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カトリックとプロテスタント

kigurumiの回答

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回答No.5

No.3です。 閉めてないので、前回の返信内容について。 >まあ牧師さんの話ではサタンとは人に向かって話す >ものではなく「信仰を妨害するもの」「神に反するもの」 >にいう言葉で決して人に向かって言っているのではない >と聞いてなるほどと思いましたが。 サタンってヘブライ語では<敵対する者>という意味。 例えばディスカッションをする上で、全員同じ思想なら、進展(変化)はないですよね。 裸の王様ってあって、皆が王様は素敵な衣装を着ていて、馬鹿だけはそれが見えない と言われているので、皆本当は衣装など見えていないのに、素敵な衣装だと褒め称えた。 つっこんで「どんな衣装を着ているか」と個別に質問したらおもしろかったでしょうね。 回りがそういうから、自分もそう言う。それが波風立たない。 「見えていません」 と正直に言えない。 何故なら馬鹿だと思われたくないから。 ユダヤ教において、エリートの学校があったそうなんですね。 イエスは実在していませんでしたが、エリート学校は確かに存在していたそうです。 レビ族の子女が学んでおり、教師はアロン系の祭司だったそうです。 で、「らくだが穴を通るより、天の国に入るのは難しい」って言葉が聖書にありますでしょ? 英才教育のその学校では、ランクがあり、卒業間近いランクはらくだと呼ばれていたらしいです。 で、天の国ってのは、聖職者の中のトップクラスの人たちによって構成されていた。 「神の義のために迫害されたものは幸いなり。天の国は彼らのものなり」 となると、宣教して迫害された人たちは、死んだあと天国に行ける切符を手に入れられるような そんな印章をもちません? 殉教すれば、天国に間違いなく行けるような そんな気になりません? これはキリスト教の教理の1つです。 でも、実は「神の義を<追い求めるもの>は幸いなり。天の国は彼らによって構成されている」というのが本当の意味だとしたらどうでしょう。 神の義を追い求めたヨブは、とうとう神の前に立ちましたよね。 ユダヤ教のエリート学校を卒業したものは、将来のユダヤ教の幹部候補生。 彼らの中から天国を構成するものが出るわけです。 トップクラスの大衆者と呼ばれる12人だったような・・・・。 12人ですが、大衆者と呼ばれる。 だから聖書に大衆者という言葉が出てきたとき、多くの人たちという意味なのか、天使(天の国を構成する者たち)のことなのか、注意する必要がある。 で、卒業試験ってのがあって、審査をする人はサタン役になって、挑戦者に問答をふっかける。 イエスの荒れ野の修行でサタンと問答のやりとりをしましたが、あんな感じ。 サタン役の審査官から「よし」という合格を貰う返答ができなければ、卒業試験に失格となる。 この場合サタンとはディスかションする相手方のことですね。 「地位・名誉・財産など欲しくない」と言っただけでは不合格なわけです。 それがなんになろう という論法をもって試験管を唸らせないと符合買うになる。 恐らくその箇所は、この学校を出た人だったんじゃないか と。 もしかしたら、自分が受けた試験の問答内容を小説に書いたのかもしれないですね。 問答内用が外部に漏れたら、難易度が下がりますが・・・ 恐らく 受ける生徒によって内容は違ったのでしょうね。 >根は真面目で悪くはないと思いますよ。 だから怖いんですよ。 まるでロボットのように、命令する対象者がスイッチを切らない限り、それが正しいのか間違いなのか、自分の頭で判断せず、コマンドをなんのためらいもなく実行できてしまうので、恐ろしいんですよ。 そういう改造ロボットが。 そういう血の涙の無い、ロボット人間が。 それはキリスト教の歴史を見ればわかりますでしょ? ホロコーストでユダヤ人を殺していった人たちは、家に帰れば同じ年頃の子供を持つ優しい父親だった。 でも、コマンドを打ち込まれたら、実行してしまった。 <ミルグラム実験>でどうして真面目で善良な子供思いの男が、ユダヤ人をためらいもなく殺せたのかを検証しています。 >分からない事は分からないで良いと私は思うのです。 ですね。 ただ、信者になる人は、わからないけど、何かを信じたい という気持ちが強いんじゃないか と。 日本は宗教熱がほとんど無いですよね。 ある人はひきこもりで、 その人が言うには「この家には宗教が無い」だそうです。 括弧たる揺らぎの無いものが無いことが不安でしょうがないわけです。 選択肢が1つしかなければ、悩まなくてすむ。 だから、戦争が始まると、精神科は閑古鳥が鳴くそうです。 人は自由という牢獄に書せられている と誰か哲学者が言っていた。 人に「こういう道を歩きなさい やりなさい それがあなたの唯一の使命です。」とやることなすことを全部決めてもらえたら、ある意味楽でしょう。 全部 命令してもらって それを実行するだけでいい。 ロボット・・・・。 自分はロボットになりたい。 カトリックの方が選択肢が無いので、生き易いかもしれないですよ。 楽したかったら上の人が言う通りにやっていればいい。 選ぶことは無いので、迷う機会が無い。 1行目から順に実行をしていけばいいんです。 プロテスタントは、人によって捉え方が違ってもいい という結構ゆるい考えなので、自分は聖書のこの箇所はこう読みとる と言ってもいい。 でも、違う読み方をする人と相容れないので、どっちが正しいのか、相手が正しく自分の理解が間違えているのか 不安になるんじゃないか と。 今 どれくらいキリスト教派閥があるんでしょうね。 でも2千年ほど前は、今とは比べ物にならないくらい 沢山の種類があったそうです。 それぞれがこれがイエスの言った言葉と主張した。 その多様性を容認できなかった人が、新約聖書を作ったんです。 たった一つだけの解釈にして、他を殲滅するために、聖書という核兵器を作った。 これが新約聖書ができた理由。 人を幸福にするために造ったのではなく、自分以外の思想の人を根絶するために作った。 ところがその作った人も異端として迫害されちゃった。 3人が主な編纂者ですが、そのうちの少なくとも1人は異端としてのちに迫害されたと記憶しています。 自分の作った爆弾でまさか自分が死ぬなんて・・・・ ねぇ。 というわけで、新約聖書は初期の教父が作ったんです。 文章を作るにあったって、あっちこっちから文節を取り 繋ぎ合わせて作ったわけですが、山上の説教あたりでも、編纂間違いがあるらしいです。 どっか他のところにあった文節を、山上の説教の中に間違えて入れちゃって、文節全体の意味が違うことを示すようになってしまった。 まあ 人間が作るので、間違いは起こりうるわけです。 が、その間違えを真実だと教えるってのは。。。。 レシピが違うから、当然 できませんよね? で、恐らく元の内容はヘブライ語で伝わっていたと思うんですね。 だから もし文章化していたら、どっかから将来出てくる可能性もある。 原文が。 でも、新約聖書を作り押し薦める際に、偽物として他の福音書とともに焼かれてしまった可能性もある。 ユダヤ教では例え偽物という疑いがあるものでも、神のことについて書いてあるものは燃やしてはならない となっているんです。 キリスト教は燃やしちゃった・・・・ orz・・・・。 その命令があったとき、アレクサンドリアの教会の人が、ひそかに対象もものを隠しただろう ってのが、ナグ・ハマディー写本。 グノーシスの文章だから偽物 とキリスト教は言ってますけど、キリスト教自体がグノーシス思想。 ユダヤ教からすれば冒涜の思想。 新約聖書のイエスの言葉って、ユダヤ教で既に言われてきたものばかりなんですね。 なんら新しいものは無い。 だから、旧約聖書を読めばイエス作家の言っていることがわかる。 あの当時 今のように印刷技術は無いので、ユダヤ教の英才教区を施された学生とか、聖職者のみが、後に聖書となる文章を読めたと思うんですね。 ということは、イエスの言葉はユダヤ聖書の中にあるってことだから、イエス作家は、聖職者 もしかしたら、大衆者の1人だったかもしれないですね。 もちろん文章にしたのは写字生でしょうけど、写字生も神学に熟練していなければ、文字を書けないので、ユダヤ教エリートたちの作品かもしれません。 ま その人たちの作品を読むわけですから、何十年もかかって理解を深める人によって作られたものを、数年で理解するってのは無謀だとは思いますが、、、、 というわけで、私は冒険物語として捉えています。 こんなこと 実際あった怖いです。 あくまで創作文学だからと思っているから読める。 なんだっけ? こんな感じの文章だったような。 「私が救いに来たとおもっておるのか。そうではない。火を放ちにきたのだ。既に火が放たれて審判がされていた後ならどんなによかったことか」 みたいなことイエスに語らせていますよね。 死刑執行人? って感じ? 「諍いをもたらしにきた」とかも言ってますでしょ? キリスト教の言い方をすればイエスは悪魔 笑。 創作文学だと知っているから読めるんです。

