• ベストアンサー

わたしのキリスト教史の理解は正しい?

mirokubosatsuの回答

回答No.15

もう既に色々な方が回答されておりますので、補足的に参考文献など・・・ カトリック寄りの文献になりますが  上智大学中性思想研究所編集/監修『キリスト教史1~11』 この本はわりと学術的ですが、読みやすいとは思います。 カトリックの教会史ですが、プロテスタントや正教会にも触れられてはいます。 また、学術書ですから偏見は少ないでしょう。 カトリック以外は全部異端…と言ったような感覚では書かれていません(笑) そう言う時期のことについても書かれてはいますが歴史についてなので、 批判や反省が足りないと思われるかもしれません。 とても膨大ですし、お値段も高いですが、おすすめです。 まあ、神学を学んでいても全巻そろえようとは、なかなか思わないのですが(笑) ともあれ、一度は図書館等で借りて読まれると良いのではないでしょうか。 また、キリスト教関係の学術書をお探しでしたら、 銀座にある教文館がおすすめです。(和光のそばです) 参考にしていただければ幸いです。 では、実り多き待降節になりますように

binbou-yusuri
質問者

お礼

 お答え戴きありがとうございます。    あれ? 56億年後に現れるはずなのに、今回はお忍びでお立ち寄り戴き感謝です。(^^)/    そうですね。ネット上で各宗派に関係するホームページなどに行ってみると、それぞれについて詳しくし紹介されているものがありますが、やはり特定の宗派に属する立場からの表現が多く、他を批判したり歪曲されていたりするので少々問題でした。確かに学術書なら偏りが少なく、より客観的な理解が可能でしょうね。しかし、学術書って難しそう・・・凡人にも解かるんかなぁ。  一度、図書館にも足を運んでみます。弥勒さんも実り多き待降節でありますように ←あれッ? 異教徒文化では? いやいや、いいんですよね。そもそも異教徒という発想が問題なのかも知れないのですから(またどなたかにお叱りを受けそう・・・)。  またこれを機に宜しくお願い致します。    ありがとうございました。

関連するQ&A

  • キリスト教について教えてください。

    最近、新約聖書を人からもらって読んでいるのですが、疑問がいくつかあるので教えてください。 イエス・キリストが説いた教えと従来のユダヤ教との違いは何だったのでしょうか。 イエス・キリストが亡くなるとき神よなぜ私を見捨てたのですかと言ったということですが、 イエスは磔刑になったときに神が助けてくれると思っていたということでしょうか。 なぜ聖書にいわゆる神の子であるイエス・キリストが神に見捨てられたという、彼を否定するようなエピソード が残されたのか疑問に感じました。 また新約聖書が編纂されたのはキリストの死後100年後という話ですが、なぜ編纂者は内容が重複しているような話を なんども掲載したのでしょうか。 イエス・キリストは死後3日後に復活して、その後しばらく弟子と過ごしたということですが、イエス・キリストを 裁いた人々がコノヤローまだ生きてたのかっ!ということにはならなかったのでしょうか。 最近バチカンとロシアの正教会が和解したというニュースがありましたが、なぜ対立していたのでしょうか。 質問多数ですが、どうかよろしくお願いいたします。

  • キリスト教についての質問です

    私はキリストや神を信じ、キリスト教の教えを信じて生きてきました。 しかし、私は洗礼を受けておらず、(聖餐はもちろん遠慮しております)礼拝なども数回しか行っておりません。 しかし聖書は読みましたし、結婚式も協会で行おうと考えております。 最近不安になってきたのですが、こんな洗礼を受けて居ない私でも神は啓展の民と認めて下さるのでしょうか?また、その場合はどのような宗派に分類されるのでしょうか? 一人で悩んでいます。ご回答を頂けると嬉しいです。

  • キリスト教の新約聖書に、イエス・キリストはバプテスマのヨハネから洗礼(

    キリスト教の新約聖書に、イエス・キリストはバプテスマのヨハネから洗礼(バプテスマ)を受けたとされます。それが神様の御心だったと言われています。そのヨハネは、キリスト以前にも人々に悔い改めの洗礼バプテスマ)を授けたとされます。ではヨハネは誰の権威で、誰に依って、何時バプテスマを受けたのでしょうか? 聖書にそれに関する記述を見たことがありません。分かる方が居られたら教えて下さい。

