• 締切済み

宗教家の方と無神論者の方へ

kawakawaの回答

  • kawakawa
  • ベストアンサー率41% (1452/3497)
回答No.11

正月には初詣に行き,彼岸には墓参りに行き,クリスマスにはケーキを食べ,神前で結婚式をし,神社でお宮参りをし,お守りを持ち‥ 私自身は,おそらく大多数の日本人がそうであると思われる,特定宗教は信じていないが,さりとて完全に無心論者という訳でもないという位置付けであると言えるでしょう。 現実のところとして,宗教が生活の基盤となっている国は多数あります。けれども,日本では大多数の国民は「日本教」ともいうべき,冒頭に書いたような生活を送っているのですネ。原始宗教の流れを継承しているのでしょうネ。 本来,心の平和を求め,魂を救済するための宗教は多くの悲劇を招いてきました。戦争の原因となったケースも沢山ありますが,それらのことについて,宗教家の方々は触れようとはしません(イスラム教は別にして)。 2000年前はキリスト教も新興宗教の一つに過ぎなかったわけですし,仏教もイスラム教も同じですよネ。そして,その普及のために多くの殺戮を行い,同時に奇跡をみせるために医学をセットとしてきたのですネ。 古典的な宗教である仏教にしても,日本に伝えられたときは非常に攻撃的なものでしたネ。 僧兵は豪族にとっての脅威でしたし,織田信長が比叡山の僧兵と戦ったり,石山本願寺と戦ったことは有名です。 一向一揆は日本中を混乱させましたネ。 キリスト教にしても十字軍の遠征というナチスドイツも真っ青というような蛮行を行なってきました。 イスラム教信者による9.11テロ‥ その宗教に属していない者は敵であり,悪魔であり,殺すこともかまわないということをしてきた訳ですネ。 毒ガステロを起こした某宗教団体と変わるところはありませんネ。 私自身は現在のところ,宗教にすがらなくても大丈夫という状態ですので,特定の宗教に帰依はしていません。 他人に強要しない限りにおいて,誰が何を信仰していようが構わないと思いますネ。 ただ,命に関する仕事をしていると,人を遥かに超越した何かの存在に思いを巡らせることがあります。 以上kawakawaでした

koutatoreikun
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。確かに、信仰とは関係なくても、人知を超えた何かのことを 考えることはありますね。私の場合宇宙の存在とか粒子は誰がどうやって作ったのだろうとか。  殺戮と医学をセットというのはまた面白い視点をご提供いただきましてありがとうございました。 ちょっとこのことについて考えてみたいと思います。

関連するQ&A

  • 宗教と無神論者について。

    ちょっとした素朴な疑問です。 良ければご意見お聞かせ下さい。 私は宗教が大嫌いです。 親がどっぷり宗教につかっており、そのせいで虐待を受けたり、命の危機に瀕したからです。 なので、宗教・宗教活動という言葉を聴くと、トラウマで反射的に嫌悪感を覚えます。 しかし、わが家は代々浄土宗ですし、お墓もありますし、葬式も挙げますし、お経も唱えられますし、それ自体に嫌悪感は別に抱きません。 代々家がその宗派でやってきたのなら、私もそれを受け継いでお墓・仏壇を守っていこうと思っています。 死者への弔いの必要性は感じていますし、そのためには宗教が必要なことも解っているからです。 でも、その宗派の教えとかは一切わかっていません。 所謂、何でも願いをかなえてくれるような絵に描いた神や仏がいるとは思いませんが、神社にけば手を合わせますし、仏壇の中には観音様もいます。それらが尊い存在なのもわかります。 クリスマスも祝いますし、北欧神話だって楽しみます。 そういうの全部ひっくるめて八百万の神じゃね?と思ってるくらい、適当ですが。 そして、幽霊は信じます。あまり言うと変な目で見られるので表には出さないのですが、我が家の家計が所謂「見える」家計だからです。 人々が神や仏とあがめるような不思議な存在がいるというのも、信じています。 神社にいくと、小さい境内の中から話し声が聞こえてきたり・・・といった不思議体験を家族でしているからです。 家のほんとすぐ隣にお稲荷さんがいますが、そこでも不思議体験をしているので、小さい頃からその考えに疑問を持ったこともありません。 そんな不思議な存在たちが「守り神」と呼ばれ、尊い存在なのだろうと思い、手を合わせ、頭を下げます。 そんな私を矛盾してるとか、宗教をしないお前は無神論者だと言われます。キチガイだといわれます。 私自信、人間の願いをかなえてくれる神さまって本当にいる!とは思ってませんが、神をあがめることは知っていますし、やっぱり自分の行動・体験を考えると私自信が無神論者だと言われるのはおかしい気もします。 自分でも色々と矛盾しているのはわかるのですが。 私は自分が無宗教者ではあっても無神論者ではないと思うのですが、違うのでしょうか? やっぱり私の考えは矛盾だらけでおかしいでしょうか?