keukegen
質問者

お礼

kigurumiさんの知識には舌を巻きます。 私はまだこれからですね。 ただロボットの話やナチスの話を聞くと 貴方は本当に優しい人なのですね。 頭の回転が良すぎる感じがします。 でも本当に勉強になりました。 貴方の意見が今後の私の思想に確実に 影響を与える事は確かです。 何か褒めちぎる言い方をしました。 この様な表現も貴方にとっては不本意でしょう。 貴方の言う創作文学・・・聖書は確かに 人の手垢にまみれている事は確かかもしれません。 イエスなる人物も存在していなかったかもしれません。 ただ私は遠藤周作氏の 99%の疑いがあっても1%の希望 という言葉を信じたいです。 あぁやはりクリスチャンなんて!と思うかもしれませんが それが「信仰」なのです。 「信仰」とは決して本人が目で確認した事ではありませんよね。 ですからkigurumiさんの意見に反論する術は私にはありません。 目に見えてそれが確認出来きるのであれば 現在ではそれは「事実」でしょう。 又今で言う科学や物理現象でしょう。 出来ないから「信仰」なのです。 いや確かにその「信仰」が大きな不幸を起こしてきた 事もあるかもしれません。 でも開き直って言えばそれが「人間」なのかもしれません。 でも「信仰」に関係なく結局人間は残酷ですよね。 戦場では宗教家だろうが無心論者だろうが自分が生きる為 に人を平気で殺すかもしれません。 ですからそれはオウムだろうがキリスト者だろうが 無心論者だろうが同じです。 kigurimiさんにはこの様な長い回答を頂き感謝しています。 何か最後は反論みたいになってしまいましたが正直 な気持ちです。 しかし、聖書は創作で矛盾に満ちているかもしれないが そこに「一つの真理」を自分の直感にのみ感じる者が キリスト者になるのでしょう。 それは良い事でも悪い事でもありません。 貴重な時間を使って頂き本当にありがとうございました。

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