  • キリスト教と仏教の教典

    キリスト教も仏教もそれぞれ宗派がありますが、キリスト教は宗派が違っても聖書とゆう同じ教典がありますが、仏教は宗派ごとに教典があるように思えます。 法事などに参加しても、父方のお経と母方のお経が違うし知人のところのお経もまた違うお経です。 宗教に無知なぼくから見れば、キリストの教えが聖書。では釈迦の教えはどれ?となって考えが飛躍して仏教はバラバラの教典をよりどころにしているから、仏教とゆうひとくくりの表現は間違いではないかと思ってしまいます。 教えてほしいことは、キリスト教の教典は各宗派とも同じ聖書を教典としているのでしょうか。 それと、仏教には何々経、何々経といろいろなお経がありますが、全て釈迦が教えたお経なのでしょうか。 そしてどのお経が釈迦の教えの真髄なのでしょうか。 教えてください

  • キリスト教の予定説について

    キリスト教には、救われる人間とそうでない人間が、神によってあらかじめ決められているという説があると聞きますが、それは新約聖書のどの部分がそのように解釈されているのでしょうか。 私も一度は聖書を読んだ者ですが、そのような箇所は思い出せません。 詳しい方がいらっしゃいましたら、具体的な書名と章と節の番号を教えていただきたいと思います。 どうぞよろしくお願いいたします。

  • キリストとパウロの女性観について教えてください

    新約聖書の一部分を見ると、パウロの女性蔑視ととれるような記述が見られるのですが、これらの女性観はキリストの教えに基づくものなのでしょうか? キリストの女性観を示す記述などもあれば教えていただきたいです。 お願いいたします。

  • キリスト教を信じたいのに

    こんにちは。迷える子羊です。暴れ羊です。 以前、深夜テンションで頭がカーッと熱くなり、以下のような宗教に対する攻撃を加えそうになりました。 以下その質問文です。 -------------------------------------------------------------------- 牧師先生に質問です。 まず、イエス様と神が教えのリソースの大本です。             ↓ その出来事を、その場で体験した人間が『当時の自分たちの言葉で』書き記しました。             ↓ イエス様がおそらく天に昇られた後、書き記した書物を訂正する本人がいないので、書き写しを繰り返して人々の間に広まりました。             ↓ ですが、当然多様な国に属する人々が理解するには、自前の言葉で理解する必要が出てきます。ですから、「翻訳」をしました。             ↓ そして神様の教えが素晴らしいと思う人は今も昔もたくさんいたことでしょう。ですから、「翻訳ミス」だけでなく、本来の神の教えを「誇張」して伝えた大バカ者がいるはずです。長い歴史の間で、一度もなかったと考えるのは現実的ではありません。             ↓ さらに教条を勝手にでっち上げ、偽典を作ったものもいます。そのうえ、今は亡き正典を勝手に「改ざん」して欠陥のある教典にしたものもあるはずです。             ↓ さらにここに拍車をかけるように、歪んで伝わった神の教えを究極至高のモノと大勘違いした当時の聖職者たちが、ニケ―ア公会議でイエスキリストを神とする「ことにした」ことは、ご存知の通りだと思います。              ここで突っ込みが入ります。 あるキリスト教徒の方に、ニケ―ア公会議のことについて教えていただいたことがありました。 説明曰く、「キリスト教を司る偉い方々がイエス様を神様だと判断したんだよ」といいます。 オイオイ、エライ奴というのは権力に首までどっぷりだろ。聖職者やっているからって、罪人でしかない、しかも聖書の原典に従って生きているわけでもない奴らが勝手に決めちゃダメだろ!! 別宗教の方に言わせれば、「そのほうが宗教としてやりやすかったんだろうね」とのこと。罪びとがやりそうなことです。 先に述べた「ニュアンスや言語性の違いによる翻訳ミス」や、「書写の繰り返しによる記述ミス」や、「聖書至上主義者による誇張」や、「異端者による教条の捏造」で、原始教会時代は様々な写本が流布していたそうですね。 その混沌に終止符を打つために、キリスト教の定義を定めた人がいます。 さて、ここで質問です。 「その定義、どこから来ました?」 神学だって、一介の罪びとたちが頭を突き合わせて勝手に「今伝わっている聖書」から「勝手に解釈したもの」でしょ? 聖書が本来どのような内容だったかも怪しいのに、「聖書に書かれていることは神のみ言葉だから完全無欠だ」なんて、笑止千万です。 そんなの、「神様やイエス様はこうあってほしい」という妄想じゃないですか。 オリジナルをどこまで追っても、一例をあげればせいぜい死海文書どまりです。それだって写本ですし、どうして完璧だなんて言えるのですか? そもそも西洋の歴史は、キリスト教が支配する世界から脱却するための歩みでした。 聖書原理主義者。彼ら、今でもテロ行為やって社会問題起こしてますよね? あと今までには見られなかった記述があったのではないかと噂される死海文書だって、バチカン大図書館の禁書庫に秘密裏に隔離されているって噂じゃないですか。あの市国の周りには、憶測とはいえ黒いゴシップが絶えないんですよ? カトリックが腐敗している以上、その総本山がどうかなんて、言わずとも知れたことですよね? それに、原始教会時代に焚書された写本の中に、正伝が混じっていないと本当に言えますか? たとえ焚書されるような内容だったとしても、それらの原典が本当に正伝ではないといえますか? であるならば、聖書やイスラエル民族史単体の視点で神のみ心にかなおうとするのは、いささか盲目的とは言えませんか? その愚昧さで、どれだけのものを踏みにじり続ければ気が済むのですか? いいですよね。身内から売国奴が出ようが戦犯者が出ようが思想犯が出ようが、悪魔にそそのかされたそいつと自分は関係ないって言い張れますものね? 何なら、キリスト教がもとで起きた災いを列挙しましょうか? キリスト教がもとで、何回宗教戦争が起きて人が死にましたか? 本当に隣人愛を実行するなら、神道の「自分が一番だけど、その分リーダーとしてボク頑張る!ほかのみんなも一緒にがんばろ!」という謙虚さを見習ったらどうですか? どうもその辺りが傲慢だと思うのです。 未だに教会は、仏教や中国哲学を邪で、かつ宗教と勘違いしてますものね? 何が偶像崇拝に傾倒している愚か者ですか。思い上がりも甚だしい。 こんな調子じゃ、神の恵みの初穂に預かりたくても信じられないじゃないですか。 「原罪だから仕方ない」でごまかさず、きちんとお答えください。 ------------------------------------------ 見るに堪えなくてすみません……。 クリスチャンにはなりたいのですが、教会への不信感と教会史の血なまぐささと、聖書に対して硬直的な向き合い方をしている福音主義の方が嫌で、どうしても信じられないんです。 あと、聖書の歴史的文献としての信ぴょう性が、どう理性的に考えてもどれも怪しいものばかりで、素直に受け入れたくないのです。 この葛藤を乗り越えるにはどうしたらいいですか?

