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江戸時代、苗字を持っていなかった人の割合は

江戸時代、公に苗字を名乗れるのは武士や特別に許可された農民だけでした。 しかし、ほとんどの人が苗字を持っていたと思います。 寺社に奉納した石碑などに、農民の名前が刻まれているのを目たことがありますし、 寺の過去帖で、村全員の苗字が載っているのを見たことがあります。 そもそも、名前だけだと、どこの家のものか区別がつきにくいですよね。 明治になって初めて苗字をつけた人がいるらしいですが、 そういう人たちの割合はどれくらいだったのでしょうか? あるいはそれは俗説にすぎないのでしょうか。 よろしくお願いします。

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  • ベストアンサー
  • mekuriya
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回答No.3

全国的には、ほとんどの人が苗字を持っていたという事実はありません。ただし、村を個別に見れば元々苗字を持っていた武士が帰農して村民になっていた村もあります。例えば武蔵野台地の多摩地区は、地形が水利に恵まれず、江戸時代以前は全く開発されていなくて原野状態でした。そこに徳川秀忠が鷹狩りに来て、代官に新田開発を奨励させるといったことがありました。多摩地区には滅ぼされた後北条氏の元家臣が大勢残っていて、そうした新田開発の募集に応じた人がいます。逆に代々農民だった人は新田開発に応募しない。農民とは保守的・守旧的な性質があり、冒険的な事業に乗り出そうという気概がある人が少ないのです。そういう村ならば、石碑や寺の過去帖に苗字が載っていても不思議ではない。しかし、そうした特殊な例を持って全国にあてはめるのは間違いです。江戸時代の村の規模は極めて小さく、人口は数百人から多くても千人を越えるぐらいです。保守的・守旧的な農民の性質から、農村は過去のしがらみ、立村の経緯を引きずって、どうしても細かく分かれたままで統合しようという機運が起きないのです。小さな村の合併が進んで町や市に昇格していったのは明治時代以降のこと。 17世紀末たまたまカムチャッカ半島に漂着した伝兵衛という人がいます。大阪の質屋の息子だったが、東京へ向かう途中に嵐があって、なんとカムチャッカ半島まで漂流したというのです。アイヌの村に拾われたところ、たまたまカムチャッカ半島を侵略していたロシア人に見つかってサンクトペテルブルクに強制連行されて日本人学校の校長として一生を終えたと伝えられています。そうした事はかなり後になってロシア側の記録から分かったことです。ところが、伝兵衛の苗字は伝えられていません。ただ伝兵衛というだけ。もし苗字があったなら、ロシア人に対して遠慮なく伝えたはずです。ロシア人に対してなにを遠慮する必要があろうか。 カムチャッカ半島には伝兵衛の後にゴンザとソウザの2名も漂着した事例があったことが分かっていますが、やはり苗字は伝えられていません。どちらもロシア側の記録によります。アイヌは文字を持ちませんから、カムチャッカ半島がロシア領になる以前のことは全く分からない。 また幕末には一介の漁民から旗本にのし上がったジョン万次郎という人がいます。この人も漁に出てたまたま無人島に漂着したところをアメリカ人に見つけられてアメリカで学業を受けさせてもらってアメリカ通になったところを日本へ帰国後に評価されて旗本に取り立てられて苗字を許されました。中濱村出身だから、中濱万次郎となのりました。もし元々苗字を持っていたというなら、その苗字を名乗ればよい。しかしそうしなかった。他に思いつく苗字がない。だから出身地の中濱村から苗字を貰ったわけです。 石碑も過去帖もいいのですが、あったあった、それ見たことかと大はしゃぎにそればかりが一人歩きしている現状はいかがなものか。

