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銀の笛

「文芸作品の内容的価値」(菊池寛)の中に次のようなくだりがあります。 「イブセンの近代劇、トルストイの作品が、一代の人心を動かした理由の一は、あの中にある思想の力である。その芸術だけの力ではない。芸術のみにかくれて、人生に呼びかけない作家は、象牙の塔にかくれて、銀の笛を吹いているようなものだ。」 この文中の「銀の笛を吹いているようなもの」とはどのような意味なのでしょうか。どなたか御教示下さい。

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noname#107878
noname#107878
回答No.1

 上手な表現ができませんが、「象牙の塔にかくれて、銀の笛を吹いているようなものだ」とは、ただ文芸という美の中に安閑と居座って.....といった意味ではないでしょうか。  象牙の塔、銀の笛、人生の苦しみを知らない豪華で空虚、そして優雅な世界を表す比喩表現でしょうから。  全文としての流れを考えると、名作が人を感動させるのは、それが文学という芸術としての質の高さだけでなく、そこに人の悩み、人の苦しみと快楽、喜びと悲しみ、そうした人間の本質を追求した思想が余すところなく書き込まれているからである。  文学という芸術の質の高さにばかり固執しても、そこに人の生き様を深く追求するような思想的テーマが欠けていたのでは、それはただひとり、芸術性という名の空虚な高見(象牙の塔)に陣取って、ただ表現の美(銀の笛)にのみに心を惑わせているだけに過ぎない.......といったことになるのでは。

Dauphin
質問者

お礼

早速の回答、ありがとうございました。 >ただ表現の美(銀の笛)にのみに心を惑わせているだけに過ぎない.......といったことになるのでは。 参考となりました。 なぜ「銀の笛」なのか。「金の笛」ではいけないのかという単純な疑問がありました。改めて「銀の笛」をネットで検索してみたところ、どうやらフルートらしいということが分かってきました。フルートが奏でるメロディーを表現の美にたとえたということになりましょうか。 ありがとうございました。

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