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回答(8件中 1~5件目)
都心は大手町や丸の内、永田町、銀座、霞ヶ関です。また区で言えば千代田、港、中央の都心3区と呼ばれる所に新宿、渋谷、台東、豊島を加えた7区が当てはまりますが一般的にに都心というと銀座や丸の内、東京駅を指したりします新宿は1991年に都庁が淀橋浄水場あとに移ってからは新宿を含める様になりました。これらは商業施設、官庁、企業の本社などが集中しているところです。ただし東京中に地下鉄やJR、私鉄などの公共交通が張り巡らされているため山手線内側を都心とみなすことも出来ます。因みに都心部の公立小中学校は都心部が昼間人口は多い代わりに夜間人口が少ないという特徴のため統廃合が激しいという特徴があります。そして副都心は新宿、池袋、上野・浅草、大崎、臨海、亀戸・錦糸町、渋谷をさし、東京都が業務機能を分散するためにおきました。東京都がおいたこれらの地域のほかにも町田や吉祥寺、立川や八王子も含める(副副都心という)ことがあります。ただし定義によっては世界最大の都市圏人口を抱える東京は無数の都市圏を抱えているとみなすこともあります。また副都心は戦前の東京市が私鉄の都心乗り入れを禁止していたため京成(上野)・西武(新宿・池袋)・東武(池袋・浅草)・京急(品川)・小田急(新宿)・京王(新宿・渋谷)・東急(渋谷目黒・大井町・蒲田など)といった大手の私鉄のターミナルがあり交通の便がいいという長所を持ちます。因みに都心部に東京メトロと都営地下鉄とJRしか鉄道がない(つくばエクスプレスを除いて)のは戦後都心乗り入れを各私鉄は希望しましたが東京都が認めなかったためです また地方では若干異なることがあります。たとえば石川県金沢市は県庁(官庁)と都心(香林坊・むさし)が離れているといったことがあります。
いくつか話がずれてすみません。
詳しくはウィキペディアの「都心」の項目(下のリンク)を見てください。もっと詳しく乗っていると思います。
参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E5%BF%83
投稿日時 - 2006-06-03 15:13:28
#5です。
論点を滑らす書き込みを致しまして申し訳ありませんでした。
江戸の範囲は質問事項ではなく、都心とはどこをさすのか?が本題でした。
参考として300年同じ東京で安定した治世を行った徳川幕府の都心機能と比較すると参考になると、関連的に興味を感じたので個人的な考えを述べたまでです。
都心はどのあたりかということは位置的には皆様が回答されているとおりであり、#3さんの回答は端的でわかりやすいです。
更に考えたいのは位置的なこととともにどのような都市機能のある部分を都心とみなすのかということを考えると良いのではないかと思うのです。
政治、経済の中心地と考えれば大手町、日本橋あたりから銀座、新橋、日比谷、霞ヶ関、永田町ということになるかと思います。(江戸時代でいえば霞ヶ関などは外堀の内側ですし、銀座あたりが場外の城下町?てきな経済の中心だったところと重なっています。なんらかの地政学的な必然性があるのかもしれません。)
文化的なことまで考慮するとどこの地域にも独自の文化がありますので範囲が広がってしまい、山手線の内側とか都心5区とか都心8区となるものと感じます。(武家屋敷街を含めた江戸の範囲とかさなるのかな?と思い古地図を調べたのですが若干無理があるようでした。)
投稿日時 - 2006-04-17 16:51:40
#3です。
#5さんの古地図でどうなっていたかというのも充分に、どこが江戸だったかというのをあらわす基準になりますね。
現在の本郷三丁目の交差点にあり現在も洋品店として営業している「かねやす」は江戸時代の川柳にも「本郷もかねやすまでは江戸のうち」として名前が出ています。
http://www.city.bunkyo.lg.jp/cgi-bin/kview.cgi?ID=89
新宿はその名からもわかるように江戸時代に新しく開かれた「宿場町」、日本橋から最初の宿場として先に開かれていた、品川、板橋、千住につづいて「新しい行楽地づくりをもくろむ浅草の名主や町人たちが宿場設置を願い出た」とあります。
http://www.e-sampo.co.jp/column-shin2.htm
現代でいえばデベロッパー主導の都市再開発ですね。
新宿は当時はやはり江戸の内側ではなかったということがわかりますが、品川が再開発されて新幹線の駅もできたり、北千住もつくばエクスプレスが通ったり、現在の東京の交通の結節点や都市再開発は決して新しいものではなく江戸時代から引き継がれているように感じますね。
参考URL:http://hide-san.blog.ocn.ne.jp/bach/2005/01/post_4.html
投稿日時 - 2006-04-12 02:53:05
副都心、新都心に対する都心は千代田区、中央区、港区にまたがる東京駅から新橋、虎ノ門、霞ヶ関、永田町界隈が該当する地域だと思います。
No4さんの回答を読んで「お江戸」とはどのあたりをいうのかと疑問に思い、書店で古地図を立ち読みしました。あくまでも個人的見解ですが渋谷駅付近は江戸ではなかったようです。が、新宿あたりは武家屋敷が軒を並べており江戸の町並みの一部のように思います。台東区、江東区方面は護国寺、小石川植物園、上野公園を結ぶラインが江戸の北辺のように感じました。
質問者様の表現に「山手線の内側?」とありますが、このぐらいのエリアで都心を表現するならば上記を踏まえると山手線の内側と大江戸線の内側の共通するエリアが広い意味での都心ではないかと思います。
見方を変えて(物騒な考え方ですが)外国の軍隊が攻め込み上陸してきたときに首都防衛としてどのエリアを守るのだろうかなどということに思いをめぐらせました。
第一のラインは天然の防衛線となる多摩川と荒川の間、第二のラインが環状七号線の内側、第三が山手線の内側のように地図を眺めながら考えました。さて、その次の第四の防衛ラインはどこなのでしょう。そのエリアが都心なのかもしれません。
国会議事堂、放送局、それとも・・・?
投稿日時 - 2006-04-11 14:16:28