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締切り
済み

宗教家の方と無神論者の方へ

  • 困ってます
  • 質問No.219984
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お礼率 51% (72/140)

 すごくぼやけた表現で申し訳ないのですが、私がある締め切り済みの質問を覗かせてもらっていたら、
とある宗教をなさっている方の、ものずごい一方的で、独断的な投稿がありました。その回答の解釈は
「神様を信じていればそれで救われる」ということを前提に、論理的にどう考えてもおかしいことばか
りを長々とのたまっているというものでした。
 私は、宗教を否定するわけではありません。「神様仏様」という心のより所があるとほっとしますし、
宗教の種類を問わず、どの宗教においてもすばらしいことが教えの中に盛り込まれていると思います。
 そこで、宗教家さんと(信仰する宗教がおありの方)できれば無神論者さんに質問いたします。あな
たがなぜ宗教を信じるか、また、何故信じないのか、その理由を教えてください。
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回答 (全31件)

  • 回答No.10
レベル6

ベストアンサー率 30% (3/10)

私のような若輩者が何を言えるかどうかはわかりませんが。取敢えず思う事を。 私は神社も行きますし、お寺も行きます。いわゆる典型的日本人ですが、日本には神仏習合、和光同塵というのが100年前まで当たり前だった事を思うと、別にどうという事はありません。 私が思うのは、宗教はあれが正しい、あれが邪道だという問題でないと思います。宗教は人々の祈りの形です。 但し、その行為が人に対して押し付けがましいも ...続きを読む
私のような若輩者が何を言えるかどうかはわかりませんが。取敢えず思う事を。

私は神社も行きますし、お寺も行きます。いわゆる典型的日本人ですが、日本には神仏習合、和光同塵というのが100年前まで当たり前だった事を思うと、別にどうという事はありません。

私が思うのは、宗教はあれが正しい、あれが邪道だという問題でないと思います。宗教は人々の祈りの形です。
但し、その行為が人に対して押し付けがましいものになったり、どう考えても教えの曲解であるものは別です。

私は、聖職者を人智を越えた様なものというのはわからない人です。聖職者というのはあくまでも媒介人であると思うからです。

私は基本的に仏様と日本の神様を信じますが、それはあくまでも自己を見つめる為です。誰かに脅されたわけでもありませんし、勧められたわけでもありません。自己責任の上です。ただ、○○宗と言うのには属してません。
お礼コメント
koutatoreikun

お礼率 51% (72/140)

 ご回答ありがとうございます。神仏習合は歴史でやった記憶があります。「そういやそうだ!」
なんて思いました。
 「聖職者」=媒介人、つまり、宗教を知るきっかけということでしょうか。あっさりしているご回答ですが
受け入れやすいご回答でした。
投稿日時 - 2002-02-20 12:55:14
  • 回答No.9
レベル7

ベストアンサー率 25% (7/27)

以前、神社にて奉職しておりました。 神道では(他宗教については分りかねますが)、特に信仰の強要をするなどはありませんでした。 これは私見ですが、宗教の起こりから年数が経っている程に、比較的穏健的なものが多く、年数の浅い(若い)宗教ほど過激的な傾向があるように思われます。また、多神教の宗教よりも、一神教の宗教に過激な印象を抱いてます。 まあ、どんな宗教にしても、信仰のレベルであるうちは特に申し ...続きを読む
以前、神社にて奉職しておりました。
神道では(他宗教については分りかねますが)、特に信仰の強要をするなどはありませんでした。

これは私見ですが、宗教の起こりから年数が経っている程に、比較的穏健的なものが多く、年数の浅い(若い)宗教ほど過激的な傾向があるように思われます。また、多神教の宗教よりも、一神教の宗教に過激な印象を抱いてます。

まあ、どんな宗教にしても、信仰のレベルであるうちは特に申し上げることはないですが、その活動自体が社会問題化してしまったのでは本末転倒のような気も致します。宗教に入信される方って、心の安寧を求めてる人が多いですけど、入信後かえって過激に他宗教の人達を「邪教撲滅」のように排斥したりしますから。。。

koutatoreikunさんも、どのような宗教を信じるも(信じないも)一切自由ですが、世の中にはそれだけ価値観の異なる人が共存していることを意識し、自分と異なる考えの人とも割り切って付き合っていくのがいいと思いますよ。

取りとめのない話になりましたけど、信じる信じないはともかく、皆さんの幸せをお祈り致します。
お礼コメント
koutatoreikun

お礼率 51% (72/140)

