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敬語の在り方や意識について、うまく子供に伝えられない

yyk2005の回答

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  • yyk2005
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回答No.4

こんにちは。 心配されるお気持ちも分かりますが、お嬢さんのおっしゃることにも一理あると思います。そもそも、日本語における敬語は敬意のある・なしではなく、自分から心理的に遠い人には使い、自分から心理的に近い人には使わないという「そと」と「うち」の感覚を表現するものだったそうです。とすれば、担任の先生を「うち」と感じているお嬢さんが先生に向かって敬語を使わないのは、この筋でいくと当然ということになります。担任の先生にしてもお若い方であれば、敬語を使われない方が親しまれているという感じを持って返って喜んでいるかもしれません。 ただし、現在はまだ敬語が生きている時代ですので、敬語を使えないとその程度の教養しかないのかと思われる恐れがあります。そういう恐れがあるということをお嬢さんに伝えてみてはいかがでしょうか。すなわち、「先生とあなたとの会話を誰か他の人が聞いていたら、あなたの教養が疑われるわよ」と言ってみるのはいかがでしょう。これは、敬意があるからこそ敬語を使うべきである、というご質問者様のご意見に沿うものではないかもしれませんが。 参考までに。

tekitash2
質問者

お礼

ありがとうございます。 参考にさせていただきます。

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