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我思う、故に世界あり

cse_riの回答

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  • cse_ri
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回答No.7

哲学の正統的見解はstarfloraさんが述べていますので、私の方は 少々異端的(?)な見解を述べます。 『生苦とは、「あの世」と切り離される苦しみのこと』 | さて、ここまでお話しすれば、「生苦」の意味がおわかりいただけたかと |思います。「あの世」ではすべてが一体で、仏の慈悲、無条件の愛、に |包まれていたのに、肉体をまとって生まれてきたとたん、突然切り離されて |一人ぼっちになってしまうのです。 | | つまり、生まれることによって「個」が発生するのです。「個」は孤独に |通じ、孤立に通じます。そして、あれほど豊かだった、仏の慈悲、無条件 |の愛が少しも感じられなくなってしまうのです。 | | だからこそ、人間は悩み、そして苦しむのです。自分を愛することがで |きず、人の愛を求め、満たされない人生を送るのです。つまり、すべての |苦しみはこの「セパレーション感覚」に起因しており、そのおおもとが、 |「生まれる」ということなんですね。だから、「生まれる」ことは、人間 |にとって最大の苦しみなのです。 <「般若心経の科学」 天外伺朗/祥伝社 より抜粋> 上記の本の記述によりますと、「愛と慈悲」で満たされている「あの世」か ら、人間が「この世」に生まれてくると、あの世で感じていた「愛と慈悲」 を感じなくなってしまうそうです。それが原因で孤独になり、世界から切り 離されたと感じるようになります。これを「セパレーション感覚」と呼んで います。 ところが、この「セパレーション感覚」は人によって強弱があります。その 原因について、以下のように説明しています。 | お母さんも、赤ちゃんに対して限りない愛情を注ぎますね。あらゆる犠 |牲を払っても、時にはわが身を犠牲にしてさえ、赤ちゃんを護ろうとしま |す。これは、人間に限ったことでなく、動物でも同じです。 | | このような、母親の愛が文字どおり無条件の愛であり、仏の慈悲に近い |と思います。 |.... | いずれにしても、赤ちゃんにとってお母さんの愛情がいかに大切である |かは、いくら語っても尽きることがないでしょう。わずか一週間でも母親 |の愛情が途切れると、幼児の精神には大きな傷がついてしまうのです。 | |しかし、それは「母親が不在であること」とは関係ないと思われます。 |おそらく、母親が一週間不在でも、こういう影響は出ないでしょう。幼児 |からすると、目の前に母親がいるのに、自分に対して愛情を注いでくれな |い、何かほかのことにいつも気を取られている、ということが問題なので |す。 | | そこで、ひじょうに不安になり、「セパレーション感覚」が出てきてしまう |のでしょう。 つまり、幼少期の母親の愛情が問題ではないか、と結論づけています。 私個人の体験から考えても、あながち的外れな意見ではありません。 >また、この疑問は「生きていく」という目的に対してはネガティブなもの >で、考える必要性のないものかとも考えます。つまり精神的には不健全な >思慮であり「病気」の元になるものかとも思うのですがいかがでしょうか? そのとおりです。しかし「セパレーション感覚」は感じてしまうものであり、 感覚してしまうと、そこからネガティブな考えが触発されてしまうのを避け ることは非常に難しいと思います。 結局は、その人の人生で、この「セパレーション感覚」をどうやって克服し ていくかが大事なのではないでしょうか。「結婚」ということも重要な選択 肢の一つではないかと思います。 私個人としては、まだ独身なので、一人であれこれ工夫をしている最中です。

naitie
質問者

お礼

とてもわかりやすいご回答です。 私の文面を見ていただいておわかりの通り、私は哲学や宗教論に明るいわけではありませんが、「異端」という前書きのあとに引用していただいた「般若心経」の解釈が、私自身のこの問題の分析ととても近いことに驚きました。 大人になり、母から聞いた過去の家族状況や、(少々深刻な)現在の家族の状況から推するに、幼少のころの親から与えられる何か(「愛情」とは書かないでおきます)が欠落していたのでは・・と考えるようになりました。 また、cse_riさん自身のご意見として、 >感覚してしまうと、そこからネガティブな考えが触発されてしまうのを避け >ることは非常に難しいと思います。 これにはまったく同感します。 私は、この質問を上げたことで久しぶりにこの問題について考えていますが、このネガティブな思考に抗う感覚(抗体のようなものでしょうか)が自然と現れてきます。 最後に私からもひとつアドバイスをさせてください。 cse_ri さんは、独身でいらっしゃると書いておられます。 結婚もそうかもしれませんが、子供を持つことは、「セパレーション感覚」克服にもっとも有効かも知れません。親になると愛情を与える側にまわります。 親になって感じる子供への愛情は、私の場合、独身の時には予想できなかった、とても強いものです。そのような強い愛情を持つことはとてもよい薬だと思いますし、同時に子供をこの感覚から守ろうという意識も生まれます。 ありがとうございました。

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