• 締切済み

文系修士論文

 修士卒業の方にお聞きします。  私はちょうど修士論文についていろいろ一段落し、審査もほぼ終わったところですが、どうも満足・充実感がなく(書き上げた時点ではありましたが)、いまは何か無駄な作業だったのではないかというような感覚に襲われています。  もちろん努力もしましたし、きちんと論文として出来ているはずです。しかし、いろいろ屈折して指導教授と畑違いの論文となったこともあって、指導教授はおそらく論文をまともに読んでおらず、審査報告会でも教師は遅刻して、その場で読み出す始末(当然何も私にコメントいえず)。  学際的な研究科という環境もあって、まわりもすべて畑違い。ようするに対話が立たないという思いはもともとありました。論文は孤独な作業といっても、この環境は予想以上のものでした。そういうこともあるでしょう。ようするに、いったい誰のための、何のための論文かよく分からないまま終わってしまったという感覚がぬぐえないのです。  みなさんはいかがだったでしょうか?できれば、その環境などをふまえて教えてください。

noname#49694
noname#49694

みんなの回答

回答No.4

少し辛口になりますが・・・。 副査の方が審査会に遅刻というのは非常識ですし、一般的に査読者が全く論文を読まずに審査にあたるということは不見識だと私は思っています。 ただ、自分の望んだ流れの議論ができなかったということで主査の方が論文を読んでいないと断定するのは少し急ぎすぎかも知れません。私も修士論文の口頭試問のとき、指導教授からもらったコメントの一つが論文の内容にかみ合わない印象を持ったのですが、その後5年くらいたってようやく、そのコメントが実は自分の修士論文の根本的な欠陥を指摘していたとわかることができました。 学際的な大学院の場合、関心領域が重なる指導者や学生を見つけることは難しいことがありますね。しかし、学際的な大学院の理念はそもそも異なる領域の研究を志す学生が触れ合って刺激しあうことにあります。そうした大学院の学生は自分とは違う興味を持っている教員や学生のやっている研究と噛み合うような研究をすることが求められているわけです。 そうした環境が質問者の方に合わないのであれば、旧来型カリキュラムの大学院(できれば関心領域に合致するところ)への転身がいいのだろうと思います。しかし、今後も学際型大学院に残る希望があるのならば、畑違いであっても無理にでも対話を成り立たせる努力をしなければなりません。 ただし、大学でプロの研究者を目指すのであれば畑違いの研究者とも対話を成立させられる能力は重要になってくるはずです。現在、多くの大学で採用人事に様々な分野の教員が関わるようになってきているからです。そのため広い領域の教員(最低でも学科全体くらい)に意義を認めてもらえるような研究業績がなければ採用やその後の昇任は非常に厳しくなっています。 ちなみに、他大学の学生(教員でもそうですが)が研究発表をする場合、聞き手としては一般的に盛大な(自分の学生には絶対にしないような)リップサービスをします。他大学での議論が有意義に感じられたとしても、少し冷静になる必要があるので注意してください。

