• ベストアンサー

平安時代の風俗について

みなさん、はじめまして。 今、平安時代の風俗について調べております。具体的には、「平安貴族と馬」についてです。平安時代の貴族が身につけるものとして和歌・管弦・漢詩があったと思うのですが、「乗馬」についてはどうだったのでしょうか? 清少納言の父が落馬して笑われるという話があり、当時貴族にとって「馬」はどういう存在・位置にあったのか気になっているのです。 もし、何かエピソードや本(←特にお願いします!)がありましたら、情報を下さい。その他、鎌倉時代でも構いません!よろしくお願いします。

  • 歴史
  • 回答数4
  • ありがとう数6

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • chatea
  • ベストアンサー率69% (922/1323)
回答No.2

平安時代の地方からの献上品を見ると、よく名馬を献上している記述があり、献上された馬を管理する役所も存在しました。 また、それらの馬は皇族以外にもさげわたされることが、しばしばありました。 つまり、天皇・皇族、藤原氏などの上級貴族はある程度以上の乗馬のスキルを持っていたわけです。 それを裏付けるものとしては、ある有名な古典に、とある院の御所が焼けた時にその息子が、馬を駆って避難先を探し回ったエピソードが書かれています。 また、鎌倉時代の説話集でも、乗馬を含む武芸が貴族文化の一つとして取り上げられています。 利用上の規約がありますので、具体的な人名・書名は伏せます。自分で探してください(ですから回答ではなく、アドバイスにしておきます)。 ヒントはそれぞれ「花」と「20」です。 そのほかにも、地方官ならある程度武術に優れており、戦闘指揮が取れないといけませんでしたから乗馬は必要不可欠の技術でした。有名どころなら清少納言の夫だった橘則光です。陸奥守に任ぜられた彼は、腕力に優れたとされ、各種の物語や日記に記録されています。 そうでなくとも藤原氏をはじめとする貴族が馬に乗ったり、武術を習っている記述は、平安~鎌倉時代の日記や説話集などのあちこちに乗っています。 貴族というと、なよっとしたイメージがありますが、じつは結構なスポーツマンでもあったわけです。

kana-take
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました! 皇族も乗っていたんっですね!驚きました! これは平安から鎌倉の説話集や日記を手当たり次第当たるしか無さそうですね。 ですが、ここまで教えていただいても本の題名が分からないと困ってしまいます~(^^;) 文学に通じていないので。高校時代の便覧で見てみると、前者の「花」は「栄花物語」ですかね?次の「20」は見当付きません。ん~すっきりしないです~。

kana-take
質問者

補足

申し訳ないのですが、もうちょっと分かりやす~いヒントをいただけないでしょうか?よろしくお願いします!!

その他の回答 (3)

  • chatea
  • ベストアンサー率69% (922/1323)
回答No.4

片っ端から古典や文献にあたって調べるから勉強になるのですが……。 本当にちゃんと調べていますか? 「花」は馬に乗っていた息子の名前の頭文字(奇行で非常に有名な歴代天皇の一人です)、また「20」はその説話集が20巻からなっているということです(ここまで書けばどちらも簡単に調べられるはず)。 これ以上は完全にレポートの手伝い代行になってしまうのでもう教えられません。あとは自力で調べましょう。それが勉強です。 あと余談ですが、流鏑馬の歴史について調べてみても貴族の乗馬を知る上で面白いことがいろいろでてきます。

  • nemosan
  • ベストアンサー率22% (582/2598)
回答No.3

乗馬に関するエピソードと言えば・・・ 鎌倉ですが古典の名作 吉田兼好の『徒然草』が記憶に残ってます。 「桃尻」という馬の鞍に尻納まりの悪い人=乗馬下手を取り上げた滑稽な話が幾つか登場し、印象的でした(笑) ネット検索の「徒然草 桃尻」で、解説したページが探せますよ。

  • 6dou_rinne
  • ベストアンサー率25% (1361/5264)
回答No.1

上級貴族の乗り物は牛車、輿で馬には乗らなかったんじゃないでしょうか。 馬に乗るのは武士や中級以下の貴族だったんではないでしょうか。

kana-take
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 私もそう思っていたのですが、貴族が落馬した話があり、驚いて今回調べて見ようと思った次第です。 ありがとうございました!

関連するQ&A

  • 平安時代の一般人について

    「平安時代」というと、 私の中では貴族のお姫さまや花合わせ薫物合わせといった雅なお遊び、 あとは和歌くらいしか思い浮かばず、平民の様子がまったく想像できないんですが、 誰もがこんな優雅な暮らしをしていたはずがありませんよね? 平安の平民たちはどんな暮らしをしていたんでしょうか。 いろいろ検索にかけてみましたが、貴族の生活ばかりが出てきます。 平民の生活というと範囲が広すぎて知っていても答えづらいと思うので、 特に気になるところを。 1.平民の職業ではどんなものがあったのか。   中でも若い女性はどんな仕事を持っていたか。 2.街中にはどんな店があったのか。出店のようなものはあったのか。 3.一般人と貴族が交流することはあったのか。   貴族を街で見かけても話しかけることはできなかったのか。   よくある「身分の差の恋」などはなかったのか。 4.貴族のように教養を備えていない人は、和歌を詠むこともなかったのか。 5.女性(女の子)の着物は髪型以外江戸時代の町娘と同じようなものなのか。 6.平民は年貢の取立てや貧しい食事になんとか耐えて生活していたのか。 質問が多すぎてすみません。 レポートなどの資料にしたいわけでなく、まったくの興味本位ですが、 どれかひとつでもいいので、平安時代に詳しい方の回答を得られると嬉しいです。

