解決済みの質問
若尾文子が一番人気があったのは、
田宮二郎と共演の映画「不信のとき」という映画の頃ですね。
1968年の映画ですが、主演が若尾文子となっていましたが、
田宮二郎が抗議をして主演が田宮になりました。
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=142462
投稿日時 - 2007-10-18 20:19:47
お礼
早速のご回答ありがとうございました。
60年代後半ごろに人気が大きかったということでしょうか。
大変参考になりました。
投稿日時 - 2007-10-18 20:21:41
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ベストアンサー以外の回答(2件中 1~2件目)
吉永小百合さん、岩下志摩さん、若尾文子さん、山本富士子さん、星百合子さん、小山明子さん・・・。
をリアルに見つめてきました。
少し、ブラウン管(いや、今は、ブラウン管じゃないです。わかってます)や、銀幕(映画のことです)から、遠ざかっても、少しも、色褪せることのない、きらびやかな、星です。
えーっと、ハリウッドに例えると、汚れ役をしなかった、「オードリー・ヘップバーン」です。
ドラマで、バーのママ役をやっていたことがあるんですが、お店のコンセプトが、「我が家のくつろぎ」で、店に入ったときが、「お帰りなさいませ」帰るときが、「行ってらっしゃいませ」
これって、相当、前の作品です。
「今」そのものです。
投稿日時 - 2007-10-18 21:23:41
お礼
ご回答をどうもありがとうございました。
大変参考になりました。
投稿日時 - 2007-10-19 10:41:08
若尾文子は、今でも往年の大女優の一人として、舞台やテレビドラマで重きをなしていますが、やはり映画女優であったことがその人気のベースになっています。
ウィキペディアに書いてあるように、1952年のデビューから1971年の倒産に至るまで一貫して大映の看板女優の座を占めていました。特に人気の双璧だった山本富士子が1963年に解雇されてからは、大映の最大の主演女優として、きらめくようなオーラを放っており、当時、若尾文子といえば妖艶な美人女優の代名詞になっていたのです。
その頃の若尾文子の人気は、現在の感覚では表現しきれないほどです。
このように映画で人気を得た女優だっただけに、1960年代後半に映画産業が衰退するのに伴って、相対的に彼女の存在感も薄くなっていったように思います。大映倒産後の映画出演本数が極端に減ったことが、それを如実に表しています。
大映倒産後は、活躍の場を舞台やテレビドラマに移しましたが、端的に言えば、これは、映画で頂点を極めた残滓のような感じがします。なぜなら、映画では彼女より格下の女優たちもテレビドラマの主役になっており、それと同等に見られたからです。
結局、映画女優としての若尾文子に真の人気があったのは、映画産業が衰退する1960年代後半(昭和40年代前半)までということになります。
参考URL:http://movie.goo.ne.jp/cast/94966/index.html
投稿日時 - 2007-10-18 21:21:44
お礼
ご回答をどうもありがとうございました。
映画産業が衰退して、テレビドラマに移ったことが、人気の低下に繋がったということでしょうか。
大変参考になりました。
投稿日時 - 2007-10-19 10:40:16