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小学五年生の国語の教科書の理解できないところ(ときは、ときに、てしまう)

 日本語を勉強している外国人です。小学五年生の国語の教科書を読んでいます。理解できないところがありますので、質問します。  「玄関の前に立っているまりちゃんを見たときは、とてもびっくりしたけれど、二年ぶりの本物のまりちゃんに、自然と顔が笑ってしまうのが、自分でも分かった。まりちゃんも、にこにこしている。」 1.「見たときは」を使うべきなのでしょうか。私は「見たときに」を使いたいのですが、「見たときは」と違いはありますか。 2.「てしまう」の使い方がたくさんありますが、「笑ってしまう」の中の「てしまう」の役割は、何でしょうか。 3.「てしまう」について、作者が日本人でない文法の本を調べたのですが、「とうとう死んでしまった」という例文を見つけました。これはどんな場面で使われる一文なのか、想像を付けられるのでしょうか。悪人が長時間にわたって、最後に死んだことにとても嬉しくて、「とうとう死んでしまった」で表現できるのでしょうか。  日本語を何年間も勉強していますが、まだ文章がうまく書けません。下記の質問文の書き方について、アドバイスをいただけないでしょうか。 >想像を付けられるのでしょうか。  「想像をつけることが出来る+尊敬語(受け身の形の尊敬語)」の形にしたいのですが、なんだか可能と尊敬語(受け身の形の尊敬語)が重なっているようで、うまく書けません。何か解決方法はありますか。「想像を付けられるのでしょうか」は「想像をつけることが出来るのでしょうか」のつもりです。  ほかに、質問文の中で不自然な表現があれば、それも併せて指摘していただければ助かります。質問が多すぎて、申し訳ありません。よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.6

1.「見たときは」としなければなりません。  これは、比較の「は」とは別の問題で、単文と重文の違いなのです。  格助詞の「が」「に」などは、直近の述語にしかかからない性質があり、「副助詞(係助詞)」の「は」は文末までかかる性質があります。(対比の「は」の場合はまた別問題。) 「見たときに、びっくりした。けれども、その次に、笑ってしまうのが分かった。」のであれば、「に」を使います。 「に」は「びっくりした」にかかり、「分かった」にはかかりません。 「見たときに、びっくりした。けれども、(同時に)、笑ってしまうのがわかった。」という場合、この二つの文をつないで重文にするには、格助詞の「に」ではなく「は」を用いて表現します。 2.は難しい質問です。 一応「自発」の表現だとお答えしておきます。(#5までの回答と同趣旨です。)  「自然と~てしまう」でひとまとまりの表現だと考えてください。  「自然と顔が笑うのが分かった。」は、間違いでないにしてもやや不自然さを感じます。 3.「とうとう」と呼応する場合は「完了」の表現です。  説明しにくいのですが、質問者もご指摘の通り「てしまう」にはある種の感情がこもっている場合が多いと思います。どちらかというと「残念なこと」「期待に反すること」が起こった場合に用いるのが普通です。もちろん、  「しぶとく生き延びてきた悪人もとうとう死んでしまった。」 という言い方も可能ですが、「とても嬉しい」という気持ちがこもっているとまでは言えません。むしろ悪人の死に「無常(生の有限性)」を感じ取っている雰囲気かと思われます。 「想像がつけられますか」は普通「想像がつきますか」と表現します。相手の能力を問う疑問文ですので尊敬語にはなじみにくいと思われますから、相手に失礼にならないようにするには、すこし遠回しにして「想像がつくものでしょうか」と尋ねるのがよいと思います。

awayuki_ch
質問者

お礼

 いつもお世話になっております。  ご親切に教えていただき誠にありがとうございます。1について、ほかの方と違う角度の考え方を拝見して、新鮮味を覚えています。大変いい勉強になりました。2,3も非常に助かりました。  本当にありがとうございました。

awayuki_ch
質問者

補足

 申し訳ありませんが、理解できないところがあります。 >すこし遠回しにして「想像がつくものでしょうか」と尋ねるのがよいと思います。  この例文にある「もの」についていろいろ調べましたが、不満、強調などの意味が多いようで、よく理解できません。相手に失礼にならない言い方なのでしょうか。「想像がつくものでしょうか」の「もの」の役割を教えていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。

その他の回答 (6)

