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江戸時代の綿の生産についてなるべく詳しく早く、教えてください。
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綿は室町時代、戦国時代に朝鮮や中国から綿が輸入されていたという記録があります。まだ衣料としては庶民の手には届きませんでした。しかし、戦国大名の武士たちの衣料、船の帆布、火縄銃の火縄などの軍需品としてなくてはならないものとなりました。日本で綿の栽培に成功したのは戦国時代末期と言われ急速に普及しました。 近畿、瀬戸内を中心に我が国の綿作、綿業は目ざましい発展をとげて、江戸時代の経済発展の重要な役割をはたしました。衣料としてこれまで用いられていた麻から木綿へのこの転換は、「繊維革命」といっても良いほどの大きな出来ごとでした。 江戸時代から明治の初めの頃までは、国産綿花による手紡ぎ、手織りの木綿が国民の主要な衣料となっていた。現在の愛知県、大阪府近辺は日本での有数の綿産地として知られ、その流れで綿布工業がおこり、今日まで続いています。
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