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ゼノンのパラドックス克服法

asterの回答

  • aster
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回答No.5

  ゼノンのパラドックスは「哲学的問題」なのです。そこで問われていることは、「時間は無限分割可能か」「空間は無限分割可能か」、そして「時間の瞬間」とは何か、「運動の連続性とは何か」と云った問題です。 ニュートンに始まる古典力学は、空間の基本的な「等方性」と「等質性」を前提にし、無限分割可能と「仮定」して構築されています。また「時間」は、空間同様「等質性」を持ち、これも無限分割可能で、「瞬間」は、実数線と等価とされる時間の次元において、デーデキントの切断点が、瞬間点であると考えています。 これは古典力学の「時空」であって、このなかで、速度は、質点の「連続運動」における「時間微分」であると定義し、このように「物理数学的モデル」を作っているのです。 しかし、ゼノンのパラドックスが現代でも問題になるのは、それは、モデルを構成する際に、現実の世界はどうなっているのか、空間や時間の無限分割可能性を認めると、おかしなことが起こるのではないか、という「問題提起」をしているので、なお意味があるのです。 ゼノンのパラドックスを数学的モデルで解決することは、簡単に行えるのです。「亀とアキレウス」のパラドックスでは、ゼノンに限らず、誰でも、アキレウスが亀を、現実の時間のなかでは、追い抜くことは「分かっている」のです。 では何がパラドックスかと云えば、「時間の無限分割」という過程が、一段一段の分割において、有限の時間を必要とするのではないのか、それとも、「分割は瞬間に可能なのか」ということが問題なのです。 数学的モデルのなかでは、例えば、微分操作は、瞬間に完了するとされているのです。また、「微分可能空間」「微分可能時間」というものを考えてモデル化しています。 しかし、現実の世界の「経験する時間」や「経験する空間」は、数学的モデルの時間や空間とは違っているというのが重要なのです。もし、この重要性がなければ、2世紀か3世紀前に、ゼノンのパラドックスは、古代の無知な人が、曖昧な概念で思考した結果出てきた、つまらない錯覚だで、解決されていたでしょう。 しかし、今なお、このパラドックスが問題になるのは、例えば、湯川先生は、素領域の理論というものを提唱したのですが、これは、詳細は理解できませんが、空間の「等質性」を、微細構造において、否定しているのです。空間が等質なら、どんなに細かくして行っても、同じ性質の空間がどこまで存在しているはずですが、どうもそうではないと先生は考えられたのでしょう。 また、実際に、空間や時間の無限分割可能性や、等質性など、どこにも証明も実証もないのです。古典力学のモデルは、その誤差のなかで、実用的に(プラグマティックに)有効であった。観察事実と理論計算のあいだに、誤差が見出せなかったということなのです。 しかし、超弦理論などは、超弦の太さというか、直径が、「空間の最小単位」を決めているらしいのです。これが、空間の最小単位かどうか分かっていませんが、無限に微細な構造にまで、空間が等質であるなどという証明はないのだというのは、事実なのです。 あるのは、モデル理論が、観察誤差の範囲で、現実のできごとと数値的に一致するということで、観察精度をもっと高めて行くとどうなるのか、数学モデルでは、どこまで空間は微細化でき、だから微分操作も可能なのですが、現実の空間は、どうも違っているということが、分かってきているのです。 違っているのが当たり前であって、古典力学は、相対性理論の時空理論で修正され、更に量子力学の時空理論でも、制限が加わりました。 現在、統一場理論は、完成していません。完成する見こみが疑わしく、仮にできあがったとして、その時、更に、微細な時空の構造について、観測精度が高まると、従来の観測データを元に構成された統一場理論は、そこで、成り立たなくなってしまう可能性があるのです。 人間は神ではありませんから、無限に高度な観測精度で、データを得ることはできません。また、精度を上げるには、例えば、直径が、地球の軌道ぐらいの加速器を使って実験するしかないというような話になり、もはや、現実に観測可能な実証データ取得の可能性を超えてしまっているのです。 しかし、そのような巨大な加速器を使っても、もっと高いエネルギーで観測すると、更に別のデータが出てくるかも知れないのです。 こういう問題は、時間は無限分割できるのか、空間は無限分割できるのか、という問題に、すでに、含まれていた問題なのです。 ゼノンのパラドックスは、適当な数学的モデルに当てはめると、簡単に解決するのです。しかし、「実在の時間や空間」はどうなのか、という問題として、この問題は解けないのです。 「パラドックス」の形を取って、時間や空間や、点の問題(アポリア)を、提示しているのが、ゼノンのパラドックスなのです。だから、解決すると言えば、簡単に解決するし、解決しないと言えば、本当に解決しようがないのです。 「無限」に関する問題は、メタ数学でも、解決できないディレンマを生んでいるのです。  

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