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デカルトの心身二元論について
noname#63054の回答
コギト エル ゴ スム 我思うゆえに我あり これは、懐疑論の結論で、デカルトはそもそも自分すらこの世に 存在しないのでは?という疑問から哲学しちゃっているんだと 思いますよ。 ですから、心身二元論は、疑って疑って疑いつくした結果、どうも 意識というのは「あるんじゃないのかなぁ」みたいな感じだし 身体というものも「あると思っていいんじゃないかなぁ」という 感じだったんで この二つは、疑いなく「有る」というわけで、その場合 「我 思う」の「我」とは肉体の頭脳なのか「精神」のものか よくわからん。どっちも大事だから二元論になっちゃった。 そのむかしはタレスが万物の根源は水だ・・とか言っていたのに 比べればましな結論だといえますね。タレスは一元論。 インドの古代仏教は唯心論(唯識論)。これは意識が全てを想像する。 デカルト流に言えば「我 思う ゆえに世界あり」です。 我おもうゆえに「我(という身体)」ありというのが、デカルトですが 懐疑論は、そもそも思惟が世界を動かすという唯識論とは根本的に 相容れない。神から分離した近代哲学の孤独感を表していて興味深いです。 とにかく、恋人が浮気しているんじゃないかと疑うのと似たところが あって、それまでの哲学は、神様の慈愛を信じるがゆえに救われた ものが、俺は何者も信じないぞ。信じないことが神からの自立だ。 近代の精神だ。ということで、疑っていくと、唯識論的原理からは 「思考は実現する」わけで、結局デカルト君は恋人が浮気している 証拠を発見するはめになる。 これで、他人のことは疑えば疑った結果になるけど、どうも自分の ことは疑ってもはじまらんな。 そういう結論になったということです。 自分が浮気しているんじゃないかと疑ったところで、自分が一番 よく知っている。一方「浮気したいなぁ」と「我思えば」脳が勝手な 妄想をはじめる。 うーん、やっぱり疑う余地がないのは、我と我が助平心だけだなと。
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