  • あなたの心のよりどころは何を信じ何を考えて生活しま

    あなたの心のよりどころは「何を信じ」「どのように考え」て生活してますか つまり、人生観や生き方 宗教は誰かからの教えを信じるという「信仰」を基にして生活していると思います 神教は神様と共に生きる信仰生活と思えます 哲学は考え方だと思います。 神様と共に生活する人達と、仏様を信じて生活する人達とでは 人生観(生きる・死ぬ意味)が違います。 これらの考え方の違いを言っているのだと思います。 地球外生命体や地球人の科学を超えた何か、を信じて(脅えて)生活しててもいいと思います

  • 初詣の時にしたおみくじの内容に関して…

    初詣に行った時、おみくじをしてきました。結果は吉とまずまずでしたが、その内容?に「心と言葉を皆朴(すなほ)を守れ」と書いてありました。 これは私なりに色々解釈してみたんですが、その度に捉え方が変わるのでどういう見方をすれば良いか悩んでいます。 それと、私は無神教者です。「神」自体の存在は信じていますが、これといった物を崇拝していません。今までのおみくじの内容は「周りの言うことを~~」や「己の道を~~」と言った分かりやすい内容でしたが、今回は「神を信じ~~」と言った内容がメインです。小さい頃から武術(剣道)を習っていたり、儒教の影響か沖縄でもシーミーを始めとする祝い事?行事?をやってきましたが、上記の通り無神教者です。 「おみくじを引く」と言うのは神の教えを手っ取り早く知ることと聞いたことがあります。この場合、その神社を参拝する事即ちその神社の系列・祀っている宗教の教えを乞うことが前提になっているのでしょうか。そうなればこのおみくじに記してある「神=その神社に由来する宗教の絶対的な人」と言うことになるのでしょうか。もし、「どんな神様でもあなたの自由です。」とだとすれば、神=自分のやりたい事=自分の精神になりませんか? そう思えば思うほど、神の定義に関してあやふやになってしまいます。 このおみくじに書かれてある「神を信じ」とは、(1)特定の神を信仰すること (2)自分の理屈にあった神の教えを乞うこと (3)己自体を信じること どれに当てはまるのでしょうか? 二点答えて頂ければ幸いです。

  • 「哲学」は「宗教学」に近いのですか?