回答No.7

>この例文にある「もの」についていろいろ調べましたが、不満、強調などの意味が多いようで、よく理解できません。相手に失礼にならない言い方なのでしょうか。「想像がつくものでしょうか」の「もの」の役割を教えていただけないでしょうか。 「もの」が「不満・強調」を表すというのは、文末で「~だもの。」などと用いる用法(終助詞)ですね。この場合はそれとは異なります(形式名詞)。 「物事はなかなか思い通りにいかないものだ。」とか 「芸術はすばらしいものだ。」といった用法がありますが、 「物事はなかなか思い通りにいかない。」や 「芸術はすばらしい。」と比較すると、 後者は、前者に比べてより広い経験から一般的な法則・事実として表現している感じを与える表現です。 「~でしょうか。」という問い方は、当該の事象に関してのみ、直接的に問う表現で、「~ものでしょうか。」は、いったん当該の事象を離れてより一般的な(間接的な)見地から問う表現の仕方です。 そこで同じ A という事象について、「Aするでしょうか。」と問うよりも「Aするものでしょうか。 」と問う方が婉曲(遠回し)な表現となり、失礼になりにくい(ぶしつけでない)のです。

awayuki_ch
質問者

お礼

 ふたたびありがとうございました。良く理解できました。これから、こんな書き方に挑戦してみます。  心よりお礼を申し上げます。

  • tyuuta
  • ベストアンサー率35% (164/458)
回答No.5

1.「見たときは」を使うべきなのでしょうか。私は「見たときに」を使いたいのですが、「見たときは」と違いはありますか>> これはニュアンスの違いがあると思います。この場合「は」には、最初に見た時のびっくりした気持ちと後の(再会できて嬉しくて)自然に顔が笑ってしまう気持ちを対比している働きがあります。 一方「に」は、最初の状況を単に表わしていると言うニュアンスですので対比表現までは表わしてないのではないか と言えると思います。「は」を使った方が自然な表現だと感じます。 2.「てしまう」の使い方がたくさんありますが、「笑ってしまう」の中の「てしまう」の役割は、何でしょうか。 そのつもりでないのに、ある事態が実現する意を表す。 つまり笑おうと思ったわけではないけど笑ってるということです。 この場合は突然もう会えないのではと思っていた友人に再会して最初はびっくりしたけれど、嬉しさのあまり表情が笑顔に変わる状態を「てしまう」で表現しているわけですね。 3.「てしまう」について、作者が日本人でない文法の本を調べたのですが、「とうとう死んでしまった」という例文を見つけました。これはどんな場面で使われる一文なのか、想像を付けられるのでしょうか。悪人が長時間にわたって、最後に死んだことにとても嬉しくて、「とうとう死んでしまった」で表現できるのでしょうか。 「とうとう」は、最終的な結果がこうなったよと言うことを表わす副詞で、この中には嬉しくてと言うニュアンスはありません。この一文はあまり使う場面は多くないと思いますが、あえて言うなら「生死の境を何十日もさまよった人が、死んでしまった時」でしょうかね。 >想像を付けられるのでしょうか 「想像をつける」と言う表現は使わないですね。「想像できる」と言う表現になります。ですから 「想像出来ますでしょうか?」が一番良いと思います。 あとこの場合ですが丁寧語になります。 話し手が聞き手に対し敬意を表して、丁寧にいう言い方。現代語では「ます」「です」などの助動詞をつけるわけです。敬語は難しいですが尊敬語、謙譲語、丁寧語をうまく使い分けできるようになると良いと思います。 おまけに質問文の中で「作者が日本人でない文法の本」とありましたが正直ちょっと分かりづらかったです。 意味としては「日本語文法の本だけど、それを書いた人は 外国人」と言うことで解釈してますが、通常「作者」というと特に、芸術作品(物語とか焼き物とか)の作り手を表わします。文法書などの一般書物は「著者」の方が理解しやすいですね。読み手が日本人になるのでもっとわかりやすく表現すると「著者が中国人の日本語文法書」 もっと簡単にすると「中国人が書いた日本語文法の本」 なんかにするとよりわかりやすいかなと思います。 (中国の方が書いたと仮定しちゃってます。すみません)

awayuki_ch
質問者

お礼

 いつもお世話になっております。  ご親切に教えていただき誠にありがとうございます。ご回答はとても理解しやすいと思います。大変いい勉強になりました。「作者が日本人でない文法の本」へのご指摘にも感謝します。これから、「著者が中国人の日本語文法書」と「中国人が書いた日本語文法の本」を使ってみます。  本当にありがとうございました。

