• 締切済み

迫っている母の死のとらえかたについて

実母の死が近ずいています。 先日も、検査のため絶食だった時、病院に行ったら、俺の顔をみて泣きました。 本人はすぐ涙を拭きましたが、、、。 本人には家族一致で知らせていません。 理由は別の病気で命を救われた直後のガンだからです。 あまりにもかわいそうすぎました。 本人はわかっているようで、明るく強靭に振舞っております。 でも、時折見せる悲しそうな表情を見てると、たまらなく辛いです。 今までもこれからも、どうやって母に接していったら良いか、 解かっているつもりですが、僕自信、もう限界です。 身内や家族もみんな耐えているので、こんな気持ちは周りのだれにも(妻も含め)相談してません。 母のため仕事に私生活にがんばって、明るく接していかないと ダメなことはよく解かっていますが、最近ホントだめです。 おねがいします。どなたかアドバイス下さい。 なんとか前向きに向き合いたいので。 自分がこんな風になることに、自分自信驚いています。 自分の情けなさ、弱さにも気付きました。

みんなの回答

  • miki12
  • ベストアンサー率28% (720/2495)
回答No.2

同じ立場にたてば誰だって辛いです。 病人の前で笑顔で振舞おう、とおもっても自然に涙がにじみます。 ヘンなアドバイスになります。 「後悔しないように、してください」 いろいろな話をしてください、TVをみながらでいいのです。 くだらない話でもいいのです。 今でしか出来ない話を、思い出をどうぞたくさん。 笑ってあげてください。笑うことで、あなたが元気なことでお母さんの 不安をとりのぞけます。 泣くのは、ひとりで泣いてください・・・。 不安な表情は、みんなに伝わります。お母さんも不安に感じます。 お母さんが何かをしてほしい、といったら恥かしくてもしてあげてね。 お孫さんかペットがいるならその話題で元気付けてください。 余命3ヶ月と判断されたひとが1年以上いきていることも少なくないんですよ。 笑われるかもしれません。私はそれを「生きていたい」と思う、願う気持ちの おかげだとおもいます。 がんばって。これを言われるとかえって辛くなると思います。 でもあえていいます。がんばって。逃げないで。 寝たきりの祖母を先日みおくりました。 悲しいです。あなたのメッセージを読んで、号泣しました。 でも私は祖母に対してできることはすべてしました。 下の世話も吐しゃ物の始末、入れ歯の洗浄、食事の介護、何でもしました。 いっぱいくだらないこと話しました。手を握って笑いました。 後悔はしてません。悲しいけど、私にできることはすべてやったからです。 触れ合える、話し合える今日を1日を大切にすごしてください。 みんな、辛くて悲しいんです。あなたも、まわりのひとも。 アドバイスにも励ましにもならないけど。ごめんね。 人間はいつ死ぬかわからない。祖母の葬式に来てくれた人が55歳の 若さで突然2週間後になくなりました。 私も何歳まで生きていられる保証はないのだとおもいました・・。

santamaria0072
質問者

お礼

恥ずかしがらず、笑顔をたやさずなんでもしようと思います。ありがとうございます。

  • yun-macho
  • ベストアンサー率16% (3/18)
回答No.1

私も経験者です。 だから、santamaria0072さんの気持ちはとてもよく理解できます。 あなたは全然、情けない人ではないし、弱くもありませんよ。 大切な人が余命わずかだとなれば、人間は誰だって たまらなく辛くなります。 ただ、わかっていらっしゃると思いますが、一番辛いのはお母さんです。 限界なんて言わずに、その愛する人を亡くした時に後悔しないよう、今を大事にしてあげて下さい。交通事故とかで 愛する人を突然事故で失った人もいます。 そういう人に比べれば、少しでも一緒にいられる時間があるだけでも、いいのではないでしょうか。 私は、少なくともそう思いました。 無理して明るく接しなくてもいいんです。そばにいてあげるだけで、きっとお母さんは喜んでくれると思います。 期待されるアドバイスはできませんが、身内の方みんなで力を合わせて、お母さんを支えていってあげてくださいね。 