 ご回答ありがとうございます。

 過激度が年数に比例するというのは初めて聞きました。たしかに過激なのはオウ●と言った
若いものですし、タ●バンもイスラム教ですが起こりはつい最近ですしね。
 異なる思想の人とは割り切ってつきあう、うーん、結局そういうことになりますね。でも、
同じ思想の人間ばかりで固まっちゃうと一辺倒になりそうだし、それに同じような考えを持つ
人であっても差異はありますしね。難しいところですね。
投稿日時 - 2002-02-20 12:55:22
  • 回答No.11
レベル14

ベストアンサー率 41% (1452/3497)

正月には初詣に行き,彼岸には墓参りに行き,クリスマスにはケーキを食べ,神前で結婚式をし,神社でお宮参りをし,お守りを持ち‥ 私自身は,おそらく大多数の日本人がそうであると思われる,特定宗教は信じていないが,さりとて完全に無心論者という訳でもないという位置付けであると言えるでしょう。 現実のところとして,宗教が生活の基盤となっている国は多数あります。けれども,日本では大多数の国民は「日本教」ともいう ...続きを読む
正月には初詣に行き,彼岸には墓参りに行き,クリスマスにはケーキを食べ,神前で結婚式をし,神社でお宮参りをし,お守りを持ち‥
私自身は,おそらく大多数の日本人がそうであると思われる,特定宗教は信じていないが,さりとて完全に無心論者という訳でもないという位置付けであると言えるでしょう。

現実のところとして,宗教が生活の基盤となっている国は多数あります。けれども,日本では大多数の国民は「日本教」ともいうべき,冒頭に書いたような生活を送っているのですネ。原始宗教の流れを継承しているのでしょうネ。

本来,心の平和を求め,魂を救済するための宗教は多くの悲劇を招いてきました。戦争の原因となったケースも沢山ありますが,それらのことについて,宗教家の方々は触れようとはしません(イスラム教は別にして)。
2000年前はキリスト教も新興宗教の一つに過ぎなかったわけですし,仏教もイスラム教も同じですよネ。そして,その普及のために多くの殺戮を行い,同時に奇跡をみせるために医学をセットとしてきたのですネ。

古典的な宗教である仏教にしても,日本に伝えられたときは非常に攻撃的なものでしたネ。
僧兵は豪族にとっての脅威でしたし,織田信長が比叡山の僧兵と戦ったり,石山本願寺と戦ったことは有名です。
一向一揆は日本中を混乱させましたネ。
キリスト教にしても十字軍の遠征というナチスドイツも真っ青というような蛮行を行なってきました。
イスラム教信者による9.11テロ‥
その宗教に属していない者は敵であり,悪魔であり,殺すこともかまわないということをしてきた訳ですネ。
毒ガステロを起こした某宗教団体と変わるところはありませんネ。

私自身は現在のところ,宗教にすがらなくても大丈夫という状態ですので,特定の宗教に帰依はしていません。
他人に強要しない限りにおいて,誰が何を信仰していようが構わないと思いますネ。

ただ,命に関する仕事をしていると,人を遥かに超越した何かの存在に思いを巡らせることがあります。

以上kawakawaでした
お礼コメント
koutatoreikun

お礼率 51% (72/140)

 ご回答ありがとうございます。確かに、信仰とは関係なくても、人知を超えた何かのことを
考えることはありますね。私の場合宇宙の存在とか粒子は誰がどうやって作ったのだろうとか。
 殺戮と医学をセットというのはまた面白い視点をご提供いただきましてありがとうございました。
ちょっとこのことについて考えてみたいと思います。
投稿日時 - 2002-02-20 12:55:26
  • 回答No.12
レベル11

ベストアンサー率 9% (31/325)

>私は狂信者の一面として、「極論じみている」というところがあると 思っていて、それゆえにあなたが「狂信者じみている」と私には感じられます。 ということですが、これも以前、すでに或る質問の回答として記述したことですが、  日蓮大聖人の仏法は、私達の生命の奥深く内在する仏の生命力(仏界)を開発し、真の幸福を獲得していく、唯一最高の大法です。  では、もし、この大法に従わず、背いていった場合 ...続きを読む
>私は狂信者の一面として、「極論じみている」というところがあると 思っていて、それゆえにあなたが「狂信者じみている」と私には感じられます。

