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(キリスト教)自由主義神学の自由度は?
(1)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E7%A5%9E%E5%AD%A6・・自由主義神学 (2)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A9%E6%B4%BB・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 復活 (3)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%BF%E5%BE%92%E4%BF%A1%E6%9D%A1・・・・・使徒信条 (1)(2)(3)を読みました。 実情を知らない私が(1)の「自由主義神学に立つ教派」を読むと、今日の日本の教派のほとんどが「自由主義神学の特徴」を許容しているように読め、その結果、意外な印象をもちます。 下記の質問は相互に絡んでいて不可分ですが、回答は項目別でも一括しても応え易い形で結構です。 質問1 (1)の「自由主義神学の特徴」、「自由主義神学に立つ教派」の記述は事実に即していますか。率直にお訊ねします。これは科学の立場から正面きって論争を仕掛けられたときの対外的な説明に過ぎないのではないですか。教派の内部でも、これほど柔軟な考えが実際に許容されているのですか。信徒のうち何割がこうした考えでいると推定されますか。 質問2 (2)によると、自由主義神学に立つ「復活」の解釈は、 「復活は歴史的事実ではなく信者の心のなかにキリストがとどまりその印象が強化されたことを意味しており、したがって復活の記述はこの信仰の表現として創造せられたためと考える。」 だそうです。復活は「キリスト教の最も中心的な信仰内容」だそうですが、信徒が実際に「歴史的事実ではない」と公言できるのですか。 質問3 自由主義神学であっても「使徒信条」を唱えるのでしょうが、その際(2)によれば各自ばらばらの意味合いを以って言葉にしていることになりませんか。それでよいのですか。 質問4 枝葉を削りに削るとします。全てのキリスト教徒の共通項として何が残りますか。自由主義神学を認めると何も残らないのではありませんか。 よろしくお願いします。
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お礼
締め切るに当たって 回答を寄せて下さった皆様へ ポイントの20ptはANo.8が無いものと仮定した上での話です。ANo.8は-20ptですから通算だと0otです。 ANo.8には完全無欠で非の打ち所がない文言が含まれていて、劣等児の悪たれ派は、こういう「ははあっ」としか言っておくしかない文言が大の苦手なのです。 何はともあれ、皆さん、有り難うございました。
補足
補足ではなくお礼ですが少し長いそうで、こちらに記します。 読後感を率直に羅列して、お礼と致します。 序論から 0-1 会派によって「自由度」に伸縮があるのでしょうから当然といえばそれまでですが、案外開明的なものだというのが率直な感想です。 0-2 こういう言い方の適不適は疑問ですが、拒否的でもなく、攻撃的でもなく、はぐらかしもなく、詰まりは何かを隠したり、疑問を封じたり、話を逸らそうとしたり、そういう雰囲気が一切なく心理的に余裕のある方が誠実に応じて下さったものと読みました。 0-3 こういう疑問は、中学生か高校生位の年代に解決しておくのが本当かもしれないと思います。 0-4 信徒と非信徒は所詮分かり合えないと日頃考えてきました。分かり合えるか合えないかは信徒と非信徒の関係でなく質の良し悪しによるらしいと修正します。どちらか一方の質がよくないと議論が成立しないのは宗教の問題に限りません。 質問1へのご回答から 1-1 >>神学者の間では「一部の急進的な派」以外の穏健な考え方は共有されているのではないかと思いますが これで見ると、聖職者は自由主義神学を認めているのに >>信徒の中には自由主義神学に基づく聖書解釈に戸惑いを覚える人が多いのも事実です。 >>「信徒の何割が」という質問には答えにくいですが、直感的には1割位でしょうか。 こういう結果なのは意外でした。 1-2 >>自由主義神学を受け入れるのは、(個人的見解ですが)信仰から離れた結果でなく、聖書について考察を深めた結果なのです。 こういう問題を解決した後に信仰が可能になるのだと思っていましたが、そうとも限らないようで意外でした。境地といいますか、それぞれのレベルに応じた葛藤が次々と生じることはあるのでしょうが。 質問2へのご回答から >>復活を否定することはキリスト教の信仰を否定することですから、破門されたりするかも知れません。 安心しました。「キリスト教の最も中心的な信仰内容」といいつつ、一方で「歴史的事実ではなく」を認めるとは、どうにも理解できませんでした。 質問3、質問4に関して 質問2で復活の否定はあり得ないことが分かりました。自動的に各自の「使徒信条」のばらつきは、あっても微小なものでしょうし、枝葉を削ぎ落としても信徒の共通項がしっかり残ることも判ります。 今日のキリスト教界の実情の大枠が分かりました。有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。 ご回答を寄せて下さった皆様へ 私は、これにて締め切りたいです。しかし、ANo.3の「この回答への補足」の欄に記した事情によって、nacamさんのご返事を待たずには締め切れません。暫くお待ち下さいませ。