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マリアナ沖海戦について。

toro321の回答

  • toro321
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回答No.4

343空が活躍できたのは、紫電改を与えられたからで、ようやく、米軍の戦闘機に対して十分に戦える機体が生産できたからです。 マリアナ海戦では、戦闘機は零戦52型で、もう旧式化してました。 速度に勝る米軍戦闘機が2機でチーム組んで、一撃離脱戦法を取ってからは、零戦に勝ち目はなくなってます。 しかも、この海戦は、小沢提督が、アウトレンジ戦法を取り、かなり遠い距離(航続能力一杯)で発艦させたため、米軍に迎え撃つ準備をたっぷりとさせたり、練度の低い搭乗員に長時間操縦させたため疲れさせたり、味方撃ちしたりと、大失敗に終わっています。 米軍が地上攻撃に発艦させた機体が日本軍を迎え撃つのにちょうどよかったとか、天佑も味方しなかったというのが実情でしょう。 また、その稼動機数も日本400に対して米軍は1200ぐらいですから、勝つことは難しかったと思いますよ。

patapatata
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >343空が活躍できたのは、紫電改を与えられたからで >マリアナ海戦では、戦闘機は零戦52型で、もう旧式化 なるほど。持ってた戦闘機の性能差は大きかった。 旧式では…。。。 343空の人達は性能差が無くなったから、アメリカ軍に対抗できたんですね。 >アウトレンジ戦法 有名な作戦。日本軍機の有利な性能、航続距離をうまく使った、見事な作戦。なんと、敵が攻撃できない距離から、発艦、一方的に攻撃できるはずだったのだが…。。。 無理に無理を重ねた結果…壊滅してしまった涙 >その稼動機数も日本400に対して米軍は1200ぐらいですから、勝つことは難しかったと思いますよ。 3倍か…勝つ事は難しいでしょうね。 343空の人達でも、旧式戦闘機では、あまり活躍できなかったかもしれませんね。 少し、アメリカ軍の損害が増えるくらいで日本軍の損害は変わらず、母艦は沈んだでしょうね。。。涙 ありがとうございました。

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