ということですが、これも以前、すでに或る質問の回答として記述したことですが、

 日蓮大聖人の仏法は、私達の生命の奥深く内在する仏の生命力(仏界)を開発し、真の幸福を獲得していく、唯一最高の大法です。
 では、もし、この大法に従わず、背いていった場合には、いったい、どうなるのでしょうか。
 この大法に背くこと・・・すなわち、我が胸中に仏界という最高の生命力を引き出すための法に背く、ということですから、それは、かえって自分の中の仏界を、覆い隠し、破壊することになってしまいます。そのために生命力はしぼみ、その、しぼんだ生命力で人生を生きていく結果、仕事上、健康上、精神上と、あらゆる面にわたって諸々の行き詰まりが生じ、次第に、悩み苦しみに煩悶する人生に陥っていくのであります。
 すなわち、世の中の一切の不幸の寄って来たる根本原因が、ここにあるのでありまして、これを通常、仏法では「罰」と呼んでおります。
 ここで注意したいことですが、普通、罰といいますと、人間を超越した絶対者(神仏)がいて、忠実な者には恵みを与え、背く者には罰を与えるのだ、といった捉え方がされているようです。
 しかし、仏法でいうところの罰とは、このような、神や仏から与えられるといった、迷信の類いではありません。
 罰とはルールに反して生ずるもの。
 まず、私達の身近な例として、交通法規というものがあります。これは、いちおう、社会に生活していく上での、ひとつの法(ルール)であります。
 この交通法規が存在しているにも拘わらず、もし、これに従わず、信号・標識・規則等を無視して通行したならば、どのような事態が起こってくるでしょうか、申すまでもなく、必ず、事故を起こすなどの反価値(マイナス)な現象が生じてまいります。
 しかも、その場合に、たとえ「自分は山奥から出て来てルールを知らなかった」「そのようなルールを学んだことがなかった」といっても、知ると知らずとに拘わりなく、従わないこと自体が反価値を招く原因なのですから、ルールの適用を免れることはできません。 
 また、もちろん、交通法規を知っている者が、あえてそれに逆らい、すべて逆に逆に行動したならば、知らずにルールに従わなかった人よりも、さらに激烈な大事故等の反価値現象を引き起こすことは、申すまでもありません。
 以上は交通法規の例ですが、この他にも、私達の生活上にはさまざまな法があって、それらのルールに従わず、背いたときには、やはり、それ相応のマイナス現象が生じてきます。
 このことは要するに、ひとつの法(ルール)が存在するにも拘わらず、自分がそれに従わなかったならば、結果としてマイナスな現象を招く、という道理でありまして、それも、他の誰かがマイナス現象を与えるのではなく、いわば、自らマイナス現象(不幸)の中へ飛び込んでいくようなものであります。
 仏法でいうところの罰という考え方も、じつは、基本的にはこれと同じ考え方である、といえましょう。
 つまり、罰とは、神や仏などの絶対者によって与えられるものではなく、法(ルール)に反した、自分自身の行き方から生ずるものなのです。しかも、その法とは、自らの生命に内在する仏界を開発し、真の幸福生活を築いていくための、いわば人生の根本の法です。この根本の法に従わないから、生命力がしぼんで、さまざまな不幸が生じてくるのであり、これこそ、人生の、もっとも根源の不幸の原因にあたるのであります。
 前に挙げた、交通法規や国の法律などの種々のルールは、特定の時代や環境、また生活のごく一部分に適用される、浅く狭いルールでありましたが、それでさえ、無視すれば大きな事故や苦しみを招きます。ましてや、人生の根本法たる仏法に背く罰は、まさに想像を絶するほど重く、厳しい、と知るべきでありましょう。
 なおまた、前の例で、「交通法規を知らなかった」といっても交通事故から逃れられないのと同様、これまで、この日蓮大聖人の仏法のことを知らない、聞いたことがなかった、という人であっても、これに従っていないということ自体、法に外れている、反していることでありますから、罰を免れることはできません。
 つまり、この大法に従っておらぬ人は、誰一人の例外なく、すでに、罰によって種々の不幸を受けていることになります。
 事実、自分自身も含め世の中の人々の姿を、よく御覧ください。たとえ、うわべが幸福そうに見える人であれ、一歩内側まで立ち入ってみれば、経済的な苦しみとか、病苦、家庭不和、対人関係の悩み、人格的欠陥、性格的な悩み等々、誰もが必ず、さまざまな問題を抱え、悩み苦しんでいるではありませんか。
 これこそが、正しい仏法に背いているための、罰の現証(現実の証拠)なのです。
 如何でしょうか?
お礼コメント
koutatoreikun

お礼率 51% (72/140)

