• 締切済み

哲学好きはうつ病にならない

哲学好きはうつ病にならないと思いますがどうでしょう。 転じて、うつ病予防に哲学は有効だといえないでしょうか。

みんなの回答

  • odaigahara
  • ベストアンサー率20% (373/1832)
回答No.15

前半は、ある面あたっていると思います。  哲学好きには、孤独が好きな人も多いと思います。孤独に強い人は、うつ病になりにくいと私は思います。  しかし、哲学をやると予防になるとは思いません。

shift-2007
質問者

お礼

孤独とはなんぞやと問うことで孤独を理解しそれとともに生きることも可能じゃないでしょうか。それが哲学だと私は思います。 素質や環境からの影響というものはあると思いますが、それを超えてこそ人ではなかろうかと。 ご回答ありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • harepanda
  • ベストアンサー率30% (760/2474)
回答No.14

一般論からいえば、哲学者や文学者は、うつ病が多い部類に入ります。 哲学者は人により発想法がバラバラなので、哲学一般がうつ病予防に有効とは、到底思えません。 例えば、キルケゴールは、うつ病ではない人がうつ病とは何かを理解するのには有益な哲学者でしょう。しかし、うつ病の患者が読むと、逆に、ますますうつの深みにはまっていくと思われます。 ショーペンハウエルやニーチェは、読んでいるとうつ病予防になるどころか、「自分の努力が足りないのだ」という無茶を自らに強制し、結果として、ますますうつ病になる可能性を増やしそうです。 サルトルであれば、確かにうつ病予防になるでしょう。その代わり、他人を愚か者だと思うようになるという副作用が予想されます。 ヘーゲルは理論と現実は必ず一致するという確信を持っている人には、うつ病予防になるでしょう。しかし、ひとたびこの確信が通用しない世界に飛び込んでしまったら、うつ病はどこまでも深く進行していくことでしょう。 ブッダやマルクスは、誤った問題提起からは、誤った解答しか出てこないということを論じている点では、うつ病予防になるでしょう。しかし、自分の出発点が間違っていることに気がつかない人には、意味のない哲学です。

shift-2007
質問者

お礼

まぁブレーキの利かない哲学好きのうつ病患者はほっておきましょう 自分で何とかするでしょうし、哲学のためなら命も惜しくはないでしょうから。 ここではあくまで普通の人が対象なので。 ご回答ありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
noname#58770
noname#58770
回答No.13

哲学と言ってもたくさんあると思いますけど 私の場合はいつのまにか、宗教哲学をやらざるを得なくなったのですが なんというか 私は宗教が病気のようにしか思えないんですよね。 自身の内にあって理性を食い殺すようなそんな感じです。 哲学はそれを理性によって、言語によって この宗教という化け物を殺していく過程に思えます。 でも、化け物を殺してしまうと、殺した罪を背負って さらなる悪循環に陥ってしまいそうで。 どうにもこうにもいかない感じなんですよね。 どちらも自分の半身のようなものですから 自分殺しのようで。 病だけ悪化する感じで。苦しみがなくなるということは それだけ痛みも感じないほど病が深くなった可能性もありますし 快復に向かっている可能性もあります。 哲学は人を鬱にする可能性もあるし 鬱から人を救う可能性もあると両方のことが 言えるのではないでしょうか

shift-2007
質問者

お礼

>どちらも自分の半身のようなものですから なんかわかる気がしますね。 たとえば幽霊を極端に否定する人がいますが、それなら目に見えない愛や人の優しさも否定するのかしらと思います。 私なんか適当の極みですので、歌を演歌、R&B、POPだのと分類するのと同じように宗教、哲学、道徳、心理を分けることに意味があるのかなと思います。それをメシの種にしている人たちには申し訳ないのですが。 質問の、哲学という言葉で一括りにしたのは失敗だったような気がしてきました。 ご回答ありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • ri-zyu
  • ベストアンサー率30% (184/611)
回答No.12