santamaria0072
質問者

お礼

自分よりもっと不幸な人がいることを、頭にいれて、後悔しない様に、これからできるだけそばにいるようにします。ありがとうございました。

関連するQ&A

  • 母の死から立ち直れない

    母の死から1年が立ちますが、そこから立ち直ることが出来ないでいます。 母子家庭で、ずっと1人で私のことを支えてくれていた母が末期がんの宣告を受けたのは3年前。 母が病院で宣告を受けたとき、私は成人式を翌月に控えていました。着物を着て家族で写真を撮りましたが、それが母の遺影となりました。 余命が少ないことを、私は母から直接聞きました。母は、自分が一番苦しいにも関わらず、「結婚式にはいけないね、ごめんね」とひたすら泣きながら謝っていました。 私は、大好きな母が年内の命であることを信じることができず、ひたすら病院を探しました。 運よくとても良いお医者様に巡り合うことができ、治療も上手く行っていたのですが、やはり完治させることは叶わず、昨年、息を引き取りました。 祖母の話によると、最後に具合が悪くなったとき、「私は消えてなくなってしまうから良いが、遺していく子には大変寂しい思いをさせてしまう、それがとても辛い。」と、最期まで私の心配をしていたそうです。 母の治療中は、看護や就職活動等でバタバタしており、絶対治るはずだと信じていたので、悲しむことはあまりありませんでした。 しかし、心の拠り所でもあった最愛の母が亡くなってからは、周りの景色がすべて灰色になってしまい、いなくなってしまった悲しみを今も忘れることが出来ません。 あの時のあの治療がよくなかったんじゃないか、あの時ああしていればもっと生きられたんじゃないか、と後悔ばかりしています。 就職もしましたが、仕事も上手く行かず、結局挫折してしまいました。今は、休職しながら心療内科に通っています。 毎日、母のことを思い出し、泣いて過ごす毎日です。 母の死から立ち直れず、社会人としても挫折してしまった自分。 いつか、この悲しみを乗り越え、立ち直れる日は来るのでしょうか。

  • 母の死について

    先月、母が脳梗塞で亡くなりました。 さっきまで普通に話していたのに、、、? しばらくは何が起こってるのかわかりませんでした。 救急車で運ばれ、その病院の医師に血栓を溶かす処置をするが、太い血管が詰まっているので難しい。もしダメならカテーテル、、、と説明を受けました。意識が亡くなってから二時間経っていました。(救急車で病院が見つからず) 脳梗塞についての知識もあまりなく、処置が早ければ命は助かる!(麻痺などは残っても)、と思っていましたが結局は処置による出血、脳が腫れた、この先意識は戻らない。 となり、その翌日に亡くなりました。 最初の説明で太い血管だから難しいというのがわかっていたなら手術とか別な方法があったのではないか?と最近少し落ち着き、思うようになりました。 運ばれた病院や担当の医師によって判断が異なると思うのですが、もしかしたら違う処置をしていたら母の命は助かったのではないか?と思ったり。 それも運なのか?とも思ってしまいます。 さっきまで普通に話していたのにこんなあっけなく?という気持ちが強く、やはり母の死を受け入れられずいます。 母が意識不明の中、何度もスマホで"脳梗塞"と入力して調べようと思ったのですが怖くて調べる事ができませんでした。 今になって調べると、すぐに手術して意識も戻ったという方もいるというのを知り、あのとき自分が調べて、医師に手術をして欲しいと頼んでいたら母は助かったのか? と後悔もあります。 医師に対して何か言いたい!ということではないのですが、受け入れなくてはならないけど、受け入れられない!毎日モヤモヤしていて、これは担当してくださった先生に納得するまで聞いたら受け入れることができるようになるのでしょうか? 時間が経てば受け入れることができるのでしょうか?

  • 余命僅かの白血病の父抗がん剤での治療をするべきか死を受け入れるか?