    当カテゴリで、いまだ未締め切りの質問を抱えている者です。 「哲学」がなんたる学問かについては良く知らず、 自分の質問内容が投稿先の候補としていた「心理学」や「国語」には多分当たらないであろうとの 消去法で「哲学」カテゴリに投稿した次第です。 私が投稿した質問はごく日常的な疑問です。。 何人かの方がすぐに回答下さり、とてもありがたく思いました。 しかし、ふと「哲学」カテゴリの質問リスト(回答数も載ってる)をみてみると、 タイトルに宗教的なものが多いように感じたのです。 聖書がどうしたこうした、仏がどうしたこうした、神がどうしたこうした… しかも、宗教的な質問ほど多くの回答が集まっているように見える。 これは私が考えていた「哲学」とは異なる傾向です。 「哲学」は宗教などから離れて、あるいは少なくとも宗教の教え等は第三者的な視点から捉えて、 人間の真理を追究する学問と思っていたからです。 ざっとみた感じなので申し訳ないのですが、 どうにも「哲学」カテゴリが「宗教」に巻き込まれているように思えてならないのです。 たとえば、本カテゴリで興味深い質問をみつけ、少し見てみたのですが、 回答された内容に、「輪廻転生」を前提としたものが複数見られました。 私は「輪廻転生」自体は否定しません。 しかし、「哲学」カテゴリで、 「人間は生き返るのだから大丈夫だよ」などとする意見はどうしても受け入れ難い。 これってまさに宗教的じゃない?気持ちわるーい!と思うのです。 私の「哲学」に対する認識は間違っているのでしょうか?

  • 宗教の掛け持ち

    複数の宗教を同時に信仰することは、できるのでしょうか? 例えば キリスト教と仏教みたいな 同時に複数信仰を持ってる方 いますか? やってますか? あと 日本人は無節操と言うか無宗教というか神様と仏様が混合して お正月は神社で初詣 キリスト系のハロウィンやクリスマス 葬式は仏教 なんか何でもありみたいな気がします 皆さんは信仰持ってますか? それはなんですか?

  • 宗教について

    宗教に入っている方は、自分が信仰する神様以外の事をどう考えるのでしょうか? また死後の世界の解釈は宗教によって違うと思いますが、自分の入っている宗教以外の人の死後は自分が入っている死後の世界で考えるのでしょうか?

  • 複数の宗教を同時に信仰してる人っているのでしょうか

    ふと思ったのですが、キリスト教と仏教、イスラム教とヒンズー教、みたいに複数の宗教宗派を同時に信仰してる人っているのでしょうか。 日本人みたいに曖昧に複数の宗教の行事をやっている、というのではなく、意識的に宗教組織に所属したり、信仰してる人限定で。 とある仏教関係の宗教家が「どんな神を拝んでもいい。その信仰に誇りがあれば」というような言葉を残しているのを聞いたことがあります。また、神道系の武術の伝承者でありながらキリスト教の神父をやっている人もいたりします。 ならば、「私はキリストや聖書の教えを信じていますが、同時に釈尊の教えも素晴らしいと思うので悟りも目指しています。そしてその手段として神道の修行も取り入れています」なんて人もいる気もするのですが、どうなのでしょう? 釈尊の教えは聞いた限り、特定の神への信仰は含まれていませんし、あくまで個人の悟りを開くための哲学のように感じます。 ならば仏教とキリスト教は別に矛盾しない気がするのですよね。宗派にもよるかもしれませんが。アッラーのほかに神はなし、って言ってるイスラム教は難しそうですが。 そういう風に複数の宗教の同時信仰って実際やってる人はいるのか? また、同時信仰ってどう思いますか?

  • 宗教の信憑性

    宗教に関して必要性を感じ色々と調べています。 その中で目にしたり、今まで感じてきたこととして 「現代の宗教って信憑性はどれ位あるのだろう」という事があります。 例えば政治的背景や時代の風潮が大きく関わり歪められているのではないか、と思うのです。 教えとしてはとても理に適っていて、素晴らしいと思うのですが、本当にそれが元来の姿そのものであるのか疑いがあります。 だとすると、何を信じてよいのか分かりません。 一つの宗教によっても、人により解釈は違うように思うので、宗教そのもの・各宗教の信憑性についてどうなのか疑問に感じています。 また、教えに矛盾を感じたりもします。 捉えどころの無い質問で申し訳ないのですが 宗教関係に詳しい方がいらっしゃれば、無知な私に教えていただけませんか? 私自身は特定の宗教を信仰している訳ではありませんが、周りから入信を進められたりする事が多くなったのでその見極めとして本物を見つけ、信頼出来る教えに出会えればと思っています。 どうぞよろしくお願い致します。

  • 何故宗教書などの教祖に対する賛美って大袈裟なの?(宗教を持っている方は見ない方が良いかも?)

