• ベストアンサー

北海道開拓民の出身地が全国規模なのはなぜ?

北海道の開拓が本格的に始まったのは明治時代からです。 北日本の人のほうが、寒冷地の生活のノウハウ知ってるからいいんじゃないかと 思いますが、この時代の北海道開拓民の出身者は日本全国に渡っており、 どうやら中国・四国・九州地方からも多くの開拓民を出しているみたいです。 なぜ、当時の政府は北日本だけじゃなく、全国から開拓民を出したのでしょうか? もしかしてこの政策は、武士階級の廃止により職を失った者への雇用対策 なんでしょうか? だとすれば、日本は、アメリカのニューディール政策を100年近く前から 先取りしていた事になりますよね。 どうなんでしょう?

  • 歴史
  • 回答数5
  • ありがとう数6

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#54102
noname#54102
回答No.3

>だとすれば、日本は、アメリカのニューディール政策を100年近く前から >先取りしていた事になりますよね。 北海道開拓民以前の屯田兵の際には、士族救済という側面はあったと思います。しかしながら、北海道開拓は経済対策が目的でなく、ニューディール政策の先取りとは言えないと思います。 ご承知のように、幕末、明治初期は、北海道の大半は日本の領土と言える状況にはありませんでした。日本の領土と言えたのは、旧松前藩の函館を中心とする地域だけでした。北海道の大半は、アイヌの土地でした。 当時の政府にとって、緊急の課題の1つが、ロシアの東進政策への対応です。ロシアに対抗するため、北海道(さらには樺太まで)を、早期に、名実共に日本の領土とする必要がありました。そこで行われたのが、北海道の開拓・移民です。 すなわち、北海道開拓は、経済政策より領土に関わる政策であると思います。 北海道開拓は、初期は屯田兵、その後は開拓民の入植の形で行われました。士族が主体だったのは、屯田兵の初期のみです。屯田兵の後期と開拓民は平民主体でした。このことからも、士族の雇用対策が主でなかったことが分かると思います。 開拓民の募集は政府によって行われました。北海道開拓を早期に行う必要があることから、その募集は全国に及んだのではないでしょうか。(開拓民の出身地がどこまで及んでいるかは、知りませんでした)

その他の回答 (4)

  • komes
  • ベストアンサー率29% (147/494)
回答No.5

北海道開拓は日本の領土として確保するため緊急の政策でした。 この為最初は屯田兵制度でまず国防の対策としたわけです。 次に急がれたのは国民の入植でこの為、入植者には種々の奨励策が施されました。 住居の建設や農具の支給などもありました。 広大な土地を優先的に与えられ、その保有権を保証されました。 この政策は土地を個人の所有物とする習慣のなかったアイヌとの間に後日トラブルを生むことになりました。 これらの優遇策は土地を持たない農民層には極めて魅力的で希望を与えるものであったので、酷寒の地方の農業生活の経験のない地方の農民が入植を希望したのです。 すべては当時の国策に基ずくものでした。

  • jamiru
  • ベストアンサー率5% (170/3044)
回答No.4

明治になってから日本の人口が増え始めます。 増える人口に対して新たな土地が必要ですからね。 職を失ったではなく、職が無い人間が増えた。でしょうかね。 厳しい東北では人口が伸び悩みますが、他の地域では人口があぶれてきますから、開拓で野垂れ死にになっても代わりはいくらでも湧いてくると言う感じですね。 北海道で無理なら朝鮮半島、さらには満州、そして南米やアジア、どっかの島とか。 やる事は変わってないのですよ。 ニューディールとは何か違うーと思う。

  • ddg67
  • ベストアンサー率22% (1211/5475)
回答No.2

北日本の人は自分の住んでる地域より寒い地域で農作業ができるわけが無い事を知っていますので手を出さなかったんです、それを知らない温暖地に住む人が北海道に向かいました(^_^; ニューディール政策は違うやろー(^_^;

  • outerlimit
  • ベストアンサー率26% (993/3718)
回答No.1

>武士階級の廃止により職を失った者への雇用対策なんでしょうか? 正解と思います、それだけではないでしょうが 大きな要因です 屯田兵等 北海道開拓の歴史を調べれば 納得できるでしょう

関連するQ&A

  • 北海道の開拓政策について

    明治から昭和にかけての北海道の開拓について調べています。 この間、国有地の貸付や払い下げに関して国の政策にどのような変遷があったかを教えてください。 具体的には 何町歩開墾すれば何年後に払い下げを受けられたか? それは有償か無償か? その条件に変遷があったか? ということです。

  • 北海道開拓と被差別部落民

    北海道十勝帯広界隈を開拓したのは官主導ではなくて富山県や岐阜県や静岡県松崎町の民間人だったみたいですが、 この中に被差別部落民はどれくらいいたかわかりますか? 場所も時代も違いますが、江戸時代に田沼意次さまが蝦夷地開拓を計画した際に被差別部落民を主に開拓地に派遣させようと計画したみたいなので、 おそらく北海道や満州の開拓民も本州内で差別されたりくいつめた被差別部落民がかなり多かったんじゃないかと思いますが。 事実現在日本国内に居住している在日朝鮮人は大半強制連行とは全く関係無い移民難民の子孫ですけど、こいつらの大半は先祖をたどれば朝鮮半島内で差別されていた白丁みたいな連中でしょう?

