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日本は何故植民地にされなかったのでしょう?

flashprimの回答

  • flashprim
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回答No.10

長州藩と連合軍(馬関戦争)、生麦事件等で薩長は英国軍艦と砲火を交えましたよね(薩英戦争)。長州藩に懲りて薩摩藩は大砲1基を今なら1億2500万円でたくさん購入して備えたのに、結局負けました。 実際、ペリー来航やハリス来日にしても、幕府はその対応に苦慮しました。条約(開国)を受ければ攘夷派が黙っていない、断れば国が危ないと。その頃、攘夷派は国中では会津藩を除けば、士気が高く、軍資金も豊富でした。馬関戦争、薩英戦争で攘夷派がね、討幕派に変わりました。武士がね、知ったわけですよ。かなわないと。英知を学んで国を強くしなければならんと。アロー号事件が駄目押しでした。 1853年のペリー来航がなぜあったのかというと、捕鯨ですね、このための基地にしたい。燃料の補給とか。それ以外にもうひとつ理由があったんですよね。中国との貿易で日本を中継基地にしたいと。お茶の貿易とかのね。 当事、清国では列強が進出していまして、清国がそれらを自由にさせまいと、押し込めるつもりで租界地を指定しました。英国、仏国、米国、露国と(遅れて日本も)それらの租界ありました。ちなみに治外法権を史上初めて打ち出しのが米国です。彼らが何をしたのかというと、貿易ですよね。お茶ですね。これで商人は設けようとしていました。でも、これ違うんです。アヘン戦争で知っているように、アヘンなんです。アヘンがね、清国で馬鹿売れでした。日本もね、実は狙われていたんですよね。ポルトガル、オランダの租界地(出島)が日本にもありました。ここからね、アヘンを日本人相手に売ったんですよ。でも、どうも反応が悪い。買ってくれないんでよ。日本人が。だから、日本は魅力がないと列強に知れ渡りました。アヘン儲かりますね。清国人はこぞって買ってくれます。清政府もね、初めは人民のことなんかどうでもいいから、ほっといたんですけど、その間にアヘンが蔓延しちゃってどうにも具合が悪くなったんですよね。それでね、林則徐が登場してアヘン戦争です。結果出ましたから、拍車掛けて売りまくりますよ。(1917年に帝国が阿片の輸出停止をし、国際連盟がアヘン禁止勧告をするようになって、租界も渋々とアヘンを自粛しだしました。でもね、アヘンの取引場所をフランス租界へと移して、供給者がイギリスから中国の軍閥にね、変わっただけなんです。)アヘンでね、清国保有の銀が底ついてしまいました。その当時は、銀本位制だったんです。アヘン中毒で身を滅ぼした人々は財産なんてありませんから、市中に流浪します。アヘンが必要だからどんなことでもしますね。 日本でも朝鮮総督府とか関東軍の費用ですね、これ現地調達を本国から仰せつかっていました。本国が面倒みてくれないということです。それで、アヘンを朝鮮人や清国(支那)人に売りさばきました。アヘンは国を滅ぼすとも言いますから、軍にとってなおさら都合のいいことでした。およそ5000トン、売っていますね。「阿片王」二反長音蔵がこれに貢献しています。日本で名高い財閥がこれで儲けていますね。財閥間で取り合いでした。 当時の米国は鉄道開通工事が急ピッチで進んでいました。鉄道王ハリマンですね。サボテン生えている砂漠をね、生えてない砂漠もありましたが、これの工事は過酷なんですよね。ギラギラと差す日光の炎天下の下で、重労働、とても出来ないものでした。当時はね。で白人は「こんなもの、安く有色人種にやらせばいい」と考えるものなんですね。当時の白人になってみればわかります。いい考えだ、となったわけですけど、黒人がもう自由にアフリカから引っ張って来れなくなっていたんですね、米国は。インディアンの数では足りない。ちょっと殺しすぎましたから。それでね、中国にアヘン流民が居るじゃないかと、こいつらをアヘンをえさにして米国へ引っ張ってくればよいとなったわけです。 米国はお茶、生糸、絹、陶器が欲しくて、ペリーを使って、日本を中継基地にして中国と貿易したがっていたわけではないんですね。アヘン売買と労働力とで中国が魅力的だったわけです。実際、たくさんの清国人が米国に渡って鉄道工事に携わっています。労働力の移民、これ「ブタ貿易」と言っていました。豚ですね。 日本が植民地化されなかった理由は、日本に魅力がある供給が出来ない国だった。これ以外にありません。米国はアヘン売買と労働力を中国(清国)に求めていた。ほかの欧米列強もそうです。 これ以外の答えはすべてデタラメです。そういうことです。 日本も戦後は植民地化されていますね。白人はこういうこともうまいです。我々、日本人が植民地人なんて、なかなか分かりません。

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