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神の存在

ganesha_meの回答

回答No.7

この質問は素朴でいて実に面白いと思いました。 まずは私の意見を述べさせて頂くと、 ごく自然な行為だと認めるべきだと思います。 古来、人間はこうして部族や民族を守ってきました。 世界各地で違う教えをもってしても仲良くやってきました。 信仰心とは、一つに不安の解消というところがあると思えます。 人は歳を経ると自ずと拠り所を失ってゆきます。 誰も居ない何もない暗闇が続けば、人は何かにすがりたくなるものです。 kaiga123さんとしても、神は信じなくても漠然とした何かを、 心に巡らすことはあると思います。 きっと、その漠然とした何かをどうにか形にしたい、 切なる願いが信じるべき神を生み出したのかもしれません。 そしてその神を信じる人々にもそれぞれ価値観や考えがあります。 別の教えを作ったり、自分の拠り所となる場所を 築いたりしてきました。 神を否定するのは勝手ですが、 人を否定するのは哀しい出来事です。。 ただ何故か信仰にはそういう側面が付きまといます。 例えば自分だけが正しいと生きて行けば、 人の意見を素直に受け入れられなくなってしまいます。 それは神の存在如何に関わらず人間に内在する問題のように思えます。 信仰とは、偉大なるものに触れ怖れを抱ける喜びだと考えます。 先人の知恵を学べるのは良い機会で素晴らしい体験だと思います。 私は神や仏を信じる姿勢でいますが、かと云って特にすがる気はありません。 自信を持ってどちらも良くそのどちらも大切だと考えています。 本来、宗教は人の為にあるのであって、 信仰の為に人があるのではないと言いたいところです。 そこを差し違える方は人として尊敬に値しないと考えています。

kaiga123
質問者

お礼

有り難うございます。宗教被害に遭われる方が方々であるので こんな質問をしてみました。

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