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死刑制度撤廃の動きについて

a-gamylの回答

  • a-gamyl
  • ベストアンサー率32% (17/53)
回答No.1

あくまで客観的にですが, 「社会が作り上げたシステムによって人が殺されてもよい」 という状態の社会と 「作り上げたシステムによって人が殺されることのない」 という状態の社会との比較では,後者の方がより近代化された社会状態だとは思います. 質問者様が挙げたいわゆる私刑に関してですが,言い換えれば, 「人間の感情によって人が殺されてもよい」 という状態であって,そういうことが許されることのない 「人間の感情によって人が殺さることが許されない」 状態に近づけていくことが,より近代化された考え方ではないでしょうか? 感情で考えると死刑というものは今後も続けてほしいとは思いますが,それとは別に死刑が与えられるような人間が発生するような,人間関係,社会状態をなんとか改善していくような方向に考えを進めていくことの方が,より重要な問題だとは思います. 簡単に思いついただけの意見ですが,参考までに..

potetan
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >後者の方がより近代化された社会状態 私はそうは考えません。犯罪を許さない社会こそ最も近代化された社会状態であると考えます。凶悪犯罪者に相応の刑罰を課すことができない社会は後退した社会であると思います。 >人間の感情によって人が殺されてもよい 刑罰は感情ではありません。凶悪犯罪者に死刑を課すことは論理必然的な結果であると考えます。

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