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マリアナ沖海戦について。

noname#26663の回答

noname#26663
noname#26663
回答No.3

>訓練不足で母艦の離発着がやっととか、隊長機まで実戦経験が無かった為と聞いています。 レイテ突入の際、敵機動部隊を早期に発見しますが更に懐深くへ進入。 敵の索敵機に補足されてから全機を投入します。 帰還ガ困難ナ場合、マニラ空港ヘ着陸セヨ。 (着艦経験が殆ど無い搭乗員が多い。)の追加指示を与えましたが、 途中スコールに遭い、多くが離散してしまい目標を見失います。 (計器飛行が出来ない) 目標に到達出来た機体は数機であったようです。 (いずれもベテランパイロット) 爆装零戦による至近弾、ベテラン搭乗員の艦攻による命中弾1発が戦果であったようです。 小沢機動部隊に帰還した機体は数機程度になっていました。 オトリ部隊として敵の空襲にさらられる寸前、残存零戦を発進させ、 発艦シテマニラ空港ヘ向カエ。の指示を出しますが、 零戦3機は途中で遭遇した300機を相手にひるみもせず敢に防空戦闘を開始します。 これが小沢機動部隊の最後の戦闘になります。 マラリアで参加出来なかった搭乗員や、歴戦の勇士は点在しており、 これかき集めた訳です。

patapatata
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 これは・・・レイテ沖海戦の時の航空隊の戦いですね。 ちゃんと、戦ったんですね。 ほとんど搭載していない空っぽ空母では無かったんですな(笑) >レイテ突入の際、敵機動部隊を早期に発見しますが更に懐深くへ進入。 何!日本軍の方が先に見つけていたみたいな感じの書き込み。 更に懐深くへ進入…なぜ??? >途中スコールに遭い、多くが離散してしまい目標を見失います。 …悲しい。。。涙 >目標に到達出来た機体は数機であったようです。 ベテランパイロットは数人しかいなかったんですね涙 >爆装零戦による至近弾、ベテラン搭乗員の艦攻による命中弾1発が戦果であったようです 頑張ったんですね。でもなんにあたったんだろう? 航空隊の意地を見せつけましたな。おとり部隊なのに、先に攻撃できたのは奇跡ですね。 >発艦シテマニラ空港ヘ向カエ。の指示を出しますが、 小沢さんの最後の優しさなんですかね。 >零戦3機は途中で遭遇した300機を相手にひるみもせず敢に防空戦闘を開始します。 >これが小沢機動部隊の最後の戦闘になります。 たった3機(涙)でも母艦を守ろうとするのはパイロットの意地なんですかね。 最初は何機くらいだったんですかね? これが、最後の機動部隊ですか…マリアナ沖で本当に壊滅したんですね。。。かき集めてもこれだけだったとは涙 ありがとうございました。

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