 「唯一最高の大法」という時点で私はあなたがおかしいと言うのです。長々と述べるのではなく、
もう少しまとめてお話ください。
 「世界中に悩み苦しんでいる人は多くいる」というのは、当然のことです。悩みがないほうがおか
しい。これも前にお返事しましたが、念仏を唱えてエイズが治りますか?家族の不和、対人関係の悩み
など、あなたが例示したものにはそれぞれ個別に理由があり、それをただ単に拝んでいれば、
念仏を唱えていればどうこうできるというものではないということはおわかりですよね。
 「念仏を唱えなければ幸せになれない」というのもどうかと思いますよ。だって、それは
念仏を唱えていない人を明らかに「不幸だ」とさげすんでいるではありませんか。それにあなたが
なさっているのはアドバイスですよね。
 私が知りたいのは「念仏の正当性」ではありません。そこのところ勘違いしないで下さい。
投稿日時 - 2002-02-20 14:26:30
  • 回答No.14
レベル14

ベストアンサー率 51% (1179/2272)

odd-artさんに質問します。 あなたは日蓮大聖人の言葉や、仏法の内容を疑ったことがありますか。 教えられたままに信じて疑わないことを、「盲信」または「狂信」と言うのですよ。 それが教えであるとして、地下鉄構内でサリンをばらまくことと、教えに背くから交通事故に遭うと主張することは、本質的には同じです。 つまり、自分達が絶対であると信じて疑わないということです。 あなたはまず、日蓮大聖人の言葉や ...続きを読む
odd-artさんに質問します。
あなたは日蓮大聖人の言葉や、仏法の内容を疑ったことがありますか。
教えられたままに信じて疑わないことを、「盲信」または「狂信」と言うのですよ。
それが教えであるとして、地下鉄構内でサリンをばらまくことと、教えに背くから交通事故に遭うと主張することは、本質的には同じです。
つまり、自分達が絶対であると信じて疑わないということです。
あなたはまず、日蓮大聖人の言葉や、仏法ありきで話しますが、それでは一般社会では通用しません。
「疑って、疑って、疑って、疑い尽くしてから初めて信じなさい」と説く宗教の教祖もいますが、あなたとどちらが真摯な態度と言えるでしょうね。

あなたは仏様が罰を与えるのではないと主張しますが、「それを知りながらあえて背く者が悪いのです」というのは言い方を変えているだけです。要は信じない者には罰が下るということでしょう?

私が一部の宗教の信者に対して感じる悪しき特徴を、あなたは見事に持っています。
それは、排他性と自己客観視の欠如です。
自分の考えを披露するのではなく、あなたが他者(むろん信者ではない人)からどう見られているかを考えてみて下さい。
これが出来ないのは、未成熟でわがままな子供と同じです。

最後に仏法の中身は別に知りたくないので、長々と説明するのは不要です。
では。
お礼コメント
koutatoreikun

お礼率 51% (72/140)

どうもお久しぶりです。今回のご回答はodd-artさんに対する質問、宗教を信じない理由を
お書きになっているというようですが、それらは私が言いたいことを補足する内容になってい
ます。意図的か否かはわかりませんが。
 ところで、あまり関係ない話ですが、私は無神論者の方々を「頭から宗教を否定している」
つまり「宗教など、知るに値しない」とお考えになっている方々だと思い込んでいましたが、
今回のmaruru01さんのご回答を見て、「特徴を理解した上で信じない」という方がいらっ
しゃることを実感しました。無神論者は神や宗教を信じない人だけど、否定もしないとい
うことを考えました。「一方通行の否定」ではないようですね。
 ご回答どうもありがとうございました。
投稿日時 - 2002-02-21 07:51:44
  • 回答No.13
レベル11

ベストアンサー率 9% (31/325)

>念仏を唱えていればどうこうできるというものではないということはおわかりですよね。  「念仏を唱えなければ幸せになれない」というのもどうかと思いますよ。だって、それは 念仏を唱えていない人を明らかに「不幸だ」とさげすんでいるではありませんか。 ということですが、念仏信仰を述べているのではありません。これも、以前の回答ですが、  「若し我が呪に順ぜずして、説法者を悩乱せば、頭破れて七分 ...続きを読む
>念仏を唱えていればどうこうできるというものではないということはおわかりですよね。
 「念仏を唱えなければ幸せになれない」というのもどうかと思いますよ。だって、それは 念仏を唱えていない人を明らかに「不幸だ」とさげすんでいるではありませんか。

