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自殺する権利

baihuの回答

  • baihu
  • ベストアンサー率31% (114/357)
回答No.25

自殺が、権利の行使をもってなされる類のものと言われると、なんだか釈然とできません。正確な表現かどうか自信がありませんが、感情的な諸々をひっくるめて言うなら、日本の法律で「自殺罪」がないのは、いけないことだけれど、責めないことにしている、という説明がしっくりきます。 権利という言葉が、随分偉そうに、自信を持って、何人たりとも侵すこと能わず、不可侵である、という語感を持っているから私も(多くの人も)そう感じているのだと思います。でも、辞書的な意味では少し違います。 【権利】一定の利益を自分のために主張し、また、これを享受することができる法律上の能力。 権利と権利がぶつかりあうことは、ごく日常的なことであって、不可侵とされるような権利は人権くらいではないでしょうか。(死刑がそれを侵すと言えるかもしれません) とても近いと考えられるのが、冬山登山とかF1レース出場とかという、自ら危険な行為をする権利です。 突飛なことを言えば、「人を殺す権利」を主張することはできても、ほとんどすべての場合、そのことで侵害される他の権利によって封じられているということではないでしょうか。 権利はあるけれど、主張してもいいけれど、認められないことだってある、というのが私の落としどころで、ある権利行使に対して賠償請求だってできれば、その結果に対する責任追及だってできると考えています。自爆テロを「自殺する権利」で済ませられる問題だとは思いません。 自殺は、その権利行使の当事者、すなわち他の権利を侵害している(かも知れない)責任追及対象が生きていないという点「だけ」が、奇妙な議論になる原因だと思います。 一方、別の観点から考えなければならないのは、特に衝動的に自殺をする場合など、それが一時的であれ精神的錯乱なのかどうかということもあります。責任能力の問題です。 上記のことを踏まえて、原則的に自殺は、自分の人生を自分で決定するという権利の範疇に含まれると考えますが、その影響度合に応じて他から干渉されるものだし、もしかすると治療されるべき対象として扱われるかもしれないとも思います。幸いにも未遂で終わった場合しか、事実上当人はいないのですが……。 「権利がある」ということ自体、その程度のことだと私は思っています。(今回のご質問と無関係ですが、同様に、「義務がある」ということも、その程度に思っています)

-misaki-
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます! お返事遅れまして大変失礼しました。 >突飛なことを言えば、「人を殺す権利」を主張することはできても、ほとんどすべての場合、そのことで侵害される他の権利によって封じられている >責任能力の問題です。 >「権利がある」ということ自体、その程度のことだと私は思っています。 共感しました。説得力のあるご意見でした。

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