- 締切済み
藩という名称について
江戸時代の地方自治の単位で”藩”という名称があったと思うのですが 江戸時代にはそんな言葉はなく後からつけたものである。と言われました。 確かに神君の時代からあったとは考えにくいですが、中期くらいからでて きてもおかしくないのでは?と思っています。藩と言うものの歴史をかい つまんで教えてはいただけないでしょうか?
- potato-pie
- お礼率11% (7/60)
- 歴史
- 回答数2
- ありがとう数4
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
みんなの回答
- DrStrangelove
- ベストアンサー率52% (130/249)
江戸時代には正式名称としての「藩」はありませんでした。正式には「○○家」と言います。 例えば時代劇で長州藩と呼ばれているのは、正式には長門・萩の毛利家です。 中国(今の中華人民共和国)では諸国を治める諸侯を藩王と呼んでいました。 江戸中期に漢学者たちがこれをまねて、大名の領地を藩と呼び始めたのが始まりです。 もともと武家は家を基本構成単位としていますので、一つの大名家に家臣も家として仕えます。だから家臣も自分のことを○○家家臣と呼称します。 大名家の領地内の政治も家を基本としています。 しかし、江戸時代になり社会が安定し、大名が参勤交代で本国にいることが少なくなると、大名家も政府機構のようなものを整えるようになり、家という意識が薄れてきます。特に江戸時代も後期になるとその傾向が強くなります。 一般の家臣たちも江戸後期になると「藩」という言い方を使います。 「藩」と言う呼び方は、特に幕末の勤王の志士の間で流行した呼び方のようです。 (当時の勤王の志士の流行語で、他には自分を「僕」、相手を「君」と呼ぶのがあります) ただし、格式を大事にする武家社会では江戸時代が終わるまで、正式な場では「○○家」と呼んでいました。 明治になり、新設された府や県と区別するために、「藩」は正式な呼び方となりました。 これ以降の回答は説明の都合上、「藩」を使わしてもらいます。 >江戸時代の地方自治の単位で”藩”という ちょっと誤解があるようなので説明させていただきます。 江戸時代の藩は地方自治ではなく、独立国家です。 それぞれの藩は独立国家として扱われ、江戸時代の日本は三百諸侯といわれる独立国家の集合体です。 現代の仕組みにたとえると、それぞれの藩はアメリカや日本などの国にあたり、幕府は国連にあたります。国連はアメリカや日本の内政に干渉できないのと同様に幕府は各藩の内政に干渉できません。 ただ違うのは、幕府は国連より権力が強力で、藩を取り潰したり、国替えをする権限を持っています。 国連に強大な権限を持たせて、その場合の国連と加盟国を想像すると、イメージ的には幕府と各藩の関係が想像できると思います。
- hanbo
- ベストアンサー率34% (1527/4434)
参考になれば幸いです。下記URLを、参照してください。
関連するQ&A
- 江戸時代の「藩」の呼び方について
我々が歴史を勉強するとき「○○藩」と呼ぶ「藩」ですけれど、これは後世の学者がそう名づけたとのことで、江戸時代には「藩」と呼ばれていなかったと聞きました。 それでは江戸時代には藩のことを何と呼んでいたのでしょうか?ご存知のかたおりましたらお教えください。
- ベストアンサー
- 歴史
- 会津藩の歴史について書かれた本
会津藩(現在の福島県)の歴史について書かれた本があれば、紹介して くれると嬉しいです。 藩の起こりから、江戸時代を経て、明治維新に抵抗して敗北するまでの 歴史を一通り網羅されている本ってあるでしょうか。 宜しくお願いします。
- ベストアンサー
- 書籍・文庫
- 薩摩藩ってすごい藩?
「ドイツってすごい国?」をみて薩摩もすごいと思ったので質問します。 島津家は日本で(おそらく)唯一、鎌倉時代の守護大名からの歴史をもつ大名で、室町・戦国時代は九州最強を誇り、豊臣秀吉に逆らい、関が原では西軍につき戦闘をおこなうなど時の権力者に逆らいつつも領地を減らされることなく、江戸時代は参勤交代で全大名中最も長距離で負担の重い旅行を強いられ、徳川家は更に島津家を恐れ江戸防衛のため間に親藩・譜代大名を置き、名古屋城などの城を築いて万全の体制を敷いたにもかかわらず幕末には薩摩藩主力の新政府軍に倒されてしまいます。 このように、九州のはずれにある薩摩藩がこれだけ長い間、強大な武力とバイタリティーを持ち続けた理由は何でしょうか?鎌倉時代から明治時代初めまで(幕府を除けば)最強、悪くてもベスト3には入っていたと思うのですが、いかがでしょうか。
- ベストアンサー
- 歴史
- 時代小説の舞台設定についてお尋ねします。
江戸時代に存在したとする架空の藩の話なのですが、架空の藩が、歴史的な事柄に絡む筋立てなので、歴史的事柄を描写する際、実在の藩の地理的特徴を描写しないと成立しない話なのです。 地理的特徴(近くにどんな町がある、どんな海や山があるなど)は、歴史的事柄とも深く係ってくるので、実在の特徴を描写しなければなりませんし、近くの地名も外せないのです。 小説の中で描写する地域名や、地理的特徴が、何処の藩をモデルにしたか分かるくらいに、実際の藩の特徴と重なります。 例えば、主要な舞台である藩の名称を変えさえすれば、近くの町や、山や、海の名称について実在の名称を使っても構わないのでしょうか? それとも似たような名称に変えて、ぼかした方がいいのでしょうか。 藤沢周平氏の小説に出てくる「海坂藩」の場合、鶴岡藩をモデルにしていると思いますが、江戸のように遠くの地名は使われていますが、近くの地名まで使われているかどうかは定かではありません。 江戸時代を舞台にしているのに、全て架空の名称にしてしまうと、時代小説として成立しなくなりますよね。 どこまで実在の名称を使っていいものか分かりません。 教えて頂けたら有り難いです。
- 締切済み
- 文学・古典