  • 平安貴族にとっての和歌

    伊勢物語近辺の時代の貴族にとって、 和歌がどのような存在で、 生活にどれくらい溶け込んでいたものなのかを調べています。 いろんな文献をあたり、 どんな状況で詠まれているか、詠まれていないかなどを見ていますが、 いま一歩踏み込めずになかなかレポートにできません。 平安貴族にとって、和歌とはいったいなんだったのでしょう? 和歌でなければならない状況、気持ちは、どんなものだったのでしょう? また、その関係を現代の私たちにあてはめるなら、 和歌に変わるものはなんだと思いますか? アドバイスをお願いします。

  • 平安時代の乗り物はどうして牛車

    源氏物語などを読むと、 平安時代の貴族の一般的な乗り物は牛車のようです。 どうして馬車を利用しないのでしょうか? 牛など遅すぎますし、よだればかりたらしていて美的ではないです。 当時の馬にパワーがなかったのでしょうか? よろしくお願いします。

  • 平安時代の衣装

    平安時代の貴族は十二単など華やかな衣装を身につけていた訳ですが、当時は今でいうデザイナーやスタイリストのような存在はあったのでしょうか?? 高貴な身分の人が着る衣装として、どんな布をおるか、どう合わせるかは誰が決めていたと思われますか??

  • 平安時代 身分制度

    平安時代について調べている者です。 調べていてもよくわからないことがあったので、質問させていただきます。 1.平安時代の身分制度について 平安時代には、厳格な身分制度というものはなかったようですが、貴族と平民との間にはどのくらいの格差があったのでしょうか? 下級貴族でも、その生活は平民のそれとはかなり違ったのでしょうか。 2.摂関政治の頃の役人制度について 摂関政治の頃、役人になれるのはどんな人たちだったのでしょうか? 役人になれるのは貴族だけだったのでしょうか? また、役人になるためにはどういった手順が必要だったのでしょうか? 3.女房などの地位について 女房、という言葉はよく聞きますが、彼女らの地位とはどういったものだったのでしょうか? 役人とは違うのでしょうか。誰に、何をするために雇われていたのでしょうか? 役人制度の中での位置づけも気になります。 質問だらけですみません。参考になるサイトがございましたら、アドレス等教えていただけると幸いです。 よろしくお願いします。

  • 平安時代の女官~江戸時代の貴族

    平安時代は女官でなくても女性の名前は、本人と親と夫くらいしか知らなかったそうで、 宮中の女官の呼び名は、何とか式部とかになっています。 これはどういう風につけられていますか? 清少納言は、親の地位と苗字の一字から取られたそうですが、他にはどういう物があるのか教えてください。 また、江戸時代に貴族や皇族の女性が徳川家の男性に嫁ぐことが多かったようですが、 今に名前が知られていても、当時はやはり本名(○○子のような)は一般には知られていませんでしたか?

  • 平安時代について、貴族たちが華やかな生活

    平安時代について、貴族たちが華やかな生活を送っていた時代といえば、藤原道長が摂関政治で権力をふるい、 紫式部の源氏物語や清少納言の枕草子が執筆されたあの時代です。 来年の大河ドラマの舞台光る君へはちょうどその時代です。 ですが、あの時代ってすでに、10世紀半ばごろに平将門や藤原純友の乱が発生しております。 であるならば、ひょっとして、その当時って、もう租庸調をはじめとした律令制度の崩壊、壊滅が始まっていた時代なんでしょうか。 さすがに、律令制度がのっぴきならないところまで来たのは、早くても条項が政権を掌握する、院政が開始され、前九年、後三年の役か、それこそ、保元の乱・平治の乱のころではないかと。

  • 漢詩を作る

    ふと思い立って、趣味の範囲で漢詩を作りたいと思っています。 1.漢詩に対する国語力は、かろうじて大学受験の漢文が読めるかどうか・・・程度です。漢詩を作るに際し、何から学べば良いのでしょうか。 2.平安時代の貴族の男性は、漢詩を読み書きするのが教養だったと聞いておりますが、彼らはどのようにして漢詩を学んだのでしょうか。 3.明治時代くらいまでは、漢詩を味わい、かける人がいたようなのですが、明治時代の人はどのような過程を経て漢詩を作ったのでしょうか。

  • 江戸時代以前の氷にまつわる話&流れ星について

    江戸時代以前の氷にまつわる話&流れ星について 江戸時代以前の氷にまつわる話を探しています。 特に、冬以外で手に入る氷についてです。(氷室など 氷はとても貴重なもので、一部の権力者でしか手に入らなかったといいます。 その氷について昔の人々がどのように思い、感じていたのか興味があります。 和歌、日記など文献の種類は問いません。 もしご存知であればぜひお教えください。 それと、高校時代の先生に、 「平安時代の貴族は流れ星のことを[天駆ける馬]と呼んでいた」 と聞いたのですが、それを書いてある文献がどうも見当たりません。 こちらもご存知でしたらお教え頂けると幸いです。 宜しくお願い致します。

  • 古文の和歌の読解について

    大学受験生です。古文の普通の文は、なんとか読めるのですが、和歌になると急に読めなくなってしまいます。だから、たくさんの和歌にふれてみたいと思っています(平安、鎌倉時代あたりのもの)。解説が詳しい本またはサイトを教えていただきたら、幸いです。また、よい勉強法がありましたら、教えていただきたいです。よろしくお願いします。