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宗教家の方と無神論者の方へ

odd-artの回答

  • odd-art
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回答No.22

 正を邪といい、邪を正とする意見、考え方には、賛同出来ません。    邪宗という言葉は、やみくもに他宗を攻撃するために勝手に使っているのではありません。 釈尊は法華経に、   「正直に方便を捨てて但無上道(むじょうどう)を説く」(方便品第二・開結一二四) と、四十余年にわたって説き続けてきた方便の経経を捨てることを説き、これ以後に説示する法華経こそ最高唯一の無上道であると言われています。また方便の経経に執着していた弟子の舎利弗(しゃりほつ)は自ら、  「世尊我が心を知しめて、邪を抜き涅槃を説きたまいしかば、我れ悉く邪見を除いて空法(くうほう)に於いて証を得たり」(譬喩品第三・開結一三二) と述懐(じゅっかい)していますが、ここにも低級な教えによる考えを「邪見」と称しています。  また、日蓮大聖人は末法の教主として、  「正直に権教の邪法邪師の邪義を捨てヽ、正直に正法正師の正義を信ずる」(当体義抄・新編七〇一) ことが、もっとも大切であると教えています。  これらのことからも、邪宗・邪法などの言葉は仏の経説にしたがって使用していることがわかると思います。  ではなぜ他の宗派に対して、攻撃的なしかも刺激の強い邪宗という呼び方をするのかといいますと、個人の苦しみや社会の不幸はすべて邪(よこし)まな宗教が元凶となっているからであり、言いかえると誤った宗教、低劣な教えがこの世の不幸のたねだからです。  昭和二十年に広島市と長崎市に投下された原爆は一瞬のうちに何十万人という市民、それもなんの罪もない子供や老人まで無差別 に殺戮(さくりく)しました。いま私たちが、核兵器の行使(こうし)が悪魔の所業であると叫び、この憎むべき不幸を二度とくり返してはならないと訴えるのは当然でしょう。そしてその不幸の原因が戦争であり、戦争は人間社会の誤った思想によって誘発されたことを考えますと、誤った思想が何十万人、いな世界大戦で戦死した人を含めると何百万人、何千万人の命を奪ったことになるのです。  このような殺人思想に対して、邪教・魔説と指弾することは言いすぎでしょうか。失礼に当たるから控えるべきなのでしょうか。  涅槃経(ねはんぎょう)に、  「悪象のために殺されては三趣(さんしゅ)に至らず、悪友のために殺されては必ず三趣に至る」 と説かれています。この意味は災害や事故によって命を失っても地獄・餓鬼(がき)・畜生というもっとも苦しむ状態にはならないが、誤った教えを信ずるものは死して後に必ず三悪道に墜ちて永劫(えいごう)に苦しみ続けるということです。  一切の不幸の元凶となる誤った宗教は、あたかも覚醒剤や麻薬のように、本人も気付かないまま、いつしか次第に身も心もむしばみ人生を狂わせていくのです。  正しい仏法に目醒めた私たちが、誤った宗教を不幸の根源であると破折(はしゃく)し、邪宗と称することは、悪法に対する憤(いか)りであり、いまなお知らずに毒を飲んでいる人に対する警告の表れでもあるのです。  なぜ人は信仰し、宗教を求めるのかと問う時、ある人は神仏に守ってほしい、ある人は願いを叶えてほしいといい、またある人は先祖の冥福を祈りたいなどとさまざまな答えがかえってくると思います。  現在日本だけでも何十万という数の宗教がありますが、そのなかには、合格祈願のための神社をはじめ、水子供養専門の寺院とか、虫封じの神社があるかと思えば“とげ抜き地蔵”なるものまで、多種多様の宗教があります。  また信仰する対象も、同じキリスト教でも十字架を拝むものや聖書・マリア像・キリスト像を拝むものなどさまざまですし、仏教でも釈尊像を拝むものや、大日如来(だいにちにょらい)、阿弥陀如来(あみだにょらい)、薬師如来(やくしにょらい)などの仏や、観音、弥勒などの菩薩、あるいは大黒天、弁財天などの天界の神を祭るものなど、宗派によって多岐に分かれています。  もし宗教が単に気休めや精神修養のための手段ならば、それはちょうど音楽の好きな人が名曲を聞き、読書家が名作を読んで心をなごませることと同じでしょう。またそれならば、どの宗教によって、どのようなものを拝んでも、その人その人の好みによればよいということになるかもしれません。  でも少し考えてみて下さい。私たちが生活する上で、無関係なものや無縁のものからは生活に直接影響を受けませんが、身近なものや、信用したものは、その善悪、真偽、正邪によって大きな影響を受けることになり、それが人生の指針にかかわるものや、人命に関するものであればなおさら大きな力として影響を受けることになります。  たとえば、進学や就職、結婚などは誰でも慎重に選択するでしょうし、日常生活でも乗物や食べ物あるいは医薬品などは、より信用できるものを選ぶものです。その選択の基準として、自分の経験や、道理の適否・実験の結果 ・保証の有無・他者の評価などを考慮したうえで、できる限り、よい価値を生ずるもの、すなわち満足できるものを選ぶのではないでしょうか。  これと同じように、宗教もそれぞれ本尊が異なり、教義もさまざまですが、日蓮大聖人は、  「小乗経・大乗経並びに法華経は、文字はありとも衆生の病の薬とはなるべからず。所謂(いわゆる)病は重し薬はあさし。其の時上行菩薩(じょうぎょうぼさつ)出現して妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生にさづくべし」(高橋入道殿御返事・新編八八七) と仰せのように、三毒強盛の末法の衆生には、真実の教えである妙法蓮華経の大良薬を与えるべきことを教示されています。  釈尊も法華経において、  「唯一乗の法のみ有り、二無く亦三無し」(方便品第二・開結一一〇) と説かれ、仏になる道はただ法華経以外にないことを明かされています。  いいかえると、この経文は一乗の法すなわち法華経以外の教えは、真実の教法ではないとの意味です。  このように、宗教には正邪の区別があることを知らなければなりません。  誤魔化して、終えれるような代物では有りませんよ。  

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