もう書き込まないと思ったのですが。 精神科医の先生でうつ病になった方がいます本人が書いた本ですが。たしか題名は「うつ病になった精神科医」だったと思います。 ノイローゼになった精神科医も知ってます、この方の場合は重度の精神病患者と接していると自分もおかしく成るのではないかとの不安で仕事が出来なく成ったそうです。 有る精神科医ですが、うつ病に成る人はなる、ノイローゼになる人は成ると読んだ事があります。その精神科医でしたか忘れましたが、精神医学でも心理学でも学と付くものは自分を救うには役に立たないと(実際専門化が精神疾患に成ってるのですから)。 哲学も精神医学も心理学も自分を救うのには役に立たないのかも知れません。 勿論、他人を救うのには役に立つのでしょうが。 基本的に自分の力で成ったのでなく自分の力で治るものではないのではないでしょうか?心は絶対他力で生活の問題は自力 勿論うつ病となると病気の範囲でしょうから他力だけではすみません。 専門の先生に掛かる薬等も服用し治療が必要だと思います。 なんとなく判って頂ければ幸いです。

shift-2007
質問者

お礼

>他人を救うのには役に立つが、自分を救うのには役に立たない。 公案みたいですね。 これって禅(不立文字)にとっての言葉や文字の役割と同じことなんですかね。 >自分の力で治るものではないのではないでしょうか? そうだとしても病気になったのは間違いなく本人の考え方が原因だと思います。 なので、治療というよりは予防という意味で哲学が有効なのではないだろうかと思います。 なんとなくおっしゃりたいことはわかるのですが、ri-zyuさんが言われている『自分を救う』といのはたぶんもっと上のレベルの話だと思います。 それに比べれば私の言っているのはどちらかというと人生哲学みたいなものですので。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • tyr134
  • ベストアンサー率51% (851/1656)
回答No.11

有名な哲学者でも、「うつ病だった(可能性が高い)」人物は沢山いますよ。 一番有名なのは、ニーチェとキルケゴールでしょうか。 他にもJ.s.ミルとかもうつ病に掛かった事があるみたいです。 いかは、哲学者じゃないけど有名どころは、ミケランジェロ、チャーチル、ヘミングウェイ、トルストイ、島尾敏雄、梶井基次郎などなど、、、。 結構、思想家や「哲学をする」人にうつ病の人は多いです。 もちろん、「うつ病」という病気が分ってきたのは、戦後に心理学や脳科学が発達してからです。 なんで、かれら過去の偉大な人たちの「うつ病説」は、伝えられたエピーソードなどから類推して、「うつ病の可能性が高いだろう」という仮説です。 ただ、いろんな精神科医や心理学者が指摘しています。 ただし、、、 通説なのか迷説なのかは、確認出来ていませんが、「哲学者は自殺をしない。反面、思想的な作家は自殺をする。」と言われます。 確かに、「絶望」に関して考察したキルケゴールも、狂気に取憑かれたといわれるニーチェも自殺でなく病没ですね。 反面、芥川龍之介やらヘミングウェイやら結構自殺した作家って多いですよね。 まぁ、昔受けた講義で大学教授が言ってた事なんで、裏は取れてませんが。

shift-2007
質問者

お礼

うつ病の哲学者は自分で何とかするでしょうからほって置きましょう。 問題解決の方法をうまく提示できるか、その一点だけなのかもしれません。 ご回答ありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • ritsu666
  • ベストアンサー率50% (8/16)
回答No.10

何だか質問者様は「哲学はうつ予防に有効である」という答えを持っていらっしゃって、それを他の人に訴えたいだけのように見えるので、ムダっぽいですが最後に「私の経験」を書きますね。 これは経験ですから、否定されても困ります。 私は客観というものが理解できず悩んでいたので、抑うつ状態になりかけの時にカントの純粋理性批判の入門書を読んでいました。 でも、わからなくなるのです。自分が思い込んでしまっている思考と異なる展開についていけなくなりました。 私の学力は一般より高い方です。専門は哲学ではありませんが、一応大学院も出ています。 だから元々理解力が足りなくてそのような事態に陥ったわけではありません。 思考に柔軟性がなくなり、抑うつ状態に陥る。 それは哲学をしているからといって防げるものではありませんでした。 これが質問に対する私の答えです。 哲学しましょうと言われてもそれすらできなくなるのがうつ病(抑うつ状態)の現実です。 もちろん全てのケースにおいてそうだと断言するつもりはありません。 ただ、このような現実があることを少しは理解していただきたい。

shift-2007
質問者

お礼

なるほどです、ご回答ありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • magga
  • ベストアンサー率15% (56/359)
回答No.9