    73歳の父の事に付いて意見をお聞かせ下さい。父は昨年の11月急性骨髄性白血病でこのままでは余命1ヶ月の命、抗がん剤で治療をしても半年か1年の命と宣告され約2ヶ月間の強い抗がん剤の治療を耐え完全寛解とは行きませんでしたが年末には退院する事が出来ました。しかし又先月の中旬再々入院です。白血球が800程しかなく、その90%が白血病細胞で於かされており血小板を落としても強い副反応が出、グランの注射(白血球を増やす注射)をしても良い白血球は増えず悪い物ばかり増え、主治医のお話によると今のままでは、何をやってもどうしようもなく、いつどうなるか2週間先の命が解からないとの事で家族の同意が得られるのならば、抗がん剤の投与をしたいと説明がありました。勿論抗がん剤は本人の体力も体調も始めての投与の時とは状態が違うので1/3~1/4程度の物と言う事です。抗がん剤による成功率は20%程。成功をしても余命は2ヶ月程。後の8割は変わらないままか悪ければ2週間どころかもっと早く命を落とす事も…本人は抗がん剤をすると言っています。もちろん、自分が今その様な状態だと言う事は知りません、知っていたらいつどうなるか解からない命自然のままに任せるかもしれません。しかしいつどうなるか解からないのであれば、2割の成功に願いを託そうか…このまま何も出来ず死を待つよりやってみてダメだったら諦めも付くのかと…しかしそれによってたとえ1日でも早く命を落とす事もあるし…親と言っても自分自身の事じゃないので「やってみてダメだったら」なんて事が言えるのかもしれません、そんな事になったら取り返しが利かないのに。本人に聞ければいいのですが…崖っぷちに立っている父に死刑執行の様な事はとても言えません。これが皆さんの親ならどうしますか?抗がん剤にかけますか?それとも自然のまま死を受け入れますか?

  • 母の死が怖いです・・・

    小さい頃から両親の夫婦仲は良くなく、 その影響で家族全体が不和であまりコミュニケーションも上手く取れず、当たらず触らずの家族でした。 そんな中、数年前に父を亡くしました。 父の存在が無くなってしまった事に対してはとても悲しく思っています。が、元々あまり交流がある方ではなく、 普段から会う事も話す事もありませんでしたので 「もっと親孝行すれば良かった」「もっと交流すればよかった」と思う反面、 会わなかったのが会えなくなったに変わっただけで「以前と変わらず」と言った感じも否めません。 その後、私は実家を出て一人暮らしを始めました。 実家からはそれほど遠くなく、電車で30分ほどのところなのですが、 何か用事がない限り殆ど実家に行く事はありません。 それは、(1)行く用事がない、(2)実家は母と兄が生活していますが、 実家は実家のペースで生活サイクルがあるので、 私が行くとそれが崩れてしまいみんなに負担が掛かってしまうから との理由です。 そんな感じでなかなか実家に足が向かないのですが・・・ たまに母から郵便が届くのでそのお礼に電話をすると「たまには帰ってきなさい」と言われるのですが、 社交辞令のように聞こえて・・(親子で変な話ですが・・・) そんな事を思い、感じている私ですが、 さすがに母が亡くなる事を考えると、とても怖いです。 特に母と親しくしていたわけではありません。 逆に、ウザッタく思うことの方が多かったです。 親として、人としての見本になる親ではなく、半面教師的なところがありました。 一緒に旅行に行ってもイライラするばかりでした。 でも、亡くなる事を思うとどうしたらいいかわからなくなります。 おそらく、家族愛に恵まれていなかったので、それに飢えているんだと思いますし、 不和な家族でしたがそれでもやはり母親は母親なんでしょう。 最後の砦というか、心の拠り所と言うか、唯一無二のものなんでしょう。 その存在が無くなってしまうのは怖いし悲しいです。 「死」については「人はいつか死ぬ」と言うのは父の死もあったし重々承知していますが、 母の死は「会わなくても存在している」と言う感覚では無く 「この世から無くなってしまった」ものになってしまうのが想像できません。 私はまだ結婚もしておりませんので、自分の家族がありません。 そういった事から不安を感じているのかも知れません。 親に「依存」しているのだと思います。 こんな自分勝手で両極端な考え・気持ちを持ってしまっているのですが、 どう気持ちの整理をつければいいのでしょうか。

