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イスラエルとパレスチナの事について教えてください

1978年に行われた「キャンプ・デービッド合意」 これはアメリカのワシントンの近くの「キャンプデービッド」という所で 行われたイスラエルとパレスチナの平和のための話合いと解釈していいんでしょうか? またその話し合いの中でどんな内容のことが話し合われたんですか?? そして1993年の「オスロ合意」ですが これはパレスチナが暫定的にヨルダン川流域を自治することを決めた話し合いですか?? そして2003年の「ロードマップ」 これは一体なんなんでしょうか?? わかる人教えてください・・・・・・。

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  • shuhua
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回答No.2

 こんばんは。No.1さんの御指摘も御尤もですが、ここは敢えて...    1978年3月26日、合衆国大統領の別荘地キャンプデーヴィッドで行われた会談の内容は、シナイ半島を占領されたエジプトとイスラエルの間に於ける和平についてです。イスラエルのメナハム・ベギン首相、エジプトのアンワル・サダト大統領、合衆国のジミー・カーター大統領が会談しました。六日間戦争こと第三次中東戦争に際してイスラエルは、南北東面に破竹の勢いで進軍し、シナイ半島を占領していました。このシナイ半島の返還や、イスラエルとエジプトの国交正常化等が主な目的でした。キャンプデーヴィッド合意後の翌年1979年3月26日、両国間でイスラエル・エジプト平和条約が締結されています。    続いて1993年9月13日のオスロ合意です。イスラエルとパレスティナ解放機構(PLO)は中東和平の行き詰まりから、直接交渉するしかないと判断し、ノルウェーの仲介で秘密裏に交渉を行いました。その結果、パレスティナ人による自治が暫定ながら5年間、認められました。自治区はガザ地区及びヨルダン川西岸地区のイェリコでした。    1994年5月4日にはカイロ協定(ガザ・イェリコ先行自治協定)が結ばれ、イスラエル軍は設定されたパレスティナ自治区から撤収、ヤセル・アラファト議長はチュニジアからガザに帰還し、大歓迎を受けました。とはいえ、イスラエル軍は社会基盤ごと撤収したので、ガザの生活は混乱したようです。    1995年9月28日にはオスロ合意IIがなされました。これはパレスティナ自治区を拡大する為の合意です。この合意で西岸地区の各町や村を重要度によりABCのランクに分け、Aエリアの町からはイスラエルが完全撤収します。Bエリアの町は行政はパレスティナ自治政府に移管するのですが、治安維持は共同で担当することになりました。Cエリアは行政も治安もイスラエルが担当することになりました。この合意で西岸地区の中にあるヘブロンという町についてはどうしても決着がつきませんでした。この町にはユダヤ教の聖地があるのです。その為、取り敢えずこの問題は先送りし、どうにか合意に至った次第です。    最後にロードマップです。ロードマップとは、2000年にオスロ合意が破綻したことを受けて、2003年4月に米国のブッシュ大統領が中心になって提案したイスラエル-パレスティナの和平案である“中東和平構想”のニックネームです。これはパレスティナ人国家成立へ向けた四段階にわたる構想です。詳細は長くなりますので、関連サイトをリンクさせておきますので、そちらを参照願います。   在日合衆国大使館>政策関連文書>中東和平構想「ロードマップ」:http://japan.usembassy.gov/j/p/tpj-j20030528d1.html   >>

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