  • harepanda
  • ベストアンサー率30% (760/2474)
回答No.3

お疲れ様でした。まずは、ゆっくり休んでください。 私の場合は、指導教授ともう1人の話をしたことのない教授2名による審査でした。このほうが客観的評価ができますからね。結構、まじめに読んでいただいたと思います。話をしたことのないほうの教授も、文章をきっちり読んでいたのは明白で、「非常にアカデミックだ」という評価もいただいたし、「後書きが気取りすぎだよ」とも言われました。後書きは、小説家の小松左京がSF小説「復活の日」の中でヘーゲル論を展開しているシーンを紹介し、彼がヘーゲルではなくカントをベースにした社会思想を持っていることを指摘、批判的な小エッセイにしたもので、文体も本文とはがらりと変え、天声人語みたいな作風に仕上げましたから。 指導教授は熱心な方でしたが、学問は細分化しており、教授であっても、ちょっとでも専門分野が違うと学生が書く文章のレベルについて来れないことがあるのです。私の場合は典型例で、哲学者ヘーゲルについて書いたのですが、日本ヘーゲル学会自体が300人程度しかいない小さなコミュニティであり、しかもそのうち、私と同じく社会思想を専攻しているのは数十名、さらには「後期ヘーゲルと、ローマ法、魔女狩り、時効理論、所有の主観説」などという誰も手をつけたことのないテーマを選んで鮮烈な自己主張を展開、結論部には、「この誤った傾向は数十年前に初めて日本にヘーゲルを本格的に紹介した金子氏の段階で既に始まっていたように思われる」などと物議をかもしかねないことまで書き、私の議論を理解できる人が300人いても、同じレベルで批判やコメントを出せる人は10人もいるだろうか、という世界を作ってしまいました。これは意図的にやったことで、「誰もやらないことをやれば、誰でもすぐ、第一人者」という戦略です。無論、たんなる無茶苦茶をやっているのではなく、指導教授も認める確かな基礎知識があってから、やっているのです。 修士論文は他人に読んでもらえないのが普通でしょう。また、修士枠が増える一方で教職枠は増えていないという現実の中、私は博士課程に進まず企業就職をするという道を選んだため、ほとんどのヘーゲル研究家は私の議論を忘れていると思います。しかし、学会(当時はまだ正式な学会ではなく、研究会だった)での発表が専門家の間でもかなりのインパクトを与えたという自負はあり、ヘーゲルの大著のなかでうずもれている「民会論文」という小さな政治論文の意義にスポットをあてた功績はあると思います。わたし以前に「民会論文」の意義の重さを見抜いていた人は、現役の研究家では1人しか思いつきません。 最後になりますが、論文を仕上げるにあたって、小さな土台で高い塔を建てるという背伸びをしたのではないか、という感想をお持ちであれば、隣接分野や歴史的背景の勉強で、土台を横に大きくしておくことをお奨めします。これがあると、塔をますます高くすることが可能です。

noname#49694
質問者

お礼

ありがとうございました。  副査の一人は誠実で、しっかりした人でした。大意はつかんでもらえていたようです、もう一人が遅刻、読んでないというあり様。  でもおそらく最大の原因は、指導教授が私の修論執筆時からまともな指導をしなかったということにあるかもしれません。やはり会場でも、屁理屈な概念を上辺で言うだけで、まったく私の論文の内容とは別のところで話していたので、これは読んでないなと分かりました。  「誰もやらないことをやれば、誰でもすぐ、第一人者」  私もこれに近い感じでやったかもしれません。  いずれにせよ、私は批判されるということをこれまで恐れていましたが、それよりさらに恐ろしく悲しいのは「無関心」だということが分かりました(笑)

noname#54559
noname#54559
回答No.2

だいぶ昔の話なので、参考になるかどうかわかりませんが。。。 私は19世紀から20世紀の英国小説を研究していて、指導教授も似たような時代の英国小説の研究者でした。が、その大学院は(超有名なところですが)、文学系は全然指導しないんです。好きにやっていいよって感じで、途中で1回、何を書くか聞くだけで、あとは全部本人の自由。なので、好きに書いて提出、面接も適当な感じで、博士課程は全員通りました。 指導教授いわく、修士論文は通過点にすぎない。だいじなのはそのあと、どういう論文を書いていくかということ。研究を続けるなら、一生論文を書いていくのだから。 結局、私は研究職につくことができませんでしたが、書くことは今も続けています。修士論文は通過点、そう思って、これからも書き続ければよいのではないっでしょうか。 あと、余計なことかもしれませんが、文系の学術論文は自分以外誰も読まないなんてことは日常茶飯事です。多くの人に読んでほしければ、一般の人のために書くことです(たとえば、新書のようなものを企画する)。

noname#49694
質問者

お礼

 学術論文がもちろんそんなに読まれないことは承知しています。ただあまりにpayに対する見返りがないものですから(笑)。  実は自分の専門テーマに近い人たちがいる某大学に呼ばれて、自分の修論報告をしたとき、非常に有益な議論ができました。しかし我が大学院はすさまじいほどテーマが乖離しており、対話ができず、やはりそれに私は不満だということだと思います。