ということですが、念仏信仰を述べているのではありません。これも、以前の回答ですが、

 「若し我が呪に順ぜずして、説法者を悩乱せば、頭破れて七分に作ること、阿梨樹の枝の如くならん」
と法華経陀羅尼品にあります。
 人間の頭が七つに破れるということを示しております。
 また、日蓮大聖人は『種種御振舞御書』のなかで、この頭破作七分の現証は、実は「心破作七分」である、ということを仰せになっております。つまり、心が七つに破れるということです。たまには頭が七つに破れる場合もありますけれども、しかし実際は心が七つに破れることが、未来世においてやはり地獄に堕ち、本当に頭が七つに破れる現証の元であるということです。
 心が七つに破れるといことは、実に、法華経を謗ることによって皆、頭がおかしくなっていってしまうのです。昨日はあれを考えたかと思うと、今日はこれを考えるというように全く統一がなくなってきて、そして、しょっちゅう口から出まかせの嘘を言うようになります。

 そして、
 御本尊に背く邪宗謗法に人達が、皆、無間地獄に堕つべきところを助けるためにも、折伏をするのであります。
 この折伏をしないということは、いったい、どういうことになるのか・・・、それは、人が地獄に行くのを放っておくことだから無慈悲になる、と言われております。
 ここで、慈悲ということについて、章安大師の「慈無くして詐り親しむは即ち是彼が怨なり」との言葉があります。
 「慈」とは、相手の悪いことを取り除いてあげること、相手の悪いことを「間違っていますよ」と言ってやめさせることが、本当の慈悲ということです。
 この慈悲の心というものがなくて、表面的に仲良く付き合っていくことは、相手にとって怨になる、と言われているのです。
 言い換えれば、偽りの親しみということになります。
 偽りの親しみは、本当の慈悲ではない。表面的な偽物の親しみであって、本当の友情でもなければ、本当の愛情でもありません。相手にとっては、むしろ怨になります。

 大聖人の仏法を下種仏法といいます。これは、相手の生命の中に仏になるための種を植える仏法ですから、下種仏法というわけです。
 この下種仏法においては、信じた人も救われるけれども、反対し誹謗した人もついには救われるのです。これが下種仏法の大功徳なのです。
 この仏法を誹謗して地獄に堕ちることになるならば、それは、仏法のことを知らないまま地獄に堕ちることとは、まったく似ても似つかないことなのです。
 つまり、仏法のことを知らない人も、結局、不信謗法の失によって、最後は、皆、地獄に行くわけですが、その地獄の苦しみから抜け出す方法がわからない、幸せになる方法がわかりません。ところが、仏法のことを知り、それに反対して地獄に堕ちた、という場合は、その人の耳等から仏法が入って、しっかり生命の中に仏になる種が植わっていますから、いったんは地獄に堕ちたとしても、必ずいつか、その種が芽を吹いて仏法につくことができ、救われる日がくるのです。
 或る信者の友人の話ですが、
 彼の所に来て、この御本尊様を指さし「こんなくだらない宗教をまだやっているのか」と大笑いし嘲って帰ったことがありました。
 それから一年目の同じ日に、起こさなくてもいい所で不可解な交通事故を起こし、電柱に頭を激突させて頭を砕き、命を亡くしたのです。
 日蓮大聖人様は、
「この仏法に背けば、百日目、一年目、三年目、七年目の区切りで必ず罰がある」
と説かれていますが、彼の友人は、御本尊様を誹謗して一年目の同じ日に、頭を砕いて命を落としたのです。
 また、Wさんという方は、この仏法の話を何度も聞き、聞くたびに「良い話ですね。でも、今日は時間がありませんから、またそのうち・・・」と言っては逃げていました。
 その人は、けっして悪口を言ったわけではないのですが、五回、十回と話を聞いて、なお信心ができなかったのです。
 それから二週間ほど経った時に、Wさんは交通事故に遺い、奥さんと子供さんは即死、自分自身も頭を打って意識不明、数ヶ月後に意識は戻ったのですが、頭がおかしくなっていました。気の毒だと思って、その後も信心の話をしようとしたのですが、もう普通の会話ができない状態なのです。それも頭破七分の現証です。
 最後に重ねていいますが、仏様が罰をあてるのではなく、仏様は民衆を救おうとして、不幸を免れる方法を説いてくださった、それなのに、それを知りながらあえて背く者が悪いのです。
 如何でしょうか?
お礼コメント
koutatoreikun

お礼率 51% (72/140)

あなたには日本語が通じないらしい。
 もう少しまとめて話してくださいと私は書きました。それに、以前の回答だ何だと言われても、
「頭が七つに破れるどうこう」というのは初めて聞きました。誰かと私を勘違いしていませんか?
 かたくなにあなたが信仰なさっているのはよくわかりました。しかし、あなたの発言は極論で、
もうけっこうです。
 私は個人の意見が聞きたいだけで、ありがたい教えがどうたらこうたらという話には興味が
ありません。本当に勘違いもはなはだしい。
投稿日時 - 2002-02-20 16:09:10
  • 回答No.8
レベル11

