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助けてください。よろしくお願いいたします。

日本語を勉強している学生です。今論文の要旨を書いています。文法として間違っているところが必ずあります。日本人に訂正していただきたいと思います。よろしくお願いいたします。  この論文では、集中的に川端康成の孤児根性を分析する。『十六歳の日記』の中に主に二つの方面が現れている。一方では、川端は孤児になった生活実態を述べて、主に川端は通学しながら、また危篤に陥る祖父を看護していたことを描いたのである。ほかの一方では、文学の視角から孤児感情を分析する。 本稿では五部からなっている。第一部では、孤児生活が生まれた原因を説明する。第二部では、祖父との孤独な実生活を通じて川端の孤児根性を分析する。また、祖父が少年川端の人生に影響を与えたのを紹介する。第三部では、文学的原点としての孤児感情を論じる。

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  • sanori
  • ベストアンサー率48% (5664/11798)
回答No.1

こんばんは。 見てみますね。 ○この論文では、集中的に川端康成の孤児根性を分析する。 ×『十六歳の日記』の中に主に二つの方面が現れている。  →『十六歳の日記』の中では、川端自身について主に二つの面が描かれている。 ×一方では、川端は孤児になった生活実態を述べて、主に川端は通学しながら、また危篤に陥る祖父を看護していたことを描いたのである。  →一つ目の面は、孤児としての生活、特に、川端が通学しながら、危篤に陥る祖父を看護していたという生活の実態である。 ×ほかの一方では、文学の視角から孤児感情を分析する。  →もう一つの面は、文学の視角から孤児感情である。   (「視角」より「視点」のほうが自然のような気がします。) ○本稿では五部からなっている。 ×第一部では、孤児生活が生まれた原因を説明する。  →第一部では、孤児生活をせざるをえなくなった原因を説明する。 ○第二部では、祖父との孤独な実生活を通じて川端の孤児根性を分析する。 ○また、祖父が少年川端の人生に影響を与えたのを紹介する。 ○第三部では、文学的原点としての孤児感情を論じる。 ------------------------------ なお、ご質問文についてですが、 「日本人に訂正していただきたいと思います。」 は、少しまずい表現なので、 「日本人の方(あるいは、日本人の方々)に訂正していただきたいと思います。」 と書くべきです。 ◎「よろしくお願いいたします。」     ↑これは、とてもよい言葉ですね。

aifen
質問者

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いろいろ教えていただきましてどうもありがとうございました。 大変 助かりました!本当に、本当に有難うございました。感謝の気持ちはいっぱいです。これからもっとがんばります。

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その他の回答 (2)

  • suunan
  • ベストアンサー率14% (224/1569)
回答No.3

「この論文では、集中的に川端康成の孤児感情を分析する。」 ○「川端康成の孤児性について」 孤児感情と言う日本語はありません。 「『十六歳の日記』の中に主に二つの方面が」 ○「『十六歳の日記』に二つ見られる」 〔主に〕は〔他にいくつもあるが、特に大きなものはこれ〕と 言う意味です。本件はふたつだけではないですか。 〔方面〕は向きの区別ですが孤児にまつわる性質は同じです。 「一方では、川端は孤児になった生活実態を述べて、主に川端は通学しながら、また危篤に陥る祖父を看護していたことを描いたのである。」 ○「ひとつは、学生でありながら祖父の看護も行なっていた事。」 〔実態〕はなんらかの間違った報告や思い込みに対して真相は、 という意味なので、ここには適合しません。 〔危篤に陥る祖父を看護〕ではその瞬間だけ看護したことになります。 また、〔孤児〕は血縁者がまったくいない状況なので、 病人の祖父であっても存在するなら孤児ではありません。 「ほかの一方」 ○〔一方〕にほかのという意味が含まれているので単に一方です。 「文学の視角」 ○もともと文学を論じているのであらためて区別するのはおかしい。 「本稿では」 ○〔本稿は〕です。 「五部からなっている」 ○すでに〔二つある〕と示されていますが、この二と五の 関係がわからない。 「第一部では、孤児生活が生まれた原因を説明する。第二部では、祖父との孤独な実生活を通じて川端の孤児根性を分析する。また、祖父が少年川端の人生に影響を与えたのを紹介する。第三部では、文学的原点としての孤児感情を論じる。」 ○第一から第三まで同列のものではなく、第二の中にふたつありますね。 第一は作家論としてはどうでもよく、第三は川端の作品全般論で 実に大きなものになるはずです。 -------------------------- 要するに、 「両親を失い病気の祖父を看護していた少年期は川端の人間性に 大きく影響し、当然作家川端の誕生もこれに根ざしたものであろう。 本稿では『十六歳の日記』を中心に分析を試みる」 となります。 あなたの作文の傾向として言葉を水増しする欠点が 見受けられます。

aifen
質問者

お礼

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  • sicco
  • ベストアンサー率27% (134/486)
回答No.2

文法的には間違っていませんよ。 でも、言葉の選び方として、適切でないものがありますね。 たとえば、「孤児根性」というと、あまりいい意味になりません。 孤児だった頃の暗い習性が抜けない大人、といった印象です。 芸術的な仕事の元になる人の性質、という意味に使う場合は「気質」がいいと思います。 全体的に文意が通じるように、手を加えてみました。 あなたの意図と異なっていたら、ごめんなさい。 この論文では、専ら川端康成の孤児気質を分析する。『十六歳の日記』の中に主に二つの手がかりを読み取ることができる。ひとつは川端が書き表している、孤児としての生活実態。川端は主に、通学しながら危篤に陥る祖父を看護していた様子を描いている。もうひとつは、文学の視点から分析している自らの孤児感情だ。 本稿は五部からなっている。第一部では、彼が孤児生活を送ることとなった原因を説明する。第二部では、祖父との孤独な実生活を通じて、川端の孤児感情を見ていく。また、祖父が少年川端の人生に影響を与えた例を紹介する。第三部では、川端の文学的原点としての孤児気質を論じる。 日本語は難しいですよね。 勉強がんばってください。

aifen
質問者

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