テーラワーダ仏教を学んでいるものです。 他の哲学は解りませんが。 サンガ出版の「仏法」のような、論理的・道徳的・理性的・実証的なものかを重要視する哲学ならどのようなものでも、妄想概念を膨らませることなく実践に映れると思うので、有効な面もあると思います。 慈悲喜捨の心を育てる「慈悲の瞑想」や、妄想を抱かないでありのままを観るための訓練「ヴィパッサナー冥想」なども同じく有効だと感じています。 逆に妄想を膨らませたり、自分や他人を非難したり、圧力をかけたりする類のものは危険なものとなる可能性が出てくる気がします。 生きとし生けるものが幸せでありますように。

shift-2007
質問者

お礼

哲学も宗教も色々でしょうからすべてが有効とはならないでしょうね。 心理的な逃避の手段として使われたら危険この上ないでしょうから。 正しく考えるということが重要なのでしょう。 ご回答ありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • ri-zyu
  • ベストアンサー率30% (184/611)
回答No.8

なんどのなんどもすいません。これで止めときます。 > たとえば仏教思想って哲学じゃないんですか。 仏教思想或は仏教哲学これは学問体系としては素晴らしいです。でも仏教の本質は仏教哲学思想の中にはないです。 西田幾多郎先生の善の研究でしたか、仏教(禅)を思想体系付けたものですが、禅は不立文字(理屈でない・無分別)と言いながら思想体系付(理屈で組み立てる)けています、矛盾です。 生死・心の問題も矛盾は矛盾のままで解消かもしれません。 なんどもなんども失礼しました、哲学を否定している訳ではないです。

shift-2007
質問者

お礼

禅もたくさんの宗派が存在しているようで、禅ですら矛盾を含んじゃっているんじゃないのかしらと超門外漢は思ってしまいます。 私は理屈には理屈の役割があり、それは悟りとは無関係ではないと思っているんですが、まぁそのうち自分自身でそれを見出すことにいたします。 ご回答ありがとうございます。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • ri-zyu
  • ベストアンサー率30% (184/611)
回答No.7

なんどもすいません。 智・分別・思案・理屈を使うのは外の事だと思います、他人を救う、医学、科学、仕事の工夫。 自分を救うのに智・分別・思案・理屈をは有害です。 生活の中の工夫の中にこそ救いが有ると思います。

shift-2007
質問者

お礼

仰ることはなんとなくわかります。 私としてはメンタルヘルスのカテゴリに書き込みをしている 人たちに何とかその突破口を開いてほしいという気持ちからです。 その先の自分を救うことについては次のステップとしませんか。 ご回答ありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • ri-zyu
  • ベストアンサー率30% (184/611)
回答No.6

ON2です。 心の中で理想と現実は離れる様に出来ていますよ(人は不安に成るように)。 一時的に(一元)安心、になっても必ず離れます。 悟とは不安安心の底を観る物だと思います、これは智・分別・思案・理屈でなく、思考停止(無分別の分別) 哲学は分別ですから、分別では不安・安心  生死の問題は解決付かないと思います。分別は理想現実はなれる様に出来てますから。 内見るは煩悩なり外見るは悟なり。 内見る、思案(自分を救おうとする)は精神衛生には、逆に良くないと思います(危険)。

shift-2007
質問者

お礼

たとえば仏教思想って哲学じゃないんですか。 哲学とは宗教とは何ぞやといわれても正直返答に困るのです。 自分に都合のいいように解釈していますので、専門家から見るとふざけんなと言われかねませんがそこら辺はご容赦ください。 救われるのであれば何でもありです。 ご回答ありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • うつ病と哲学について