  • 全国にあるJRですが、四国だけが取り残される感じが

    全国にあるJRですが、四国だけが取り残される感じがします。 大きく思い当たるのは、新幹線とスイカなどのICカードがないことです。 新幹線は北海道でも走り始めますし、ICカードも四国以外は導入済みです。 不思議なのは、気候が厳しく四国以上に人口密度が低く長大な赤字路線がある北海道の方がICカードも導入されていて新幹線も整備され始めます。 対して四国は広島や岡山からの新幹線が接続される予定すらないです。 人口は北海道が上回っていますが、人口密度は北海道の約3倍なので経営は四国の方が楽だと思います。 また、積雪寒冷地である北海道は車両や地上設備にコストが掛かりますが、四国は温暖なのでコストは北海道より掛からないと思います。 それなのに、JR四国だけ取り残されるのは何故でしょうか? 四国は誰も鉄道に乗らないのでしょうか?

  • 【アイヌ&和人】北海道の住居

    お世話になります。 北海道の歴史書を見ると、江戸時代~明治時代のアイヌ人も移住してきた日本人も、住居の気密性が低く吹雪やすきま風の吹き込む住居で寒さを凌いでいた記述を見かけます。 寒冷な地方では北欧にしろロシアにしろ満州にしろ気密性の高い耐寒性のある住居の建築方法が発達するものですが、北海道の場合は何故なかったのでしょうか? 木材も石材も豊富そうなのに不思議です。 ご教授お願い致します。

  • 江戸時代末期のサムライの数は?

    日本人は、何かと自分たちをサムライだとか思うような傾向があるように思います。 しかし、サムライってよく分からないのですが、サムライって武士の事ですよね。 明治時代以前の社会で、武士階級に所属していたものを指してサムライというわけですよね。 だったら、日本人はサムライの国だとか、俺たちはサムライだとかいうアンデンティティって間違ってませんか? その人の先祖は百姓かも知れないし、町人かも知れない。 そもそも、武士階級に所属していた人間はいったいどれくらいの数いたのでしょうか? 江戸時代の終わり頃の人口比率を大まかでよいので知りたいです。おねがします。

  • 北海道は好きですか?行ったことはありますか?

    こんにちは 北海道と言う土地はアメリカの開拓史と良く似ています 元々は「アイヌ」と言う先住民がいたのです これはアメリカであればインデイアンなのですが 白人に依って侵略されたと言うことではアイヌの人々も同じです 尤も日本の場合は白人は和人でしたが これは室町時代からのアイヌの人々にとって辛い歴史なのですが 内地の人、所謂本州の方々で知る人は案外に少ない インデイアンにも白人との戦いがあればアイヌの方々にも戦いがあった さて質問なのですが 北海道はお好きですか?行ったことはありますか? 行きたいと思いますか? 北海道の魅力は何と思われますか? 行ってみたいと思う場所はあるでしょうか? 既に行かれた方は北海道の旅は如何でしたか? お話したいと思います よろしくお願いいたします

  • なぜ明治時代の旧日本軍のエリート階級の軍人に四国出

    なぜ明治時代の旧日本軍のエリート階級の軍人に四国出身者が多かったのですか? 離島で小さい島で本土には瀬戸内海を渡らないと行けない。 瀬戸内海を渡らないと本土の情報が入って来ない僻地に産まれてなぜエリート軍人になれたのでしょう?

  • 朝鮮民族の精神的支柱は?

    朝鮮民族の精神的支柱は? 主として江戸時代、明治時代、李朝朝鮮に焦点を合わせます。 江戸時代の支配階級には武士道というものがあったそうです。明治時代にもこの気風が残っていて、指導者層の中には良質の人間が混じっていたように思います。また、この流れが庶民の間にも、そこはかとなく漂っていて痩せ我慢にもせよ、金銭や物質の利得よりは気高さに名誉を置く気風があったようにも思います。 日本と同様に、朝鮮にも儒教を規範とする他に両班には支配階級としての精神的支柱があったのだと推測します。朝鮮では何を精神的支柱としていましたか。それはどんな思想でしたか。 よろしくお願いします。

  • 蝦夷が未開の地だったのは何故か?

    戦国時代 天下統一を進める上で何故蝦夷(北海道)の奥地まで行かなかったのでしょうか? 当時蝦夷の松前には蛎崎氏(松前氏)が徳山館を築いて支配しておりました 当然アイヌとも交流もあり 蝦夷地が広大な陸地であった事は秀吉や家康も知っていたと思われます (信長が既に蝦夷地の全容を把握していた様でした) 秀吉なんぞは琉球の果てや小笠原の端のほうまで探査して 制圧してるのに蝦夷の奥地にまで手を伸ばさなかったのはなぜでしょうか? 知ってのとおり蝦夷地は明治に屯田兵が入植するまで開拓らしい開拓が行われていません 戦国時代に蝦夷地が手出しされなかった最大の理由は何でしょうか?

  • 藩の階級名について知りたい。

    武士と一口にいっても非常に多くの階級があります。 たとえば足軽から旗本直参まで…。 また藩によって別藩にない特殊な階級もあります。 土佐藩などは「上士」の下の階級の「郷士」の間に、「白礼」という階級があり、これは「上士」の最下級の階級ですが、土佐藩独特のものだそうです。 このように、藩それぞれの階級についてすべてを知りたいのですが、お詳しい方、またサイトや文献などがありましたら教えていただきたいです。 時代は幕末の明治維新前です。