• ベストアンサー

なぜ「逃げ」はいけないとされるのか

よく「逃げるな」「そんなのは逃げだ」という台詞を見ますが、何故逃げる事が行けない事と判断されるのでしょうか? 本人にとって逃げる事が本当に必要な場合もあると思うし、 そもそもその選択肢が「逃げ」かどうかというのは、そんなに簡単に他人にわかる事ではないと思うのです。 例えば『いじめられた時に不登校になるのは逃げだからダメだ』や 『今ここで転職をするのは逃げではないか』等、具体例に関してどう思うか、 など議論するのでは無く、一般論として 「逃げはダメだ」と言われる原因を自分なりに書いて下されば嬉しいです。 わかりにくくてすみません。

noname#22862
noname#22862

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • tomy41
  • ベストアンサー率22% (322/1401)
回答No.6

そうですね、 まず前提として「逃げることはいい事でも悪いことでもなく行為である」ということです。自分の考えとしては「逃げなくても済むことは極力逃げない、しかしどうしても逃げなければならない状況だったら潔く逃げる」 これは大抵の人が納得してくれると思います。 次にどうして「逃げることはいけない事」というのが一般的に存在するのでしょうか。まず「逃げなくてもいい事で逃げること」「少しがんばれば逃げずに済むこと」などで逃げるのは自分のためにもあまりよくないことでしょう。その辺の線引きでしょう。ある人はここは逃げずに済む、しかしある人はここは逃げるしかない。人によって判断はそれぞれです。 そしてもう一つ、ある人にとってはそれは逃げだ。別の人にとってはそれは攻めだ。その判断の違いでしょう。転職などはこれに当てはまると思います。 まとめると、人による「逃げる」判断の線引きの違い。 そして「逃げる」ことの捕らえ方の違い。 が、さまざまな誤解を生んでると思います。 また日本では武士道や戦時中の教育などで逃げることは行けない事と叩き込まれてきたのもどこかに生きてるのではないかと思います。

その他の回答 (14)

  • mike_momo
  • ベストアンサー率28% (14/49)
回答No.15

私もほぼ皆さんと同じ意見です。 「逃げ」といわれればすごく後ろ向きな感じがしますが、「回避」は前向きだと思いませんか。 「誰かに決められた道を必ず行かなくてはならない」という決まりでもあれば、それに従わなければ確かに「逃げ」だととられます。 でも、自分の進む道って誰かに決めてもらって行くものでしょうか。 子供の頃は確かに親に導かれ進んで行くかもしれませんが、自分の進路を決めていく時、親を含めた誰かと相談はしても最終的に自分の意思で決めて、自分の足であるいてきてはいませんか? 確かに物事には「道理」があります。でもみんなが同じことに「右へ倣え」をしていたら大変危険なことだと思います。思想は常識の範疇を超えなければ自由だと思います。 誰がどんな問題で悩み、苦しんでいたところで最終的には「変わりたい」「何とかしたい」という本人の意思ではないでしょうか。 何かの弊害があってまっすぐ歩いていくことができない道であれば、本人の意思でたとえ回り道をしてでも何とかしたいという「回避」は、ものすごく前向きな考え方だと思います。 今まで継続して行ってきたことを突然止め、別のことを始めたとしても十分考え正しいと決めて行うことなら、決して「逃げ」ではなく「回避」だと思います。 急がば回れと言いますよね。 「それは逃げだ」 「違う、回避だ!」ってね。 長文で失礼しました。

  • wetton
  • ベストアンサー率13% (9/69)
回答No.14

人間、「逃げ」と自分を「守る」が同居したときには、それは逃げにならないと私は思います。 ホントに簡単で申し訳ないです。

noname#24152
noname#24152
回答No.13

>本人にとって逃げる事が本当に必要な場合もあると思うし、 >そもそもその選択肢が「逃げ」かどうかというのは、そんなに簡単に >他人にわかる事ではないと思うのです。 その通りです。 私の知っている人に、学校で酷い暴力をともなったいじめを受けている人がいましたが、彼は、結局暴力を受けている中で、目を怪我させられ失明してしまいました。 彼は不登校した方が良かったのです。 危険は避けなければ、取り返しのつかない事態を招く可能性があるという事です。 人間は、逃げる事が必要な時は、逃げなければいけないのです。 kinakokanさんも、くれぐれも人生の判断を間違わないようにしてください。