    現代病の一つとしてうつ病がありますが、そのうつ病の予防方法として哲学するのは有効ではないでしょうか。 うつ病の方々は自分自身に対する客観性が今ひとつ欠けているように思われます。誰でもそういうところはあるのですが、自分に振り回されすぎる傾向があり、気がつくと普段の生活にも支障がでるほど重症化してしまった。というように見受けられるのです。 このカテの住人?の方はうつ病とはあまり縁がなさそうにも思います。哲学しすぎてうつ病になったという方はその経緯などを教えていただけいないでしょうか。 重症化してしまったら医学の手を借りなければいけませんが、予防方法として哲学は有効だと思うのです、哲学とはなんぞやというのはちょっと脇に置いといて、心理も含め広い意味でということでお願いします。

  • 哲学しすぎて鬱病になったんですが…

    少し長くなります。 僕は高校時代、宗教にハマり、その反動から大学ではニーチェなどに傾倒して哲学書を自己流に読み漁りました。 大学では理系にいたのですが、哲学趣味が高じて卒業後は文学部哲学科に学士入学をしたいと強く考えるようになりました。しかし、親の反対や、哲学という学問としての不毛さを考えるにあたり、去年の夏(四回生)、周囲に流されるまま理系の大学院を受験することとなりました。 その際、将来を悩むあまりノイローゼになりつつ死ぬ気で勉強した僕は、入試が終わった次の日に急に、人生はなんて無意味なんだ…というネガティブな感情や漠然とした不安に急に襲われました。あの時はただひたすら時間が過ぎるのを待つしかできず、何をしていても死ぬのが怖いという感情しか持つことができませんでした。 冬まで我慢しても状況はよくならなかったので、病院に行ったところ鬱病と診断されました。薬のおかげでなんとか最近は、快の感情も感じられるようになったのでした。 しかしついさっき、去年の夏に鬱病を発病した瞬間がフラッシュバックしてきて、今にも押しつぶされそうになりました。 今現在、その感覚を紛らわすために質問を書いています。 単に蒸し暑くて去年を思い出したせいか、はたまた昼に読んだ、中島義道さんの『カイン』のせいか。 この感情が続くのなら様子を見てまた病院に行こうと思います。 うーん、結局何が言いたいのか自分でもわからなくなってきました。 つまり、皆さんは哲学的に悩みまくって、すごく虚無的な気分を感じたりすることはありませんか?そのときは何を思って気分転換していますか? 僕は、哲学の本なんて手を出すんじゃなかったと思ってしまうんですが、哲学をやってよかったことがあれば教えてください。

  • 哲学はウツの治療に役立つか

    哲学者に自殺者は少ないという話をたまに聞きます。 Wikiで調べると確かに少数派のようです。 理由はこのカテではいわずもがなという気がしますので省略するとして、 哲学者に自殺者が少ないなら哲学がうつ病の治療に役立つのではないでしょうか。 うつ病の人たちの多くは「希死念慮」、「自殺願望」を持っています。 哲学者が自殺しないなら、哲学はうつ病に対して効果があると言えないでしょうか。 正直、メンタル面で問題がある人は「哲学」を持っている人が少ないように感じています。

  • ストレス時代による神経症・うつ病は宗教、哲学で良く成りうるか

    神経症・うつ病は医療を受けても中々全快しないという事を、お聞きするのですが、宗教、哲学が治療の糧になり得るとするならば、どういうと所でしょうか。

  • 哲学はウツの治療に役立つか

    哲学者に自殺者は少ないという話をたまに聞きます。 Wikiで調べると確かに少数派のようです。 理由は簡単で理性的にモノを考えることが癖でライフスタイルにさえなっているからです。 うつ病の人たちの多くは「希死念慮」、「自殺願望」を持っています。 哲学者に自殺者が少ないなら哲学がうつ病の治療に役立つのではないでしょうか。 自殺しなくなるのはもちろん、その先の人生においても哲学は有用であるはずです。 正直、メンタル面で問題がある人は「哲学」を持っている人が少ないように感じています。 万人に効果があるとは言いません。 しかし効果がある人がいるなら良しとします。 当事者の皆さんはどう考えるでしょうか。

  • 哲学らしい哲学って、どんなものだと思いますか?