ベストアンサー率 45% (143/314)

生命科学の研究者ですが無神論者というわけではありません。 日本人はどうも特定の宗教団体に属している人物が宗教家というイメージが あり残念です。いかに日本人が神学を勉強しなくなったのかという結果ですね。 本来、宗教とは社会生活を営む上での道徳であり公共心でもあります。 私の経験ではボランティア精神に長ける人は大抵なんらかの信仰心を 持ち合わせているように思えます。なんらかの力によって 生かさ ...続きを読む
生命科学の研究者ですが無神論者というわけではありません。
日本人はどうも特定の宗教団体に属している人物が宗教家というイメージが
あり残念です。いかに日本人が神学を勉強しなくなったのかという結果ですね。
本来、宗教とは社会生活を営む上での道徳であり公共心でもあります。

私の経験ではボランティア精神に長ける人は大抵なんらかの信仰心を
持ち合わせているように思えます。なんらかの力によって
生かされているという認識が彼等を慈悲深くさせているんでしょうね。
インチキ宗教は許せません。しかしながら、信仰心が道徳の基盤になって
いることは多くの宗教で見られることです。多分、No.2さんが所属しているで
あろう団体も多くの会員は普通の人よりおだやかですしね。

No.3さんの反論のようになってしまって恐縮ですが
自分の言動に自分で責任を持つというのは難しいことです。
そこに甘えがあれば犯罪じゃなければいいんだという精神が生まれます。
自分の行動を自分で推考し実践する院生には悪い結果が続くと精神的に
まいってしまう人がけっこういます。こういった状態のときに
インチキ宗教と出会うとメロメロになってしまうのですが、始めから
信心があるものは、これも試練と打たれ強いところがあります。

海外で宗教の話しになったとき(本ではタブーとされてますが、仲が良くなれば
宗教の話しはけっこうします)無神論者なんて言えば「じゃあ、あなたの道徳の
基盤はどこにあるの?」なんてことになります。そんなときに「自分」と
答えても「法律」と答えても空しいだけです。

と、言っても私は禅宗であり、浄土系のように南無阿弥陀仏を唱えていれば
救われるものではありません。仏に助けを乞うのでも、日蓮系のように
釈迦の教えに固執するのでもなく「いかに釈迦に近付けるか」を自問自答し
なぜ、我々は生きているかを考えます(生物学者ですから生物的には理解してますけどね)
そもそも、医学、文学、工学、哲学、芸術の根本は神学にありますからね。
宗教とは勉強することだと思っています。

宗教とは社会生活の規範であり、それが全てではありません。
故に同じ宗教でも土着文化と融合した結果、地域差が生じます。
仏教とてヒンドゥ教、道教、儒教、神道など、さまざまなものの影響を受けています。
仏教は死んだら輪廻転生によって他に生まれ変わるのだから先祖がいつまでも
天国にいるはずがないのに位牌に礼拝するとか。葬式なんてキリスト教の影響ですしね。

確かに歴史的みれば宗教はろくなことがないように思えます。
しかしがなら、それは組織が問題なのです。人間の残酷なところは
団体になると善悪の判断がつきにくくなることです。個人の信心が問題ではありません。
神を信仰するが故に幸福が訪れるのではなく、神の教えに従い己を律することで
道徳心と公共心を養うことが信心の理由です。

繰り返しますが多くの信仰者にとって信心とは生活の規範であります。
それが全てであるような妄信家ではありたくない。
無神論者を気取るほどの自分は持ち合わせていない。
成功すれば周囲の人達と出会えたことをただ感謝するのみ。
なにごとにも「ありがたい」という信心のみを大切に。

この道を行けばどうなるものか危ぶむなかれ。危ぶめば道はなし。
踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。迷わず行けよ。
行けば分かるさ。

アントニオ猪木ではありません。一休禅師です。
お礼コメント
koutatoreikun

お礼率 51% (72/140)