回答No.12

あくまでも、私の場合ですが。 その状況の原因が自分が蒔いた種であったり、少なからず自分に責任がある場合は逃げたくないし、逃げ切れたとしてもきっと後味が悪いと思います。 ※そのつもりはなかったのに、相手を傷つけたり怒らせたりしてしまった場合も、<私>に責任があるので謝ります。 要は、謝るべきところは逃げずに謝る、失敗を逃げずに認める、日々の生活や対人関係の小さなことをひとつひとつ逃げずに対処して行くことで人間は自信を得、周りからも信頼される人に成長して行けるのだと思うし、修羅場から逃げ続けて来た人というのは、お寺で座禅を組んでも、社会的に成功したとしても、ひとつひとつのことにちゃんとけじめや結末をつけて来なかった自分を誰よりも知っているので、いつも何かに急き立てられているような強迫的に気持ちに苛まれ、心が晴れないのではないでしょうか。。。 偉そうなことを書きましたが、今まで全ての事象に対して完璧に逃げずに対処して来たか?と訊かれれば、私の答えは当然「NO」です。(笑) でも、「自分のおとしまえは自分でつける。」という信念と気概だけは、しっかり持ち続けて生きていたいと思っています。

  • pugpugstm
  • ベストアンサー率35% (29/81)
回答No.11

人が問題に直面した時にとる手段は3つあるといわれています。「抵抗・闘争」「順応・服従」「逃避」です。 逃げ=逃避ですが、逃避ばかりになる事がいけないのではないでしょうか?同じように人が生きていく上で抵抗ばかりもダメだと思いますし順応ばかりも如何なものでしょうか?昔の戦国武将だって逃げるべき時はちゃんと逃げてましたよ。 目的を決めてそれに到達するように抵抗・順応・逃避を使い分けるのは良い事だと思います。しかし全てから逃避・何でも逃避では何のために生きているんだか分かりません。自分的にはこのように理解しています。

  • G131
  • ベストアンサー率26% (195/746)
回答No.10

>一般論として「逃げはダメだ」と言われる原因を自分なりに 一般論としては逃げ=責任逃れ(他者や自分、物事に対して)、だと思います。 でも、一般論では語れないですよね。 その環境や状況、立場によって「逃げ」の意味というか選択のひとつとしてあるからでしょう。 質問者さんが「そんなに簡単に他人にわかる事ではないと思うのです」と仰るように、一般論で語ることに無理があると思います。 また、20年前と今とでは「逃げ」の捉え方(社会情勢)も違いますので、世代や取り巻く環境によって左右されるものと思います。

  • chocola
  • ベストアンサー率8% (6/69)
回答No.9

なぜ「逃げ」はいけないかというと、「逃げる」という言葉は、否定するときに使う言葉だからです。 別の言葉に置き換えて考えた方が、言葉にとらわれずに、純粋に良い方法を思いつけるのではないでしょうか?

  • PaPaJohn
  • ベストアンサー率41% (48/116)
回答No.8

いままでの人生の中でかなり逃げをうってきましたが(笑)、逃げかどうかというのが簡単に他人にわかるということはないという質問者さんの意見にはまったく同感です。 今まで逃げてきた中でひとついえるのは場当たり的な逃げはよくないと言うことです。 たとえば職場で上司とどうしてもソリが合わなくてやめたいと思った。というときに、ぽっとやめてしまうというのは場当たり的な逃げですよね。 そうではなく、なぜ合わないのか?合わせる事は不可能なのか?辞めなくてもいい方法はないのか?辞めた場合、今より条件はよくなるのか?などいろいろ考えて行動した結果、新しい職場に行けば今よりもいい上司の元で働けるいう確証を得たから転職した。というところまで行き着けばそれは単なる逃げではないと思うのです。 最初のスタートが上司とうまくいかないというマイナスからはじまってますので、場当たり的な逃げでもプラスマイナスゼロもしくはプラスに転じてうまくいくこともあるでしょうが、それはあくまでもたまたまそうなったに過ぎません。 その原因を理解しないままでは同じようなことを繰り返してしまう可能性は非常に高いはずです。 人間生きていくからには日々いろんな問題を解決しなければなりません。逃げるというのも解決策のひとつですが、また同じ問題に直面する可能性があるかぎり、場当たり的な逃げというのは下策だと思います。 つまるところ、そこにその人の本当の幸せがあり、実行が可能であればニートになることも逃げではないと思っていますが、経済的に実行が可能かどうかを理解しないまま仕事がイヤだからといってニートになることは場当たり的な逃げ、つまり本当の逃げとして避けなければいけないものだと思ってます。

