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キリスト教について。

benderの回答

  • bender
  • ベストアンサー率45% (108/236)
回答No.13

質問> どこに悲しむ必要があるのでしょうか? お礼> 自分の生きている何十年間の間絶対に会えないというのと、もう お礼> 永遠に会えない、その人の存在は消滅してしまったというのでは、 お礼> 悲しみが明らかに違うと思っています。 以上の「お礼」に書かれていることと、もともとの質問とでは趣旨が ずいぶん違います。 いずれにしても、以上のお礼にあるように、実際に悲しみが違うと 思います。教会の葬儀に出席したこともありますが、やはりそのように 感じます。 ただ、すでにいくつかの回答にあるように、誰かが死んでしまうことは、 外国に行ってしまうこととは比べようもないし、そもそも聖書を読むと、 死は人間の罪がもたらした結果であるとわかるので、キリスト教では、 本来、人が死ぬことは、悲しく非常に残念なものであると思います。 また、No.11 の方も書かれているように、完全な信仰を持つキリストも ラザロの死をものすごく悲しんでいるのだから、死を悲しむことと 信者の「信仰が完全ではない」こととは本質的には別の話だと思います。 また、例えば、ルカによる福音書23章によると、キリストは、一緒に はりつけにされた人の一人に『今日、わたしと一緒にパラダイスにいる』 と言っているわけですから、その場所をなんと呼ぶかはともかく、 天国なり、パラダイスがない、というのも、どのように説明できるのか わかりません。 「ドラマや漫画などで親を亡くした子供」が泣き止むのは、もちろん、 それがドラマや漫画だからです。仮にそうして子供が泣き止むにしても、 子供は「死」を理解できていないので、大人が人の死を悼む場合とは、 この場合、同じように比べることができないと思います。 キリスト教というのは、日本では、非常になじみが薄いのですが、 どれほどなじみが薄いか自体、一般に理解されていないと感じます。 いろいろな回答があっていいのかもしれませんが、アニメ、オカルト、 ニューエイジ、その他、と、いわゆる「キリスト教」とは全く違います。

noname#103681
質問者

お礼

『質問> どこに悲しむ必要があるのでしょうか? お礼> 自分の生きている何十年間の間絶対に会えないというのと、もう お礼> 永遠に会えない、その人の存在は消滅してしまったというのでは、 お礼> 悲しみが明らかに違うと思っています。 以上の「お礼」に書かれていることと、もともとの質問とでは趣旨が ずいぶん違います。』 そうですね。申し訳ありません。以前の回答の『離別の悲しさ』に納得していたのでそのように書きました。 私のお礼をよく読まれているようなのでご存知だと思いますが、私がこだわっていたのは天国での『再会』についてです。永遠の別れかそうじゃないかです。その『天国で再会できるとするなら?』に対しての回答が今までに少なかったことが少し残念なのですが、キリスト教において私の質問にあるような天国での再会というような考え方はないということですよね。 キリスト教にこだわらず単純に『死んでも天国で再会できるとするなら死は悲しいですか?』と質問すべきでした。

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