 ご回答ありがとうございます。

>自分の言動に責任を持つのは難しい。そこに犯罪じゃなければいいという甘えが生まれる
 たしかにnoribou11さんのおっしゃるとおりかもしれません。しかし、そのことを「甘え」という
風に見るのか、「自由」という風に見るのか、それは個人によるものだと思います。自由と言っても、
フリーではなくてリバティーです。
 >「自分」と答えてもむなしいだけ
 これがどうもわかりません。何で「自分」と答えてむなしくなってしまうのですか?そんなに
自分は空虚な存在なのですか?私の場合を述べさせていただきますが、私は若輩者であるがゆえ、
宗教上の方々と比べると、明らかに人間ができていません。いや、誰と比べても未熟でしょう。
しかし、完成されてはいませんが、逆に変化の可能性を秘めています。私はその変化の可能性が
完成された何かを上回る可能性を秘めていることだと思っています。「宗教」ははっきりと
形のあるものですが、別にこれから作っていくでもいいと思いますね。普遍的な根本にすがる
気はありませんから。
 >神の教えに従い己を律することで道徳心と公共心を養う
 これは私の解釈なのでまちがっていたら申し訳ないのですが、つまり、心の中に神の教え
という道徳規範を作るということでしょうか。うーん、私の考えでは、「規範の一つ」ということになりますね。
 ルールなんてこの世にゴマンとありますし。
 >何事にも「ありがたい」という信心を大切に
 このように思える人は、宗教をしているしていないにかかわらずすばらしい人だと思います。
投稿日時 - 2002-02-20 12:45:18
  • 回答No.7
レベル13

ベストアンサー率 21% (300/1391)

こんにちは。#1のBTです。 >「自分教」ということは、自分に自信があるということでしょうか。 特に自信があるという訳ではありません。 ただ、私は無神論者である故に、参考にすべき“教え”(?)がないわけです。 ですので、自分で考えたり、いろいろな人に相談をしたりして決定いたします。 しかしながら、最終決定は自分自身で行う所から、あえて「自分教」と書かせて頂きました。 まぁ、一般的な無神論者と同 ...続きを読む
こんにちは。#1のBTです。
>「自分教」ということは、自分に自信があるということでしょうか。
特に自信があるという訳ではありません。
ただ、私は無神論者である故に、参考にすべき“教え”(?)がないわけです。
ですので、自分で考えたり、いろいろな人に相談をしたりして決定いたします。
しかしながら、最終決定は自分自身で行う所から、あえて「自分教」と書かせて頂きました。
まぁ、一般的な無神論者と同じ立場ですね。

あと、あまり宗教家と無宗教家との間での攻撃的討論は避けましょう。
無宗派の方が宗教の中での絶対的存在の“神”(代替)を否定するのは、きっと親(家族)を否定する位きついものと思います。
お礼コメント
koutatoreikun

お礼率 51% (72/140)

 お返事ありがとうございました。
 「自分教」とお書きになり、また、このお返事を読んでみても、私はBlack Tigerさんが
「自分に自身をお持ちになっている」と感じます。それは「ナルシスト」になっている
ということではなくて、「思想が自立してらっしゃって、人の話を聴くことができる」
ということです。こんな書き方をするともしかするとお怒りになるかもしれませんが、
それができるということは、周囲に流されない自分がいるということだと思います。そして、
私の中で、「周囲に流されない自分」=「自分に自信があることが大前提」という図式があるのです。
 >攻撃的討論
 ついつい熱くなると思ったことを何も加工しないでそのまま口に出してしまいます。
気をつけます。
投稿日時 - 2002-02-20 12:29:09
  • 回答No.2
レベル11

ベストアンサー率 9% (31/325)

 それは、諸々の苦しみや不幸の原因を断ち切り、幸福になるため、であります。  仏法においては、私達の生命の奥底に、「仏(仏界)」という最高の生命が内在していることを教えています。そして、この内在する最高の生命を、現実に引き出す方途を説き明かしています。  私達が、この仏界を現実生活の原動力として生きるならば、仏界の力強い生命力と智慧の働きにより、直面してくる諸々の問題を真正面から解決して、あたかも波乗 ...続きを読む
 それは、諸々の苦しみや不幸の原因を断ち切り、幸福になるため、であります。
 仏法においては、私達の生命の奥底に、「仏(仏界)」という最高の生命が内在していることを教えています。そして、この内在する最高の生命を、現実に引き出す方途を説き明かしています。
 私達が、この仏界を現実生活の原動力として生きるならば、仏界の力強い生命力と智慧の働きにより、直面してくる諸々の問題を真正面から解決して、あたかも波乗りのような歓喜の人生を送ることができるようになるのであります。それは、まさに、変転する現実生活を悠々と切り開いていける、崩れぬ絶対の幸福、安心立命の境涯ともいえましょう。