  • キリストの最期の言葉

    キリストの最期の言葉とされる"Eli eli lama sabachthani" (マタイ27)には強烈な疑問を抱いてしまいます。なぜなら、彼自身が神の子で絶対的な信仰を神に対して持っていなければならないはずなのに、最期に彼は神の行い、彼の運命(Providence)に対して強烈な疑いの叫びを発したからです。 人々に神への絶対の信仰を説く根本たる聖書にこのような記述がある、というのは私には理解の到底およばないことです。聖書を読んでいてキリスト教の信者はこのような疑問は持たないのでしょうか? キリスト教でこのようなことは多くの人にどう理解されているのでしょうか?

  • キリスト教とヒューマニズムの関係について教えてください

    キリスト教の「神を愛し隣人を愛しなさい」という教えの「隣人」というのはキリスト教徒のことを指していますよね。 キリスト教徒にはナイチンゲールやマザーテレサをはじめとする献身的な人々がいますが十字軍遠征やアフリカの奴隷貿易やネイティブアメリカンの虐殺など異教徒や無信仰な人々に対して残忍な歴史があったのも事実です。 キリスト教徒の中には慈善活動をしている人たちがたくさんいますがヒューマニズム(人間主義)は神の命令のみに生きるキリスト教の視点から見ると本来は異端であるということを聞いたのですがこれは本当でしょうか。 大学のレポートを作成していて気になりました。皆さんよろしくお願いします。

  • キリスト教の予定説

    キリスト教には予定説というのがあって、救われて死後に天国に行けるか、あるいは救われずに地獄に行くのかは、神様がすでに決めてあるという教義だと聞きましたが、こんなことは聖書のどこに書かれているのでしょうか? 一応新約聖書を通読してみましたが、どの部分がそのようなことを言っている部分なのかよくわかりません。 詳しい方、どうかよろしくお願いいたします。