  • hekisann
  • ベストアンサー率33% (8/24)
回答No.1

 ancestorさん初めまして。まずはお疲れさまでした。  私もその昔、文系で「学際的な研究科」でした。指導教官のご専門には疎く、それでも「○○先生の研究室に所属する限りは先生のご専門に沿った内容で」ということになり、先生の手を煩わせまくりました。  私の場合、指導教官の先生は本当に親切丁寧に指導して下さいましたが、同じような問題に関心を持たれていて役に立つアドバイスを下さったのは、研究科内の理系の先生でした。  その後博士課程で、指導教官が辞められたために研究室を変わることになりました。「文系の学生が理系の研究室に移るのは厳しい」と止められたため、別の文系の研究室に移ったのですが、そちらの先生とはまったく話が噛み合わず、結局、院そのものを辞める結果になりました。  大学で研究者を目指しているのではないなら、論文を書くなんてめったにない機会なのですから、周囲に合わせて興味のないテーマについて書くより、指導教授と畑が合わなくても自分の問題意識に沿ったテーマを書けた方が良かったのではないかと思います。  しかし、もしこのまま研究者を目指されるのであれば、自分の問題意識について、ちゃんと議論ができる環境に移られた方が良いのではないでしょうか?  もし見当外れなアドバイスであればどうぞ無視してやって下さい。

noname#49694
質問者

お礼

 ありがとうございました。  おっしゃるとおり、自分の問題意識を基本的には貫きたいと思っています。ただ学問の世界にもある種のニーズがあるのかなというような感じがします。自分の研究がそんなに亜流だとは思いませんが・・・  将来的には環境をうつしたほうがいいかもしれません。

関連するQ&A

  • 修士論文不合格って・・・

    工学系の M2 の学生です。 修士論文の執筆をしていますが、もう一杯一杯です。 教授にも「知らないからね」と放置されていて、ほぼ一人で書いてる状態。 決して自分の論文で、新規性のあることをかけているのではありません。 既存の理論を、無理やり音楽にこじつけて書いた論文です。 一応は形にはしてあります。 全部で 70 ページくらいは記述してきました。 図も、式も、一生懸命に書きました。 しかし、修士論文の審査に合格する自信はありません。 皆さんの身の回りで、修士論文の審査に落ちた工学系の学生さんはいますか? 「修士くらいなら落ちないよ」と他人が言うのは、ぜんぜん安心材料になりません。 修士論文に不合格になった工学系の学生さんの話があれば、参考に教えていただきたいです。 僕は最後まであきらめずに書きつづけて、提出する意思はかたいです。

  • 修士論文の書き方

    修士論文の書き方について 現在、関東圏の大学院に通っている社会人兼大学院1年生です。私は税法について論文を書こうと思っています。大学院に前期の授業が終わって思ったことは、論文は担当教授の指導があるものの結局は自分でテーマを決めて書くものなのだとわかりました。そこで、早速、1年のうちに論文を書いてしまおうと思います。テーマはもう決まっていますので論文の書き方などを独学して書いていこうと思います。そこで、論文を書く際に参考になる書籍などありましたら教えてください。よろしくお願いします。

  • 修士論文で故人にあてた謝辞の書き方を教えてください!!

    今,大学院卒業間近で制御工学の修士論文に取り組んでいますが,謝辞の書き方について教えていただきたいことがあります. 学部4年のときの指導教授が,私の大学院進学と同時にご病気のため大学を休まれました.そのため,私は現在違う研究室にいますが,現在も学部時代の研究に引き続き取り組んでいます. その学部のときの指導教授は一昨年の夏に亡くなられ,大学院に入ってから彼に指導を受けることはなかったのですが,学部のときの指導や先生の残して下さった論文のおかげで今の私の修士論文ができました.生前は教授の奥様にも面倒を見ていただき,この論文を教授のお宅へ届けたいと考えています. そのため,修士論文の謝辞にお名前を載せたいのですが,どう書いていいものか困っています.いろいろなサイトや過去の論文も探してはみたのですが,なかなか同じようなケースは見当たりませんでしたので,皆さんの知恵をお借りしたいと思います.よろしくお願いします.