  • chajin
  • ベストアンサー率39% (11/28)
回答No.7

諸説あるかと存じますが、私見をご紹介させて頂きます。 結論から申しますと1「逃げ癖」がつく2「後悔が残る」からではないでしょうか。 「全力を出し切っていないハンパな状態」で途中で投げ出してしまうと、次に同じようにしんどい局面で「この前も投げたし、今回もイイや。」となってしまう事、あとあと「もう少し頑張っておけば良かった」と後悔する事があるように思います。 だから「逃げるな!」と言われるのだと思います。 追いつめたいと言う気持ちから発せられるのではなく、 思いやりからでる厳しいながらも熱のこもった言葉であると思います。 しかしながら「限界ギリギリ一杯々々」の人に「逃げるな!」って言う事は残酷な事だと思います。どうしようもないんですから。また、「限界ギリギリ一杯々々」ならば、出来なかった事に対して後悔もしないと思いますし、次にトライするときの糧になるように思います。 「逃げるな!」と言われた場合は、自分と向き合ってみて、一時の感情で投げ出してしまって良いものかよくよく考えてみるのが良いと思います。

  • 11-22
  • ベストアンサー率34% (45/129)
回答No.5

 どうなんでしょうねぇ。  「逃げる」というのは、現在自分のおかれている状況から外にでる。つまり今「困っている状況」から外に出るという事ですよね。  しかし、「外に出る」という事以外に「選択」するものはないのでしょうか?もし選択するものがあって、それを試す事無く、あるいは、考えもしないで「外に出る」という事は、果たして正しいのでしょうか?ひょっとしたら、「外に出る」という選択以外にもっとベターなものがあるかもしれません。そのベターな選択を考える事もなく、また実行に移すことなく、ただその状況から逃れたい一心のみでとる行動を「逃げる」というのだと思います。    例えば「大雨」という困った状況におかれた場合、「雨に濡れたくない」と思って、「雨の降ってないところに行けば濡れない」と短絡的に考えて行動するのが「逃げる」ということ。それ以外にも「傘をさす」とか「とりあえず近くの軒先で雨宿りする」というチョイスもあるわけですよ。でも「雨の降っていないところに行けば濡れない」という答えはある意味「真」ですけどね(^^;。しかしながら「雨が降らない地域」は今いる場所からものすごく遠かった場合、果たしてそれがベターなチョイスかというと…な場合もありますよね。  だから、結果的に出たベターな選択が「逃げる」ということもあると思いますよ。方便かもしれませんが「三十六計逃げるにしかず」って名言もありますし(^-^)。

関連するQ&A

  • mixi内の『読み逃げ』という造語について

    近頃mixi内で『読み逃げ』等と言う、閲覧者を完全に敵に回した言葉が横行しているようですが、一体どういう意味なのでしょうか? この言葉を使っている人は『食い逃げ』と同じ意味で使ってるんでしょうが、この場合の『逃げ』の意味は『何らかの義務を怠る行為』を指すのであり、閲覧者側には『日記を観る代わりにコメントを投稿しなければならない』という義務も無ければルールもない為、『逃げ』という言葉は全く当てはまりません。 そもそもロクにコメントも貰えない様なゴミ日記ばかり公開している人が悪いんじゃないでしょうか? 観て欲しくないなら日記公開などするな、コメントが欲しいならコメントを貰うに値する記事を書けって話です。 最近のネットユーザーは自分の思い通りに行かなかったら直ぐに他人のせいにするのかと思うと、本当に残念で仕方が有りません。 良い記事を書く『能力』も無ければ自分以外の事を考える『脳』も無い、 真の意味での『のう無し』だと思います。 というか、読者を敵に回した時点で日記公開そのものに意味が有るのでしょうか? 読者の為で無かったら、一体誰の為の日記なのでしょうか? 自分の為の日記なら家で一人でノートにつけて大事に隠しておけば済む話です。 読者を敵に回す等という行為は、創作活動を行う人間の最もやってはいけない行為だと思います。 自分の作品を評価してくれない出版社に大して怒るタチの悪い売れない小説家と同等の、 本当に最悪な存在だと思います。 以上の私の意見は間違っているのでしょうか? コメントを貰えない事を他人のせいにするのが正しいのでしょうか?

  • 人物の株

    度量があり、ある程度適度な判断が出来る。 公平に判断をし、天然でもあるとします。 自分の事よりは、他人の事をしてしまう。 何の仕事が向いてると思いますか? また、知人には、元上司が失態ばかり(反面教師)するので、社長を目指してがんばってくれとは言われるようです。 また、出たがり、目立ちたがりが多く、実力が伴わない人も多いこともあり、社長、政治家など、上を目指してくれと言われるようです。 本人は、普通の生活がしたいだけなのですが。 待望論が多い時、皆さんはどうしますか??

