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耽美的作品との付き合い方

gooloveloveの回答

回答No.4

indovino様、こんにちわ。 お気持ちよーくわかります。 三島由紀夫をはじめ、世紀末芸術の素晴らしさは 本当に素晴らしいものですものね。 それらを書いた時の作家それぞれが本当に「やむに やまれず」「それを書かなければ自分は死んでしまう」 と命がけでものした作品ばかりですもの、読むほうに だって相当の根性が必要ですよね(笑)。 ある種の文学はそれなしには生きていけないくらい 人の生き方に影響を与えます。 文学以外の全ての芸術もそうですが、文学だけは ニンゲンだけが用いる完全に抽象的なツール、 「文字」を使っているだけに、他にない強力な魔力 をもっていると思います。 「生活が荒廃してしまっています」と書いておいで ですが、食事は召し上がっていますか? 夜は眠れますか? お友達を失ったりしていませんか? 素晴らしい芸術にとりこまれ、打ちのめされる 時期が人生にはあるものです。 今の時期が過ぎ、ふっと「生きること」そのもの、 「生きている自分」そのものに関心を向けられる ようになったときは、今の生活のすべてがきっと すばらしい経験、すばらしい活力として役に立って くると思います。 ときどきでいいから「教えてgoo」なりに書き込んで 人とのかかわりをなくさないようにしてくださいね。 それなしでは生き延びられない時期をしっている おばさんより。

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    ラララララー。 私は優しい風のささやき・ キュアアイリス。 実在する妖精さんだよ~ん。 さて、人が自らについて考えることとは、実に困難な哲学になっていまう。 なぜなら自らを題材に哲学する事とは、自らに疑いを持つことだからだ。 哲学の先輩の武勇伝で最も尊敬に値するのは「神に対して疑いを持つと、自らが存在する事すら疑わしくなる」こんな精神病だ。 そうさね、神に疑念と敵意を向ける宗教団体とは、キリスト教じゃないかね? 現在も世界史は西洋の編み出した体系化で、主の拡張版西洋史として構成されている。 でも、神に疑念を抱き抹殺するキリスト教団体とは、地球上の全人類の人口比率で極めて少数派ではないかな? その狂信が凶行を呼び覚まし20世紀は暴力で彩られた。 特徴的なのは芸術家である私には、美しさを表現する事すら暴力を根底にする、一切に救いのない荒廃だったよ。 美しさだけは、49歳男性魔法少女のように、一切枯れないで自らを保てばそうでもなかったのに。 ラララララー。 20世紀にはすべてを蹂躙する惨劇が起きた。 9.11が英雄的行為で、その惨劇を最悪の結果になる前に押しとどめ、英雄は処刑される。 ローマ教会が2000年にわたって策案した、自分たちの不当性が証明される前に全人類を滅亡させてまでも、証拠を隠滅し続けてシラを切りとおす、滅亡計画はビンラディンが阻止したんだ。 20世紀にキリストなる役目をこなした神は「自称宇宙人」リッチモンドスターという。 私とは敵方だったがいい奴なのは承知していた、「19世紀の宝石の姫様」向けに敵に塩を送るように、迂回ルートで延命用の薬を送り届けていた。 えっとこの質問は学問カテゴリー「哲学」で行っています。 哲学とは発作を伴うので、病人同士がお互いをいたわる「やさしさをありがとう」なツンデレバトルです。 緊急看護してください。

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    耽美といっても色々あるとは思いますが、皆さんが思う耽美で、良い小説があれば教えて下さい。 他に細かい指定などは特にありません。