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神様って何ですか

既出なら申し訳ありません。探したのですが当てはまるものがなく、質問させて頂きます。 キリストやその他宗教で神を信じている方は神をどのように認識されているのでしょうか? 例えば、現在では地球の起源なども科学的に解明されていますが、 神を信じる方は物理的に神が地球(大地)を作ったと認識されているのか、 それとも心の問題なのか、 それとももっと別の認識なのか。 上記以外の例でも構いません。 物理的な存在の神を信じるのか それ以外の認識で神を信じるのか その辺りを教えて下さい

  • zizo
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質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • kurupin
  • ベストアンサー率24% (125/511)
回答No.4

おはようございます。  「神」とは「倫理」です。倫理があれば悪い事はできません。「お天道様は全てお見通し」ということです。そしてそれが西欧では「罪」の文化、日本では「恥」の文化を形成しているのだと思います。個人的にはこの世に生まれて一度も祈ることをしなかった人と人事を尽くして天命を待つ人とでは後者の方が常識的だと思います。もっと言うなら前者は気持ちが悪いです。よほどの唯物論者なら別ですが・・・。  次に質問者様は科学的な地球の起源について触れておられますが、そのことと神がいるかいないかという事は別の問題だと捉えるべきです。詳しくは参考URLをご覧頂きたいのですが例えば実際に進化論と信仰を両立させている科学者は沢山いるそうです。つまり宗教と科学は矛盾しているようで両立できるという事です。そもそも神がいるかいないかという問題は科学ではありません。単なる信仰です。人が何を信じようがその人の自由であり他人がとやかく言う事ではありませんが、問題なのは宗教をあたかも科学だと偽って吹聴する輩がいることなのです。

参考URL:
http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/index.html
zizo
質問者

お礼

回答ありがとうございます URL、回答ともどもとても参考になりました。 宗教的な考えと科学的な考えは別であり両立するものである。 このサイトでは批判対象となっていましたが、宗教的な考えを科学であると主張している人も中にはいるということですね。 私が謎に思っていた事がかなり分かりやすく書いてありました。ありがとうございます。

その他の回答 (6)

  • ruck
  • ベストアンサー率44% (589/1322)
回答No.7

皆さんのように難しい回答は出来ませんが、私にとっては神は「励み」と「歯止め」でしょうか。誰もほめてくれなくても、誰もわかってくれなくても、神様はわかっていてくれると思えば、ちょっと気が晴れるし、神様が見ていると思えば、悪いことをしないし、ま、そんなところでしょうか。

zizo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 神は心の中にいて、常に自分を見ている存在、という事ですね。ありがとうございました。

  • yumihiko
  • ベストアンサー率50% (76/152)
回答No.6

「人間原理」という考え方があります。 これは、宇宙の誕生から人間の存在まで全てが偶然だとすると、(例えば全くの偶然に頼った場合、生命を育む宇宙をビッグバンが作る確率は10のマイナス1230乗と試算されているそうです)、この宇宙全体が途方もない偶然の産物になってしまう=それこそ、神の存在を認めでもしない限り、この宇宙が存在していることが説明できないという事態を避けるために考え出された理論です。 要は、「人間が存在しているのは、各種の物理定数やそこから導き出される宇宙の構造、及びこの世界の物質のあり方が人間の存在を許容しているからである」という考え方、と小生は理解しています。これは非常に粗雑な理解ですので、参考URLの説明を見ていただくなり、ホーキング教授の著作をお読みになるなりしてみてください。 で、ここで「じゃあ、物理定数やら何やらが、何で人間が存在しうる数値にならなきゃならなかったの?」と突っ込んでいくと…… 哲学にも宇宙論にも詳しいといえるほどではありませんが、最先端の宇宙論の世界ではどうやら単純に神がいる、いない、という無邪気な議論をはるかに超えた議論がなされているようです。 個人的には、神がいるかどうかは人間にはそもそも認識不可能な問題ではないかと考えています。 但し、信仰とは(どのような神であるかはともかくとして)神が実在すると信じるところから始まるので、神は「いる」と考えるべきでしょう。 (いわゆる無神論も、「神はいない」という考え方を「信じる」点では信仰の一種であり、『「神はいない」という神』を信じる宗教だ、といえます)

参考URL:
http://www.nagaitosiya.com/a/anthropic_principle.html
zizo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 人間原理ですか。恥ずかしながら初めて知りました。 URLを拝見して色々な新しい考えに触れ、かなり目から鱗でした。 最早私のような人間の「神」って何なの?などという質問からは超えた次元の違う話がなされているんですね・・ 参考になりました。

