れません。

回答No.2

面白い質問ですね! わたしの思い込みかもしれませんが、「箱根に」の直後には「箱根へ」と言う/書くよりも「具体的な行為」を動詞として要求されるように感じます。よく「へ」と「に」の違いとして言われるのは「へ」は漠然とした方向性、「に」は具体的に何かをする、を受ける助詞、というものです。 それか、助詞の「にの」の組み合わせは「発音しにくいから」という理由により、伝統的に定着しなかったのかもしれないと思います。ナ行の連続は、他には「なに」「なぬ」「なの」など枚挙にいとまないので説得力には欠けるので恐縮ですが。

mide
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「へ」は漠然とした方向性、「に」は具体的に何かということはあるかもしれませんが、その意味の違いが「の」の後続を妨げる理由がまだ疑問です。 また、「箱根にの」が言えなくても「箱根にだけの」「箱根にばかりの」のように直接後続でない場合は言えるようなので、何か文法的な理由があるような気がするのですが。 「に」+「の」の発音上の言いにくさだとすると、「箱根にのみ」も避けられるはずですが、これは問題ないようですね。

回答No.1

慣れていないだけです。 「箱根にの遠足」も別におかしくはありません。

mide
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 おかしくないのかもしれませんが、おかしいと感じる人もいるようです。「箱根への」がよく使われ「箱根にの」がまず使われないのには、何か理由はないのでしょうか。

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