  • 死を受け入れる・死を待つ 気持ちをうまく保てません

    30代の既婚女性です。 この年になって幼稚かもしれませんが、人の「死」についてとても怖いです。 それを迎えるまで・迎えた後の気持ちの保ち方・心がけ方を教えて頂けないでしょうか? 下記は、私の今と今までの経験です。 ・90代の祖母について 現在、実母が祖母の介護をしています。わたしは、結婚をして家を出ていますが、徒歩圏内に住んでいます。 母は心やさしい性格で大変ながらも、祖母(実母)の介護に専念しています。 今年に入り、祖母が倒れて入院するなどさすがに身内の介護では難しくなり、デイサービスなどを利用しプロの介護を受け、母の息抜きの時間も作るようにしています。 わたしは日中は夜遅くまで正社員として勤務しており、土日は出来るかぎり顔を出しますが、当然自分の家のこともあり、やはり毎週とはいかず、また、顔を出したときに祖母は寝ているといったこともあります。 直接的に介護はできなくとも、母のサポートが出来るよう、食材の買い出しや話を聞くなどしているつもりでいます。 しかし、それも母の苦労に比べれば全くといって大したことではありません。 でも、息抜きに母と外出などは今の祖母に状態を考えても出来ないですし、母も望んでないと思います。 母はよくも悪くも真面目すぎる部分があり、介護にも全力で気疲れしているのをとても感じます。 わたしは、母に/祖母に何ができるのでしょうか? 小さいことでも良いのでアドバイスを頂けないでしょうか? ・祖父の死 祖父は数年前に、認知症で自宅介護ののち、老人ホームに入居、そこで息を引き取りました。 心やさしく穏やかな祖父でしたが、認知症になってからはやはり話が通じ無いことも出てき、あたってしまうこともありました。 しかし、家族に愛され身体は健康でしたし、素敵な一生・大往生だったと思います。 最後に看取ったのも偶然にもわたしが訪問したときでした。辛かったです。 ・ペットの死 数年前、がんと戦ったペットを無くしています。 最後は、家族と相談のうえ、いわゆる安楽死を選ばざるを得ない状況でした。 抱きしめた手から、最後の処置をする医者に愛するペットを引き渡し、処置をうける光景がいまでも思い出され、時と共に薄まってはきたものの、とても寂しくなります。 冷静に現実的に考えると、決断は間違っていなかったと思えるのですが、 当然毎日休まず仕事に行ったこと/もう一緒に過ごせないことへの後悔が募ります。 いつ亡くなってしまうのか・そんな日は来ないでほしいと現実を受け入れられないままその日を迎え、びくびくしていた毎日からの解放かホッとした感覚を思えました。 それは、あたかも自分を守るためかのようで、そんな感情を抱いた自分を責めました。 ペットも当然動くぬいぐるみでは無く・・去った後の暮らしは、心はさみしいものの、現実的に生活(お金/仕事など)は相変わらず・何も困らない ことにも一種の寂しさをおぼえました。 支離滅裂な文章、お許しください。 人生のヒントになる考え方など教えて頂きたく、よろしくお願いいたします。

  • 母の死 父の行動

    8月に交通事故で母を亡くしました。 あまりに突然で、すぐに病院に駆けつけたのですが、話もできず意識も戻らないまま逝ってしまいました。 3ヶ月たった今でも、まだ信じられない気持ちで涙が出てきます。その日から、家族で女は私だけなので家事と仕事を両立する日々になりました。元々、料理や洗濯などは少し手伝っていたのですが、やはり慣れない生活や慌しい日々の中でしっかりと母の死に向き合えないことや自分の気持ちの整理ができず、悶々とする日々です。 ただ、病院勤務している私は人の死というものに一般の方より免疫があるのか(家族の死はまったく違うものでしたが…)そんな気持ちになるのは当たり前なんだと…家族の中心にいた母がある日突然逝ってしまったのだから…自分のペースで母と向き合っていこう。母が大切に守ってきた家族の食事や最低限の生活は私が代わりに守っていこうと、それが母にできる恩返しだと思って、私なりに頑張ってきました。 しかし、先日、パソコン(家族共同)のメール整理をしていたときに誤って、父と他の女性とのメールを見てしまいました。ネットで知り合ったようです。すでに会っているようでお互いに気に入っている様子が伝わってきました。 母と喧嘩はしながらも仲の良かった父、病院や葬儀ではあんなに泣き崩れていた父、そんな父を見ていただけに凄くショックです。 母の死からまだ3ヶ月… それよりも前から行動していたということになります。 寂しさから出た行動なのかもしれませんが… なにか母が浮ばれない気がして…父が許せない状態です。 まともに会話もできません。父も私の行動に少し気づいているような気もします。 長文になってしまいましたが、父の行動をどう思われますか? 答えにくいとは思いますが…私(20代前半)はどのような行動をとればいいのでしょうか?

  • 母の死 どうやって乗り越えれば?