          本を読んでいたら「これこそ哲学らしい哲学あり方だ…云々」という一説があったのですが、じゃあ、哲学らしい哲学って一体なんだと考えてみるとよくわかりません。 カントやへーゲルのイメージなのか、詭弁的空想をさすのか形而上学をさすのか、それ以外なのか。 どう思われますか?

  • 「哲学」を安易に使いすぎ?

    よく、投資の哲学とか、 経営の哲学とか、 遊びの哲学とか、 宗教の哲学とか、 政治の哲学とか、 ○○の哲学という言葉が世の中に氾濫していると思うのですが どうでしょうか? 哲学=思想 なのでしょうか? 皆様の意見をお聞きしたいです。

  • 哲学について

    今大学で哲学を学んでいます。昔から、哲学には興味があり、いろんな本を読んだりしていました。 だけどこの前、教授から哲学を学んでいる意義はなにかと聞かれたけどわかりませんでした。 哲学を学んでいる人は哲学を学んでいる意義とはどんなものなのか教えてください。お願いします!

  • 宗教的視点と哲学的思考

    薬を飲んでも治らないなら、うつ病の原因は心理的なものだと考えるのは妥当な考えだと思われないでしょうか。 ある日突然うつ病になったわけではなく、心理的なストレスと不安の蓄積が今のうつ病と診断されるにいたる経緯ではないでしょうか。 学者の言う脳内のセロトニンがどうのと言うのは結果論であって、始めは心理的な要因だったはずです。 ですから、薬でストレスや不安をどうにかしようというのは極限状態にある人に対しては良しとしても、通常の治療方法として正しいとは思えません。 うつ病の原因は自分自身に対する無理解と思います。 同じストレスを感じても人によってその受け止め方が違います。 受け止め方が下手な人がうつ病患者には多いだろうと思います。 極端に自分をのは正しい思考とは言えません。 そういう自分自身の思考を自覚し修正する作業が必要なのではないでしょうか。 これはうつ病に限らず、どんな人にも言えることです。 自分自身を理解するために必要な道具が宗教と哲学だと思います。 宗教的視点と哲学的思考が生きる上でどんな人にも必要なのではないでしょうか。 古い手法ではありますが、今のところ宗教的と哲学的がうつ病を治す唯一の方法だと思います。 宗教的視点と哲学的思考なんてうつ病患者には無理だという意見もあるでしょうが、 他人が治せる病気ではないのは明らかです。 自分を理解することに遅いは無いはずです。 皆さんはどう考えるでしょうか。

  • 哲学ってなに?

    宗教は、迷える子羊を救うこと。 哲学は、迷える自分を救うこと。 では、ないでしょうか? しかし、宗教は現実には、迷える子羊を更に迷わし、集め、子羊たちの血を搾り取っている。 哲学は過去の哲学者も、現在の哲学者も、殆どが自分独特の哲学的思想を持っている。 自分だけに合った哲学が特に現在は多いのではないでしょうか? ですから、巷の哲学者が何を言っているのか理解できないことが多いのではないでしょうか? 哲学って何かの答えも哲学者ごとに違うのではないでしょうか? 私のこの考え間違っていますか? これを読んでいる宗教関係者、哲学関係者の方は例外ですので、該当しません、悪しからず。

このQ&Aのポイント
  • HL-L3230CDWの印刷不良や定着不良について相談です。ドラムを交換しても定着が悪く、印字がずれて重なってしまいます。
  • また、今は黒い縦線が印刷されています。ドラムの交換や掃除を試しましたが改善されません。
  • お使いの環境はWindowsで無線LAN接続、光の電話回線を使用しています。関連するソフトやアプリは特にありません。
回答を見る