    こんにちは、かなり問題発言をしますが、お手柔らかにお願いします。 皆様にご相談があります。 俺は、多少聖書の言葉や、仏典の言葉を知っています。 大概の賛美の言葉は、大袈裟なものです。 「帰依します」だとか、「全能の主よ」とか、、、。 これと同じセリフを、人生相談してアドバイスしてくれた人に言うと、 A:~~な事があってね、どうしたもんだか。 B:~~すれば?(実行不可能な、しかし、まあ確かに正論ではあるアドバイス) A:我は尊き尊師を見出した。 我は得た実は大きい。 我は貴方に命の続く限り帰依します。 等と、過度に大袈裟な事をいえば、誰でもバカにされていると分かります。 しかし、Aのセリフのようなセリフは宗教書にはよくあるのではないのか?と思えます。 これは、神や仏相手なら、逆にこれくらいが普通という事になるのだと思います。どうしてなんでしょうか? それともこれは異常な現象なのでしょうか? 仏も神も人間ですよね?(少なくとも地上にいた間は、) 出来れば、信仰とか無しで、御回答をいただけたらと思います。 (*宗教をお持ちの方、本当にすいません。失礼だとは思いましたが、きになり質問してしまいました。)(*暴言だと自覚しています。 お手柔らかにお願いします。)

  • 哲学と宗教

    ※ 「宗教」の項目がないのでここに書きこんだんだが別に両者の比較    に関してではない。 =神 / 仏 を120% 否定する立場から言うと= (1) この世に生存する「数十億」の人々は     この世には「神 / 仏がおり、自分たちを見守っている」と信じているらしい。     ここで言う「神 / 仏」とはキリスト教で言うアレであり、芥川龍之介の書いた     「蓮池の周りを散歩していて、ふと池の中をのぞいた」アレを言う。 (2) 問題は、これらの存在を信じている人々が質問者の人間的なレベルをはるかに    「凌駕しているのだろう」にも拘わらず、である。 (3) ある人は「信じられないのはアンタの人間的レベルが低いからだヨ!!」    と言うのかもしれない。     (4) しかし、自分としてはある人の言葉を引用し    「神仏は『いる』から信じるのではなく『信じる』からいるのである」    これ『そのと~り』と言いたい。 (5) 質問者より「優れた人々」はなぜ―    「そんなもの生老病死を恐れる人間のマスターベーションにしか過ぎない」    とは考えられないんだろう?    それらは、ただ単にー    「人間として生きていく道を踏み外さない様に・・!!」という一つの「教え」で    あり、これを「宗教」と言いたいのなら別に構わないが    別の言葉でいえば「倫理~道徳」なんじゃ~なかろうかい? (6) こんな書き込みした質問者は死後「スクルージ爺~さん」が見せられた様な    地獄の住人になるぞ~!!    なんちゅう人がいるかのも知れないが、なにせ「120%否定」だから    なんとも感じない。 (7) 以前にも言ったが、    「弾圧」を受けたキリシタンが雲仙の温泉で熱湯をかけられ    「棄教」をせまられているにも拘らず、    自分のせいで責められ‐苦しんでいる人を救おうともせず    「神は何もしなかった」    これ、どう説明する?‐ 信者は言う「神が試練を与えているのです」    これを日本語では「詭弁~嘘~まやかし」と言う。 (8) 自分の家族だったら極力「バカな事を考えるな」と説得するけど     ま~!! 日本人の中にも「共産党や新興宗教の手先の政党」を支持    している連中もいることだし、    他人の人生~考え方だから別にどうでもいいんだけどネ!!     (9) きっと「存在を信じている人のすさまじい反論」が来るんだろうな~!!.