    35歳の男性です。先月母が亡くなりました。危篤状態からお葬式終了までは悲しみに包まれ、ショックでした。今は喪失感でいっぱいです。 秋口から(別の)病院に勤務したばかりです。直接医療に関わっていませんが、時折母と同じ症状の患者さんがベッドで運ばれていくのを見ることがあります。 私は危篤状態の母を思い出してしまい、目を背けてしまいます。胸にぐっと来てしまい、こらえるのが辛くなります。 今までとおり出勤しています。でも日常生活がむなしくなりました。母は忍耐強く前向きで、生活に楽しみをもたらしてくれる人でした。また私にとって広い意味で唯一の理解者でした。そんな大切な人を失い、生活に張りが無くなりました。 一方将来家族を持ちたいと思えるようになりました(今まではありませんでした)。そう母が思わせてくれたのだと思います。 ただ今は母のいない人生に意義を見出せなくなっています。自分が追い求める夢や生き方もありました。でも母の死に直面して、それらにどれほどの価値があるのか、と全ての物事に対して懐疑的な見方しかできなくなっています。 病院で目の当たりにした事実を乗り越えられていません。生命の限界、医学の限界、愛情の限界....こうした事態に直面して、自分の生き方に問題があるのかな、とも考え始めています。 親御さんを亡くした方から、アドバイスをいただけたらと思います。よろしくお願いします。

  • 家族の死が怖い

    家族の死が怖い 実家暮らしの女子大学生です。 数日前から突然、家族の死(特に母の死)を考えると不安で毎日涙が出るようになってしまいました。 先日までは平気で憎まれ口を叩き、母との喧嘩の際には(恥ずかしいですが)死んでしまえと言ってしまうこともありました。 しかしなぜか最近になって「もしかしたら明日、母が死んでしまうのではないか」という不安に駆られるようになりました。 とにかく母の側にいたくてめったにしなかった料理を一緒に作ったり、頻繁に話しかけるようになりました。自分でも驚いています。母を大好きだと思うといっそう不安で切なくなります。 家族の死を考え悲しくなったことはありますが、今回のようにこんなに強く不安を抱いたことはありません。 何か虫の知らせではないかと恐ろしく感じています。 アドバイスお願いします。

  • 母の癌、死への恐怖とは…。

     昔から気の合わなかった母が癌になりました。 以前にも乳がんで手術したことがあり、肺の下のほうで再発したそうです。本人は詳しいことは一切話しませんので、病状はすべて妹から聞きました。 母はとても思い込みが強く、手術や化学療法を一切受けようとせず、ありとあらゆる民間療法を試しています。 私は、それに対してなんとも思いません。助かってほしいとも思えないのです。 今までろくにお礼など言ったことなどなかったのに、先日急に「ありがとう」を連呼しだしました。セリフのように棒読みで。 違和感を抱きつつも、なにか気持に変化があったのかと思っていたのですが、ありがとうと何万回か言うことによって病気が治るという療法だったと知りました。 そんなことばっかりで、態度には表わしませんが、心の中ではすごく母に対して冷たい自分がいます。  私にはいくら想像してみても死への恐怖というものがあまり湧きません。もちろん未知の世界への不安というものは多少あります。 でもそれは私がまだ死というものに直面したことがないからなのかもしれませんが。 いくら折り合いが悪かったとはいえ、近いうちに死んでしまうかもしれない母に対して心からいたわりたいとおもいつつも、出来ません。 そこまでして何の為に生きたいのだろうと思ってしまいます。本当に自分でも冷たいと感じますが、この母にどう接していったらいいのか悩んでいます。 今のところ、表面的には冷たい態度はとらないように心がけているのですが…。

  • 死の恐怖症

    今までも全然感じていなかった訳ではありませんが、何故か気になったので、このサイトで「死」を検索し、 でてきたQ&Aを見ていたら怖くなり、「死にたくない」と強く思うようになってしまいました。 普通に仕事したり、遊んだりしてる間にも1時間、1分、1秒とどんどん時が過ぎ、歳を取り、 父や自分が死に近づいているかと思うととても怖くなり、時間が経つのが怖く感じます。 (母は既に亡くなっており、身内の死を経験しているのも、より恐怖を感じている一因ではないかと自分でも思います) どういう風に考えていけば良いのでしょうか。 メールカウンセリングを受けようかなとも考えていますが、受けた方が良いでしょうか。 死の恐怖症という言葉もネットでカウンセリングについて調べていて分かりました。 調べなければ良かったのですが、そう言っても仕方ないですね…。

専門家に質問してみよう