  • 親を他人と実感し、親の目を気にしなくなるには

    子離れ、親離れできてないのが悩みです。 どうすれば、できるか。 ぼく自身はどうすれば親の目や評価を気にしなくなるか。 親をしょせん他人だと実感できるか。 また、親が子離れするために何ができるか。 ぼく自身の行動、親の考え方や行動の誘導。 ご教授いただければ幸いです。 「親が他人かどうか」を議論するための質問ではなく、 方法論をお聞きしたいです。 もちろん、具体的に進歩があるなら、親を他人ではない という価値観でおっしゃっていただいてかまいません。

  • こんにちは、大学生のものです。さっそく質問をさせていただくのですが、こ

    こんにちは、大学生のものです。さっそく質問をさせていただくのですが、この間授業で、民主主義国は一握りの人々が権力を握る国に比べて戦争をしない傾向があり、それは、戦争で得るものが少なく負担を負う市民が政治的な発言権を持つためだと、ある論者が述べた事を聞いたのですが、私は多くがそうではないと思い、反論する意見も持ちました。そこでお聞きしたいのですが、この議論に反論する意見を聞かせてほしいと思い質問させていただきました。具体例なんかありましたら是非、お願いします。ご回答お願いします。

  • 異常に「異常さ」を嫌う人たちがいませんか?

    異常であってはいけない、普通であるべきだと考えそれに固執している人がいると思うのですが気のせいでしょうか? 同性愛 非実在青少年表現 個人の趣味 なんでも良いのですが例は色々ありました。 相手は「○○は異常だ、だからダメだ(規制すべきだ)」と言う、じゃあ具体的にどこがどう悪いのかと質問するとまともな返事が返ってこない。 何度このパターンがあったことか。 そもそも「正常であるべき」というのは具体的な問題と解決があってこその概念だと思います。 しかし件の発言の人はどうも「普通の為の普通」という本末転倒の傾向があるように思います。 具体的に問題が出ているからどれを規制しろと言うのはいいのですが、異常だから駄目という感情論に走るのは[普通]の事なのでしょうか。 それとも人間とはもともとこんなものですか。

  • 「善意」の立証方法

    民94(2)の「善意」であることは本人が立証しなければならない。ということがわかったのですが、では具体的にどのように立証するのでしょうか?「神に誓って聞いた事もありません本当に知りませんでした。」って言うだけではだめだと思うし・・・。詳しい方がおられましたら一例でもご教授下さい。

  • よう、兄弟!

    どんなに、合理的に見えるような「判断」であっても・・・ (曰く)「個別具体的に」 「本人の意思を、いちいち確認することが、大事」 (何が訊きたいの?) 「合理的!」と、 兄弟!の言う、「個別具体的に、本人の意思を」と。 どちらが「まとも」と、思われますか? 宜しくお願い致します。(カテゴリ選択)

  • どうも世の中一般人が信用できない

    私は、都市近郊(そんなに新興ではないところ)に住んでます。町の中での人々の、他人に対する動きを考えると、一般人というのがどうも信用できません。 以下はもちろん、確率論的な議論で、万人に当てはまるものではありませんが、多数派を対象にできると思います。 エレヴェーターを待つとき、私はどうしても扉の真ん中に立たない。端っこで人が出てくるのを避けます。それなのに、私が降りるときたいてい真ん中に居座っている人(老若男序問わず)がいる。この例が象徴的に思います。 どうしてこういう社会なんでしょうか?他人に対して、なるべく気持ちよく振舞いたいなぁ、という感覚の方が異常でしょうか?

  • 今の総理の批判について

    なぜ今管総理を批判している人が多いのですか??マスコミ報道やネットの書き込みの様な子供じみた悪口や感情論はもううんざりなので、具体的にどこがダメでそこがなぜダメなのか?またどうすればよかったのか?またその良いと言われる事が実際に可能だったのか?また管総理がダメなら具体的に誰ならどういいのか?感情論抜きで誰か教えてください??

  • 製造業の図面のこれらの専門用語の意味は?

    依頼者に加工する部分は「形状はしなくていいけど、形の変わり?変わり目?と逃げの部分だけは加工してほしい」 といわれた場合どういう場所の事を言っているのでしょうか? 正直言って形状と形の変わりというものの違いがわかりません。同じじゃないのでしょうか? 結局形が変わってる部分を加工するということは形状を作る事に他ならないのかなぁと。 逃げというのはなんとなくわかるのですが。 例えば縦100幅200厚み40の角物があるとしてそれをRをつけたり穴を開けたりと色々と 加工するプレートだった場合などです。 出来れば具体例や具体的な図面や絵が書いてあるサイトや画像を交えて教えていただけると助かります。