  • kanpyou
  • ベストアンサー率25% (662/2590)
回答No.4

1.「見たときは」と「見たときに」 今現在のまりちゃんと、登場人物(主人公)は、緊張が解け、「自然とニコニコ」しているのです。 筆者は、今現在の主人公の心境と、まりちゃんに会った直後の心境とを対比、強調したいわけです。 『まりちゃんを見たときは、~だったけど、(今は)~だ。』という対比の表現です。 2.~してしまう (自ら意識、意図することなく)結局その状態になること。 3.到頭:とうとう死んでしまう。 病気や、悪い行状により、「死んでしまうのではないかと予想」され、その予想通り、死んでしまった場合、『とうとう死んでしまった。』と使います。 「とうとう」というのが、「ついに、結局、案の定:あんのじょう(案じたとおり)」という意味です。 死んでしまうことが期待され、実際、死んでしまった場合でも、「とうとう」と使いますが、その言葉自体には、「喜ばしい」という意味はありません。(中立的かな?) >想像を付けられるのでしょうか。 ご想像できますでしょうか? 想像をつけることができますでしょうか?

awayuki_ch
質問者

お礼

 いつもお世話になっております。  ご丁寧に教えていただき誠にありがとうございます。大変いい勉強になりました。  本当にありがとうございました。

  • nyonyoko
  • ベストアンサー率0% (0/1)
回答No.3

1.「見たときは」→「まりちゃん」が玄関の前に立っていた事に驚いている 「見たときに」→「玄関の前に立っている」まりちゃんに驚いている というような驚いている部分が変わるのではないかと思います。 また、「見たときに」のあとに「とても」と続けるのは少しへんですね。 「見たときには、とても…」または、「見たときに、わたしはとても…」が自然だと思います。 「見たときには、とても…」の場合も、「まりちゃん」が玄関に立っていることに驚いている感じですね。 2「笑ってしまう」の「しまう」は、○○しようとしていないのに○○になるという事ですね。 笑おうと思っていないのに、顔が笑顔になると言う意味だと思ってください。 3「死んでしまった」というのは、「死んでほしくないのに死んだ」、例えば、「愛するひとが交通事故で死んでしまった。」という風な使い方の方が自然ですね。 でも、悪人が死んだ場合にも使えます。 想像…ですが、「想像ができますか?」で良いと思います。 丁寧な言い回しなら「出来る」を「可能」に置き換えて、「想像は可能でしょうか」で良いのではないかと思います。 私なりの回答なので、わかりにくい点もあるかと思いますが、伝われば嬉しいです。

awayuki_ch
質問者

お礼

 ご親切に教えていただき誠にありがとうございます。1は私にとってはとても難しいです。1のほかに、全部すっきりしました。大変いい勉強になりました。  本当にありがとうございました。

  • ginga3104
  • ベストアンサー率23% (510/2209)
回答No.2

>想像を付けられるのでしょうか。 ⇒想像が付きますか? ⇒想像する事が出来ますでしょうか? で、良いのではないかと思います。 (「想像が付く」「想像する」で慣用句です。「想像を付ける」とは言わない) 他は、ほぼ1番さんと同じ意見です。

awayuki_ch
質問者

お礼

 ご丁寧に教えていただき誠にありがとうございます。大変いい勉強になりました。とても助かりました。  本当にありがとうございました。

noname#12250
noname#12250
回答No.1

1、ここでは「見たときは」が比較好です。「見たときは」は「当初は」の意味が含まれています。 時間的に前と後では違う行動をとる、考えが違うなど前後の文脈での違いを強調するのに使われています。 「当初○○したときは~~だったが、後で××になった」の時に使います。 「見たときに」は「見た瞬間だけ」を指していて前後の接続は特に考えていません。 2、「てしまう」は「~してしまう」で「不由得」です。   「笑ってしまう」ならば「不由得笑」ですね。自発(自然に起こる)の意です。 3、「とうとう死んでしまった」は結果を表しています。   特にこのような使い方です。「彼は一人で勇敢に戦ったが、とうとう死んでしまった」 「他一個人英勇戦闘可是他終yu去世了」 >悪人が長時間にわたって、最後に死んだことにとても嬉しくて、「とうとう死んでしまった」で表現できるのでしょうか。 「嬉しくて」のような感情は表現しません。情況を表すだけです。

awayuki_ch
質問者

お礼

 ご親切に教えていただき誠にありがとうございます。中国語はとても上手です。大変いい勉強になりました。  本当にありがとうございました。

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