回答No.5

あんまり自信はありません。 私自身は神や仏は全く信じておりません。 受け売りな部分と自論もございますが、物理的な神はありえないと思います。神の根本は教えではないでしょうか? わたしは信仰をそう理解しています。 勿論科学が絶対的だとはおもいませんが、一般人が神が地球を創ったとは理解しがたいです。小さいときから、そう言われて育てれれば、そう信じるというかそいうものだと信じるのではないでしょうか?まあ単純に考えてですが。 例えば、キリスト教の方に神様は下に落ちているこの石ころをどうやって作ったのですか?と聞かれれば、お分かりになるかもしれませんねぇ。(-_-;)面白い回答がえられそうですが(^-^;)

zizo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 とても分かりやすい回答ありがとうございます。 私も信仰を特に持っておらず、神が物理的に関与して地球を作ったとはあまり思えず、旧約聖書などの「神が大地を作った」などの記述と、「科学として習った地球の起源」との関連性をどう解釈すればいいのか悩んでおりました。 ここで質問してだいぶスッキリしてきました。 ありがとうございます

noname#251407
noname#251407
回答No.3

「神は我が心にあり」 です。

zizo
質問者

お礼

回答ありがとうございます 簡潔ですね。わかりやすいです。ありがとうございました

回答No.2

物質主義、科学主義も一種の信仰に思えるのは気のせいでしょうか?^^; 信仰も度合いがあり、「それが全て」である人や、教義的に守っている人、あくまで宗教としてと様々だと思います。 認識という視点からみれば、「はかりしれないもの」でしょうね。科学で全てが判明されたわけではなく、それで説明ができることばかりではないでしょう。 またそのように物理的、具体的なものでもないでしょう。それがわかれば、そう説明し、教義の中で広めているでしょうからね^^; またNO1さんおっしゃられている、宗教による心のよりどころは、重要だと思いますよ。 個人的には信仰は大なり小なり、あってよいものだと思います。あなたがおっしゃるように‘認識’でくくるのではなく、「そういうものだ、もしかしたらあるかもしれない」と思っていた方が、気持ちが豊かになるように思えますが^^; お正月には初参り、結婚式は神父さんにも神主さんにも認めてもらい、節句ごとの祝いを行う。バレンタインはチョコレートを送る日で、クリスマスには恋人同士が盛り上がる。そしt人生最後のお葬式にはお寺で供養してもらう・・。何て日本人は、宗教に屈託がなく、うまく使って楽しんでいるのだろうと思いますよ^-^

zizo
質問者

お礼

回答ありがとうございます つまり信仰も様々なので人によって解釈が違うということですね。 本当に熱心に信仰をしている方は 教えの中にある一見科学に関与するような記述をどのように解釈しているのか?それがとても気になっていました。 この場合もそれはそれとして、宗教ではそういう教えもあるけれど、科学の分野になればまた違うと捉えている人もいれば、 また別の人もいる・・という事になりますね

noname#44432
noname#44432
回答No.1

私は全くの素人で神について(どうでもいい)と思ってる者ですが、こう思います。神様って心のより所ではないでしょうか?何か悪いことが起きたら「神の怒りに触れた」とか、良いことに巡り会えば「神のご加護だ」とか、結局神様って都合のいい便利屋さんのような気がします。その便利さを采配するのは結局自分の心の中なわけでそういう意味では「神様は自分の心の中にいる」んじゃないかと思います。だから、神様とは「自分の心」ではないかと思います。 「地球の起源」など知りませんが、そういう自分では確認できないような圧倒的な自然(現象)なんかを目の前にした時、人は神を使うんじゃないでしょうか? 物理的な存在の神ってなんすか? ちなみに、欧米と日本の「神」に対する認識も違うように思います。欧米の神は人間に対して「絶対の権限(善)」を持ってるが、日本の神は人間と「同等」それこそ「心の持ち次第で善にも悪にもなるよ」って感じがします。 よくわかんなくなってしまいましたがそんな感じです。

zizo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そうですね、日本と欧米ではだいぶ神にたいする考えも違うので、分けて質問するべきだったかも知れません。 旧約聖書などに「神が大地を創造した」というような事が書いてあるようなのですが、旧約聖書を信じて信仰されておられる方は、その部分をどのように解釈されておられるのかという事が気になり、質問文に書きました。 例えばそれは宗教的な信仰としてそれはそれで信じているが、科学ではまた別だと解釈されているのか。 それとも神が大地を物理的に創造したと解釈されておられるのか。 そういった事を知りたいと思いました。 >物理的な存在の神ってなんすか? ・「神」がどこかに形として存在している。 ・もしくは、物理的な現象(生命や宇宙)についても神が実際に形を作り、この世に存在させた など、心の中だけではなく、実際目に見える物理的な現象も神が関与しているという認識なのか? という意味で書きました。

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