• ベストアンサー

外国の日記でも天気の記述は多いですか?

whale_huntの回答

回答No.1

自分はアメリカに住んでいるので、英語の日記について書いてみます。 自分が今まで見たところ、アメリカの日記では天気のことはあまりかかれてません。 日記はこちらでは、どちらかと言うと自分の心を明かすって感じみたいだから。。 その例として、いつも日記を書くとき、Dear Diaryってはじめます。 その後、自分がどう思ったなど、、 大したことが書けませんでしたが、自分の経験から言うとこんなところでしょう。。

関連するQ&A

  • 江戸時代に名字(姓)を持っていた農民、商人はいましたか?

    江戸時代まで名字(姓)が許されたのは、貴族、武士だけだと学校では習いました。一般庶民が名字を持つようになったのは、明治時代からだと思いますが、本当に江戸時代に名字を持っていた農民、商人はいなかったのでしょうか? 一部の有力な農民、商人の中に名字を持つ者はいなかったのでしょうか?もしいたら、それはどういう理由から持つことを許されたのでしょうか? ご教授願えませんか?よろしくお願いします。

  • 江戸時代の士農工商の人口比率は?

    江戸時代を通じで人口は一定であったという話を聞きました。 では士農工商の身分の違いによる比率はどうだったのでしょうか? 人口全体に占める武士階級がどれくらいであったのか? またその比率が江戸時代を通じてどう変化していったのかが知りたいところです。 江戸の初期は、藩の取り潰しなどで武士は一時的に減りますが、農民よりも経済的に恵まれていたので、徐々に増え続けていったのではないかと想像しています。 それからこれはうろ覚えなのですが、江戸では武士が人口の50パーセントを占めていたという話を聞いたことがあります。 今おもうと、江戸中武士だらけになってしまい不自然だとおもうのですが、真実はどうなったのでしょう。

  • 武士

    武士が身分を剥奪されて農民や賎民に落とされた事はあったのでしょうか?特に江戸時代はどうだったのでしょうか。

  • 江戸時代の結婚について

    江戸時代の(特に後期・幕末)結婚についてですが、身分制度で結婚できる・できないがあったと思うんですけど、どういう人同士が結婚できたんでしょうか。例えば、武士と農民は結婚できないとか、男が農民で女が武士なら結婚できるとか(これはあくまでも例です)。教えてください!!

  • 江戸時代、苗字を持っていなかった人の割合は

    江戸時代、公に苗字を名乗れるのは武士や特別に許可された農民だけでした。 しかし、ほとんどの人が苗字を持っていたと思います。 寺社に奉納した石碑などに、農民の名前が刻まれているのを目たことがありますし、 寺の過去帖で、村全員の苗字が載っているのを見たことがあります。 そもそも、名前だけだと、どこの家のものか区別がつきにくいですよね。 明治になって初めて苗字をつけた人がいるらしいですが、 そういう人たちの割合はどれくらいだったのでしょうか? あるいはそれは俗説にすぎないのでしょうか。 よろしくお願いします。

  • 江戸時代の農民の暮らし。

    江戸時代の農山村で農民(庄屋・名主を除く)が豊かに暮らしていた例を教えて下さい。 実質には「3公7民」「2公8民」とかいわれた中期以降の例です。 できれば、市町村のホームページに出ている具体例を希望します。 伊勢参りの道中で泊まった宿屋のめしが、ふだん食べているめしよりまずかった、というような記録はないですか。 明治新政府による「幕府は悪政だった」の教育が行き渡って、また戦後の教科書も農民は虐げられていたとの記述もあるが、江戸時代の農民は、実は豊かな生活をしていたという説があります。 これの検証です。

  • 江戸時代の大阪の北平野について

    江戸時代の大阪北平野とはどういう場所だったのでしょうか?(ちょっと調べましたが、江戸時代に入ってから、町人達は何処かに行ったみたいな記事が出てきたりしてよくわからなくなりました) またこの場所に住む人は、どのような身分(武士とか商人とか農民とか)の方が多かったのでしょうか?

  • 江戸時代、武士と農民の体重差

    江戸時代の身長は160cm程度が平均だったらしいですが、当時武士と農民の体格はそれぞれどのくらいが平均値だったのでしょうか。

  • 江戸時代と身分

    江戸時代の日本は、農民が土地に縛り付けられて、身分の固定によって浮上する機会もなく、現代のような「個人」は観念されない社会だったということですが、農民が過酷な年貢に苦しみ一揆・逃散・駕籠訴をすることはあっても、三圃農法によって中世からの脱却がはかられた欧州と違って江戸期の日本では革命的な動きや身分闘争というものは全く起こらなかったのでしょうか? 農民は親も自分も子も孫も、農民の子はずっと農民という身分に疑問をいだいたり、そこからの脱却を考えたりはしなかったのでしょうか。 吉田松陰は天皇の下にみんな平等という思想を持っていたようですが、江戸時代にこういった(擬似)平等的な考えをもっていた人物は他にもいたのでしょうか。 ご意見を賜れれば幸いです。

  • 武士と農民の違い(江戸時代)

    歴史の授業で疑問に思ったことを質問します。 江戸時代の武士と農民の違いは何なんでしょうか。 武士は武器を持っていて、農民は持っていない。 農民は農業を営み、年貢を納め、武士は年貢を納められる側。 このぐらいしか分かりません。(↑も合っているか不安です・・・。) それから、この二つの身分はどこでわかれたのでしょうか。 秀吉のときの兵農分離でですか。 それでは兵農分離のとき、その前に定められた制度(名前は忘れましたが、確か自分の耕している土地は自分の物になる、というようなものだったような気がします。)によって、土地を持っていた人が農民(百姓)で、その前に支配していた人が武士なのでしょうか。 長々とすみませんでした。