- ベストアンサー
旗本
旗本は大名と違って譜代・外様の区別がなかったようですが、外様大名分家の旗本でも五位諸太夫の要職を歴任する事は通常であったのでしょうか? 大身旗本で代々、番頭など要職を歴任する家もあれば、ほとんど代々無役寄合の家もあったそうですが、やはり家柄・出自・由緒によって差別・区別がなされていたのでしょうか? どちらか1つでも良いので、お考えをお聞かせ頂ければ幸甚に存じます。
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
関連するQ&A
- 江戸時代の諸藩の次男坊以下
江戸時代の藩主の弟たちは、他家に養子に出たり、僧侶になったり?していたと思いますが、 譜代大名であれば、次男坊以下は大身旗本に取り立てられることもあると聞きました。 これは本当でしょうか? また、外様は大大名でも次男坊以下が旗本に取り立てられることは、ありえなかったのか、 お分かりの方、よろしくお願いいいたします。
- ベストアンサー
- 歴史
- 外様大名が幕府の要職についたのは。
日本史の教科書には、 「役職には原則として数名の譜代大名・旗本らがつき、月番交代で政務を扱った」 とあります。 “原則として”ということです。 では、いつごろから、どのような理由で、外様大名が幕府の要職につくようになったのですか、教えてください。 よろしくお願いします。
- ベストアンサー
- 歴史
- 江戸時代の武士の階級について
将軍家>親藩大名>譜代大名>外様大名>高家>旗本>御家人 (左は高く、右は低いという設定です。) こうのような認識でよろしいですか? 間違っているところ、抜けているところがあれば教えてください。
- ベストアンサー
- 歴史
- 中学の日本史について教えてください。
中学の日本史について教えてください。 関が原以降の大名の区別で 「親藩」「譜代」「外様」とありますが、 親藩にだけは「大名」というのは本当ですか? 譜代大名、外様大名とは言っても親藩大名とは言わないと 先生に言われテストでバツになったと言うのですが。。
- ベストアンサー
- 歴史
- 守名乗りについて
江戸時代、武家の守名乗りは大名・諸太夫の役職に就いた者・三千石以上の大身旗本に許されていたと思います。 陪審でも、御三家御附家老や加賀八家のように従五位下に叙任される特格の家柄はあったと思いますが、一般の大名家の家臣(特に重臣層)が守名乗り(越前守・讃岐守・縫殿頭など)をすることは出来たのでしょうか? 「かみ(守・正など)」を付けずに山田安芸、田中勘解由、鈴木民部、山本隼人と名乗ることは普通にあったと思いますが、「かみ(守)」を付けて名乗ることはどうだったのでしょうか? 公式には許されてなかった場合、○○守の私称がまかり通っていたとするならば、○○守で公文書に署名することは出来たのでしょうか。 大石内蔵助の内蔵助も正式な官名だと思うのですが、旗本では大身しか許されていないものを、陪臣にすぎない大名家の家臣が「大石内蔵」ではなく「大石内蔵助」と名乗ることは問題なかったのでしょうか。 ご意見を賜れれば幸甚です。
- ベストアンサー
- 歴史
お礼
ご回答ありがとうございます。 大身はそれほど金に困ってないので小普請組の様に是が非でも役にありつきたいという想いはなかったのかもしれませんね。