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eBet の出題内容について (名張毒ぶどう酒事件に関する賭け)

名張毒ぶどう酒事件について調べていたところ、偶然このようなサイトを見つけました。 http://ebet.jp/user/bet/solebet/result.php?BetCD=192658 人の命が奪われ、また冤罪か否かで一人の人間が裁かれているこの事件についてこのように軽々しく賭けをする人間が存在するということを知ってゾッとしました。 最近は善より悪がはびこる世の中なのだと諦める部分も多々あるのですが、このように賭けをすることに対して私が不快感を覚えるのはおかしいのでしょうか。皆さんの意見を聞きたく投稿させて頂きました。できれば年齢、性別なども教えて頂きたいと思います。よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#22262
noname#22262
回答No.1

こんにちは。 賭の対象にしているなんて、信じられません。人間性を疑います。 なんだか悲しくもなりますね。 冤罪や死刑制度、裁判員制度の導入など、いろいろと考えさせられるものがあり、関心がありますが、こういう人たちがいるんだと考えると残念です。 20代 女性

mint_an
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 同じような意見の方がいて安心しました。ただ最近の日本を見ていると、大多数の人はひょっとしたらそんなことはどうでもいいと思っているのでは、と思ってしまいます。 自己中心的で自分さえよければいい、というような考えの人が増えているせいでしょうか。 この荒んだ社会をよくする方法はもうないのでしょうか。本当に残念で仕方がありません。

その他の回答 (2)

  • Kissradeu
  • ベストアンサー率11% (3/26)
回答No.3

私はこういうことをやってもいいと思います。 新聞やニュースを見ないが、こういうものは見るという人も世の中にいます。 そういう人にこの事件を知るきっかけを与えるために、こういうやりかたは有効です。 死刑確定までいった事件が冤罪か否かという真面目な裁判を賭けの対象とすることの倫理的な問題と、より多くの人が事件を知り考えるようになる社会的利益の可能性を比較して、後者の方が大きいと考えました。 つまり特殊な形の報道と解釈したのです。 ただ、倫理的な問題が存在する以上、見て不快感を持つ人をおかしいとは思いません。 これはどちらかが絶対的に正しいという答えの存在しない問題だと思うからです。 30代 男

mint_an
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 この賭けによって、この事件に真面目に興味を持つ方が増えることを祈ります。 私とは全く違う視点でこの問題を見ていらっしゃるので、大変参考になりました。

mint_an
質問者

補足

本来なら回答して頂いた皆さんにポイントを差し上げたいのですが、それは不可能なため、回答して頂いた順にポイントを付けさせて頂きます。ありがとうございました。

noname#22288
noname#22288
回答No.2

僕はかまわないと思います。 自分自身が、この賭けについてどう思うか、 知っていたとして参加するかは別問題ですが、 このサイトに違法性がない以上、止めるべきとは 軽々しくいえません。 40台、男性です。

mint_an
質問者

お礼

貴重なご意見ありがとうございました。 > このサイトに違法性がない以上、止めるべきとは > 軽々しくいえません。 サイト自体には問題はないのですが、このような内容の賭けが許されることに腹立たしさを覚えました。もちろん参加者に対しても、ですが…。

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  • 貶すだけでは 前へすすまない。

     よしあしの二項対立を立てる思考から自由になろう。という問いです。  1. 悪は 存在しない。もしそうとすれば善を損傷させる・もともとは善なる意志からの――わが心にさからう心としての――思惟と想像とその実行のことを・つまり負の善を 悪と呼ぶだけである。  2. 聖と俗とは 人間とその思想や意志行為のあいだには 相い対立するふたつの事柄としてはありえない。これを互いに隔たりのある二項として捉えるなら そのときの《俗》であるしかない。  3. 自律と他律というのは それぞれが一面を捉えて言ったものであるに過ぎない。  親が決めた仕事をするのは 他律か? もしそれに従ったなら けっきょく大きく広くおのれを取り巻く情況を捉えて みづからの意志としてそれをえらんだに過ぎない。  自律と言っていても 社会の要請にこたえたり歴史の中からその要請のような流れを捉えてそれにこたえたりするに過ぎない。自他一体であるはずだ。  4. だから その世の中にあってさえ 自律を説く側に回るのは けっきょく《憂き世》を《浮き世》と言いかえているに過ぎない。  世の中は他律人間ばかりぢゃないかとうそぶく思想は 憂き世を乗り越えて出世したときには その身の保守のためにむしろ上にへつらう他律人間になるか それともあいにく成功しなかった場合には 浮き世ぢゃ浮き世ぢゃと騒ぎながら やはりこのわれこそが宇宙なんだとさらに嘯くことになるかだ。  これを問います。