正法に従わぬことが不幸の原因

 ところが、この正しい仏法が世に存在するといっても、これを信じようとせず、また背くならば、まことに恐るべき結果をもたらします。
 それは、我が胸中に偉大なる仏の生命を開顕するための大法に背くのですから、かえって自らの手で仏界を破壊するようなもので、その結果、生命力はしぼみ、物心両面にわたって諸々の行き詰まりをきたして、その人の人生は地獄の苦しみに陥るのであります。
 そのことを仏法では、
 「夫法華経の意は一切衆生皆成仏道の御経なり。然りといへども、信ずる者は成仏をとぐ、謗ずる者は無間大城に堕つ」
と教えています。
 現実を振り返ってみてください。経済的な問題、対人関係の悩み、病気、家庭不和、性格的欠陥等々、誰もが必ず問題を抱えて苦しんでいるはずです。それこそが、正しい仏法に背いてきたために生じた苦悩なのです。
 この厳粛なる事実を知らず、また、知ってなお背き続けることが、一切の不幸を招き起こす根本の原因となります。ゆえに、時々刻々いたずらに不幸の因を積み重ねることなく、一刻も早く正しい仏法を信受し、真の幸福境涯を獲得すべきであります。
 これは、どこかの回答でも、述べたことであります。
 如何でしょうか?
お礼コメント
koutatoreikun

お礼率 51% (72/140)

 大変熱心な信仰者のお方のようですね。また、かなり達筆なお方のように思いました。
 しかし、私は疑問を抱きました。それは「あなたの宗教を信じなければ救われないのか」
 「あなたの宗教を信じない人は不幸のどん底に落ちるのか」ということです。
 「夫法華経の意は一切衆生皆成仏道の御経なり。然りといへども、信ずる者は成仏をとぐ、謗ずる者は無間大城に堕つ」
 つまり、この宗教を信じない人は無限の地獄に落ちますよということでしょうか?どうもこの手の言葉は
ただの脅し文句にしか思えません。だって、「幸せになりたきゃ金だしな」というインチキ宗教のパターン
そっくりなんですもん。
 それと、「仏界」があるとかないとかという話、「最高の生命」と言うけど何を根拠に「最高」とおっしゃる
のですか?ミステリアスな言葉ではありますが、現実的ではありませんね。
 あと、経済的問題は宗教に背いてきた罰?私が宗教に対して否定的になるのはこのようなところ
です。何であんたに罰だと言われなきゃいけないのか。わざわざ宗教なんかしなくても、自分で
打開策を見つけられるのではないでしょうか。神様拝んでエイズが治る、貧乏からの脱却ができる
なら苦労は要りません。
投稿日時 - 2002-02-18 12:44:09
  • 回答No.1
レベル13

ベストアンサー率 21% (300/1391)

こんにちは。 無神論者です。 ちなみに宗教家と戦う気は毛頭ないですし、宗教家の神様の存在も否定しません。 宗教や何にしても、“信じる”事は凄く大切でしょう。 キリスト教系や仏教系は偶像ですよね。世間を騒がせたあの宗教は人間を崇拝していますよね。 先にも書きましたが、信じる事は大変よい事です。 しかし、中には信仰心が強すぎて、それを他人に押しつける人もいます。 そういう所は嫌いですね、はっきり ...続きを読む
こんにちは。
無神論者です。
ちなみに宗教家と戦う気は毛頭ないですし、宗教家の神様の存在も否定しません。
宗教や何にしても、“信じる”事は凄く大切でしょう。
キリスト教系や仏教系は偶像ですよね。世間を騒がせたあの宗教は人間を崇拝していますよね。
先にも書きましたが、信じる事は大変よい事です。
しかし、中には信仰心が強すぎて、それを他人に押しつける人もいます。
そういう所は嫌いですね、はっきり。
他にもある宗派の知人なんですが、選挙時期によく「某K党に」ってしつこいです。
確かに、各宗派の教えを信仰している方々は「助かる」かもしれません。
>「神様を信じていればそれで救われる」
これを他人に押し付けるのはダメですね。
「あぁ、あの人は神を信じないので救われない可愛そうな運命だ」って心の中だけで思っていただきたい。
逆に、無神論者の人は宗教派を絶対に否定してはならない。
お互いに迷惑をかけなければきっといいと思います。

最後に。冒頭で無神論者と書きましたが、ある意味“自分教”です。

ではなぜ信仰しないのか?
自分の考えと相違い、完全一致する所がないので………でしょうか。
お礼コメント
koutatoreikun

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さっそくのご回答ありがとうございます。
宗教に対して、大変ニュートラルな意見をお持ちのようですね。
僕も「宗教の押し売り」というのは大嫌いです。
「宗教」に対してのマイナスイメージはそこから来ると思います。
「自分教」ということは、自分に自信があるということでしょうか。
投稿日時 - 2002-02-18 12:23:37
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