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回答No.5

不適切な表現や失礼にあたる表記等ありましたらご容赦ください。 私の先祖は農家です。また、歴史に詳しくはありません。 しかし、これは屋号(家号)ではないかと思います。 農民であって江戸時代ならば一応、苗字(姓)ではなく『屋号(家号)』ではないでしょうか? 屋号は地方にもよるらしいのですが 私の先祖は[地方]の農家で屋号とかそういう呼び方をしたか否か解りませんが、関東圏の知り合いで農家の人でいました。 屋号と今の戸籍の氏名が違う農家のかたです。 土地の人が久々に戻った私の知り合いに此処の家の人なら屋号、○×だと名前ではなく正確な屋号で呼んでいました。 農家の名字に聞こえる屋号です。 >江戸時代、公に苗字を名乗れるのは武士や特別に許可された農民だけでした。 … また、商人なら屋号はよく聞きますが農家の屋号はピンとこないのですが由来は色々だと推定します。 江戸時代の古文書なら人物を区分するため、あくまで区別するために農民でも商人の様にその土地や家屋の名前、屋号を使い、有力な農民や商人はあくまで実用上、姓ではなく屋号をつかった。 と思います。 >明治になって初めて苗字をつけた人がいるらしいですが、 >そういう人たちの割合はどれくらいだったのでしょうか? あくまで個人に付く氏名、姓名の話ならばずばり、人口比率だと思います。 屋号をそのまま名字としたか否かは当時の人次第だと思います。 関係しそうなサイト 屋号、家号(ウィキペディア)→『日本』欄を主に参考くだい。 地域によっては家の姓に代わるものとしても用いられたの ↓↓ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%8B%E5%8F%B7 苗字(ウィキペディア) ↓↓ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%97%E5%AD%97

  • Verhalten
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回答No.4

むしろ、苗字を名乗ろうとしない平民に苗字を名乗らせるのが 平民苗字必称義務令です。 飛鳥時代には私地私民制が普通であり、曲部と言う私民が普通でした。 大伴氏の私民も大伴部と言う苗字を持っていました。 これが奈良時代になると公地公民制になり、 困窮の極みへと進みます。 江戸時代の知行は土地と、そこに住む百姓を貰う物ですから 公に苗字を名乗る事は禁止されていました。 しかし、苗字御免者以外でも寄進の時は公に名乗るのは許されましたから記録があります。 (小川寺の梵鐘の寄進) http://www.city.kodaira.tokyo.jp/kurashi/022/022836.html

yoshinobu_09
質問者

補足

ありがとうございます。 「近世の百姓は、誰しもが苗字を持っていた。しかし、一部の者を除き、苗字を公称することは禁じられており、彼らが苗字を用いるのは、武士の関わらない村の仲間どうしの、どちらかといえば私的な場面に限られていた。そのため、彼らの苗字が記録に残されることは少なく、私たちの目にとまりにくくなっているのである。」 というのが紹介されていたサイトのまとめですね。

回答No.2

こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 江戸に限って言えば、 庶民が約50万人。 武士は軍事上の秘密から公表はされていませんが、町割図や武官帳から察して約50万人。 つまり、江戸は100万都市だったのです。 と、なると、武士の50万人は苗字を持っていたことになります。 では、庶民は・・・と言うと、医師や相撲取り、庄屋などが苗字を名乗ることを許されていました。 正確な史料はありませんが、職業分類台帳などから推し測って、約10%位でしょうか・・・。 面白いところでは、 慶長5年(1600)に家康が関が原の戦いに出陣したとき、東海道の鈴ケ森八幡神社の前に茶店を造り、揃いの赤ダスキに赤手ぬぐいを被った遊女8人にお茶を出させた。家康はこれを大変気に入り、戦いで勝利して江戸に帰ると、その男に遊女屋の開業を許可したのである。男は当時、柳町に遊女屋を営んでいた「庄司甚右衛門」という者で、許可がおりたのは元和3年(1617)だったという。日本橋葦屋町(ふきやまち)に公認の遊女屋を造ることを指示したが、このあたりは、まだ一面の葦(よし)野原であった。そこで、めでたくもじって「吉原」としました。 この男に家康が直々に「庄司」と名乗ることを許したのです。

  • misawajp
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回答No.1

地域によって大きく異なるようです 私の済んでいる地域では、明治の姓を公に名乗れるようになった時点で、ほぼ全員が先祖から受け継がれて来た姓を名乗ったそうです(田舎です) 近畿地方などでは、少なかったようです 多い少ないにはいわゆるエタヒニンも関係しているのかもしれません

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