  • 法律系修士論文のテーマについて

    初めて質問させていただきますので、ちょっと緊張してます。 大学院で修士論文を書くことになっているのですが、どうもビビ!とくるテーマを見つけることができません。 わりと自由なゼミなものですから、指導教授の研究テーマにガッチリと添わねばならないということもなく、おおまかには「破産」や「相続」「税」をキーワードにテーマを探しています。 何か良いアイデア、お勧めの書籍や論文がありましたら、教えていただきたいので、よろしくお願いします。

  • 修士論文に関して

    初めまして。 現在、大学院で環境経済学を学んでいる修士2年のものです。 元々の出身は農学部の研究系の学科でして、環境関係の研究を学部時代行った関係で興味を持ち、言うなれば文転して現在の専攻にやってきました。 今回、修士論文のことについて不安な面があり質問させていただきました。 私の通っている研究室は基本的に学生の自由が通じ、興味を持ったものならば、何でもやらせてもらえる環境が整っています。 先生も特段厳しくは無く、聞けば指導してもらえますが、普段はノータッチです。 つまり、生徒の自主性が重んじられます(大学とはそもそもそのような場所だとは思いますが、前のところはスパルタでしたので…) そのような環境で1年ちょっと環境経済を学んできまして、自分自身が研究してみたいと思う対象がようやく発見できました。 そして、去年見ていた先輩方も大体このくらいから本格的に取り組んでいましたので、いよいよ研究をスタートさせようと考えています。 しかし、実際何から始めればいいのか分かりかねて困っています。 基礎的なこと(計量経済とか)は一応、この一年間勉強してきましたが、学部時代からやっている友人達と比較したらまだまだな部分が多いのが実情ですし、やりたいこともボンヤリとしてしまっていて具体的になってくれません…。 そこで、関連性のありそうな過去の文献も見ましたが、私の興味のあるものと似通った研究は見つけることができませんでした。 恐らくですが、私のやりたいことは外への調査がメイン(特に環境活動へ参加されている方への聞き取り等)になってくると思いますので、時期が遅くなると困る状況になりかねません。 そのような団体(300名ほどの環境団体)とは繋がりがあるだけまだマシだとは思うのですが…。 しかし、時期が遅れて大変になった方も過去に何名かいらっしゃったそうです。 以上聞きたいことを纏めますと (1)社会科学系の修士論文は実際何から手をつけたらいいのか?(外への調査を伴う場合) (2)過去の文献と近いものがあまり無い場合はどうしたらいいのか?(海外のものは調べていません) (3)聞き取り調査を行うには最悪どのくらいの期間を想定したらいいのか?(対象は上に上げた団体です) (4)始める時期は最悪どれくらいがいいのか?(これは内容によりけりですが...) になります。 申し訳ありませんが、よろしくお願いします。 因みに、私は現在就職活動中でもありまして研究と就職活動の二足の草鞋状態です。ですので、進路が決まり次第本腰を据えて始めたいのが心情です。

  • 修士論文の構成

    現在M1で税法を学んでいます。 現時点では修士論文のテーマに関しては指導教官よりOKをもらっただけで、論文構成はこれからです。 これから構成を考えていきたいのですが、どのような構成が一般的なのでしょうか? 1.テーマを選んだ背景、とりまく環境 2.現状の問題点 3.海外での事例 4.日本での展開(2.の問題点を解消) 5.まとめ 具体的には、「海外で導入されているある制度を、日本に導入するにはどういった問題があり、海外の事例を比較した結果、日本にはこういうやり方で導入するべきだ」というような感じで執筆しようと思っているのですが、上記のような構成で問題はないでしょうか?

  • 哲学の修士論文が書けない

    質問お願いいたします。 私は現在哲学専攻の修士一年で、四月から二年になります。しかし、恥ずかしながら「論文」というものがどういうものなのか分からないまま、現在に至っているので一文字も書き出せない状態で辛いです。 卒論は、自分に引き寄せすぎて「アカデミックではない」と評価され、もっと研究者に近づいて研究するように、そして先行研究を読んで自分がどの立場なのかよく考えて書き出すようにと言われました。 先行研究を読むと色々な立場が書かれていましたが、私の気持ちとしては「その哲学者の本を読むだけで満足してしまうので、賛成も反対の立場もない」というのが正直な気持ちです。なのでアウトプットしようとすると、その哲学者の文章のまとめだけになってしまい、自分の立場が決められません。なぜ立場を決めなければならないのかが分からないのだと思います。 論文の書き方という本は何冊も読みましたが、書き方や形式はのっているものの、これから私の書く「論文」がどういう意義を持たせればいいのか、がつかめず混乱するだけでした。 指導教授にも何回も尋ねましたが「とりあえず意見を出していこう」と言われているのはわかりました。なんだか腑に落ちず、色々聞いていたらついに「上手く教えられず申し訳ない」とさじをなげられてしまいました。理解力がなくて、申し訳ない気持ちでいっぱいです。 学部生(違う大学です)のとき、「君の意見はそんなに重要じゃない、今は修行中なんだから、ただ彼の思想をまとめて理解できればいい。修士も同じだ」という指導を受けていたので、今の時点で自分の意見…と言われて戸惑ってしまっているのかもしれません。 春休みはとうとう一回も勉強せず、危機感ばかりが募って具体的に行動にうつせなくて焦っています。私は哲学専攻ですが、学科が哲学ではないので周りに哲学をやっている人が一人もいなく、議論もできません。 それに加えて最近哲学に興味を失っているのがわかります。そんなこと、考えてもしょうがないよ…と諦めてしまう自分がいて情けないです。 どうにかして前へ進みたいのですが、もがけばもがくほど沈んでいっているような気がしてなりません。論文を完成させたい気持ちはあります。しかし自分はどうすればいいのか、見当がつきません。 分かりづらい文章で申し訳ありません、どうか、ご助言をお願いいたします。

  • 修士論文査読後修正から印刷までの修正

    本年度の修士論文の最終審査に合格し、3点の修正を許可され、本文を差し替えた者です。 ところが差し替え後も、訂正・追加した方が良いと思われる点がいくつか出てきまして、製本までに訂正したいと思うのですが、この行為は違反になりますか?。 どうせ指導教官は私の論文など最終的には読んでないんです。 論文提出期限の1週間程前に指導教官に1度提出する必要があり、その時点では、文章の流れや細かい助詞・助動詞の使い方などの添削はされましたが、分析や解釈など肝心の内容については殆ど指摘がなく、自分一人で迷いながらまとめていました。なぜなら、提出期限の2週間以上前から、既にこれ以上の指導はしない旨の言い渡しをされていて、後は自分で判断するように言われました。 同期の同じゼミの学生は、期限に間に合いそうになかったので、教授の言う通りに書けと言われて、その通りに書いて出し、「A+」の評価をもらっていました。私は殆ど自分で考えながらまとめたので、独りよがりになっていないか不安で、合格後も理論の本を読みなおしたり、文献を読み直しています。そうすると、修正した方が良いと思われる箇所が出てきて、どうすれば良いか悩んでいます。

  • 論文を書くスキルは将来どのように役立つか

    はじめまして。 大学院修士課程2年で植物生態学の研究をしています。 私の就職先は製造業の開発で、現在の専攻学問となんら関係はありません。 現在修士論文を書いているところなのですが、社会人になられた方に質問です。 修士論文を書き、指導教官に手直ししてもらうとほとんど赤字で戻ってきます。 しかし、ただ教授の直した通りに文字を打つだけではつまらないと思い、自分の書いた文をみなおしすことで、修士論文を書いた経験が今後に活かせたら、と考えています。 修士論文を書いた経験は後々活きてくるものなのでしょうか? 今のところ私は以下の4つを意識することで、「だれにでも伝わる文がかけること」を目標としています。 ・主語と述語をしっかり捉えた文を書く ・助詞、動詞の活用法を意識する ・説明不足とならないようにする ・前後の文のつながりをしっかり意識して、導入から結論へとつなげる

  • 送付状の書き方:お世話になった先生へ論文を送る時

    すみません、お恥ずかしながら周りに聞ける人がいないので、こちらで質問させてください。 完成した学位(修士)論文をお世話になった先生へお送りしたいのですが、その際に添付する送付状の書き方について悩んでいます。以下のように書いてみようかと思っているのですが、何かおかしなところなどありましたら、ご教授くださると嬉しいです。 ***************************************************** 拝啓 春のたよりも賑やかな今日このごろ、ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。 さて、このたび修士論文『……』を執筆し、無事論文審査に合格いたしました。まだまだ勉強不足で 論理も文章もつたなく、お目通りいただくのもお恥ずかしいものですが、お時間のある時にでもご笑覧いただければ幸いです。また、何かお気づきの点があれば、ご教授いただければ大変嬉しく存じます。 では、よい季節とはいえ、くれぐれもご自愛のほど、お祈り申し上げます。 敬具 *****************************************************